2018年12月15日土曜日
英語の発音は、そんなに大事?
日本では、英語学習熱が冷める気配がないようです。
もう20年以上前でしょうか、駅前留学と称して、小さな街に何軒もの英語教室がオープンしたのは。
どこも売りは、ネイティブの英語教師が少人数の生徒に教えるというもの。実は私も少しだけ、試してみたことがあります。確かに看板に偽りはなかったけれど、毎回先生が変わったり、仕事の行き帰りでは、遅くなったり疲れてたりで、どうにも続きません。
そうこうするうちに、共通言語は英語だけのフィリピン人配偶者を持つという、英語学習には最強の環境が整ってしまい、わざわざお金を払って英会話教室に通う必要が消滅してしまいました。
そして昨今は、スカイプを使ったオンライン英会話や、ここネグロスでも大流行りの、近場で安い短期英語留学。我が家から徒歩10分の至近距離に、日本人向け英語学校ができて、もう1年余り。
そういう場所でよく言われるのが、発音の矯正。たまに英語留学ビジネスに関連したサイトを閲覧していると「あなたの日本式発音では、世界に通用しない」みたいな、半ば脅迫みたいな文言が踊ってます。だから留学して英語漬けになって、ネイティブのような美しい発音を身につけましょう、ということらしい。日本人が一番気にする「恥」の感覚に訴える戦術。
もちろん、ベタベタのカタカナ発音より、英語らしい喋り方のほうが良いに決まってます。ただ、それはどの国、どの地域、あるいはどの階級の人の英語を基準にしているんでしょう。
私が仕事で実際に経験した、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、そして中国に日本など、雑多な人々が同じ会社の社員として参加したミーティング。共通言語は言うまでもなく英語。何とも皮肉なことに、そこで一番聞き取りにくかったのが、イギリス人とアメリカ人の発言。
日本人だけがそう思ってるのではなく、レベルの差はあっても、やっぱり他の人たちも同じように感じていたらしい。つまり、いくら流暢に喋れるからと言って、周囲の理解度を無視して早口で(英語は分かって当然という態度)、しかもかなり独特な言い回しを多用されれば、英語を第2・第3言語としている側にすれば、不親切極まりない。
反対に、ドイツ人やイタリア人の話す、ちょっと訛った英語は、少なくとも私にとって実に分かりやすい。これは英語を公用語とする東南アジア諸国、フィリピンやシンガポール、マレーシアでも同様。まぁ、マングリッシュ、シングリッシュなんて、独特のイントネーションの人も多いけれど、早口過ぎて聞き取れないことは、あんまりなかった。
ことほど左様に、いまや国際言語の英語には、発音も語彙も、国や地域で千差万別。アメリカ国内でも東西海岸で別物かというほど違うし、ここ我が家のメイド、ライラおばさんが話すのも英語。ライラはこれで、ちゃんとクウェートで2年働いたんだから立派なもんです。
極端に言うと、イギリスで弁護士や政治家にでもなるのならともかく、成人してから英会話を始めた日本人が、オックスブリッジ・アクセント(オックスフォードやケンブリッジの卒業生が話す独特の発音)を目指したりしても、まったく無意味。
英語の上手い下手、発音のきれいさなどより、専門家としての仕事のレベル。そこさえ押さえていれば、先方が私のジャパニーズ・イングリッシュを理解する姿勢になってくれたし、平易な表現、分かりやすい発音で喋ってくれました。
つまり、話し方より、話の内容が、はるかに重要という、身も蓋もない結論。ならば英語留学が意味ないかと言うと、そんなことはなくて、街に出て、実生活の場で友達作ったり恋愛したりすれば度胸がつく。これが大事。
発音の矯正なんて、コミュニケーションを深めていく段階で、よりよく理解してもらおうと相手への配慮があれば、自然と身につくし、まず忘れたりしない。
もっと言えば、ネイティブの話者でも、必ずしも発音がきれいとは限らないんですよ。これって、カラオケが上手く歌えるかどうかみたいなもので、生まれ育ちが関西の人でも、たまに大阪弁の抑揚が少し変な人もいます。そういう人は、だいたい歌うのも苦手。昔、島田紳助さんのトーク番組で、「お前、大阪弁が音痴やな」と後輩芸人に突っ込んでいるの聞いて、大笑いしたことがあります。
ラベル:
言語
場所:
フィリピン シライ市
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