フィリピン人に貸したお金、それも30万ペソ(約63万円)もの金額が、キャッシュで返ってきました。
これは相手が日本人でも同じでしょうけど、親戚や友人にお金を貸すのなら、戻って来なくても困らない額を、心の中では上げたつもりで貸せ、みたいなことを言いますね。このお金、貸した相手は家内の叔母で、もう10年以上も前の事。
ネグロス生まれの叔母ナンシー。今は、遠く離れたレイテに、息子のパウロと一緒に住んでいますが、当時は日本在住。1980年代に日本へ渡り、最初はビルの掃除婦からの下積み生活。何年も頑張ってオフィスワークの職に就きました。
そして、自分のための努力だけでなく、オーバーステイになって困っている同胞の相談に乗ったり、時には帰国の飛行機代を立て替えたり。NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられるほど、献身的な活躍をしてました。おそらく、そんなボランティア精神が重荷になり、ネグロスに残してきた二人の男の子(その頃はまだ学生)への送金すら、ままならなかった様子。
金銭感覚は、下手な日本人よりも余程しっかりしてるし、孤軍奮闘で生き抜いてきたプライドもある。そんなナンシーが借金を頼むぐらいだから、相当な苦境だったんでしょうね。
あの頃は、私たちにはまだ子供がなかったし、経済的には余裕がありました。「義を見てせざるは勇無き也」とは、まさにこのこと。これは断れませんよ。大げさに言うと、ここで見捨てたら一生後悔しそう。
そんな訳で、日本国内ではなく、フィリピンの銀行口座に30万ペソを振り込んだ次第。義理堅いアンティからは、「あなたは、命の恩人です」という感謝の言葉と、ネグロスに所有する宅地の権利証を担保として手渡されました。
とまぁ、文字にするとずいぶんドラマチックな話ながら、私も家内も、お金を貸したことなど、すっかり忘れてたんですよ。その後、フィリピンに戻ったナンシーは、体調を崩したりして、催促なんて出来っこないし、お金が返ってくる期待は皆無。
ところが人生は、どうなるか分かりません。
もうずいぶん前に別居して、最近亡くなった旦那さんが、実は地元レイテに結構な土地を持つ資産家だったそうです。詳しい経緯は分かりませんが、まとまった額の遺産を手にしたと思われるナンシー。まるで映画か小説みたいなストーリー。
やっぱりずっと気にしてたんでしょうね。にわかに「お金を返します」と言われた時には、かなり驚きました。
そしてクリスマス休暇も終わり、銀行が開いた日。ナンシーの代理としてシライにやって来た息子のパウロ。何を隠そう、私のゴッドチャイルドでもあります。別に人が来なくても、銀行間で送金してもらえば良さそうなもの。
ところが、フィリピンでは銀行が違うと、送金にはものすごく手間がかかる上に、手数料がバカ高い。仕方なしにナンシーの口座があるBPI(バンク・オブ・ザ・フィリピン・アイランズ)の、シライ支店で現金をおろし、それを数百メートル離れた、私のメインバンクであるメトロバンクまでハンドキャリーすることに。
63万円とは、決して少ない金額ではありません。しかもネグロスなので、物価ではざっと4〜5倍の経済格差。300万円相当のキャッシュを鞄に入れて持ち歩くなんて、日本でもビビりますよ。
こういう場合は、ノコノコ日本人が顔を出すとロクなことがない。すべて家内とパウロに任せて、私は自宅で待機状態。家内から「入金完了」の連絡があった時には、本当にホっとしました。
それにしても来年は、家族で日本に一時帰国とか、裏庭にゲストハウス建てるとか。これで全額賄えるほどではないにしても、正直なところ、かなり助かります。まったく予想外の、超ビッグなクリスマス・プレゼントを頂いた気分。神さま、ありがとうございます。
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