2018年12月21日金曜日

血は権利の代償


先月から続く、フランス・パリでのデモ。ディーゼルオイルの増税に端を発し、黄色いベスト(自家用車に搭載を義務付けられている)を着用して、マクロン大統領に抗議する大規模な運動に発展しました。

フランスは、日々の労働時間が短く休日出勤もない。バカンスは連続5週間可能で、子供の夏休みも2ヶ月というお国柄。そして今回に限らず、デモやストライキは合法的な抵抗手段として、当たり前に行われます。以前、仕事でヨーロッパ出張の時など、フランス経由の予定があっても、できるだけエール・フランス(航空会社)を使うなと言われたほどストが多かった。

フランス人に言わせれば民主主義やスト権、長いバカンスも、誰かが与えてくれたものではなく、先人が尊い血を流し、長い戦いの末に手にした権利。それもそのはずで、フランスこそ民主主義の本家本元。私たちの世代には、コミック「ベルサイユのばら」でお馴染みのフランス革命では、800年続いた王政を打倒し、現代民主主義の基本が確立されました。

この感覚は、フランスと同じトリ・コロール(青・赤・白の三色)を国旗に採用しているフィリピンにも、脈々と受け継がれています。

300年以上ものスペインによる植民地化と、その後のアメリカ統治、日本の軍政を経て、勝ち取った独立。20年間のマルコス独裁に「ピープル・パワー」エドゥサ革命で終止符を打ちました。最近では2000年に不正蓄財疑惑でエストラーダ大統領を、再び市民の力で権力の座から引きずり下ろしたのは、記憶に新しいところ。

つまり、フランスやフィリピン、あるいは他国の支配や圧政を克服した国では、市民による権力への抵抗は当たり前。権利の侵害にはとても敏感だし、日頃から政治への関心も高い。お隣の韓国を見ても、それはよく分かります。

ここまで書くと、私の母国である日本って、本当に特殊な国なんだなぁと思いますね。芸能人が政権批判したり、コメディアンが政治家をネタにすることが問題視されるって、独裁国家でもないのに、ちょっと信じられない話。それだけでなく、一般の人が政治を話題にすること自体が、無粋でダサい行為と思われてしまう。

現政権なんて、もしフィリピンで同じことをやったら、もう3回ぐらいはピープル・パワーが発動されてますよ。大統領が目の敵にするほど、マスメディアは政策に対して辛辣な報道をするし。総理大臣の都合の悪いことは、何も国民に知らせないなんて、ジャーナリズムの自殺行為に他ならない。

なぜこうなったのかを遡って考えると、明治維新が中途半端に終わったからかも知れません。坂本龍馬が画策した、手品のような大政奉還が功を奏して、本当ならば日本を二分しての大戦争になっていたところを、ごく限定的な戊辰戦争だけで新政府樹立。

他国なら絶対に血を見ていたであろう、版籍奉還に廃藩置県もあっけなく実現。フランスやロシアでは、国中大騒ぎで王や皇帝を殺害したのに、日本では「勅命」の紙切れだけで、260年続いた大名が引退してくれるとは、すごい事です。

革命だけでなく、民主主義も棚ぼた式に、敗戦で転がり込んだようなもの。戦争では300万人以上の死者を出したとは言え、自国の政体を変えるための、自発的な犠牲ではありません。戦後に制定された民主主義憲法を、いまだに「押し付け」と言う人までいるぐらい。

これでは、権利意識も政治への関心も、根付くはずはありませんね。やっぱり国でも人でも、要領よく生きることに慣れてしまうと、逆境に陥った時に打たれ弱い。空気ばかり読むんじゃなくて、時と場合によっては、口角泡を飛ばしてでも権利を主張しないと、本当に大切なものを失ってしまいますよ。


0 件のコメント:

コメントを投稿