2018年12月23日日曜日

発音コンプレックス


1週間前に投稿した、英語の発音についてのお話。成人してから英会話を始めた日本人が、オックスブリッジ・アクセントを目指しても無意味だとか、話し方より話す内容の方がずっと大事だとか。少々挑発的な書き方だったせいか、英語で苦労したと思われる人から、やや批判的な反響をいただきました。

中には「L」と「R」をちゃんと区別して発音するのは、どの地域の英語とか関係なく重要だと、基礎的なことを指摘する人がいたり。

もちろん、それが間違いだなんて言う気は毛頭なくて、英語として認識されなければ、いくら内容のある話をしてもダメ。私もアメリカの東西海岸主要都市から、中西部のむちゃくちゃ訛りのキツい地域。英国ではロンドンにもウェールズにも滞在し、インド系の営業さんや、アイリッシュの技術者とミーティング。頭が痛くなるほど難しいアクセントにも対処しました。観光じゃないので、逃げ出すわけにいきませんからね。

もし私がロンドン辺りからの帰国子女で、耳も舌も基本ができていれば、頑張ってBBC英語でも習得したかもしれませんけど、所詮は根っからの日本人。しかも、東大阪の父と、大阪市都島区の母の間に生まれた、「超」方言生活者。花登筺&じゃりン子チエ・ワールドの住民なので、日本語すら「きれいな」発音は難しい。

正直に白状しますと、私は強度の発音コンプレックスを持ってました。東京出張では、無理してフラットに喋ろうとしたら、気持ち悪いと言われ、社会人になってから勉強し始めた英会話では、イギリス人の先生に「君の英語は大阪訛りだ」と断じられる始末。日本語も英語も、発音の矯正には、それなりに努力したんですけどねぇ。

そんな私に転機が訪れたのは、20年前の東南アジア諸国長期出張。いきなり最初の滞在地マレーシアが衝撃的でした。地元ではマングリッシュと呼ばれる、中国なのかマレーなのか、とにかく訛りが強すぎて、英語がどうかすら分からないほどの代物。

それでも、なんとか結果を出さないと帰国できないので、相手の言うことの聴き取りも、こっちが喋ることを理解させるのも、大汗かいて悪戦苦闘。慣れというのはすごいもので、数日も得意先巡りをするうちに、ちゃんと会話が成立するようになりました。

私の発音が画期的に変わったわけではなく、勘所を掴んだとしか説明できません。マレーシア人に理解される英語の抑揚とか、強調する発音ポイントなどを体で覚えた感じ。理屈じゃないので、具体的に何をどうやったかを、理詰めで教えられないのが歯がゆいし、今ではすっかり忘れてしまってます。(またクアラルンプールに行けば思い出すかも?)

それ以後は、相手の要望に合わせて試作品を用意し、日本・マレーシア訛り混合の、みっともない英語でプレゼン、のサイクルを繰り返すうちに、現地の販売責任者からの信頼を勝ち得て、ずいぶん仕事がスムーズに。こうした成功体験から、英米式の発音が、海外ビジネスで必須条件だという、思い込みから抜け出すことができました。

前回の投稿で、いい仕事すれば先方が理解しようと耳を傾けてくれる、というのは、そんな経緯から出てきた発言。私の実感そのものです。

そういう下地があったおかげで、フィリピン初渡航時も、言葉に関してだけは(根拠なき)自信満々。1990年代を知る人ならば、その名前を聴き覚えているほどのヒット商品の開発に、携わることができました。ちなみに恋愛でもそれなりの成功を収めて、当時知り合ったフィリピン女性と、今でも一緒に暮しているわけです。

これは比較的最近気づいたことなんですが、外国で生まれ育ち、大人になってから日本に来たのに、日本語がすごく上手い人たち。例えば、私の世代ならば、大阪弁を自在に操ったイーデス・ハンソンさんや、ヒデとロザンナで有名な、ロザンナ・ザンボンさん。一挙に時代が飛んで、最近では、厚切りジェイソンさん。

彼らほどのレベルでも、普通の日本人が聞けば、外国人の英語だと一発で分かってしまう。逆に私からすれば、ネイティブとの違いがまったく分からない、DJやテレビのナレーションでお馴染みの、小林克也さんの英語(米語)が、生粋のアメリカ人なら一瞬でノン・ネイティブだと見破られるそうです。

ことほど左様に、素養のある人がどんなに努力しても、外国語として習得した言葉の発音には限界があるもの。それならば私のような凡人が、限りある人生の時間をそこに使うより、ある程度「道具」として使い物になるレベルに到達したら、自分がその道具で伝えたい内容に磨きをかける方が、意味のある時間なんじゃないでしょうか。

特に、「きれいな」発音を気にするあまり、外国語を話すこと自体に恐れを感じるぐらいなら、発音なんでどうでもいい!と開き直るのも、一つのやり方だと思うんですけどね。


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