もうアドベント(待降節)も2週目を迎えた今日、12/9の日曜日。ここまで来れば、気の早いフィリピン人じゃなくても、部屋にツリーを飾ったり、ラジオから流れてくるクリスマス・ソングも当たり前。
クリスチャンが人口の数パーセントしかいない日本で、やたらとクリスマスをテーマにしたポピュラーソングが発表されるようになったのは、私の知る限り、1980年の松任谷由実(ユーミン)さんの「恋人がサンタクロース」か、1983年の山下達郎さんの「クリスマス・イブ」が嚆矢じゃないかと思います。
私が高校から大学生だった頃で、両方ともシングルではなく、アルバムの中の1曲。いきなりの大ヒットと言うより、ネットのなかった当時は、ジワジワと口コミやFMラジオなどでの紹介で評判が広がった感じ。決定打は、テレビCMでの使用や、松田聖子さんのカバー版。その後40年になろうかという今でも、日本のクリスマスソングの定番中の定番。
それにしても、日本人が好む曲って、寂しい歌詞が多いですね。クリスマス・キャロルでも悲しげな曲調はあります。例えば、「Gabriel's Message」。これは、聖霊によってイエスを身籠った処女マリアへ、天から降った大天使ガブリエルが、生まれる子供が救世主になると告げる内容。日本語では「ガブリエルのお告げ」と訳されています。
キリストの生誕を寿ぎ、聖母となるマリアの栄光を讃える歌なのに、なんでこんなに寂しいメロディを付けたんだろう?と思ってしまう。合唱隊が歌い上げるより、ギターだけの伴奏で、静かに歌うのが似合います。これ聴くと、ちょっとウルっと来るほど。
日本のクリスマスは、宗教的な意味合いがないので、ポピュラーソングに乗せようとすると、単なる「季語」として扱うしかないんでしょうね。そしてウェットな日本人の感性は、浮かれ騒ぐ人の輪から外れ、別れた恋人との思い出に浸る方向へ。「きっと君は来ない、一人きりのクリスマス・イブ...」と歌った方が、しっくりくるみたい。
そう言えば、小学校の音楽の教科書に「ママと二人のクリスマス」という、これ以上はないというぐらい、寂しい曲がありましたっけ。
だからと言って、タガログ語のクリスマス・ソングに、寂しい歌詞が皆無というわけでもありません。あるんですよ、日本人にも受けそうな曲が。しかもフィリピンでもちゃんと定番の位置を確保してる「Muling Sumapit Ang Pasko」(クリスマスがまた来る)とか「Miss Kita Kung Christmas」(あたなが恋しいクリスマス)。
どちらもクリスマスなのに、愛するあなたがいないという、そのまま日本語の訳詩を付けたくなる歌。こういうのを聴くと、クリスマスの捉え方では全然方向が違うフィリピンと日本も、さすがに同じアジアの隣人同士。どこかに共通する感受性があるんでしょうね。
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