2014年8月25日月曜日

王女カンシライの伝説

今日8月25日は、フィリピン国民の祝日「ナショナル・ヒーローズ・ディ」(英雄の日)で、学校もオフィスもお休み。全然忘れていた私は、いつもは息子を学校に送りに行く7時過ぎに目が覚めて、朝寝坊だっ!と慌てましたが、パジャマのままテレビの前にいる息子を見て、休みだと気付きました。

フィリピンの英雄に入るのかどうか…。今日は私の住むシライ市の名前の由来となったという、王女カンシライについて。

最初にシライ市と聞いた時、頭に浮かんだのは漢字で「白井」。正しくは「Silay」なので「Shirai」とは発音が違うのですが、私の日本人耳には同じように聴こえて、太平洋戦争時の日本による占領時代に名前付けたのかな?と思ってしまいましたが、そんなわけないですね。

こっちに引越してからウィッキペディアで調べたところ、昔まだスペインの侵略以前に、ネグロス島にはカンシライという名前の王女がいたそうです。この王女さま、ずいぶん勇ましい人だったらしく、島民を率いて自らも短剣を帯びて海賊と戦ったとのこと。画像検索してみたら、隣島パナイでのお祭りの写真が何枚かヒットしました。



家内に話したら、当然王女カンシライの事は知ってました。でもそれは、ただの伝説で本当はカンシライという樹木の名前から来たと、一笑に付してしまいました。自分の故郷のなのに、夢もロマンもないことやなぁ…。

お姫様の名前が地名になったというと、遥か昔に付き合っていたガールフレンドが住んでいた、大阪府の池田市を思い出します。こちらは、中国・三国時代の話で、呉の国の王女、呉服媛(くれはとりのひめ)が日本に縫製技術を伝えるためにやって来て、今の池田市に迎えられたので、呉服町(くれはちょう)になったと言われています。

実際にどうだったのかは歴史の霧の中ですが、こういう話には想像力を掻き立てられますね。フィリピンの国名は、征服者スペインの国王「フェリペ2世」から付けたなんていう話より、よっぽどいい。


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