2014年8月8日金曜日

肝っ玉母さんの命日

前回の投稿で、息子の誕生日パーティのことを書いたばかりなんですが、その三日後が義母、つまり息子の祖母の命日です。今から8年前の2006年の8月6日、ガンのため63歳の若さで帰天してしまいました。


お墓参りに行った命日の朝。「千の風になって」を口ずさみそうな天気でした。




今、住んでいる宅地を見つけてくれたのも、土地購入の手続きを全部面倒みてくれたのも、実はこの亡くなった義母でした。60歳の定年まで、近くの高校の先生をやっていて、小さなシライ市内では、どこへ行っても昔の教え子がいるという、言わば近隣の女ボスみたいな存在。

私などにも、家内と付き合っている当初から、出かける時は帽子を被れとか、○○の辺りは、ヤク中がいるから近づくなとか、まるで実の息子を叱るような調子でした。見た目もなかなか恰幅がよくて、この世で怖いものは雷だけ。昔、テレビのドラマで京塚昌子さんが演じた「肝っ玉かあさん」みたいな人。

結婚した後は、本当に息子になってしまったので、たまに里帰りすると「フランシ〜ス」(フィリピンでは洗礼した時の名前のフランシスコが本名)と叫んで、盛大にハグされてました。私よりずっと長生きしそうな勢いだったんですけどね。


2002年に撮影した義母

息子が生まれた時は、横浜に住んでいた私達のところに、何と単身やってきたりもしました。いくら60過ぎとは言え、そう簡単にビザが取れなかったのに…。今思えば、その時もう余命いくばくもない事を悟っていたんですね。生後数ヶ月だった息子を、それこそ一生分可愛がってくれました。

もうお母さんが危ない、とフィリピンの義弟から国際電話があったのが、翌年の8月。亡くなる数日前。元気な時しか見てなかっただけに、やつれ果てた病院での死の床の義母を見た時は、かなりショックでした。娘である家内に看取られたのがせめてもの救いだったのかも知れません。

先日完成した自宅は、義母と義父に一緒に住んでもらうつもりで、最初はもうワンセット寝室と浴室を作るつもりでした。家内によると、義母はずいぶん楽しみにしていたそうです。合掌。



命日には必ず家族で夕方のミサに与ります。



ミサの後には、雨期には珍しくきれいな夕焼けが見られました。



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