お墓参りに行った命日の朝。「千の風になって」を口ずさみそうな天気でした。
今、住んでいる宅地を見つけてくれたのも、土地購入の手続きを全部面倒みてくれたのも、実はこの亡くなった義母でした。60歳の定年まで、近くの高校の先生をやっていて、小さなシライ市内では、どこへ行っても昔の教え子がいるという、言わば近隣の女ボスみたいな存在。
私などにも、家内と付き合っている当初から、出かける時は帽子を被れとか、○○の辺りは、ヤク中がいるから近づくなとか、まるで実の息子を叱るような調子でした。見た目もなかなか恰幅がよくて、この世で怖いものは雷だけ。昔、テレビのドラマで京塚昌子さんが演じた「肝っ玉かあさん」みたいな人。
結婚した後は、本当に息子になってしまったので、たまに里帰りすると「フランシ〜ス」(フィリピンでは洗礼した時の名前のフランシスコが本名)と叫んで、盛大にハグされてました。私よりずっと長生きしそうな勢いだったんですけどね。
2002年に撮影した義母
もうお母さんが危ない、とフィリピンの義弟から国際電話があったのが、翌年の8月。亡くなる数日前。元気な時しか見てなかっただけに、やつれ果てた病院での死の床の義母を見た時は、かなりショックでした。娘である家内に看取られたのがせめてもの救いだったのかも知れません。
先日完成した自宅は、義母と義父に一緒に住んでもらうつもりで、最初はもうワンセット寝室と浴室を作るつもりでした。家内によると、義母はずいぶん楽しみにしていたそうです。合掌。
命日には必ず家族で夕方のミサに与ります。
ミサの後には、雨期には珍しくきれいな夕焼けが見られました。
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