2019年2月2日土曜日

マニラの空

今日は、マニラ旅行の投稿、最終回です。

偶然ながら、私たちがマニラからネグロスに戻った日曜日(1月27日)に、マニラ湾の大掃除を行われました。後から記事やテレビのニュースなどで、大々的に繰り返し報道され、そんなことやってたんだと驚いた次第。

聞くところによると、あまりの汚れ方にブチキレた大統領のドゥテルテさん。有名な観光地ボラカイ島の砂浜を、号令一下、半年で美しい姿に戻したことに味を占めたのか、今度はお膝元のマニラを、とのことらしい。汚水を海に垂れ流していたとして、まずはマニラ動物園を始め、飲食店や工場などの閉鎖は、まさにボラカイでのやり方。

そしてそれに続く清掃作業。ボランティアやら本職の清掃員やら総がかりで、見た目には相当キレイになったみたいです。清掃後の海岸を、海水浴してる人がいたのは、ヤラセっぽいですが、実際に見た人も驚いたそうなので、少なくともゴミがなくなったのは、嘘ではなさそう。

案の定、まだゴミだらけの、マニラ首都圏を流れる川の写真がフェイスブックに投稿され、「こっちを掃除しないと意味ないよ」みたいな文言が書き添えられてました。掃除をした市民も、号令をかけたドゥテルテさんも、それぐらいのことは分かっているでしょうから、今後は、海岸だけでなく河川の清掃もあると思われます。

それにしてもフィリピンでは、一旦お祭り騒ぎになると、すごい勢いで動きだすものですね。動画を見ると、ボランティアのグループが各々、お揃いのTシャツを用意して、思いっきりカメラ目線で大掃除。ええ格好しぃでも嬉しがりでも、キレイになるんだから、大したもんです。わざわざゴミをまいて、それをマニラ市長エストラーダさんが網ですくい取るパフォーマンスは、悪乗りし過ぎですけど。

ドゥテルテ大統領のような強権的「正義の味方」が、国政の表舞台に登場したのは、本人だけの力というより、それを受け入れる素地が出来上がっていたんだろうなと、実感してしまうような出来事。今回のマニラ滞在では、ほんの限られた場所しか見て回ってないけれど、昔(1990年代)に比べれば、本当に小綺麗になった印象が残りました。

私が結婚する前に両親に嫁の顔を見せようと、ファースト・コンタクトを、当時のホテル日航マニラでセッティングした時のこと。母が空港からの街並みを見て「終戦直後の梅田のガード下みたいやな」と言ったのを覚えています。

あれから20年以上。「終戦直後」だったマニラは、私の目には、大阪万博(1970年)当時の梅田ぐらいまでは復興してました。場所によっては、一足飛びにバブル期だったかも?

単に清潔になっただけでなく、Grabの普及でずいぶんと移動が便利になりました。タクシーと比べて、決して安上がりではないにしても、流しのタクシーが来ないような場所で車を呼べるし、事前に料金が分かって、運転手の素性も知れている安心感は大きい。

とまぁ、良いことばかり書いてしまいましたが、だからマニラに住もうか、とは思えないのも正直なところ。渋滞の酷さはともかく、物価の高さに人の多さ、一番厳しいのは、高層ビルや高架道路が増えすぎて、本当に空が狭くなってしまったこと。




これは何もマニラに限ったことではなく、大阪も東京も同じ。でも、ネグロス暮らしを6年も続けた私には、もう都会での生活が無理になったんだと改めて実感。せいぜい1〜2週間程度、遊びに来るぐらいなら楽しいけれど、ずっと住めと言われたら泣きますね。

ということで、我が第二の故郷ネグロスの素晴らしさを思った、久しぶりのマニラ滞在でした。



自宅の徒歩圏内で
こういう風景が見られます


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