2019年2月15日金曜日
クライアント急逝
昨日、フィリピン在留邦人で、友達付き合いをさせてもらっていた方の訃報に接しました。私より2〜3歳年長で、ほぼ同世代。ネグロス島に自宅建設を予定していて、私がその間取りや外観デザインのお手伝い。つまり私のクライアントでもありました。
人生90年とか100年とか言われる、最近の日本。フィリピン在住であっても、70代、80代で元気に暮らしている日本人は、何人も知っています。長生きし過ぎて、老後の生活費が底をついて貧困に陥る「下流老人」なんて、嫌な言葉も見聞きするほど。
私が子供だった昭和40年代、西暦ならば1970年前後には、今の私の年齢である50代と言うと、もう老人の枠に入っていたように思います。少なくと初老と呼ばれていたような気が。考えてみれば、60代で亡くなる人も多かったので、逆算すると、50代には、残り時間が10年ぐらいしかない時代だったんですね。私の母方の祖父母は、二人とも60代で病死しました。
とは言うものの、今でも、日本人全員が90歳か、それ以上まで生きると決まっているわけでもなく、当然ながら私の年代で人生を終える人だっている。理屈では分かっているけれど、本当に身近な同世代の人、しかもフィリピン移住の同志が亡くなると、少なからずショックを受けてしまいます。
このクライアントさんの場合、今から家を建てようというぐらいなので、健康で前向き。日本国内ならば定年を迎えようという時期でも、バリバリの現役ビジネスパーソン。昨年12月には、直接顔を合わせてのミーティング。
つい先月まで、チャットでやりとりしながら、こちらが送った図面にコメントを頂き、それを修正する作業が続いてました。ようやく最後の立面図を送付したところ、それ以降、ぷっつりと音信不通。それまでは深夜でも早朝でも、律儀に返信をもらっていただけに、何かトラブルでもあったのかと心配していた矢先。
亡くなったクライアントさんの親族の方から、代理でメッセージが入った時には、「これは悪い知らせだ」とピンと来ました。それでも、せいぜい病気か事故で入院ぐらいかと思っていただけに、十日前に亡くなっていたとの知らせには、しばし絶句。
一緒に食事をして、よく喋り、よく食べていた印象が強かったので、月並みながら、とても信じられないとしか言えません。最後のチャットの三日後には、もうこの世にいなかったことに。
こういう事があると、嫌でも我が身に置き換えてしまいます。漠然と少なくとも20〜30年の余生はあるだろうと思っていても、こればかりは、本当に神ならぬ身の知る由もなし。不機嫌に過ごしたり、ネガティブな思考に囚われている暇はないんですよね。時間は有限なんだと、改めて思い知った昨日でした。
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