2015年7月2日木曜日

街道をゆく 南蛮のみち

先日パソコン内のデータを整理していた時、移住直前に福岡の所属教会の月報に寄稿した文章を見つけました。毎月信徒の一人がお薦めの書籍を一冊紹介するというもの。ちょっと長いですが、転載します。


書名「街道をゆく 南蛮のみち」 著者 司馬遼太郎

少し大仰な言い方をしますと、この本が私とカトリックとの出会いでした。
若い頃から司馬遼太郎さんの歴史小説が大好きで、最初は「竜馬がゆく」「国盗り物語」などのから入り、やがて小説だけでなくエッセイや紀行ものも読むようになりました。そして出会ったのが紀行文学の金字塔とも言える「街道をゆく」の一連の作品でした。

実は、この本の初読の頃の私は、まだ受洗前の30歳前後で、後にカトリック信徒になるとは夢にも思っていませんでした。とにかくシリーズの1冊目から順番に読み進め、22冊目の「南蛮の道」を手に取りました。

この本で語られる、フランシスコ・ザビエルと、彼の祖国バスクと日本とのつながりは、学校の教科書でしか知らなかった私のザビエルのイメージを一変させました。変わるほどの知識もなかったという方が正しいかもしれませんが。


まず、ヨーロッパの地理は多少分かっているつもりだった私にとって、フランスとスペインの国境にバスクという国があること自体、驚きでした。しかも、ギリシャ、ローマ、さらにケルト人よりも前から今と同じ場所に存在し、他のヨーロッパ諸言語とはまったく孤立した語彙と文法体系から成るバスク語を持つという、おとぎ話のような国で、日本に最初のカトリック信仰をもたらした人物が生まれ育ったというのですから。

以下、引用です。
『(リスボンからアジアに向かう帆船サンチャゴ号の船内では)衛生状態は極度にわるく、途中、ほとんどの人が病人になった。ザビエルはかれらを看護し、汚れものの洗濯をしてやったりした。当時、高位の僧職者は貴族そのものあったことを思うと、異常なありかたといわねばならない。日本人にキリスト教を運んできたのは、このような人物だったことを考えておかねば、戦国期におけるキリシタンの爆発的な増加という事情はわかりにくい。』

以降、今に至るまで、この記述は私の中のフランシスコ・ザビエル像の基礎になっています。

司馬さんは、自分の著書の読者として日本の歴史や文化の予備知識を持たない外国人を想定している、という趣旨の発言をされていますが、日本の歴史はともかく、フランシスコ・ザビエルをはじめカトリックについてほとんど無知だった私は、良き読者だったかも知れません。この本をきっかけにカトリック信仰そのものに強い関心を抱くようになりました。

そして、その数年後、紆余曲折を経て、私はフィリピンの地で受洗しました。
洗礼を授けてくださったのは、スペイン国籍のパラシオス神父という方でした。洗礼前に偶然フランシスコ・ザビエルの話題が出ました。私は、ここぞと、ばかりに「南蛮のみち」の受け売りを披瀝したところ、神父様がとても驚いた様子。何と神父様も今はスペインの自治州となっているバスクのお生まれなのでした。神父様が選んだ私の霊名が、フランシスコ・ザビエルになったのは当然の流れでしょう。

今回、この文章を書くにあたり、久しぶりに「南蛮のみち」を再読したのですが、改めて司馬さんのカトリックへの洞察の深さに感嘆しました。もちろんこの本は、信仰や教義を主題にしているわけではありませんが、堅牢な歴史考証と豊かな想像力で、フランシスコ・ザビエルの実際の足跡だけでなく、内面の旅までを追体験しているようです。特にまだ聖職者を志す以前、パリでのイグナチオ・デ・ロヨラとの出会いの描写は、青年フランシスコの肉声が伝わってきます。

この本は、カトリック信徒ではない人の知的好奇心を満足させるだけではなく、信徒の人にも興味深い内容を持っていると思います。今一度、カトリック信仰が、どのような経緯で、どのような人々の手によって日本にもたらされたかを考える、良い機会になるのではないでしょうか。

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