2015年7月24日金曜日
英語の正しい勉強法
少々唐突ですが、今日は英語の勉強について。
私は帰国子女でもなく、英語を母語とする親がいたわけでもありません。大多数の日本人と同じように、成人するまでほとんど日本語だけの環境で育ち、英語は中学生から大学2年の一般課程までの約8年間、読み書き中心に習っただけ。
会社に入って初めてTOEICなる英語の試験を受けて、1000点満点で200点に届かずという惨憺たる結果。これも当然と言えば当然。しかし、その会社というのが私の入社時の30年前、既に海外に何十箇所も製造・営業拠点を持つ大企業で、嫌でも(少なくとも)英語ができないと、仕事にならないという場所でした。
その後、30歳になるまでさらに8年ほど「語学研修」を業務外の時間に受けることになりました。とは言っても強制されたわけではなく、意外な楽しみがあって結果的に続いたという感じ。
とてもベタな話なのですが、最初の頃は同じクラスに同世代の若い女性社員が多かった。そして男共がしばらくすると業務繁忙を理由に脱落していく中、女性が残ることが多く、1年目の後半辺りになると、女性が5〜6名で男が私1人というのが常態化。これはやっぱり励みになりますわな。
その後も美人の先生(この研修では先生は全てネイティブで、日本人はほとんどいません)だった時など、この先生を何とか英語のジョークで笑わせようと、それだけの理由で頑張ったりしました。動機は誠に不純ですが、漠然と「英語が喋れるようになりたい」だけでは絶対に続かなかったろうと思います。
そうこうしているうちに、度胸だけは十分ついて海外出張の機会も増えました。私の専門は商品のデザイン。モックアップ(デザインの試作品)を持って行き、現地のディーラーにプレゼンテーションをして、デザインを決めてくるのが主な仕事。
デザインというのは、下手をすると「ワシ、こんな色・形キライや」と言われたらそれでお終いの世界。そうではなく、なぜこういうデザインなのかを、市場特性や商品のアピールポイントを踏まえて理路整然と説明し、納得させなければいけません。さすがに最初の頃は、猛勉強をしたものです。
しかし何と言っても、一番強力な動機付けになったのは、今の家内と付き合い出したこと。家内は当時日本語はまったくできず、共通の言葉は英語だけ。しかも相手はフィリピン大学に研究員として勤務しているインテリ。インターネットがまだまだ普及していなかった当時、一通のラブレターを書くたびに、私の英語能力はアップしていったと言えるほど。
トドメは、向こうの両親に「お嬢さんをください」を言いに行った時。これは今思い出しても一世一代の大プレゼンテーションでした。
ということで、英語をモノにしたい皆さん、英語ネイティブの大学出の人を恋人か配偶者にするのが、最短コースですよ。
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