2018年9月30日日曜日

日本史の先生になれば良かった


我が家から歩いて10分くらいの範囲に、日本NGOの活動拠点と、日本人向けの英語学校があります。と、サラっと書きましたけど、同じフィリピンでも、マニラやセブなどに比べて、知名度が海面すれすれの超低空飛行並みに低いネグロス。しかも州都でもないシライですよ。これはもう、偶然とかたまたまどころではない、私にとっては、ほぼ奇跡。

そんな奇跡のおかげで、50代も半ばを過ぎたオッさんの家に、やたらと20歳前後の人たちが来てくれるのは、このブログで何度も投稿した通り。日本食レストランなど、ほとんどない場所柄なので、あの家に行けば、日本の味にあり付ける、とばかりに、お腹をすかした若者たちが集うわけです。

ただ最近は、食事目的だけではなく、あのオっさんの話が面白い、ということになっているらしい。まぁ、相手がこれから就活しようかという学生さんがほとんど。自然と、自分の学生時代や勤め人時代の経験をベースに、ちょっと説教っぽいことになりがち。それだけで止めておけばいいものを、つい、太平洋戦争中の日本とフィリピンに話が飛んで、気がつけば、これは日本近代史概論の講義か?という状態になってしまう。

もし私が大学生だったら、こんな鬱陶しい話を聞かされるなら、もう二度とこの家の敷居はまたがないと思うでしょう。ところが驚くべきことに、勉強になりましたとお礼まで言われ、しかも同じ人が、二度三度とリピーター。

持ち前のサービス精神と関西弁で、何事も面白可笑しく話すことには、多少の自信はあるけれど、どうやら背景には、最近の大学生ぐらいの人たちが、年長者とじっくり話す機会に恵まれていないことがあるらしい。

考えてみれば、私が同じぐらいの年頃には、親戚の叔父・叔母、日曜学校ので先生役の方々に、なぜか近所の散髪屋のオッちゃんまで。20〜30歳ぐらい年上の人の話は、本当によく聞きました。なるほど、そういう経験が珍しいわけだ。

そして話題が日本史。
高校で選択しなかったとか、習っていても、無味乾燥な暗記事項を羅列した教科書しか知らない。そんな状態で、講談師張りに、渾身の思い入れと、山あり谷ありの、独自解釈を盛りまくった歴史を語られたら、面白く聞こえてしまうんでしょうね。これはデザイナーなんか目指さず、高校で日本史でも教えるべきだったか?

そもそも、日本の歴史って、小説にしろノンフィクションにしろ、素材として面白いことこの上なし。比べて申し訳ないけれど、フィリピンの歴史って、侵略者のスペインが徹底的に文化遺産を破壊した結果、せいぜい400年前のことぐらいしか分からない。さらに、ほとんどが他国の占領下。面白いとか言う以前に、フィリピン人としては、勉強していてツラくなりそう。

スペインからの独立、第二次世界大戦、日本からの解放、マルコス圧政にエドゥサ革命と、シンプルなフィリピン史。それに対しての日本史はというと、縄文・弥生から始まって、邪馬台国に大和朝廷、奈良・平安から鎌倉・室町、戦国時代を経て、江戸時代に明治維新。どの時代区分を取っても、フィリピン全史を学ぶのと、同じぐらいのボリュームがあるかも知れない。

私の尊敬する、司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、まさしく「眺めるに足る」歴史。

見方を変えると、他民族による占領から、抵抗運動、独立という、一連の流れで語れるフィリピン史の方が、コンセプトが明快で、そのまま愛国教育にもなる。

その点、日本史は、長い上に登場人物が多すぎて、例えば戦国時代だけでもお腹いっぱい。こんな盛り沢山の内容を1年で詰め込むこと自体、かなり無理がある。だから面白くなくなっちゃうんでしょうね。

ということで、この話は一本の投稿では全然足りないので、次回に続きを書くことにします。


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