2017年10月4日水曜日

清掃はタダではない


バブル経済華やかなりし頃の1980年代。そのど真ん中に社会人となった私の世代は、幼稚園から小学校の低学年ぐらいまでが高度経済成長。小二の時に大阪万博開催。地元だったこともあって、ほとんど毎週末、父親か親戚の誰かに、千里丘陵の会場に連れて行ってもらいました。

当時想像された21世紀は、バラ色の未来。都心にはモノレールが走り(なぜか未来予想図と言えばモノレールが定番)、自動車は全自動運転。新幹線は日本全国に敷設され、時速250キロで青函トンネルを疾走する。その他にも人工衛星がたくさん上がって、世界中のテレビ放送が見られるようになるとか、腕時計が小型のテレビ電話になるとか。実にいろんな夢が語られたものです。

そして、現在。
鉄腕アトムも、2001年宇宙の旅も、バック・トゥ・ザ・フューチャーすらも過去になりました。考えてみれば、当時の夢はだいたい実現してます。

私の住んでいた大阪府・茨木市内のマンションからは、伊丹空港を起点とする大阪モノレールが当たり前のように走るのが見えました。自動運転はもう実証実験の段階だし、鹿児島や函館まで新幹線は延伸。アメリカCNNもイギリスBBCも、フィリピンのABS-CBNだって、スカパーで視聴できる。小型のテレビ電話にしても、スマホにアプリをダウンロードすれば、映像で国際通話ができる時代。

そんなハードウェアやインフラだけでなく、公共の場所がずいぶん清潔に。以前は、鉄道の駅周辺や公園など、どこでもゴミのポイ捨てが当たり前。公衆便所で大の用を足したりしたら、その夜は悪夢に悩まされかねないほどの汚れ方。そういうトイレもほとんど見なくなりました。

ところが全然バラ色になってませんね、21世紀の日本。
少子化や年金の財源枯渇、いじめに過労、原発問題にアレルギーの蔓延。特に、かつて私が所属していた電化製品の世界は、惨憺たる状況。1990年代末ぐらいまでは、日本が国際市場で圧倒的な強さを誇っていた、テレビやオーディオの分野。今では、最大手のメーカーが軒並み弱体化し、いくつかの有名ブランドは消滅。名門と言われた企業も、海外資本傘下に入ったり、倒産の危機を迎えていたり。

フィリピンの電気店を見て回ると、一番目立つところには、韓国・中国の製品ばかり。日系メーカーもまだ健闘はしていても、かつての独占状態からすれば、見る影もなし。フィリピン向けの製品をデザインしていた者としては、寂しい限りです。

そんな過去の栄光を忘れられず、今日本の書店には、嫌韓・嫌中や、「日本がスゴイ」を売りにした書籍が、大量に出回ってるそうです。工業製品で負けても、世界中どこでもゴミをポイ捨てしてる連中よりは、日本の方がずっと上等だと思い込みたい人が多いらしい。

そして何かにつけて引き合いに出される、2014年サッカー・ワールドカップのブラジル大会。日本の観客が試合後にゴミを片付けたという逸話。韓国人や中国人には真似できないだろうと、得意満面のネット上での書き込み多数。

でも、よく考えてみると日本以外の国で、公共の場所を清潔に保つのは、マナーの善し悪しよりも、清掃員を雇うお金があるかどうかのシンプルな話。ネグロス島のシライ市内でも空港に抜ける道路は、市の予算で定期的に清掃されています。市役所前の広場にしてもきれいなもんですよ。要は生活習慣が違うだけのこと。我が家では、メイドさんに掃除してもらってるしなぁ。

ワールドカップの会場にしたって、観客がゴミを放置したとしても、試合後にはちゃんとプロが掃除したはず。よく言われることですが、清掃員の仕事を奪っているだけ。

もちろん、汚いよりきれいな方がいいに決まっているけれど、ゴミの捨て方だけを捉えて、外国人を見下したり、日本人が優越感に浸るのは、あまりにも視野が狭い。ビジネスで勝てないことを僻んでいると思われても、仕方ないと思いますよ。


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