2017年12月8日金曜日

フィリピンで12月8日に思うこと


今年もまた、12月8日の開戦記念日が巡ってきました。1941年(昭和16年)のこの日、現地時間の12月7日早朝、太平洋上の日本海軍の空母から飛び立った、350機を超える艦上戦闘機や艦上爆撃機が、ハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊の基地を奇襲。戦艦アリゾナ、オクラホマを始めとする、湾内に停泊していた艦艇に壊滅的な損害を与えました。

その後4年間続いた太平洋戦争で、日本が実に高い代償を支払うことになったのは、みなさんご存知の通り。それだけではなく、東南アジア諸国も戦いに巻き込まれ、特にフィリピンは、100万人以上と言われる犠牲者を出したことから、この12月8日は、フィリピンにとっても運命の日となってしまいました。

そしてつい先日、フィリピンのスリガオ海峡付近で、海底に沈んだ旧日本海軍の5隻の艦船が発見されたとのニュースが。見つかった戦艦「山城」「扶桑」、駆逐艦「満潮」「朝雲」「山雲」は、1944年(昭和19年)10月のレイテ沖海戦に参加し、その戦闘海域の一つ、スリガオ沖で撃沈されました。

レイテ沖海戦は、史上最大の海戦とも呼ばれ、日本は戦艦3隻、空母4隻を含む、当時の保有艦船の大多数を失い、事実上これをもって旧日本海軍は消滅。またこの海戦は、神風特別攻撃隊が初めて出撃したことでも知られています。

私はこのブログで、過去の日本人を賛美したり、逆にその行いを非難したりするつもりはありません。ただ、フィリピンに住む日本人としては、この国で何があったのかは知っておく必要があると思っています。

私自身、戦争が終わって20年近く経ってから生まれたので、当然ながら戦争経験はなく、フィリピン人の家内の親族や友達で、実際に会ったり話したりする人も、そのほとんどが戦争を知らない世代。ことさら、過去の戦争について議論することもない。

だからと言って、あまりに歴史に無知なのは考えもの。ネグロスに住んでいても例外ではありません。この地は、レイテ、マニラに次ぐフィリピン第三の激戦地とも言われ、日本兵だけでも8000名以上が命を落としています。(多くは戦病死・餓死)

このシライ市内でも、日本軍が遺棄した機関銃が保存されていたり、多くの日本兵が亡くなった山岳地帯のパタッグでは、今でも深夜、行進する軍靴の響きが聞こえるとの怪談が語られたり。


当然ながら子供たちは、学校の授業やお年寄りたちから、当時この島で何が起こったかは、ちゃんと聞かされています。何かの折に、そんな話になった時、一方の当事者である日本人が、たとえ若い世代であっても、何も知りませんというのはあまりに恥ずかしい。

ちょうど昨年(2016年)の今頃、私の80歳になる両親が、ネグロス島の自宅にしばらく滞在しました。プラモデル好きの父親が、暇つぶしにと持ってきたのが、戦艦武蔵のキット。やはりレイテ沖海戦で沈められた日本の戦艦です。

戦争当時は小学生だった父も、フィリピンとなると何か思うところがあったんでしょうね。数日で武蔵のプラモデルを組み上げて、お土産替わりに置いていきました。今でも我が家のリビングに飾ってあります。



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