2020年10月12日月曜日

豊かな緑は貧困の象徴?

 フィリピン・ネグロス島へ移住してから、日本から大量に持ち込んだ蔵書を、時々思い出したように読み返しております。本に関しては物持ちの良い私は、学生時代に読んだ小説やノンフィクションを40年ぶりに再読したり。

そんな中で目についたのが、アニメ映画監督の宮崎駿さんに関する書籍の一節。宮崎さんは、若い頃(というか子供の頃?)に、緑が豊かな環境を、貧困の象徴のように感じておられたそうです。

もちろんこれは、現在とはまったく状況が異なり、1945年の敗戦からまだ間もない時期。日本全体が貧しくて、緑の多い田舎ほど貧乏という印象だったんでしょう。

その後の高度経済成長で、右肩上がりの豊かさと引き換えに、都心部を中心に、自然環境が徹底的に破壊されてしまいました。一級河川までもドブ川になり、夏場は光化学スモッグで子供が外で遊べない。特に私が生まれ育った兵庫県尼崎市なんて、それはそれはひどいもの。

幼少期に公害がピークで、近所の遊び場だった雑木林や、メダカが泳いでいた小川が潰され、どんどん新興住宅地に変貌するのを見てきた私たちの世代。緑は守るべき自然の象徴だと、刷り込まれたのも当然のこと。

そう言えば、1970年代には、公害を憎むべき怪物に見立てた映画「ゴジラ対ヘドラ」とか、毎回公害怪獣が登場する「スペクトルマン」なんて特撮番組まであったぐらい。1999年に人類が滅ぶと煽った「ノストラダムスの大予言」が流行ったのも、環境破壊が進んだ上にオイルショックによる深刻な不況で、国民意識の根底に大きな不安を抱えていたからでしょうね。

とまぁ、ネグロス島に移り住む前の私なら、豊かな緑が貧困の象徴だなんて、そんな時代もあったのかと思うだけで、とても共感はできなかったはず。

ところが、熱帯の緑に囲まれて暮らすこと丸7年半。当初は、自宅新築時に、元々生えていた樹木一本を伐採するのにも罪悪感があったのに、最近は、鉢植え以外の庭の植物を、目の敵にして引き抜いている私がいます。

少なくとも、フィリピンの地方都市のシライにいると、日常の感覚として、緑は守るべきものとは思えなくなる。だって、草にしても樹木にしても、すごい勢いで育つんだもの。

交通量の少ない自宅周囲の舗装道路は、両側の空き地から雑草が蔓延って来て、場所によっては、数ヶ月に一度除草しないと車が通れなくなるし、育ち過ぎた木は、台風でも来ようものなら、倒れて家屋にダメージを与えかねない。


自宅の周囲は、こんな感じ

平野部の住宅地ですらこれなので、道路が未整備な山間部では、密生した樹々が人を容易に寄せ付けない場所がいっぱい。戦時中に、敗走する多くの日本兵が、飢えや熱帯の感染症で落命したのも分かります。ジャングルを切り開いて、新しい自動車道を作っているのを間近に見ても、私は、全然心が痛まない。むしろこれで、便利な生活を享受できる人が増えてめでたいぐらい。

今では、「豊かな緑が貧困の象徴」は、実感として理解できます。

とは言え、これは飽くまでも感覚のお話。現実のネグロス島は、平野部のほとんどがサトウキビ畑。また沿岸部のマングローブを伐採して養殖池を作ったので、海が汚れて漁獲高が激減したり。ぱっと見には緑に覆われた島でも、背後では凄まじいまでの自然破壊が進行しています。

つまり問題は、木を切ること自体に人々の抵抗感が少ないこと。せっかく海岸にマングローブを植えても、煮炊きするための薪にしちゃう住民もいる。

なので、ここでは環境教育がとっても重要になるわけです。数年前に、家内もスタッフの一員として参加していた、日本のNGO「森は海の恋人」。そのネグロスでの活動目的が、まさにそれ。

NGOの日本人マネージャーが、私に語った言葉を今でも印象深く覚えています。「経済的支援だけが目的なら、工場でも誘致するのが早道。でも私たちは、環境教育ができる教師を育てることが、長い目で見て、この国を助けることになると信じています。」


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