2018年8月21日火曜日

名前のある兵士 NHKスペシャル「祖父の見た戦場」


8/11に日本で放送されたNHKスペシャル「祖父が見た戦場〜ルソン島の戦い 20万人の最期〜」を、遅まきながらネット経由で観ました。

この番組は、NHKのチーフアナウンサー小野文惠さんが、太平洋戦争中、フィリピンのルソン島で戦死した、祖父、小野景一郎(おの・かげいちろう)さんの足跡を追うという形式で制作されたドキュメンター。

小野さんは、「ためしてガッテン」や「鶴瓶の家族に乾杯」などに出演し、紅白歌合戦の司会も務めた、NHKの看板アナウンサー。私も日本にいる時は、頻繁にお顔を拝見しておりました。この投稿をするに当たって調べてみたら、昭和43年(1968年)生まれの50歳。私より六つお若いだけだったんですね。

お祖父さまの景一郎さんは、享年34とのことだったので、明治末年のお生まれのはず。つまり私の祖父と同世代。父方・母方とも、祖父は出征しなかったものの、フィリピンが舞台だということもあって、感情移入するなという方が無理なぐらい。

フィリピンでは、昭和16年(1941年)の開戦から、敗戦の昭和20年(1945年)の間に、日本人が 51万8千、アメリカ人 1万5千、そして110万人ものフィリピン人が亡くなったと言われています。もう数が膨大過ぎて、とても感覚では処理できない。このように、戦争被害を数値だけで捉えても、ともすれば、歴史の一部として書かれた、無味乾燥なものように思われがち。

ところが、直接会ったことはなくても、顔や名前、その来歴を知り、残された親族の悲しみなどを垣間見た瞬間、ただの数字の羅列が、にわかに生々しい感情を呼び起こします。「名もない兵士」「名もない庶民」なんて一人もいなくて、誰もが私たちと同じように、この世に生を受け、家族や友に愛され、泣いたり笑ったりした人々。

また番組では、新たに発見されたという、日本兵の死体の数を、その時期や場所と共に、アメリカ軍が詳細に記録した極秘リストを元に、フィリピンの地図にプロット。

マニラ市街戦そしてその後、日本兵がどのように敗走し、最期を遂げていったか。コンピューターグラフィックスによって、時間と共に広がる、死者を示す地図上の赤い点が、残酷なほど当時の状況を鮮やかに視覚化。

一番胸に迫ったのは、部隊の日誌にある、マニラから北部のサンフェルナンドへ列車で移動したという記述を追って、現在僅かに残った線路を辿るシーン。まるで、73年前に小野衛生兵が乗ったであろう、列車の幻が見えてくるようでした。

また、日本兵によるマニラ市民の虐殺や暴行なども、その当事者と小野アナウンサーが面会する形で伝えていました。レイプ被害を受けた女性の「私たちは過去を乗り越え、許しました。でも絶対に忘れはしません。それは二度と同じことを起こさないため。」との言葉。フィリピン在留邦人の一人として、これは見るのがつらかった。

本を読んだり、ネットの記述で戦争について調べることも大切ですが、すぐれた映像作品には、魂を揺さぶる力があるものですね。

最近の政局報道に関しては、公共放送の名に値しない姿勢を見せるNHK。しかし、こういうドキュメンタリー番組を作る手腕を見る限り、まだまだ捨てたものではない。できたら、高校の日本史の授業で使って欲しいぐらいの映像素材です。(と言うと、反日教育だ、左傾化だと、騒ぐ連中が出てくるんでしょうけど。)


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