2018年3月31日土曜日

ネグロスで火山噴火?


出典:Hazard Lab

2ヶ月ほど前、マヨン山の噴火とフィリピンの火山について投稿しました。一時は連日のように噴火の状況が報道されていたマヨン。昨日(2018年3月30日)付けのまにら新聞によると、フィリピン火山地震研究所は、活動が沈静化したとして、警戒レベルが引き下げられ、避難生活を余儀なくされていた、6千人の住民が帰宅したとのこと。

これはたいへん喜ばしいニュースなのですが、まるでそれと入れ違いのように、今度は私たち家族の住むネグロス島の主峰、カンラオンがヤバいとの記事が。

ハザードラボという、防災と災害情報を掲載している日本語サイトが、3月22日付けで伝えたところでは、前述の火山地震研究所が、カンラオンの山体が膨張していると発表。これは最近のマヨン山とよく似た状況で、同様に噴火の恐れがあると警戒を呼びかけました。

カンラオン山はマヨンと違って、有史以来大噴火の記録はなかったそうです。なので、最近までノーマークだったのが、1996年突然の噴火。たまたま登山中だったフィリピン人2名とイギリス人1名が犠牲に。これを機に、監視対象になりました。

カンラオン山は、ネグロス島の中央部のやや北寄りの東西ネグロス州の境に位置。自宅のあるシライ市街地からは南南東の方向、直線距離にしてざっと50キロほど。50キロというと、大阪から和歌山や京都ぐらいで、東京ならば、つくば・鎌倉まで。これを近いと見るか遠いと見るかは微妙なところ。


風向きを調べてみると、今の時期は北からなので、噴火したからと言って、ただちに火山灰や噴石が飛んでくることはなさそうです。しかし、もし規模の大きな爆発があったりしたら、ネグロスの農業や経済に、相当な影響が出るのは避けられないでしょう。

ただ、地元ではこのニュース、あまり深刻に受け止められていない...というか、ほとんど注目されていないようです。英語によるフィリピン国内での情報は見つけられないし、家内は全然知らなかった。

この状況は、2012年に40名以上の死者を出した、ネグロス沖地震のことを思い出させます。ネグロスには地震はないと信じきっていた島民が不意打ちを食らい、地震そのものの被害だけでなく、大津波が来るとデマが流れパニックになったそうです。

人のことは笑えません。関西には大きな地震は来ないと、何の根拠もなく思っていたら、1995年の阪神淡路大震災。あの時ほど狼狽えたことはなかった。近くに火山こそないものの、東南海地震の話もあって、やっと自然災害大国の日本から逃げ出したと思ったのに。

移住して5年。いきなり史上最強台風ヨランダは来るし、隣島セブで大地震もありました。今度は噴火ですか? ちょっと勘弁してくださいよ。


2018年3月30日金曜日

聖金曜日も店開けてます


私が子供の頃、昭和40年代の日本のお正月。すべての店舗・商業施設が三が日に閉まるのは当たり前でした。なので、大晦日夕刻に市場が店仕舞いする前に、正月用食材を買っておくのが必須。珍しく午前中に買い物が終わって、この年末は余裕かと思ったら、暗くなってから母が「〇〇を忘れとった〜」と、財布を握りしめて八百屋へダッシュ、なんてことも。

イースターを控えて聖週間(Holy Week)に入ったフィリピは、聖水曜日辺りが、ちょうど昔の日本の大晦日みたいな感じ。ほとんどのオフィス、官庁、金融機関がイースター前の仕事納め。市場もスーパーも休暇に突入なので、イースター・パーティのための買い出しは、水曜日が締め切り。



...と思ってたんですよ。隣街の州都バコロドでは、ショッピングモールも休みだし。ところが聖金曜日の今日、シライ市の中心部へ散歩に出かけたら、結構たくさんの店が開いていて、驚きました。

公設市場なんて、閉まってる店の方が少ないぐらい。これは個人経営だからかと、スーパーマーケットも見てみると、2軒が通常営業。しかも肉食は控えるべき聖金曜日なのに、鶏肉料理の専門店、イナサルも開いてる。



全体では、半分ぐらいシャッターが閉まってる感じだし、銀行や両替屋さんはお休み。休日の割には、お客さんも少ないので、まったくいつもの土日と同じというわけではありません。それにしても、やっぱり好景気の影響なんでしょうか。帰宅してフィリピン人の家内に話すと、ちょっと驚いてました。

主夫の立場としてはたいへん便利で、悪いことではないけれど、季節感に乏しいフィリピンでは数少ない、季節の恒例行事が廃れていく気がして少々寂しい。この感覚は、私の故郷、兵庫県尼崎市の最寄り駅前にダイエーがオープンして、正月から買い物ができるようになった時と似てますね。

あれから30年以上経った今、今度は逆の流れて、3が日にちゃんと休む店が現れて、それがお客さんから、好意的に受け止められているらしい。コンビニや牛丼店の24時間営業にも、見直しの動きが。

フィリピンの場合、バブル期の日本とは違い、ネコも杓子も休業日なし、なんてことにはならないだろうとは思います。そもそも労働観が全然違う。それでも、聖週間に仕事をしようという人が、半分ぐらいいるということは、頑張れば生活が良くなると実感し始めた証拠。

大規模な商業施設が建設ラッシュという、分りやすい変化だけでなく、市場で野菜やお肉を売っているような、市井の経営者たちのマインドが変わるいうのは、フィリピン経済が今後さらに発展することの前触れなのかも知れません。


露天商のオバちゃんも頑張ってます


2018年3月29日木曜日

今更ながら読書のすすめ


今も昔も、子供に読書をすすめるのは、学校の先生でも親御さんでも、当たり前のように思っているでしょう。本を読んでいる姿って、何となく賢そうで格好良くて「いかにも勉強してます」っぽい。

でも、50代も半ばを過ぎて思うのは、読書って完全に趣味だし、好きでやる以外に意味などあまりないなぁってこと。読書だけでなく勉強とか学問の類は、大体そういうもの。

その証拠に、入試のため、資格取得のための読書・勉強は、本当に苦痛で、全然身につかない。その逆に好きで読む本は、何度でも読みたいし、寝食を忘れるほど熱中もする。中学から高校ぐらいの時に読んだ、小松左京さんや平井和正さんの日本のSF小説など、残りページが減っていくのが惜しいぐらいでした。

その後出会った、司馬遼太郎さんや池波正太郎さんの歴史小説、立花隆さん、吉村昭さん、柳田邦男さんのノンフィクションなどなど。一人の作家を徹底的に読み倒すスタイルで、何千冊も読破。フィリピンにも蔵書を全冊持って来ていまいました。そんな父親の後ろ姿を見て育ったせいか、今年小6の息子は、ナショナル・ブックストア(フィリピン最大手の書籍チェーン)大好き。「ハリーポッター」を英語で、「精霊の守り人」を日本語で読んでます。


ネグロスまで持って来た蔵書の一部

私は昔から、好きな作家・ジャンルばかりで、古典と呼ばれるような小説は、ほとんど手付かず。さすがに新旧の聖書だけは目を通してますが、あとは夏目漱石の著作を数冊程度。たいへん偏った読み方です。でもまったく後悔はないし、不都合も感じたことはありません。本当に読みたければ、今からでも電子書籍で読めますし。

本をたくさん読んだからと言って、金銭的に得をしたこともない。工業デザイナーとしての仕事に、何か具体的に役立った覚えもないし。ただ、このブログを書くようになってから、この読書経験の効用を感じ始めました。

実際に、毎日文章を書いてみると分かりますが、このブログ程度でも毎日となると、相当量のインプットがないと続かない。フィリピンのネグロス暮らしにしても、そう連日、目新しいことが起こるわけでもない。そこは、日常のちょっとした出来事でも、想像力を駆使して、その背景を深読みすることが必要になります。

私の場合、何年も本を読むうちに、知らず知らずのうちに、その手の思考訓練をしていたらしい。もちろん紙に印刷されたものを読むだけではなく、今の若い人なら、ネットでの読み書きでも同じ効果。要するにできるだけたくさんの文章を読み、その内容を自分なりに咀嚼して、自分の言葉に直したものを書き出す。この一連の流れが大事。

以前にも少し書いた通り、インターネット全盛の今でも、あるいは今だからこそ、文章を書く能力は、何をするにしても強い味方。美文・名文を書けというのではなく、分かりやすく簡潔に、自分の考えを文章化する能力。

おそらくこれは、日本語だけの話ではなく、英語であろうとフィリピノ語であろうと、同じでしょう。ということで、日本でもフィリピンでも、若い人に言いたいのは、どんな本でもいいし、ネットの記事でもいい。とにかくたくさんの文章を読む。そしてただ読むだけでなく、SNSでもブログでも、まとまった量の文章を書く。

書くことは、すなわち考えることに他なりません。若い人だけでなく、中高年にもお勧めします。これほど頭脳を活性化させ、ボケ防止に効果があることって、他にあまりないと思いますよ。


2018年3月28日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 ハイブリッド女神・メーテル

宇宙戦艦ヤマトのスターシャ森雪と続いた美女図鑑。この流れでは銀河鉄道999のメーテルを描かないわけにはいきません。そこで画像検索してみました「Meatel Cosplay」。出てくる出てくる、すごい完成度のリアル・メーテル。

ミンクのコートにブーツ。目に眩しいほどのブロンド。本物のスラブ美女が扮したコスプレ・メーテルは、反則技級の美しさ。コスプレというより、金髪美女が黒い毛皮のコートを着たら、そのまんまですがな。

一説によると松本零士さんは、幕末に日本へやってきたドイツの軍人にして医師、フォン・シーボルトの孫娘、楠本高子の若き日の姿からインスピレーションを得て、あの美女を描いたと言われています。真偽のほどは定かではありませんが、ネットで流布されている写真を見ると、なるほどと思いますね。

うる星やつらのラムちゃんを描いた時に、ビキニに緑の髪、ツノさえ揃えば、シルエットだけでラムちゃんと認識されてしまう指摘しました。それだったら、アジア系でもヨーロッパ系でも、黒いミンクのコートにブロンドの長い髪なら、誰でもメーテル役を演じられるはずだと勝手な解釈。今回は、インスタグラムで大人気のリリー・メイマック嬢(Lily Maymac)を抜擢(?)しました。

リリーは、生まれも国籍もオーストラリアの23歳。詳細は公開されていませんが、どうやらご両親共フィリピン人らしい。まぁフィリピンに住んでいる人たちも、マレー・インド・中国・スペインなどによるハイブリッド。メーテルのモデルになったとされる、楠本高子も、ドイツ系のクォーターなので、ルーツに多様性があるのは、ある意味、メーテルに扮していただくのに、ふさわしいと言えます。


メーテルと言えば、超スリムな柳腰。生身の体を持っているとは思えない女神さま。でも美女図鑑では、生きている女性らしく肉感的に描くのがモットーなので、コートというよりタイトなドレスっぽくしてみました。いつもの通り「これじゃない」の大合唱が聴こえてきそう。



過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年

2018年3月27日火曜日

あれば安心、日本のお薬


もう5年もフィリピンに住んでいても、いまだにお世話になっている日本製のお薬。と言っても、特別持病があるということではなく、どんな家庭にでもありそうな常備薬のお話。

まずは正露丸。
やっぱり年中暑いし、年に3〜4回は下痢になっていまいます。デング熱だとか赤痢などからくる激しい下痢ではなく、ちょっとした腹下し。もちろん、こっちの薬局でも下痢止めはありますが、効き目はイマイチ。お医者さんに掛かると、いきなり抗生物質とかが出てきてしまったり。

そんな場合は、やっぱり正露丸なんですよ。飲みなれているせいか大抵よく効いて、翌日には症状が緩和。ただ臭いが強烈なので、私は糖衣錠を愛用しています。

花粉症はないフィリピンでも、サトウキビの焼畑の時期に出る煙で、鼻や目をやられることがあるネグロス。特に年明けの1〜2月ごろは、数日ぐらい花粉症とそっくりな症状になることもあります。これに効くのがコンタック600。効きすぎるぐらいで、昼間に服用すると眠くて何もできなくなる。なので、大抵は就寝前に2錠。

そして食べ過ぎには太田胃散。
そんなに若くもないので、普通にしてたら食べ過ぎることもありません。ところがホームパーティ大国のフィリピン。誰かの誕生日だとか、クリスマスだとか。どこでもバイキング形式なので、空腹だとついつい取り過ぎてしまい、パーティが終わるころには後悔することが多いんですよ。

頭痛にはバッファリン。
とりわけ頭痛持ちでもないんですが、不規則な睡眠時間だったり、それに暑さが加わったりすると、時々痛む。私だけでなく、家内も愛用しています。

上記のレギュラー陣に最近加わったのが、睡眠改善薬。
以前にも何度か書いたように、日本にいた頃には鬱を患い、睡眠導入剤としてデパスやサイレースなどを常用していた私。依存性がなく、大量に服用したりしなければ、効き目はかなりマイルド。

移住後はストレスが劇的に少なくなって、この薬に頼る必要もなくなりました。ただ、たまに眠れないこともあります。翌日が早起きしないといけない場合は、残っていたデパズを少しづつ服用していましたが、3年目には、さすがにそれも無くなりました。

そこで一時帰国時に買ったのがドリエルという薬。これは、コンタック600などの副作用である眠気を利用したものなんだそうです。本物の不眠症にはお勧めできないけれど、一時的に寝付きが悪いような場合は、かなりよく効きます。

フィリピンでも、ちゃんと医師の診察を受けて処方箋を書いてもらえば、それなりの薬品が入手できる範囲のこと。でも、処方箋なしで購入できて、ある程度の効果があるものが、意外にも見当たらない。

どれも、そんなに服用頻度が高いわけでもないので、一時帰国の時にちょっと多めに買ったり、日本からのお客さんにお願いして持ってきてもらったり。なくても何とかなりますが、手元にあれば、安心感がありますね。


2018年3月26日月曜日

ネルジーの妹


我が家の住み込みメイド、ネルジーの実家は、ネグロス島の北部。ここシライからは車でバスで5時間ぐらいかかる山の中の不便な場所なんだそうです。東ネグロス州との州境に近く、言葉はシライで使われているイロンゴではなく、セブアーノ。公用語のタガログは小学校で教えるので、ネルジーは、ちょっと怪しい英語を含めると、4言語を解するクアトロリンガル。

ちゃんと聞いたことはないけれど、ネルジーにはたくさんの兄弟姉妹。すぐ下の妹さんがシライ在住で、ネルジーと同じくメイド業。ところが最近、この妹が転職したそうな。

ネルジーが家内に話したところによると、新しい職場は、2週間前にシライ市内にオープンしたショッピングモールのガイサノ・シティ。フードコート内のソフトクリーム屋さん勤務。そして気になる給料は、1日200ペソ。(約400円)

週1日は休みだとして、月28日勤務で月5,600ペソ(約11,200円)。日本と比べたら、お話にならない安さ。ところが、ネルジーの月給が3,500ペソなんですよ。雇用当初は3,000ペソだったのが、家内の信頼を勝ち得たお陰で、昨年末から値上げしてこの金額。

ただし、住み込みメイドの場合、食費・部屋代・光熱費はすべて雇い主持ち。しかも我が家の場合、来客さえなければ、6畳ほどもある個室で過ごせる。しかもお湯のシャワーはあるし、食事は私が作ってる。他家では考えられないほど快適で、外で勤めるよりお金は貯まるでしょう。

住み込みメイドとウエイトレスやレジ係。どっちがいいのかは、雇い主の態度や職場環境に左右されるので、何とも言えませんが、ネルジー妹の選択を見る限り、ずっと働きたいと思うような家では、なかったんでしょうね。

こういう話を聞くたびに思うのは、これだけ景気がよくなって、商業施設やコンドミニアム(マンション)が建設ラッシュという状況でも、相変わらず最低賃金が超低空飛行だということ。

正直に言うと、ネルジーぐらい真面目で働き者ならば、日本人の私の感覚では、10,000ペソ(約20,000円)ぐらい払ってもいいかと思います。でも雇い主の家内、教育省の出先機関勤務であっても、月2万5千ペソ(約5万円)しか貰っていない。それを考えると、いくらアップしてもせいぜい5,000ペソまで。

ちなみにシライで、メイドで10,000ペソと言うと、よっぽど料理の腕がいいとか、看護士の資格を持っているとかでないと難しい。2年ほど前に、シライで活動していた日本のNGOが、市内の世帯収入を調査したところ、何と半数以上が月収5,000ペソに届いていないという結果でした。

我が家の場合で、家族3人で月の支出30,000ペソ。そんなに贅沢はしなくても、これぐらいにはなりますから、子沢山な家庭で5,000ペソというのは、本当にギリギリもいいところ。ちなみにネグロス島だからこれで済んでますが、マニラ首都圏で同じ生活しようとしたら、倍でも難しいだろうと思います。

ということで、雇用3年目を迎えて、ほとんど家族同然に馴染んだネルジー。妹も、休みの日にはたまに遊びにきたりして、まんざら知らない間柄でもないし、何とか稼げる仕事を見つけて、少しでもいい暮らしができたらと、願わずにはいられません。


毎朝5時半起きで掃除を始めるネルジー


2018年3月25日日曜日

枝の主日に思うこと

今年もイースター1週間前の「枝の主日」が巡ってきました。英語では「Palm Sunday」椰子の日曜日。イエス・キリストのエルサレム入城の際、群衆がナツメヤシの枝を手に持って迎えたことが起源。

フィリピンではカトリック信徒が、椰子の葉で作った十字架を自分たちで作ったり、買ったりしたものを教会に持ち寄り、ミサの最初に神父さまから、聖水による祝福を受ける習わし。この十字架は、ミサ後自宅に持ち帰り、翌年まで玄関や祭壇に飾ります。一種の魔除けみたいなものと言えば分りやすいかも。


チャペルで購入した椰子の十字架 50ペソ(約100円)


この日からが「Holy Week」聖週間の始まりです。お祭り好きのフィリピン人も、例外的にこの1週間は、歌舞音曲を自粛。ここシライでも、夜な夜な週末になるとどこかから必ず聴こえる、野外ディスコやカラオケ大会の騒音も、お休みとなります。

さらにはFMからの音楽番組も取りやめるほどの徹底ぶり。移住最初の聖週間の時は、いつも聴いている、80年代のアメリカポップス専用局が突然静かになったので、カーオーディオが壊れたのかと思いました。

例年、フィリピンでは夏の始まりに当たるこの時期。今まで晴れた日ばかりで、暑い印象しかないけれど、今年は珍しく朝から曇天で時折小雨。枝の主日のミサは、聖書朗読と、それに続く枝への祝福が、屋外で行われます。土砂降りになったりしないかと、ちょっと心配でしたが、何とか天気は持ちこたえて、ミサが終わる頃には薄日が。


枝の主日に関してはこれぐらいで、実は今日の本題はここから。
このブログは、カトリックの宗教行事の解説が主目的ではありません。ただ、カトリック信徒が人口の8割を超えるフィリピン。その生活や文化には、カトリックの影響が色濃く反映されています。なのでフィリピンでの生活を描写するには、宗教に関しても自然と書く事に。もちろん、私自身が信徒だというのも大きな理由。

かと言って、宣教や勧誘をする気もなく、キリスト教には無縁の人に分かりやすく、敢えて表面的な行事に関してのみ記述。ところが、それをまったく理解せず、鋭利な刃物で切り込むようなコメントをする、ガチガチの信徒さんがいるんですよ。

例えば、少し前に投稿した「偶像崇拝」の話。私が洗礼を受ける前に、不思議で仕方なかったことを素直に書いたら「文化面からしか見ていない。第二バチカン公会議のことに触れないから、心に響かない」みたいなコメント。

いや、普通の人には、そっちの方が心に響きませんよ。というか、何のことやらさっぱり分からんでしょう。もちろん私は「第二バチカン公会議」で話し合われた議題のアウトラインぐらいは知ってます。でも、このブログでそれを持ち出すと、それだけで、相当な文章量を費やしての説明が必要。しかも、興味を持つ人がごく限られてしまう。

私が日本の教会に通っていた頃にもいました。神父さまでもないのに、何かというと、「典礼にふさわしくない」とか「第二バチカン公会議の精神を忘れてる」とか言い出して、周囲を凍りつかせてしまう人が。こういう気難しい爺さんのお陰で、どれほど若い信徒さんが、教会離れするか、考えたこともないんでしょうね。

ということで、今後もこのブログでは、時々カトリック関係の投稿をしていくと思いますが、意図的に、信仰についての深い話は書きません。それを書けるほど敬虔な信徒でもないし、そういう話を聞きたければ、こんなブログは相手にせず、修道院か神学校へ行っていただきたい。


2018年3月24日土曜日

生存率10%の仔猫

先月(2018年2月)に、我が家の半ノラ、雌猫のチャコ美が仔猫を出産した話を投稿しました。過去2回の出産で生まれた合計7頭を1ヶ月もたずに、全部死なせてしまったチャコ美。今回は3頭産んで、1頭は死産でした。

残った2頭は両方雌で、母親と同じキジトラ模様。黒っぽいのと茶色っぽいので、識別してました。当初は元気だった2頭。その黒い方が、同じように授乳してもらっているのに、全然大きくならない。動きも少なく、見るからに弱々しい。


これは前回、前々回と同じパターン。そのうち目やにで片目が塞がり、さらにやせ細り。猫好きの友人によると、これは寄生虫の可能性が大。原因が分かっても、近所に猫を診てくれそうな獣医もいないし、自然の治癒力に任せるしかありません。そして出産後ちょうど1ヶ月が経過したある朝、黒は8頭の兄弟姉妹の元へ、お先に帰ってしまいました。

私が朝起きたら、すでにメイドのネルジーが気付いて、埋葬した後。命が失われる時って、実にあっけないもの。ネグロスでは、飼われているもの、ノラを含めて、犬や猫がいっぱい。おそらく毎日、生と死の物語が繰り返されているんでしょうね。

最後に残った茶色いキジトラ。こいつは今までになく元気。我が家で生まれた仔猫で、走れるようになるまで成長した、最初の1頭になりました。もう母親のお乳だけでなく、ドッグフード(飼い犬と共用)や、魚をさばいた残り物をガツガツ。この頃は、私を「エサをくれる人」と認識したらしく、扉を開けると「に〜に〜」と駆け寄ってきます。


仔猫って、こんなに可愛いものだったんですね。今までも可愛くなかったわけではないけれど、どれもこれも、日に日に弱っていく姿しか見なかったので、可愛いというより可哀想でした。

こうなると、エサの時間ではなくても、ついつい手のひらに乗っけて、撫でてしまいます。動物が人間のセラピーに役立つというのも、実感として理解。これこそ「和む」とか「癒される」というやつですね。仔猫ばかり構うと、今度は犬のゴマがヤキモチ妬いて「ぎゃんぎゃん」と大騒ぎ。

もうここまで育てば、突発事故でもない限りは成猫になるだろうと、ようやく付けた名前が「茶チャ」。チャコ美の娘で、茶色いから。豊臣秀吉の側室、淀君の本名、茶々姫とは関係ありません。ということで、10頭生まれて、ここまで育ったのが茶チャ1頭。生存率10%は、いくらなんでも歩止まり悪すぎやなぁ。

さて、ここ数日は、「今日の茶チャ」と題して、SNSに仔猫の写真をアップしてます。もう完全にバカ親。でも、結構人気なんですよ。特別に猫好きではなくても、やっぱり仔猫には独特の魅力がありますからね。





2018年3月23日金曜日

13年目のテント張り


息子が生まれる、ちょうど1年前の2004年8月。まだ私とフィリピン人の家内が日本に住んでいた頃に、シカゴに住む家内の親戚たちを訪ねたことがあります。

家内の従妹ルビーと夫ルパート、娘のデニス。ルビーの妹レイチェルはシングルマザーで、息子のリーゴ。そして家内の叔父ノノイ、奥さんのジェン、娘のケビン。合計8名は、シカゴ郊外の閑静な住宅地に各家族が1軒づつに入居。

子供たちはまだ小学生で、大人は全員、看護師として病院勤務。フィリピンでは、OFW(Overseas Filipino Workers)と呼ばれる、出稼ぎ労働者。ネグロス島のバコロドに住む、両親と末の弟への仕送りをしています。

と言っても、最近、OFWへの虐待で注目された、中近東の家政婦とはまったく状況が違い、正規の就労ビザを持ち、かなりの収入を得ています。家にしたって、さすがのアメリカ。当時私が日本で住んでいた、3LDKの賃貸マンションの、軽く3倍以上はある広さ。無茶苦茶な残業もないし、自動車も所有。

ただ、冬場は雪も積もるし、ミシガン湖からの強風で震え上がるほどの寒さ。私たちが滞在した真夏の時期でも、暑かったという印象は皆無で、終始爽やか。一度はすごい夕立に見舞われて、その後は肌寒いほど。

さて、帰り際、倉庫のような巨大ショッピングセンターで、ノノイとジェンから、お土産にとキャンプ用のテントを買ってもらいました。値段は忘れてしまいましたが、3〜4人が寝られるサイズなので、決して安くはなかったろうと思います。当時は子供ができず、すっかり諦めていて、夫婦であちこち遊びに行くための、レジャー・アイテム。

また来年の夏に来るね〜、とシカゴを後にして4ヶ月後。その年のクリスマスに、まさかの家内懐妊。来年は無理になっちゃったと連絡したら、3人の子供たち、デニス、ケビン、リーゴが大むくれ。「来る、言うたやんか〜」と半泣きになってしまったそうです。ごめんな。

その後、子育てや、度重なる転勤、私の鬱病などで、シカゴの親戚どころではない日々が続きました。せっかく買ってもらったテントも、日本には持ち帰ったものの、物置の肥やし状態。箱から出すこともなく、フィリピンでも納戸の奥に放置。ついに13年後の今年、息子が夏休みに入ったのをきっかけにして、重い腰を上げてテントを張ってみることにしました。


日本に住んでいる頃ならば、どこか家の外の公園にでも行かないと無理だったでしょうが、フィリピンの自宅は、ひと続きのリビング・ダイニングだけで20畳以上。ここで店を広げましょう。

意外と経年変化による劣化もなく、思ったより簡単に完成した、緑色のテント。私が子供の頃は、こういうのに憧れましたね。昔に戻ったようで、ワクワク。息子はもっと喜んで、さっそく折りたたみ式のマットレスや、電気スタンド、本を持ち込んで「籠城」。その気持ちは、よ〜く分かるぞ。


すぐに片付けるのは、もったいないので、サマー・プロジェクトと称して2昼夜、リビングが簡易キャンプ場になりました。息子はテントで夜を過ごせて満足したようです。

さて、この5月。シカゴ在住のルビーとその家族が里帰り。多分我が家にも泊まっていくと思うので、その時にまた引っ張り出してきましょうか。と言っても小学生だった、娘のデニスはもう大学生。テントで寝るのが嬉しい、という年齢でもありませんけどね。


2018年3月22日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 誘惑の森雪

ラムちゃんスターシャに続き3回目の、フィリピーナ演じるアニメ美女は、宇宙戦艦ヤマトに登場する美貌のブリッジ士官、森雪です。ヤマトと言うと、最近では「宇宙戦艦ヤマト2199」として、リメイク版が公開されましたね。1話30分のテレビ向けのものを、放送前に数話まとめて劇場公開するというスタイルで大ヒット。

DVDの売り上げも好調らしく、私も全巻購入して、フィリピンにまで持って来て、時々息子と一緒に鑑賞。お陰さまで、息子もヤマトのファンになり、一緒にテーマ曲を歌ったり。

その「2199」では、オリジナルで辻褄が合っていなかったり、不自然だったストーリー展開を見直し。それも原案を台無しにするようなやり方ではなく、私と同世代で、総監督の出渕裕さんの「ヤマト愛」に満ちた「補正」。

その中の一つが森雪の設定。当初は、ヤマトのクルーでセリフがある、唯一の女性だった森雪。予算の関係で追加の声優さんを雇えなかったのか、それとも当時は、戦闘に従事する女性は一人いれば十分ということだったのか。小学生の私ですら、不思議に思ってました。

しかも、それ以外に登場するメインの女性キャラ、イスカンダルのスターシャ、その妹のサーシャが森雪そっくり。それってキャラクターデザインを担当した、松本零士さんが、同じパターンの美女しか描けなかったのが理由かと、深読みするほど。

やっぱり出渕さんも、同じように感じてたんでしょうね。ヤマトクルーにも、敵のガミラスにも、たくさんの女性キャラが登場。森雪も看護婦兼務なんて無理矢理なことはせず、船務長に一本化。しかもブリッジ勤務は3交代制となって、ちゃんと交代要員も出てきます。

そして何より、森雪のトレードマーク、身体にピッタリの黄色いユニフォーム姿が、生々しいまでにグレードアップ。入浴シーンなどの「サービスカット」はちょっとやり過ぎだったかも。森雪ではありませんが、真田副長の部下として追加された新見薫・情報長が、森雪が着用しているのと色違いユニフォーム。彼女が少しだけ胸元を見せるシーンがあって、あの服って、そういう具合に着脱するのかと、妙に納得してしまった。

ずいぶんと前置きが長くなりましたが、ただの2次元美人ではなく、大人の女性として、憧れの森雪を描いてみました。そして、前回スターシャのモデルになっていただいたフィリピンの女優、ライザ・ソベラノ嬢。当然のごとく、「スターシャと生き写しの森雪」でも一人二役で再登板。


題して「誘惑の森雪」。昔からのヤマトファンには、思いっきり怒られそう。まぁいつもの通り、私個人の妄想の産物ですので、そこは悪しからずご了承くださいませ。




2018年3月21日水曜日

今日から夏休み


このところフィリピンの天気予報では、連日どんだけ暑かったかの話で盛り上がってます。特にマニラ首都圏では、37度ぐらいまで気温が上昇。フィリピンでの盛夏は、4〜5月のはずが、一足早く季節が巡ってしまったらしい。

ここネグロス島も、毎日朝から青い空と強い日差し。雨が降っても夜の間にザッと来て、翌朝にはカラっと。ただ、最高気温が33〜4度ぐらいでも、緑が多く風が通るせいか湿気が少なく、日陰に入ればとても快適。爽やかで、初夏のような毎日です。

そんな夏の到来と時期を合わせたように、昨日は息子が通うシライ市内の私立小学校では、今年度最後の登校日。と言っても、日本の終業式とはちょっと違って、各種のコンペティションで入賞した学童の表彰式。全校生徒が参加するのではなく、受賞者とその保護者のみ。数日前に、ちゃんと招待状までもらいました。

バレーボールやテコンドーの大会、合唱コンクールに、学校対抗の各種公開模試などなど。運動はからっきしの息子ですが、理数の学科が得意で、昨年に続き、今年度も数学の試験で3位入賞、理科のクイズで優勝して、メダルを授与されました。(エッヘン)

この表彰式がずいぶんとラフというか、くだけた感じ。日本みたいに受ける側も贈る側もガチガチに緊張して...はまったくなく、名前を呼ばれて壇上に上がる時も、笑いながらだったり、友達に手を振ったり。

メダルは、校長先生も笑いながら片手で手渡し。それも一緒に登壇した親に渡して、親が子供にかけるという一風変わった受賞スタイル。これがフィリピンのやり方なんでしょうか? その後カメラマンが一組づつ親子写真を撮ってくれます。


国旗と校旗を持ったボーイ・スカウトが行進
全員で元気に国歌斉唱

面白かったのはバレーボール。生徒とは別に表彰されたコーチがオカマさん。ピチピチのシャツと短パンの、見るからにそれと分かる格好で、周囲に投げ愛嬌を振りまきながらの登場。ゲイであることまったく隠す素振りもないし、先生や保護者たちも「当然」という態度。まぁ、バレーボールでは強豪の学校なので、毎年表彰されていて、見る側も慣れてしまったのもあるでしょう。

それにしても、いつもこの手の表彰で思うのは、フィリピンの教育は褒めて伸ばすことに主眼を置いていること。息子の学校ではありませんが、公立校でミス/ミスター・コンテストを開催する学校もある。勉強に限らず何でもいいから、子供を褒める機会を探し回っている感じ。

こういうのは実にいい。年に一回だけでもヒーローやヒロインになる経験があると、本当に自信がつくものです。今日本で流行りの言い方をすれば「自己肯定感」の育成。だからフィリピンの子供って、変に大人びて嫌なガキって見たことがない。子供は子供らしく、こちらも安心して接することができる気がする。

ということで、公立学校は、まだ今週一杯授業はありますが、今年はイースターが4月1日なので、3月の最終週はホーリーウィーク。来週からはフィリピン全土で、昨年よりも少し早めの夏休みが始まります。みんなウキウキ、嬉しそう。


2018年3月20日火曜日

味噌、届きました


10日ほど前に、このブログで味噌切らしてますと投稿したら、ネグロス島シライの自宅に、味噌が届いてしまいました。これはびっくり。

このところ、ネグロス島で働いていたり、こっちに配偶者や恋人がいたりで、足繁くフィリピン通いの日本人の方々と友達になって、お願いすれば日本の食品や薬品など運んでもらえるという、とてもラッキーな環境に身を置いてます。

ところが今回、味噌二袋お持ちいただいたのは、まったくの初対面の方。私とほぼ同年代の男性で大阪在住。そしてネグロス出身のフィリピン女性と交際中という縁で、私のブログを読んでいただいていたそうです。

もちろん、わざわざ味噌の配達のために渡航されたのではなく、以前から私に一度会ってみたいと思っておられて、たまたま味噌を切らした話もあったので、ついでにお持ちいただいたとのこと。お電話があった時は、さすがに恐縮しました。

実は、味噌についての投稿をした後に、リアルの友達や、フェイスブックで知り合った人など、数人から、機会があれば持って行きますと、実に有難いお言葉。どなたも口先だけではなく、本当に持って来てくれそうな人ばかり。こういうことがあると、ブログを書いていて良かったと、心底思いますね。

このブログは、元々、自宅建設を記録するための日記みたいなものでした。それが竣工後も続いて、もうすぐ4年。単なる日記の枠を超えて、私のこれまでの経験や考え方、信条など、こと細かく記述しているので、顔を合わせずとも、何となく昔から知ってるような感覚になるんでしょう。

今まで、このブログを通じて連絡をもらい、実際に会った方は、もう20人ぐらい。念のために書きますが、いきなり自宅に押しかけるような人は誰もいなくて、事前にコメントやメッセージなどで「もしよろしければ...。」とたいへん丁寧な連絡をいただいたり、共通の友人を通じて紹介されたり。

そんな経緯で、わざわざ来ていただいた場合、私も自己紹介の手間が省けるし、何より私の文章に共感いただくという、一種のフィルターを通しているので、初対面でも話が弾みます。日本に住んでいた頃には、まず有り得なかったこと。

ということで、今日の夕食。1ヶ月ぶりぐらいで、豆腐とわかめの味噌汁を、家族+メイドのネルジーで、かたじけなく頂戴しました。ネルジーも味噌汁は好きなんですよ。

それはそうと、今度は乾燥わかめが、もう残り僅かなんですが...。(笑)


2018年3月19日月曜日

みんなで貧乏・カニの心理



出典:pictkan

フィリピン人と付き合っていると、カニの心理(Crab Mentality)という言葉を時々聞きます。ネットで調べてみると、フィリピンだけで通じる言い回しではなく、英語圏全般で使われているらしい。

これは、カニを捕まえてバケツなどに入れておくと、1匹だけなら簡単に逃げ出せる。ところが、ぎゅうぎゅう詰めにすると、それぞれが我先に出ようと足の引っ張り合いをして、結局1匹も逃げられないという意味。

つまり、隣近所や職場で、誰か一人だけがお金持ちになったり、給料が上がったりすると、全員が妬んで抜け駆けを許さない。家内に訊いてみると、独身時代、大学の研究員だった頃に、多少はそんなことがあったと言います。

家内の出身校フィリピン大学は、頭脳的エリートが集まる場所。言ってみれば、自分の親戚や生まれ育ったバランガイ(町内会)から、とっくに脱出に成功した「選ばれたカニ」みたいな人たちの集団。それでも、そうなってしまう場合があるんですね。

フィリピンの貧困問題を語る場合、その原因の一つとされるカニの心理。フィリピン人従業員を雇用する日本人経営者の方々が、これには悩まされると聞きます。本当に真面目で優秀だから、昇格させてサラリーアップ。明らかに売り上げに貢献していたり、顧客からの評判がいいとしても、同僚からは、ボスの贔屓だ、不公平だと声が上がる。結局、その人は職場で除け者扱いされて、勤め先を辞めてしまったり。

これは私が直接経験したことではないし、少なくとも私の知る家内の親戚や友達では、そんな話は皆無。でも、おそらくそれはたまたま幸運だっただけのことで、フィリピン社会全体を見れば、決して珍しいことではないんでしょう。

ただ、これがフィリピン人特有の心理かと言えば、そうとも思いません。例えば日本の学校。成績優秀で勉強ができる子供は、今も昔もなぜか肩身が狭い。「出る杭は打たれる」なんてことわざが使われるぐらいだし、普通にしていても「テストの点がよかったからって、生意気なこと言いやがって」という目で見られる。下手すると、それが原因でイジメの標的にされたり。「優等生」という言い方が、必ずしも褒め言葉じゃないですからね。

フィリピンほど分かりやすくはないだけで、大人になってからも結構ありました。昔いた職場でもあったし、意外かも知れませんが、カトリックの信徒同士でも感じたことがあります。特に専門技能の集団だと、評価に対する嫉妬心は尋常ではないレベル。

広告の世界では、超リッチなイメージや美男美女ばかりの出演者といった、見るからにファンタジーならば単純に憧れで済む。ところが、現実に手が届くよりちょっと広い家だったり、ちょっと男前のボーイフレンドや、ちょっときれいな奥さん、みたいなCMを作ると、お客さんの反発を食らうんだそうです。

それも、はっきり「嫌い」とは言わず「リアリティがない」などの、あたかも客観的な批評のふりをするので始末が悪い。

カニの心理を持ち出して、フィリピンの貧困は、フィリピン人のメンタリティが諸悪の根源のように言う人もいますが、日本の教育現場や職場に蔓延するイジメの原因も、よく考えたら深いところでは、同じ根っこなのかも知れませんよ。


2018年3月18日日曜日

建設ラッシュが止まらないネグロス島


先週、ネグロス島シライ市内で、初めてのショッピング・モール、ガイサノの開店について書きました。これだけではなく、ここ何年か、シライと州都バコロド、隣街のタリサイの3市の通称メトロ・バコロドでは、建設ラッシュが止まりません。

私たち家族が移住してからの5年で、知っている範囲だけでも、空港とバコロド市街地を結ぶバイパス道路、アヤラモール(タリサイ)、SMシティの大規模拡張(SMX)、高層建築のコンドミニアム、大型プールリゾート、太陽光発電所などが相次いで竣工。中小規模の商業施設の新規オープンは数え切れないほどだし、バコロド市内の幹線道路「ラクソン・ストリート」では、大雨時の冠水被害緩和のための排水管敷設工事も。

今年(2018)中に完成・オープン予定では、バコロド市内のアヤラモール、バコロド港の新ターミナルビル、シライ郊外のテーマパーク、そして温泉リゾート・マンブカルには、4階建てのホテルが。

私にとっては「いつか来た道」。高度経済成長からバブルに至る、50〜30年前の日本を早回しで見ているような錯覚に陥ります。建設資材を積んだトラックが、子供の通学路付近でもお構いなしにガンガン走るのは、まさに昭和40年代の光景。公害もすごかったですね。

バブル後の閉塞感の時代を、社会人として生きてきた私は、手放しで喜ぶことができません。どうしても、一時帰国の時に見る、故郷尼崎の阪急塚口駅前「塚口さんさんタウン」の寂れ方を思い浮かべてしまいます。

1978年(昭和53年)私が中学生の時に、駅前再開発の掛け声でオープンした、ダイエー主導による3棟の駅前ビル。開店当初はものすごい賑わいで、夏休みなど子供が入り浸ってました。映画館やゲームセンター、市役所の出先窓口もあって、一時期はわざわざ大阪まで出なくても、たいていの買い物や娯楽は、塚口駅前で完結。

ところが、バブル期の高級品志向に、まずダイエーのビジネススタイルが色褪せて、バブル崩壊が息の根を止めた感じ。屋上の遊園地は閉鎖され、レストラン街は土日でも人影がまばら。食材や日用雑貨の購入以外では、足を踏み入れることが稀になってしまいました。

経済発展の経緯が、日本とはまったく違うフィリピンなので、日本で起こった地方都市の没落がそのまま再現されるとは限らないけれど、この国で老後を過ごそうとする身にとっては、そう楽観的にもなれません。

しばらくは景気後退がないとしても、静かで人が多すぎず、まだまだ自然がいっぱい残っているシライ市。便利になることと引き換えに、治安が悪くなったり、渋滞に悩まされたりでは引き合わない。

どの国でもそうですが、一度走り出した経済発展は、適当なところで立ち止まって様子を見る、という具合にはいかないものらしい。どういう形であれ、やっぱり行きつくところまで行っちゃうんでしょうね。


2018年3月17日土曜日

私的フィリピン美女図鑑 スターシャ・イスカンダル

前回の美女図鑑は、うる星やつらのラムちゃんを描いたところ、一部の方々からご好評を頂きました。そこで調子に乗り、もう一度1970〜80年代のアニメ美女を。

今50代の日本人にとって、日本アニメ史に燦然と輝く金字塔「宇宙戦艦ヤマト」は、一種の神話になっていることでしょう。最初の放送時には、私は小学校5年生。全然人気がなかった、というか学校で話題にしようとしても、ほとんど誰も知りませんでした。

私はたまたま同じ日曜日の夜7:30の時間枠だった「侍ジャイアンツ」を見ていて、それが終わった流れで第1回から視聴。いや、びっくりしましたよ。設定がいきなり超シリアス。それまでのSFアニメでも、地球の危機なんてのは定番。しかし本当に地球が核攻撃されて、海は蒸発して一面の赤茶けた焼け野原なんて初めて。人類は地下都市に隠れ住み、あと1年で浸透する放射能で全滅。ここまでリアルで救いのない場面をアニメで作るとは、前代未聞でした。

しかも悪の侵略者をやっつけておしまいという、お決まりで単純な筋書きではなく、地球から29万6千光年離れた惑星イスカンダルに、放射能除去装置を取りに行くストーリー。設定の原案者、豊田有恒さんは、本当にすごい仕事をしたものです。そしてメカとキャラクターのデザインを担当したのが、漫画家の松本零士さん。

地球にとっての救いの女神、イスカンダルのスターシャ(初回放送時は、スターシアと発音してました。)は、典型的な松本零士スタイルの美女。その魅力に、すっかりハマってしまった。ヤマトを見てからというもの、何枚スターシャのイラストを模写したことやら。今でも何も見ずに描けるぐらい。

私が考える零士美女の特徴は、何と言っても髪。流れるようなウェーブのロングヘア。でもアニメで動かすのはたいへんだったでしょうね。だいたい宇宙戦艦ヤマト自体、おおよそ手描きの動画には不向きの、凸凹でハリネズミのような大砲や機銃。メカもキャラクターも、当時の技術で、よくやったものだと感心します。

ということで、今日は、そのスターシャがモチーフ。
しかし、そのままトレースしただけは面白くないし、松本零士さんの原画の足元にも及ばないのは分かっています。そこでいつものように、フィリピンの有名女優さんが、イスカンダルのスターシャに扮したらという妄想がベース。

スターシャ役に抜擢(?)したのは、「Filipina Beautiful」で検索をかけたら、必ず上位に出てくる、ライザ・ソベラノ嬢(Liza Soberano)。アメリカ生まれの20歳でドラマやCMで大人気。スターシャにしてちょっと若すぎる気もしますが、イラストにしたら予想以上に自然な感じ。

小学生の頃は、細身で柳腰に憧れていました。でも時代は流れて、ずいぶん女性の好みが変化。そもそもフィリピン美女図鑑ですから、濃いめの肌の色に、それなりに肉感的で、出るべきところは出てる方が...。

それでも髪のイメージを崩すと、私の中では完全な別物になってしまうので、ヘアスタイルはスターシャ風のまま「いかにもセクシーなフィリピーナ」にしてみました。描いてるうちにセミヌードになったしまったのは、オっさんの憧れの発露ということで、どうかお許しくださいませ。





2018年3月16日金曜日

読めない人々


少し前に、慄然とするような記事を読みました。
国立情報学研究所という研究機関の中にある、社会共有知センター(何やらたいへん難しそう)。そこで、AI(人工知能)の研究に従事している人へのインタビュー。ロボットに高校生が受ける模擬試験を受けさせて、東京大学に入学できるかどうか、という実験をしていたそうです。

5科目8教科の中で一番成績が悪かったのが国語で、200点満点で96点。ロボットにはまだまだ東大への道は遠い。と思ったら、ロボットより得点の低い高校生が相当数いた。今の高校生の読解力には、ひょっとして何か問題があるのでは、と疑問になり、ロボットのことよりも、そちらを調べてみたところ...。

まだ予備調査の段階ながら、公立中学生340人を対象にした試験の結果、驚くべきことに、約5割が、教科書の内容を読み取れておらず、約2割は、基礎的な読解もできていない、ということが明らかになりました。例えばこんな問題。
仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。 
オセアニアに広がっているのは(  )である。 
句読点の打ち方が下手で、あまり読み易い文章ではないにしても、正しく「キリスト教」と答えた生徒が、たったの53%。専門用語も使っていないし、二重否定のようなトリッキーなこともしてない。ゆっくり読めば間違いようがないと思うんですけど。

詳しくはこの記事を読んでいただくとして、日本の教育現場では、冗談では済まないようなことが起こっているらしい。そこで思い当たったのが、このブログへのコメント。中学生や高校生どころか、私と同年代の大人ですら、一体どう読めば、そんなコメントが書けるんだ? という人がたまにいます。

全体の文脈を無視して1文だけを切り取り、それが気に入らないとブチ切れる人。フィリピンのことしか書いてないのに、なぜか「だから中国人・韓国人は民度が低い」と、何でもかんでも嫌中・嫌韓に持っていく人。極め付けは、自分がたまたま出会ったフィリピン人の言動だけで、フィリピン全部を悪くいうな、と書いているのに、「フィリピン人は全部バカ」と返す人。

これって、悪意をもってわざと嫌がらせを書いているのかと思ったら、本当に文章の意味が読み取れていない人が、混ざっていたのかも知れません。

それにしても、母国語の読解力があまりに低いと、国語以外の教科にも深刻な影響がでるでしょうし、どんな職業についても、困ることがいっぱい。もし自分の部下が、満足に日本語を読めないと分かったら、恐ろしくて仕事を任せられない。

以前、フィリピンでは、理科や算数などの教科書が英語で書かれているので、英語の読解力がないと理数系が全滅状態になる、と書きました。フィリピンのような2重・3重言語社会ではなく、外国語以外どんな分野でも、ほぼ完全に日本語だけで教育を受けられる日本。ところが、フィリピンと同じ問題が、現実に日本でも起こっているということなんですよ。これはヤバいなぁ。


2018年3月15日木曜日

フィリピンでダイエットできた理由


フィリピン・ネグロス島に移住して、約半年が経過した頃。特別に運動を始めたとか、減量のために食事制限したといった理由もなしに、体重が10キロ近く落ちました。移住前から知っている、家内の親戚や友達から、痩せた痩せたの大合唱。中には真顔で心配する人まで。

日本から持ってきたズボンの類は、軒並みウェストが緩くなり、わざわざ市場の中にある仕立て屋さんに持って行って、寸法を絞ってもらったり。普通は、太って履けなくなったのを、寸法直しで広げるのことが多いので、お店の人がちょっと驚いてました。

その後さらに数年。強烈なリバウンドが来るんじゃないか覚悟していたところ、やっぱり多少の戻りがありました。それでも移住前に比べると、5キロ以上は減ったまま。一番痩せていた時に、こちらで買ったジーンズも、まだちゃんと着用可能。

住む場所の気候が激変したので、体重に変化あるのも当然と言えば当然。しかし最近ネットで読んだ記事に、「なるほど〜」と思うことが書いてありました。

要するに太るのはストレス。それもよく言われるヤケ食いの類ではなく、イギリスの大学で行われた、実験に基づいた結論。簡単に説明しますと...。

脳は、ストレス=攻撃を受けたと判断して、筋肉にエネルギーを与えるために血液中にブドウ糖を放出。ところが、実際に体を動かさないと、血糖値を下げるために、膵臓から大量のインスリンが出る。これが空腹を感じさせる原因になるんだそうです。

同じメカニズムで、睡眠不足も血糖値の増減を生じさせるので、空腹感を増進。つまり、日々ストレスを溜める生活をして、それに睡眠不足が加われば、消費したカロリー以上に食べてしまうというわけです。特に糖分や炭水化物が欲しくなる。

これは完全に、移住前の日本でのサラリーマン生活そのもの。このブログを読んでいる方々にも、同じパターンの人が多いんじゃないかと推察。

そんな生活が28年も続いて、ある日突然会社を辞めて、南国フィリピンへ移住。もちろんストレスが完全になくなったわけではないけれど、あの胃がキリキリと痛むような精神的プレッシャーとはおさらば。感覚的には何十分の一にストレスは軽減されました。

そう言えば、あれほど頑固だった不眠症も、すっかり影をひそめ、夜寝付けないということは、本当に少ない。あまり意識はしてませんが、やっぱり食べる量も減ったと思われます。以前は余裕で一袋分を食べていたインスタントラーメンが、最近では、無理に完食すると胃が重く感じるほど。

他にも、魚を食べることが増えたり、生活が規則正しくなったと言った理由も考えられます。ただ一つの要因で、ダイエットができたのではないでしょう。でもやはり一番大きかったのは、ストレスのない生活なのは間違いない。

ただし、誰でも仕事を辞めれば健康的に痩せられるかというと、それは個人差があります。中には、奥さんや旦那さんと始終顔を合わせている方が、ストレスを感じる人だっているかも知れません。定年退職後、いきなりボケたり亡くなったりするケースも。

ということで、体重が気になる方は、みなさん退職してフィリピン移住をお勧め!なんて無責任に煽る気はありませんが、少なくとも私の場合は、心にも体にも、フィリピン移住はポジティブに作用しているようです。


2018年3月14日水曜日

シライ初のショッピングモール

人口12万のシライ市に、本格的なショッピングモールが進出するらしい。そんな話を家内から聞いたのが、およそ2年前の2016年5月。最初は、ホンマかいなと半信半疑。ところがしばらくすると本当に工事が始まりました。

いつごろ完成するのか、確かな情報はなかなか入って来ず。たとえ関係者に問い合わせても、フィリピンでの工期予定ほど当てにならないものはありません。今回のように1万平米を超えるような広さならば、半年やそこらは誤差のうち。

去年(2017年)の後半になって、年内に完成するらしいとの噂がありましたが、それもあっさり裏切って越年。イースターには間に合うか?と思っていたところ、いきなりシライ市内のあちこちに、3月14日オープンのポスター。1週間前になって、ようやくです。

このモール、ガイサノ・シティと言いまして、フィリピンの大手では第4位。SM(スーパーモール)、ロビンソンズ、アヤラに次ぐ規模で、全国に出店しています。ちなみにシライの隣街、バコロドやタリサイには、この4店はすべて開業済み。メトロ・バコロドと呼ばれる、州都バコロド、タリサイ、シライの3市のうち、シライだけがショッピングモールの空白地帯だったわけです。

かなりギリギリになってから、このガイサノ・シティ・シライには、ジョリビー(フィリピン最大のファーストフード・チェーン)や、ホームセンターのハンディマンが入居することが判明。ついにシライにジョリビーができるのか。

ということで、オープン当日の今日。週末から降り続いた雨もカラっと止んで、久しぶりに真夏の日差しが戻ってきました。さすがに朝から行くと、たいへんな目に遭いそうなので、時間をずらして夕方4時ごろ行って来ました。


期待が大きかったせいか、正直に言ってがっかり。確かに広いし、ショッピングモールと呼ぶには十分な売り場面積。総2階でエスカレターも完備...なんですが、この全然ワクワクしない感は、何なんでしょう?



食品も服も雑貨も、相当な物量。それが安物ばかりという印象。まぁガイサノと言えば、上位3社に比べてディスカウントにシフト。最初から分かっていても、高級食材は皆無だし、田舎っぽいセンスのファッションや家具が延々と並んでいるのは、ちょっと寂しい。シライで日本からの輸入食材が買えたり、シネコンができたらという夢は、夢のままでした。残念過ぎる。

しかも目玉のはずだった、ジョリビーやホームセンター、家電製品売り場が「カミング・スーン」。ジョリビーなんて、まだ内装も手付かず状態で、何にもない。どこがグランドオープンやねん。

昔、バブル経済が破綻した後の日本で、ダイエーが「何でもあるけど、欲しいものは何もない」と言われていたのを思い出してしまった。それは、贅沢に慣れすぎた日本人だけの感覚かと思ったけれど、仕事の後ガイサノに寄って帰ってきた、フィリピン人の家内がポツリと一言。「面白くない」。


2018年3月13日火曜日

フェイリピンで考える、若者に投票させる方法


このブログで日本の政治について書くのは、趣旨から外れてしまいます。それでも、ここ数日の状況をネット経由で見ていると、何か言わなくてはいけないような、焦燥を感じてしまうのも正直なところ。

昔から、また、日本に限らず、政治家の不正がない国はありません。フィリピンのことを考えたら、それはひどいものです。ドゥテルテさんが大統領になってからは、何十年も無茶苦茶だった状況を一気に正常化しようとして、パニックに近いようなことになってるぐらい。現職の市長が、違法薬物取引の容疑で警察に捕まりそうになって、銃撃戦をおっ始め、挙げ句の果てに射殺される事件まで起こっている。

しかし、今回の日本の騒動は、銃弾は飛んでいないけれど、見方によってはもっとタチが悪いかも知れない。単に政治家が違法行為をしただけでなく、官僚が関与、しかも組織ぐるみで関わっているし、本来それを正すはずの司法もジャーナリズムも機能しなていなかった。これは背筋が凍りつくほど恐ろしいことです。

ここまで悪化した原因は、いろいろあると思いますが、私が思うに、投票率の低さが諸悪の根元。総務省のHPを見ると、ここ最近は衆参両院を見ても、投票率は右肩下がり。直近では全体で50パーセント台。

その内訳が大問題で、60代の投票率70パーセント台なのに対して、20代ではなんと30パーセント台。実際に我が家に来てくれる若い人たちに聞いてみても、選挙に行かないし、関心もない人が結構いますね。

給料は安い、家賃は高い、貯金がないので結婚もできないし、子育ても難しい。今一番苦しい生活を強いられている層が、政治に無関心なのは一体どういうことでしょう。極論すれば、老い先短い人たちからの偏った支持で政権を取った連中が、圧倒的多数派になっているのが、今現在の日本。そんな中での、やりたい放題。

それに比べ、コンスタントに80パーセント台の投票率を誇る、フィリピンの選挙。もちろん日本と違って、3年に1度しか投票機会がないし、下はバランガイ(町内会)や市町村、上は上院・下院、正副の大統領まで、一度に選んでしまう国家行事。これを逃すと政治に関わるチャンスが皆無なお国柄ということはあります。

しかし、それを差っ引いても、日本とフィリピンの、一般庶民の政治関心度の温度差は相当なもの。これは争点や公約が、有権者の関心を引く内容になっているかどうかが大きいと思われます。

特に分かりやすかったのが、ドゥテルテ候補(選挙時)の主張。対麻薬戦争に汚職撲滅、マニラの交通渋滞緩和などなど。誰もが長年不満を抱えていたことに対してノーを掲げ、しかもダバオ市長時代に、最悪だった治安を劇的に改善して、フィリピンで最も安全な都市にしてしまった実績が後ろ盾。そりゃ投票率は上がるだろうし、国民の注目を浴びるのも当然。

翻って日本。ここからはさらに極端な私論です。今、若い層が不満・不安に思っていることは、何と言っても労働人口が減ることと、それに伴う生活水準の低下。

ならば、どしどし移民を受け入れて労働者を増やし、税金もたくさん払ってもらって、何なら帰化手続きも簡略化。不公平感満載の福祉制度は全廃して、ベーシックインカムを全面導入。英語教育は根本見直しで、小学校からネイティブ教師、授業中日本語禁止。限界まできている東京一極集中打開のため、遷都道州制を本気で考える。ついでに、NHKの強制的課金は止めて、見たい人だけが支払う、現在のWOWOWやCS放送と同じシステムに移行。

いくらなんでもやり過ぎ...と思われるでしょうけど、ドゥテルテさんがフィリピンでやっている改革のインパクトは、これぐらいか、あるいはもっと強烈なレベル。連邦制も推進してますからね。この程度の選挙公約は考えないと、若い有権者は政治に見向きもしなし、そもそも期待を抱かない。

日本経済全体が好調だった、30年、40年前と違って、投票という権利(あるいは義務)を行使して政治を監視しないと、いくらでも暮らしが悪くなるリスクがある時代。フィリピンにできたことを、日本にできなわけはない、と思いますよ。


2018年3月12日月曜日

バナナの心臓を食す

昨日の日曜日、またまた近所の日本人向け英語学校アクティ・ラボの経営者の方が、生徒さん数名と一緒に我が家に来てくれました。恒例となったランチ・パーティ。学校では香港でコック兼お手伝さんの経験がある、賄いのおばちゃんを雇っていて、日々の食事は決して不味いわけではありません。

ただレパートリーは、フィリピンや中華風(おそらく広東スタイル?)に限られるので、ネグロス滞在数週間もすると、日本食の味が恋しくなってくる。私のような素人の家庭料理でも、一応は日本人が味付けをするので、久しぶりの安心感があるのでしょう。

で、頭を悩ますのが献立。得意なのはカレーやコロッケなどの揚げ物、おにぎりなどですが、2週間ほど前に差し入れで持った行ったばかり。今回はちょっと志向を変えて、フィリピンの親戚に人気のメニューを揃えてみました。

まずは、どうしても魚料理が食べたいという人がいたので、白身魚にごま油、醤油、豆板醤のソースを絡めて、電子レンジで蒸した、魚の蒸し物。次が、刻んだ野菜たっぷり入れて、エビの煮汁で炊き上げたピラフ(炊き込みご飯)。皮をむいたエビとカットしたゆで卵を添えて、見た目もきれいに。

そしてメインが、フィリピン式のピーナッツ風味シチュー、カレカレ。こちらは我流でだいぶアレンジしました。お肉は豚足を1キロほど用意。2時間ぐらい煮込んで十分柔らかくしてから骨を取り除き、白濁した豚骨スープをベースに、青梗菜や茄子などを加えます。

それだけはなく、初めてバナナの心臓を使ってみました。数日前に、裏庭のバナナから収穫したバナナの心臓。これはお馴染みのバナナの実とは別に、先端部分に咲く「花」。花と言っても大きなものでは赤ん坊の頭ぐらいになり、知らない人が見ると、ちょっと驚くほど。




外側の赤くて固い皮をむしって、中央部の白い部分を小さく切ります。見た目も食感も筍みたい。実はカレカレにしたのは、これを料理してみたかったから。

朝8時に調理開始で、迎えたお昼時。お腹を空かせた若者5人が、時間より少し早めにやって来ました。さすが、時間厳守の日本人。

さて久しぶりに作ったカレカレで、日本のお客さんに出すのは初めて。しかもバナナの心臓初挑戦なので、気に入ってもらえるかちょっと心配しましたが、美味しい美味しいと、ものすごい勢い。

普通、同じ量のシチューやカレーを出しても、翌日、家族の食事1回分ぐらいは余裕で残るところが、ほぼ完食。ピラフも魚も、その日に用意した料理は、きれいに食べていただきました。若さって素晴らしい。


お客さんの中には、我が家にホームステイ中の、本職のパティシエさんがいて、その人から「レストランを開けますよ」とおだてられてしまいました。特にピラフがお気に入りの様子。確かに、家内の親戚・友達にも、これは結構人気があります。テナント借りてまでのやる気はないけど、ガレージを使ってトロトロ(フィリピンスタイルの、簡易お惣菜屋さん)でもやってみたら、面白いかも知れません。


2018年3月11日日曜日

積み重なる「運命の日」


今年も3.11が巡って来ました。あの大津波と原発事故からもう7年。当時はまだ大阪にいて、鬱病による休職中だった私。自室に置いてあったテレビから流れる、信じられないような映像の前に釘付けになっていたのを、今も鮮明に覚えています。

被災して、身内を亡くしたり、住む場所を追われた人たちにとっては、まさしく運命の日。これを境に、人生が大きく変わってしまったことでしょう。3.11のような、大きな災害が起こった日を迎えて、いつも感じるのは、こうした運命の日が、年々積み重なっていくこと。

私が生まれたのは、先の大戦が終わってから17年後。まだ両親や祖父母、親戚にとって生々しかったであろう戦争の記憶。母は親元を離れ、空襲を避けて長野へ集団学童疎開。父は大阪大空襲を目の当たりに。

その両親から戦争のことを聞かされて育った私には、終戦記念日の8月15日、大阪大空襲の3月13日、広島と長崎に原爆が落とされた8月6日と9日が、運命の日として心に刻まれました。

成長して年月を重ねるうちに、自分自身がリアルタイムで経験する、大災害・大事故も加わります。最初は、大阪万博が開催された1970年(昭和45年)4月8日の、母の実家近くで起こった、地下鉄工事現場での天六ガス爆発事故。ちょうどこの日の昼間、まだ20代だった母方の叔母が、私の住む尼崎の家に遊びに来ていて、帰路についた直後に、テレビ報道でこの事故を知りました。

爆発に巻き込まれたんじゃないかと、生きた心地もしないほどの心配。幸いにも叔母が大阪市バスに乗ったのは、事故の後だったので、経路を変更して迂回運転。大火災のため、空が真っ赤だったそうです。

時代は下って1985年の、私が就職した年。初めてのボーナスを貰い、当時のガールフレンドと連れ立って、オープン直後の東京ディズニーランドに遊びにいった時。家族には「飛行機で東京に行ってくる」とだけ言い残し、ディズニーランドからホテルに戻った夜、羽田発・伊丹往き日航ジャンボ機(123便)消息不明の報道に接しました。(その後、群馬県の御巣鷹の尾根への墜落を確認)それが、忘れもしない8月12日。

慌てて自宅に電話を入れると、母はほとんどパニック状態。本当はその翌日に戻る予定だったのですが、ちゃんと伝えていなかったものだから、ひょっとして息子があれに乗っていたら...となっていたわけです。

その10年後、1995年1月17日の阪神淡路大震災。この時住んでいた尼崎の実家が、かなりの被害を受けました。幸いにも家族や友人、会社の同僚はみんな無事だったものの、真っ暗な中での突き上げるような衝撃を感じた瞬間には、もうこれで終わりかとの思い。生まれからあれほどの恐怖は、後にも先にもありません。

そして直近では、2013年のフィリピンに移住した年の11月8日。史上最強と言われた30号台風ヨランダ(フィリピン名)が、ネグロス島を含むビサヤ地方を直撃。竜巻並みの強風と大津波に匹敵する高潮で、6200名もの死者を出しました。

比較的被害が小さかったシライ市内も、電気・通信が丸2日間ストップ。復旧の見込みはない状況で24時間以上停電というのは、阪神淡路大震災時の尼崎市内でも経験したことないもの。あれは実に心細い2日間でした。日本にいる家族や友達に連絡を取る手段が皆無なので、ずいぶん心配させてしまったようです。

こうして書いてみると、いろいろあった割には、自分自身も家族にも、大きな怪我もなく無事に切り抜けてきたんですね。もう幸運以外の何物でもなく、今はただひたすら、神さまに感謝するだけです。


2018年3月10日土曜日

味噌切らしてます

それほどたくさんの日本人がいるわけではない、フィリピンのネグロス島。日本の食材が手にはいるだけでも、ずいぶん恵まれているのは重々承知しています。でもやっぱり、日常的に買っているものが、すぐに品切れになるのは困る。

問題の品は、豆腐と味噌。豆腐はシライの公設市場でも、中国製のものを売ってます。でもこれが全然ダメ。美味いとか不味い以前の問題で、常温で放置してあるもんだから、酸っぱくなってしまっている。いくら煮炊きしてもちょっと食べられない。1度使ってみただけで懲りました。

そこで頼りになるのが、明治の紙パック入りの豆腐。中身が同じかどうか分かりませんが、アマゾンで調べたら日本国内向けにも出してますね。

冷奴には向いてないけれど、完全密封なので日持ちするし、少なくとも酸っぱくなってるなんてことはありません。味噌汁やゴーヤチャンプルーに入れたり、麻婆豆腐に使うなら十分に美味しい。柔らかめのとやや固めの2種類あって、私はやや固めを愛用しています。

そして味噌。ネグロスで手に入るのは、なぜかハナマルキの「おかあさん」。だし入り合わせ味噌で、味噌汁だけでなく、これまた麻婆豆腐に重宝してます。



豆腐も味噌も、無かったら耐えられない...というほどでもない。でも食事に豆腐の味噌汁が付いているだけで、とてもほっとする。やっぱり長年、それがあって当たり前の生活をしてきましたからね。

私にとっての精神安定剤的な、この二大食材。日本の価格の倍ぐらいするのは仕方ないにしても、供給が実に不安定。おそらく3ヶ月に1度ぐらい、どこかの商社経由で、フィリピン全土向けにど〜んと入荷してるんでしょうか。ある時は、バコロドの大きなスーパーでは、かなりの数量が出回る。ところが無くなる時は、どの店からも一斉に無くなる。

「豆腐と味噌のあるとき〜」「ないとき〜」と、関西人にしか理解不能なギャグを、心の中でカマしてます。

こういう状態なので、味噌ならば2〜3袋、豆腐は6パックぐらいまとめ買い。多分バコロド周辺の在留邦人の方々は、みんなそうしているんだろうと推測。

どの日本食材も同じかというと、カレーのルーや、インスタントラーメン、そば・うどん・そうめんなどは、あまり品切れはしないようです。この差は何なんでしょう。豆腐・味噌以外は、一般のフィリピン人にもそこそこ売れてるからなのか。

そして先日、ついに味噌を使い果たしてしまいました。日本食材を置いている、SM、ロビンソンズ、アヤラ、どこも現在品切れ状態。幸い明治の豆腐はあったので8つも購入。でも考えてみると、味噌と豆腐はワンセットで使うケースが多いので、宝の持ち腐れ。


また日本から来る渡航者の方に、味噌1キロぐらいお願いしたいところ。誰か運び屋さんになってくれる人、いませんかね?


2018年3月9日金曜日

私的フィリピン美女図鑑 ラム・ザ・ビューティフル・ドリーマー

フィリピン美女図鑑、今日のテーマはラムちゃんです。
言うまでもなく、少年サンデー誌上で1978年から10年近く連載が続いた、高橋留美子さんの代表作「うる星やつら」のヒロイン。宇宙からの侵略者、鬼族の娘のこと。

またアニメも大ヒット。こちらは押井守さん(後に「攻殻機動隊」の映像化で、世界的な評価を受ける)を一躍有名に。私としては、劇場版の第2作「ビューティフル・ドリーマー」に甚く感銘を受けました。うる星やつらに、ここまでのプロットを放り込むか、というほど考え抜かれたストーリー。原作の高橋留美子さんにすれば、コミックとは別物、ということなんだそうです。

考えてみると、コミックでもアニメでも、童顔の美少女と超ナイスボディの組み合わせって、ラムちゃんが初めてだったのではないでしょうか? しかも宇宙人なのに語尾が方言っぽく、感情の起伏が激しくてヤキモチ焼き。何だか、一般的にフィリピーナの特徴と言われていること、そのまんま。

今回、フィリピーナ版のラムちゃんを描こうと、まず悩んだのが顔。童顔で愛嬌があって笑顔が可愛い...で、思い浮かんだのが、以前取り上げたことがある、ヤヤ・ダブことメイン・メンドーサ。印象としてはその通りなんですが、よく見ると顔の造作は、意外と大人の美女。

そこで、「Filipina Cute Smile」で画像検索かけて行き着いたのが、女優で歌手のシャイナ・マグダヤオ嬢(Shaina Magdayao)。1989年生まれなので、今年29歳。ラムちゃんにしては、少々大人過ぎる気もしますが、私が見た画像では、少女と言ってもいい初々しさ。(もう完全に個人の好みですね。すみません。)

ポーズも悩みました。敢えて断言しますが、やっぱりラムちゃんには、飛んでもらわないといけません。「Tiger Bikibi」で探せば、それっぽい水着はあっても、ビーチに横たわってニッコリみたいな、お決まりのポーズばかり。まぁ普通は飛びませんよね、ビキニの美女は。

ということで、何とか自分なりに納得のいく落とし所を見つけて、イラストにしたのがこれです。例によって、私個人のイメージなので、どうか温かい目で見てやってください。


下書きの段階で気づいたのが「ラムちゃん」の持つ強力な記号性。ビキニ・髪型・ツノ。これだけ揃えば、一発でそれをと分かってしまいます。今更ながら高橋留美子さんの才能には驚かされました。





2018年3月8日木曜日

偶像崇拝

カトリックについての素直な疑問。
信徒さんでなくても、旧約聖書に出てくる「十戒」は知っている方も多いでしょう。これは、奴隷となっていたユダヤ民族を率いたモーゼが、エジプトから脱出した後、シナイ山上で、神から授かった石板に書かれていた10の戒めのこと。

ハリウッドで2度映画化されていて、1956年(昭和31年)版では、名優チャールトン・ヘストンがモーセを、エジプトのファラオをユル・ブリンナーが演じました。


映画「十戒」より

ちなみに、この十戒。ユダヤ教の聖典である旧約聖書に記されているので、当然ながらユダヤでは極めて重要な戒律。さらにユダヤ教を母体とするイスラムも同様です。

1. 主が唯一の神であること
2. 偶像を作ってはならないこと
3. 神の名をみだりに唱えてはならないこと
4. 安息日を守ること
5. 父母を敬うこと
6. 殺人をしてはいけないこと
7. 姦淫をしてはいけないこと
8. 盗んではいけないこと
9. 隣人について偽証してはいけないこと
10. 隣人の財産を貪ってはいけないこと

5番以下は、現代の法律でも禁じられていたり、常識として守るべき内容なので、キリスト教の信仰の有無に関係なく、なるほどと思われる。ここで引っかかるのが、2番の偶像崇拝の禁止。それなら、カトリック教会に安置されている、十字架上のキリストや聖母マリア、その他の聖人に聖書の場面と登場人物描いたものは、どう理解すればいいのか?

カトリック大国フィリピンでも、キリストの彫像は大切にされていて、先日このブログでも紹介した、ブラック・ナザレサント・ニーニョなどの祝祭では、像を乗せた山車が町中を行進し、それを一目見ようと何千、何万という信徒が沿道を埋め尽くします。

旧約の教えを守り、偶像崇拝を厳しく禁じるユダヤやイスラムの信徒からすると、ありえない光景なのかも知れません。

ところがこれは、カトリックの公式な見解では、偶像崇拝には当たりません。像そのものを信仰の対象にしているのではなく、キリストや聖母マリア、聖人たちの記憶をたどるための方便。この解釈は2000年がかりで強固な理論武装が施されて、神学的に疑問の余地はないとされています。

ただ、信徒でなければ、こじ付けの感が免れないのが正直なところ。カトリックの洗礼を受けたとは言え、全然信仰の足りぬ私など、部外者に説明して納得してもらう自信がありません。

実は、冒頭に掲げた十戒は、プロテスタントの諸派や正教会が採用しているもの。カトリック版は少し違うんですよ。

1. 私の他に神があってはならない
2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない
3. 主の日を心に留め、これを聖とせよ
4. あなたの父母を敬え
5. 殺してはならない
6. 姦淫してはならない
7. 盗んではならない
8. 隣人に関して偽証してはならない
9. 隣人の妻を欲してはならない
10. 隣人の財産を欲してはならない

口語訳されているのは別としても、偶像崇拝の部分がなく、隣人の妻についての記述が別項目になっています。もちろんカトリックとして、偶像崇拝を認めているのではないけれど、なかなか微妙な違い方。

だからと言って、フィリピンのカトリック信徒や神父さまに、議論を吹っかけるような真似をしてはいけません。神学をちゃんと学んだ人なら、理路整然と反論してくるでしょうが、むしろ危険なのは、素朴な信仰心を持っている人たち。

生まれてすぐに洗礼を受けて、家族、親戚、友達がみんなカトリックという環境で育った人にすれば、信仰は理屈ではない。マリアさまの像に向かって手を合わせることを非難されたりしたら、一発や二発、殴られても文句は言えない。私だってキレるかも知れない。

まさかそんなことをする人がいるのか?と思いますが、ブラック・ナザレの記事へのコメントに、「フィリピン人は偶像崇拝するからバカだ。イエスさまも悲しんでおられる」という意味のことを書き込んだ日本人がいたんですよ。

宗教音痴もここまで来ると自殺行為ですね。


2018年3月7日水曜日

やらない自由


「自由」という言葉、大抵の場合、ポジティブで能動的に使われると思います。職業選択の自由、信仰の自由、自由恋愛...などなど。何をしても自由だと言われたら、何かをするのが大前提と考えるのが普通。

ところが、40歳を過ぎた辺りから、敢えてやらないことも自由だと気づきました。早い話が、私が日本を離れてフィリピンに移住することを決めた、一番の理由がそれ。

日本に住まない自由、ストレスを感じることをやらない自由。

最初にフィリピンに住みたいと強く思ったわけではありません。ぶっちゃけて言うと、日本で会社員として働くことに、ほとほと疲れ果ててしまったから。私の場合、工業デザイナーという専門職だったこともあり、新人の頃から、出世したいとか金持ちになりたいという、自然でナマな野心はほとんどなかった。

ただ、いい仕事をして、自分がデザインを手がけた商品を、できる限り数多く世に出したい、とは思ってました。自分がしたいこと、好きなことで、それなりの給料を貰えれば、それ以上何を望むのかという感じ。

入社後の15年ぐらいは、ほぼ希望通りに事は運び、企画台数が何万台の機種も任されたし、海外担当デザイナーとして、東南アジア・中近東・中国・アメリカ・西ヨーロッパなど、約20カ国を飛び回る日々。体力的にはキツかったけれど、ずいぶん充実してました。

それが、40歳になろうかという頃から、会社全体の業績が落ち込み始め。それと同時に私も、まるでメッキが剥げたかのように、何をしてもうまく行かない。担当商品は度々変わり、異動先では上司や同僚といい関係を築けず。極め付けは、どう考えても無理筋の仕事を、組織の方針だからと推し進めるうちに、とうとう鬱を発症。

先の見えないつらい状況から、逃げ出したい一心で思いついたのが、家内の国フィリピンへの移住でした。

とは言っても、自暴自棄になってすぐに国外逃亡を企てたわけでもありません。海外移住と言うより、早期退職が目的。少なくとも年金受給までは、無理せずに食いつながなければならない。逆算すると、どんなに急いでも50歳までは働かなければ。

苦し紛れでも、具体的にあと何年と、はっきりと目標を数値化できたのは幸いでした。何がつらいと言って、見通しのないのが一番つらい。また家内の実家があるネグロス島シライを予定地としたので、生活費がどれぐらいか、気候や食べ物はどうか、などのイメージが明確。それにもとづいて、貯蓄目標金額も算出。

時期とお金の目処さえつけば、ただの夢ではなく、計画に乗せることができます。ここまで考えたら、ずいぶんと毎日の会社勤めが楽になりました。

そういう経緯で、念願の海外移住(日本脱出)を果たしたのですから、フィリピンでは、今まで以上に「やらない自由」を行使しております。分りやすいのが人間関係。ネグロス在住の日本人や、家内の親戚や友達でも、付き合いたくない人とは、絶対に顔を合わせない。ネット上でも、面倒になればブロックして絶縁。

人生の残り時間は、どれぐらいあるのか見当もつきませんが、もう前途洋々なわけはない。限られた自分の時間を、我慢したりストレスに耐えたりといった、ネガティブな感情に支配されながら過ごすのは、もうこりごりですから。



2018年3月6日火曜日

怖くないフィリピン・コミュニティ



出典:GATAG

フェイスブックを始めとするSNSの中など、インターネット上ではたくさんのフィリピン関連コミュニティがあります。私も一時期あちこち探し回って、いろんな場所に首を突っ込んでみました。

最近はフィリピンに関わったり、興味を持つ女性が増えたと言っても、やっぱり多いのは男性。それも中高年が目に付きます。大抵はフィリピン女性と結婚したり、付き合ったりのパターン。フィリピン人の家内と暮らし、今年56歳になる私が、それに対して苦情を申し立てる資格は全然ないのは分かってます。

問題はフィリピンと縁ができた経緯ではなく、コミュニティ内での態度。何かにつけて、フィリピンやフィリピン人への悪口を書き立てる。具体的な事例を上げて、こんなひどい目に遭いました、皆さんも気を付けましょう...だけで終わればいいのに、だからフィリピン人はバカだ、フィリピーナは貞操観念がない、となってしまう。

それは、あなたがわざわざ近づいて行ったフィリピン人が、そうだったというだけでしょ? またそんな投稿を放っておかず、いろんな人が寄ってたかってフィリピン悪口大会。何度も書いてますが、そんなにフィリピンが嫌いなら、日本へ帰るなりフィリピン人と縁を切ればいいのに。

他によくあるのは、「俺はフィリピンよく知っている自慢」。この心理って、フィリピンの日本人会でもあるようです。長く住んでいる方が偉いという感覚。下手に初心者っぽい質問でもしようなら、そんなことも知らんのか、とばかりのマウンティング。

私が一番嫌だなと思うのは、ボランティアでNGOの活動に参加したような若い人の、初々しいフィリピン体験投稿へに対して、冷水を浴びせかける皮肉を返す連中。自分が若い頃に、そんな嫌ごとを言われたらどんな気分がしたか、すっかり感受性が磨耗して思い出せなくなってるんでしょうね。

さらには、女を買った話を始める奴はいるし、ネット上で拾ってきたポルノまがいの写真を投稿して猥談したり。それだけでなく、フィリピンと何の関係もない嫌中・嫌韓で盛り上がり、それを注意したら暴言の吐き放題。信じられないのは、女性や、フィリピン・韓国・朝鮮・中国籍の参加者がいてもこの調子。

若干の例外はあっても、この手の輩は、エエ歳したオっさんばかり。中には、あちこちのコミュニティを渡り歩いて、炎上させたり煽ったりを繰り返している暇人もいるらしい。それに飽き足らず、裏サイトに回ってブロックされた意趣返し。これでは怖くて、投稿もコメントもできない。

もちろんどのフィリピン・コミュニティも、無法状態だというのではありません。管理人さんが頑張って、趣旨と無関係な投稿や、無礼なコメントに対処しているものもあります。ただ人が増えると、それもなかなか行き届かないのが現実。

参加者は少なくてもいいから、フィリピン暮らしに役立つ情報を、普通にやり取りできる場はないものか。と考えているのは、私一人ではなかったようで、たまたまフェイスブックで知り合った、フィリピン関係の何人かの友達も同じような意見。それじゃ自分たちで新しいコミュニティを作っちゃえとばかりに、アイデアを練っております。

ポイントは、国籍や性別、フィリピン経験歴の長短に関係なく、誰もが気軽に質問したり、情報交換できること。KTVや夜のおねーちゃんの話題は禁止。歴史や国際問題について熱く議論したい人も、他所でやってもらう。

そうなるとメインユーザーは、フィリピンで生活する女性、特に日々料理や子育てに勤しむ方々、ということになりそうです。もちろん日本にいても、男性でも、生活者視点をちゃんと持っていて、礼節もTPOもわきまえておられるなら大歓迎。

ということで、時期はまったく未定ですが、健全で怖くないフィリピン・コミュニティを立ち上げたら、このブログでも紹介したいと思います。


2018年3月5日月曜日

バナナがある幸せ

フィリピンを語るブログで、いまさらという気もしますが、今日はバナナについて。以前、私がネグロス島のスーパーで、一房181ペソ(約400円)のバナナを買ったら、家内が高すぎると怒った話を書きました。

これが3年ほど前の話。その後、贅沢に慣れてしまって、最近では一房100〜150(約200〜300円)ペソぐらいのものを、続けて購入するようになってしまいました。と言っても、日本で売られているフィリピン・バナナの価格を調べてみたら、4〜5本しかついていないのが、100〜200円。

さっきメイドさんに買ってきてもらったのが、25本(!)もついていて130(約260円)ペソ。ざっと計算すると1本の値段が日本では20円以上で、こちらでは10円以下。単純比較でも2〜3倍ぐらいの差があることになります。まだまだバナナが安いネグロス島。

ただしこれは「リッチマンズ・バナナ」と呼ばれる高級品。公設市場でよく出回っているのは、モンキーバナナの類の小さなもの。これなら、一房30〜60ペソ。小ぶりながら十分熟したものは、甘くて美味しい。時々小さなタネみたいなのが入ってます。

バナナに限らず、安くて美味しい果物が、いつでも、いくらでも手にはいるフィリピン。パパイヤにジャックフルーツ、パイナップル、メロン、ココナッツにランプータン。書き出すときりがありません。中でも熟したマンゴーが好きなだけ食べられるのは、日本に住む友人には、たいへん羨ましがられます。

私も、家内と一緒になって、年に1回の里帰りをしていた頃には、ネグロスに来る度に毎食後、たくさん食べてました。ところが移住を果たして数ヶ月もすると、毎日だとさすがに飽きる。(こう書くと、思いっきり反感を買いそう...。)

私だけの感覚なんですが、マンゴーが美味しいのは間違いないにしても、毎日食べるには味が強すぎるんですよ。いくらご馳走でも、毎日脂っこいフルコースは無理なのと同じ。これは、ジャックフルーツやパイナップルも似たようなもの。

そこへ行くとバナナは、毎日でも大丈夫。強すぎず軽すぎず、適度に腹持ちもいい。これは、私が小さい頃から食べ慣れているせいもあるでしょうね。学校から帰って、母親に何か食べるものないかと訊いたら、大抵「バナナでも食べとき」と言われたものです。

ただ、買ってから1週間も経つと、熟し過ぎたりアリがたかったり。そこで先月、家内が買ってきたのがバナナ・スタンド。卓上に置いて、バナナ一房を吊るしておけます。


さすがフィリピン、便利なスグレものがあると感心したら、パッケージは普通に日本語が。バコロドのダイソーで売ってたそうです。日本向けだったんですね。なるほどカタカナで「バナナ・スタンド」って書いてあった。

市場で買うだけでなく、我が家の裏庭にはバナナの木が4株植わっています。これは、自宅を建て始めた頃、近所で小さな農園を営んでいた、家内の友達からもらった苗木から育てました。今では、4株のうちの一つには、数ヶ月に一度ぐらい実がタワワに。こちらは、自然に熟すのを待たず、緑色で固いまま収穫し、鍋で煮込んで食べます。


煮るとちゃんと黄色くなりますが、味はバナナというより、甘みの強いサツマイモという感じ。太短くてずっしり重い。朝食にしたら、1本でも十分なボリューム。

ということで、フィリピンの食生活には欠かせない、バナナのお話でした。