2018年1月30日火曜日

日本・フィリピン交流史 予告編


出典:photo AC

2016年度に厚生労働省が発表した「婚姻に関する統計」によると、2015年の日本人の国際結婚(夫・妻のいずれかが外国籍)は、全体で20,976件。そのうち相手がフィリピン人のケースが3,237件だったそうです。

これは、中国人6,478件、韓国・朝鮮人3,834件についで第3位。国際結婚数が4万件以上で、ピークだった2006年に比べると半減した中でも、依然としてこれだけの日比カップルが生まれていることを思うと、日本とフィリピンの交流の絆は、たいへん強いと言えるでしょう。

ただ、離婚もかなりの数に上っているようだし、フィリピンでの事業に失敗したり、恋愛絡みで騙されたりのトラブルも頻発。その絆もやや腐れ縁が混ざっているのかも知れません。

内訳はいろいろあっても、欧米に比べるとすぐ近くで、人の交流も密。特に最近は格安航空会社のお陰で、私がフィリピン通いしていた頃に比べると、ずいぶんと渡航が楽になりました。時間的にも心理的にも、そして経済的にも近い国フィリピン。

ところが、いつから日本〜フィリピンで人の往来が始まり、それがどういう変遷をたどったかを知る人は、フィリピン在留邦人でもどれだけいるか。下手をすると、太平洋戦争中に何があったかの知識もあまりないまま、英語留学でネグロスに滞在する若者もいるようです。

そこで、誰に頼まれたわけでもない私が、自分の勉強も兼ねて、このブログで約400年に渡る、日本・フィリピン交流史について書いてみたいと思い立ちました。と言っても、ネット上に流布されている情報と首っ引きだし、教師の経験があるわけでもない。しかも妙なサービス精神だけは旺盛な関西人の私が書き手なので、教科書に載るようなものにはなりません。

奇説・珍説・暴論・極論の類もドシドシ盛り込んでいきます。なので、このブログの受け売りで人前で喋ったりすると、恥をかくことにもなりかねませんから、その点はご注意くださいませ。

ということで、自分にプレッシャーをかける意味も込めて、投稿内容を事前告知します。

第1回 杉谷善住坊
第2回 ユスト高山右近
第3回 ベンゲット移民
第4回 ダバオ産のマニラ麻
第5回 戦火に引き裂かれた絆
第6回 キリノ大統領の決断
第7回 からゆきとジャパゆき
最終回 再逆転

いきなり「なんじゃそら?」のタイトルもありますが、こうして並べてみると、そんなにふざけた感じでもないですね。万人受けするとも思えませんが、これからしばらく、フィリピンにお世話になっている中高年日本人の、「お勉強」にお付合い頂けましたら幸いです。


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