2019年3月29日金曜日

ミニスカートで卒業式?


前回に引き続き、息子の小学校・卒業式のお話。

日本で、卒業式に何を着て行くかと言うと、男親の場合は、ダーク・スーツか略礼服ぐらいあれば、別に悩むこともないでしょう。フィリピンの場合はもっと気楽で、襟さえあれば、ポロシャツでも大丈夫なぐらい。さすがにジーンズはダメでも、そこそこのスラックスと革靴で大丈夫。

お母さんたちが、そうもいかないのは、日本もフィリピンも変わりません。何週間も前から、わざわざショッピングモールに出かけて、ドレスやらヒールやらの買い物に余念がない。加えて、アクセサリーや化粧品、ヘアケア、ネイルケアなど、かなりな額の先行投資になったりもする。

ただ、インプットへの労力は同じぐらいでも、アウトプットの内容はずいぶん違うようです。

まず日本ならば、選択肢に入る可能性の高い着物。フィリピンだから、テルノやバロン・タガログなどの民族衣装になっても良さそうなのに、私が知る限りでは、子供の入学式や卒業式で、そこまでやる女性は見た事がない。ひょっとしたら結婚式ぐらい、それも相当なお金持ちでもない限り、ちょっと想像できないですね。

また、熱帯のフィリピンなので、ジャケットやスーツも暑苦しい。となると、ブラウスにスカートや、少し凝った柄のワンピース辺りに落ち着きます。日本人が見ても、ごくオーソドックスで、無難な格好が多い。家内も出かける前に、「これ、変とちがう?」と私に確認するのが常。

ところが、中にはブっ跳んだママもいるから面白い。
余裕で膝上のミニスカートに、ノースリーブという人がいるんですよ。それも午前中のミサと卒業式の両方、ドレスを替えても同じ露出度。

まぁ、そこまでやるぐらいだから、スタイルはいいし、それなりに綺麗な人ではありましたが、やっぱり小学校6年生の子供がいる母親。若くても30代の半ば以上の年齢だし、正直、見ててイタかったです。

さすがに、ここまでやるのは限られた人たち。大多数のお母さんは、学校や教会でのドレスコードを守り(ミッション・スクールですから)、膝下スカートかパンツルック。肩は見せないし色や柄も控え目。ご存知ない方のために言っておきますと、観光客でも、フィリピンでカトリックの聖堂内を見学する時は、本来、ショートパンツやタンクトップは禁止なんですよ。

ちなみに私は、と言いますと、日本から持ってきた三つ揃えのスーツもありますが、これはやり過ぎ。あっさりと、黒のスラックスと半袖ワイシャツにネクタイで式に臨みました。こっちでネクタイなんて滅多にしないから、なかなか長さの調整ができなくて、三回も結び直してしまった。

それも、各種の表彰が長引いて延々3時間半にも及び、冷房もない講堂だったので、暑くて途中でノーネクタイ。開襟シャツにスラックスでも、こっちでは十分フォーマルになるから、別に誰も気にしません。最初からやめときゃ良かった。

ということで次回は、事実上の「メイン・イベント」と言っても過言ではない、表彰についてお話します。


2019年3月28日木曜日

フィリピン・ネグロスでの卒業式


昨日(2019年3月27日)、日比ハーフの息子が、地元ネグロス島・シライ市内の小学校を卒業しました。この学校、聖テレシタ学院(Saint Theresita's Academy / 略称STA)は、英語での教育を基本とする私立で、小・中・高校の一貫校。息子は小学校を修了しても、引き続き同じ場所、同じ校舎の学校に通い続けるし、同級生の顔ぶれも大差はないでしょう。

それでもやっぱり、6年目の節目であることには変わりません。ちょうどフィリピン移住直後に、1年生から入学だったこともあって、私にも若干の感慨があります。まぁ、本人は取り立てて思うところはなく、夏休みになって嬉しいだけかも知れません。(フィリピンでは学年が終わってから、4〜5月が夏季休暇)

さて、親として初体験だったフィリピンの卒業式。校長先生やら卒業生代表の挨拶があり、一人づつ卒業証書を貰って、各種の表彰があって...のような、やること自体に、日本のそれと、そんなに大きな違いはありません。

ただ、STAは、校名にカトリックの聖人名を冠することからお判りのように、全体が、ほぼカトリック国であるフィリピンの中にあって、さらに宗教色が強いミッション系。校長を始め、関係者の多くがシスターであり、「Christian's Life Formation / キリスト教徒の生活形成」という、授業科目があったり。

そして、保護者が集まる学校行事ではミサが付き物で、卒業式ともなると、日曜日の朝に行われると同等レベルの礼拝が。昨日の場合、午前中に約2時間の独立したミサが行われました。神父さまが来られるのは当然ながら、聖歌隊と独唱のためのプロ並みの歌手、キーボード奏者も参加。


息子の同級生に、ママ友・パパ友

ミサの後は、一旦全員が帰宅し、お昼を済ませてから再度の登校。これが結婚式のお色直しみたいなもので、ミサでは正装の人に混じって、ジーンズにTシャツ、足元はサンダルの人がちらほらだったのが、今度は全員が、それなりにビシっとした服。午前中にもちゃんとした格好でも、お母さん達はさらにグレードアップ。家内も違うドレスに着替えてました。

さらにすごいのは、女の子がほぼ全員しっかりお化粧。中学・高校も合同の式典なので、16〜18歳ぐらいならまだしも、13歳やそこらの小娘まで、メイクをキメてます。でも、あんまり慣れてないもんだから、だいたいやり過ぎになってしまう。中にはお母さんよりオバちゃん顔になってる子がいるのは、苦笑するしかありません。

もう一つ、日本と大違いなのは、父親の出席が普通なこと。平日の、しかもミサを含めると、丸一日の行事であっても、ざっと見たところ半分以上か2/3ぐらいは両親同席。椅子の背中に貼られた座席指定には、全部「ミスター&ミセス誰々」と名前が印刷。まぁ、これが日本以外、世界の常識なんでしょうね。

私が感じた最大の違いは、緊張感の無さ。日本でこの手の式典って、準備側も出席者も、ガチガチに硬くなって、ちょっとした間違いや粗相でも一生の恥、みたいなことになりそう。ところが、ここでは先生も親も終始リラックス。多少の私語は誰も気にしないし、幼稚園ぐらいの幼い弟や妹が当たり前にいて、その子たちが愚図っても、周囲が苦情を言うこともない。

中にはお菓子を持ち込み、ママ友・パパ友と分け合って、式の最中に軽くミリエンダ(おやつ)をしたりもする。さすがに大声で談笑、とまではいきませんが。

これがフィリピン全体、どこでも同じなのかどうかは分からないけれど、恐らく、日本人学校などを除けば、似たような雰囲気だろうと想像されます。

それに加えて印象的だったのは、ミサの説教の途中、神父さまが生徒の席まで降りてきて、何人かの子に「将来、何になりたい?」との質問への答え。パイロットとか、コックさんなら、日本でもあるでしょうど、国を守るために軍に入りたい、薬物犯罪者を逮捕するために警官になりたい、あるいは神父さまになりたい、と言う子供は、滅多にいないでしょうね。

ということで、次回は卒業式での服装について、もう少し詳しくレポートします。


2019年3月25日月曜日

息子と観るDVD

フィリピン移住前は、早期退職することもあり、暇を持て余すだろうと想像しておりました。なので、数千冊に及ぶ蔵書を、丸ごと引っ越したり、WOWOWなどのBSで放送された映画を録り貯めて、ディスクにダビングしたコレクションを持って来たり。音楽CDも、ずいぶんたくさん運びました。

結果から言うと、ブログやイラスト描き、料理にTシャツのデザインなど、移住してから始めた事が忙しく、全然思惑とは違った生活となりました。それでも書籍は、月に1〜2冊のペースで読んでいるし、音楽はよく聴いているので、無駄になった感じはないけれど、キンドル、アイ・チューンズで、いくらでも新刊、新譜がネット購入できてしまいます。

その中で、唯一、運送費を払った以上の価値があったと思えるのがセルDVD。特に一つのテレビドラマのシリーズ全部を収録した、DVDボックスをよく鑑賞しております。それも、一人ではなく、最近はもっぱら小学校6年世の息子と観るのが、夕食後の習慣化。

まず最初に観始めたのが、スタートレック。1960年代から放送が始まった、オリジナルシリーズ(3シーズン)だけでなく、第2期の「新スタートレック」、「ディープ・スペース・ナイン」「ボイジャー」(各7シーズン)「エンタープライズ」(4シーズン)を全て日本語字幕付き版を購入済み。

買った時には、家内が呆れ返ってましたが、これはいい買い物でした。息子がすっかりハマって、私の父を含めると、親子3代のトレッキー(スタートレックファンの名称)。次の一時帰国では、最新シリーズ「ディスカバリー」の入手を目論んでおります。

それ以外の定番は日本のアニメ。
「未来少年コナン」「宇宙戦艦ヤマト2199」「攻殻機動隊」(2シーズン)、そして言わずと知れた、スタジオ・シブリ映画の数々。地元の子供や若い人にも人気の作品があって、時々みんなで観ることも。


出典:Yamato Crew

こうなると、50インチの液晶テレビと、5.1チャンネルのサラウンドの真価が発揮されますね。大きなリビングを作って、本当に良かったと思える瞬間でもあります。昨年は、昔のNHK大河ドラマ「黄金の日々」を、毎週日曜日の夜に1エピソードづつ観たりもしました。途中で見忘れたりして、1年と2ヶ月ほどかかってしまいましたけど。

振り返ってみると、私たち親子が楽しんでいる映画やドラマって、続編やリメークが多い。私が子供の頃、映画の続編は、失敗作の代名詞みたいな言われ方をしていたような記憶があります。

例えば、衝撃的なラストシーンで有名な「猿の惑星」。チャールトン・ヘストン主演の第1作の出来は素晴らしかったけど、全部で4本作られた続編は、私の感想としては、どれも蛇足。「続・荒野の7人」然り、「宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」然り。所詮、柳の下のドジョウは1匹だし、二番煎じのお茶は不味かった。

もちろん、よく出来た続編がなかったわけではないけれど、どちらかと言うと少数派。そんな印象が払拭されたのは、スターウォーズの興行的な成功以来だったように思います。ルーカスは最初から「全9作」と公言してました。

よく続編やリメークで、最初の作品への敬意や愛情がないとダメだと言われますね。私がそれを実感したのが「宇宙戦艦ヤマト」。1作目には熱狂したけど、第2作以降、ご都合主義が露骨過ぎて、すっかり観る気が失せてしまい、久しぶりの新作にして初の実写版には、心底ガッカリした私。

ところが、私とほぼ同世代の出渕裕さんが総指揮を務めた「宇宙戦艦ヤマト2199」は、ヤマト愛に溢れてました。昔のファンが「ここだけは変えちゃダメ」と感じるツボを、キチンと踏まえた上で、大胆で新しい解釈や表現手法を駆使。やっぱり息子にもそれが何となく伝わったようで、ずいぶん気に入ってます。

ということで、フィリピン移住のお陰で、家族、特に息子と過ごす時間がたくさん持てる今、これからも一緒に、映画やドラマをDVDで楽しみたいと思っております。日本語字幕なしでも大丈夫な英語力を、身につけておけば、もっと良かったんですけどね。


2019年3月23日土曜日

我が家のメイド、ライラの憂鬱


早いもので、通いメイドのライラおばさんが、我が家で働き始めてから、すでに9ヶ月近くが経過しました。それまでの、10代や20代前半の歴代メイド4人に比べると、最初から仕事は慣れてるし、無断欠勤もない。さすが、クウェートでのOFW(フィリピンからの海外労働者)経験は、伊達ではない。

見た目からはまったく想像できないけれど、お祖父さんが太平洋戦争時の残留日本兵だという日系3世。22歳と13歳の二人の息子さんがいて、その父である元夫とは別居中。なかなか波乱に富んだ人生を送ってきた44歳。

下の子と同い歳ということもあり、私の息子がやっぱり可愛いらしく、学校への弁当の配達やお迎えは、ちょっと時間より早く行って、同業のヤヤたちと「雇い主の子供自慢」をやっているそうです。

また、当初は食わず嫌いで、私の作った日本食を敬して遠ざける、みたいな感じだったのが、最近では、カレーやら素麺など自分から食べたいと言うようになりました。特に餃子はずいぶん気に入って、これは商売になりますよ、と太鼓判。

とまぁ、だいたい機嫌良く、毎日の仕事をこなしているライラなんですが、ここ最近は、ちょっと憂鬱なことが続いているみたい。

もう1ヶ月以上、ほとんど雨が降らず、連日乾燥した晴天が続くネグロス島。今月半ばには、ミンダナオに上陸した熱帯低気圧の影響で、数日曇り空で、一晩だけかなり激しい雨があった以外には、カラカラ陽気。

案の定ライラは、咳やくしゃみが止まらない。まるで日本の花粉症みたいなことに。実はネグロスでも、数は少ないものの、サトウキビの焼畑から出る粉塵にアレルギー症状を起こす人がいて、どうやらライラもその一人。見ていて気の毒になります。

それに加えて、家族内でのトラブルも。
我が家にも何度か、連れて来たことがある下の子供。この子が結構やんちゃ坊主で、学校から度々呼び出しを食らって、その度にライラ・ママは仕事を早引き。教室でクラスメートと喧嘩したとか、成績が良くないとか。

それだけでなく、上の兄ちゃんが大人なのに問題児。彼は、シライから車で1時間ほどの場所にあるバゴという町で、叔母さん(ライラの姉妹)と同居しています。商船大学を卒業後、船員になるテストに失敗。別の学校に通っている...はずが、叔母さんにも内緒で学校に行かず、遊び呆けていたことが発覚。

喜怒哀楽をストレートに表に出すライラおばさんは、家内に「あの、バカ息子が!」と涙ながらに語ってました。

この人を見ていると、つい思い出してしまうのが、昔、上方落語家の笑福亭仁鶴さんが歌った「おばちゃんのブルース」。若い人は、ひょっとすると仁鶴さんの名前も知らないかも知れませんね。

この歌は、仁鶴さんのギャグを元にした「どんなんかなぁ」のB面に収録された、ちょっとしみじみする歌。ビルの清掃婦として働く、大阪のおばちゃんの独白というスタイルで、一人息子を自慢の種に、毎日黙々と働く女性の半生を綴ります。これ、なかなかいい歌なんですよ。

その歌詞の中に、就職なのか結婚なのか、意見の衝突があって、一人息子がおばちゃんから離れていってしまう、という部分があります。それが、家の床をモップで掃除しているライラの姿と、重なって仕方がありません。

40代の半ばと言うと、日本でもフィリピンでも、何かと気苦労が重なる年齢なんでしょうか?


2019年3月22日金曜日

壊れたメガネ

自慢にも何にもなりませんが、私はかなり度のキツイ近視です。今日は、その生活必需品のメガネが、ぶっ壊れてしまったというお話。


私は父親に似たのか、子供の頃から本の虫で、寝る前に暗い中での読書三昧。家にある子供向けの書籍は、小学校の低学年までには読み尽くし、図書館を利用したり友達に借りたり。それだけでは供給に追いつかないもんだから、父の書棚にある本を、片っ端から読み漁りました。

もちろん子供が読むようなものばかりではなく、天文学や物理学、時代小説に太平洋戦争関連のノンフィクション。宗教や政治、セックスに関する内容まで乱読状態。今にして思えば、10代前半の私は、何についても変に耳年増で、鼻持ちならない嫌なガキだったもかも知れません。

当然の報いのように、中学進学の頃には視力が0.6。メガネ無しでは黒板の文字が見えにくくなってました。だからと言って、読書癖は治るわけはなく、高校・大学と順調に視力は落ちて、大人になった時にはもう両眼0.1以下。

さらに1980年代から、仕事でコンピュターを使う頻度が上がり、連日10時間以上もディスプレイを見つめる日々。仕事辞めた後も、このブログもそうだし、趣味のイラストもパソコンで描画。それに加えて朝から晩までスマホに依存で、もう50年以上も眼を酷使しております。

20代の中頃から使っていたコンタクトレンズも、最近は老眼が入ってきて、使えなくなってしまいました。遠近両用のコンタクトはあるものの、ハードレンズだけ。何度か試したけれど、私はどうしてもハードが受け付けない体質のようで、結局今はメガネだけが頼り。

移住前は、コンタクトレンズやメガネって、日本と同じように購入やメンテナンスができるのかが不安でした。でも実際のところ、どっちも問題なし。コンタクトなんて、日本みたいに眼科医院以外では取り扱えないなんて、時代錯誤な規制がないせいか、ずっと安価なぐらい。しばらくの間は、1セット数千円の1年使い捨てレンズを愛用してました。

メガネの場合、レンズもフレームも、日本製を含む外国製品が普通に流通しています。特にレンズは、HOYAやセイコーがポピュラー。ネグロスの物価からすれば高級品ながら、庶民に手の届かない、というほどでもありません。

そんなわけで、50歳の年に移住してすぐに、こっちのメガネ店で、人生初の遠近両用メガネを作りました。何しろ年中夏のネグロス島。セル型の太いフレームだと圧迫感があるし、暑くて仕方がない。自然とフチなしのツーポイントと呼ばれる型になります。

ところがツーポイントは、軽くて、顔の印象が変わらない反面、どうしても作りが華奢で、レンズもフレームも破損しやすいのが難点。使い始めて6年で、レンズのコーティングはかなりハゲてしまい、遂には右側の鼻当てパッドが脱落してしまったという次第。

老眼もちょっと進んで、スマホの表示文字などが読みにくくなっていたこともあり、先日、重い腰を上げて、隣街の州都バコロドにあるショッピングモールに、メガネを新調しに出かけました。

さて、キツめの近視に遠視の度も入り、プラスティックレンズで、厚みを抑えてとなると、かなり特殊な仕様になります。レンズだけでもざっと3万円以上。家の増築も控えてるし、出費は控えたい時期なんですけどね。

値段だけなく、特注になるとのことで、納品までが10営業日というのには参りました。壊れたメガネフレームは、構造が繊細過ぎて修理もできない。かと言ってメガネなしだと、料理もできないし、危なくて散歩も無理。仕方なしに、6年ぶりに昔の近視専用の、ごっついセルのメガネを使うことに。


決して安物ではなく、レイバンのいい品物。それが証拠に、長いこと放置していたのに、まったくどこにも不具合がなく、普通に使えました。ただ前述のように、圧迫感があって、セルフレームが触れている部位が、すぐに汗ばんでしまいます。もうネグロスは真夏ですから。しかも、近くは見えないし。

ということで、来週末まで残り1週間。不便でストレスの溜まる生活が続くことになります。


2019年3月20日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 人造美女キカイダー


前々回から前回のフィリピン美女図鑑は、ずいぶんと間隔が空きました。それを挽回するというわけでもないけれど、今回は2週間で新作投稿です。

今日のお題は、アンドロイド美女。アンドロドやサイボーグといった、人間の姿を模した機械、あるいは半機械化された人間のイメージが登場したのは、私の知る限り、1927年(昭和2年)のドイツ映画「メトロポリス」での、女性型アンドロイド、マリアが最初じゃないかと思います。


出典:San Francisco 

白黒サイレントながら、半世紀は時代をぶっ跳んだ、強烈なビジュアル・インパクトで、その後、各分野のアーティスに多大なインスピレーションを与えました。1984年には、音楽プロデューサーのジョルジオ・モルダーによって再編集と新しいサウンド・トラックが付加されたバージョンが公開。大学生だった私は映画館で鑑賞。今は亡きフレディー・マーキュリーの主題曲が入った、CDも購入しました。

ちなみに、このマリアの姿が、スター・ウォーズのC3POに、ほとんどデッドコピーのレベルで転用されたのは、有名な話。



それ以降ではずっと時代が下って、ユル・ブリナーがガンマンの姿をしたロボットを演じた、ハリウッド映画の「ウェスト・ワールド」(1973年)や、主演のリンゼイ・ワーグナーが日本でも大人気を博した「地上最強の美女 バイオニック・ジェミー」(1976年)が、白眉でしょう。



ところが、この分野では、日本のコミックの方が圧倒的に進んでいたようです。何と言っても手塚治虫さんの「鉄腕アトム」の存在感は抜群で、初出が1952年(昭和27年)というから驚き。


出典:CNET

そこから現在の日本アニメ全盛に至るまで、平井和正さん原作・桑田二郎さん作画の「エイトマン」(1963年 / 昭和38年)、数年前にも新作アニメが作られた、石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」(初出1964年 / 昭和39年)、松本零士さんの「セクサロイド」(初出1968年 / 昭和43年)、以前にこのブログでも取り上げた、永井豪さんの「キューティハニー」(初出1973年 / 昭和48年)などなど、枚挙に暇なし。



比較的最近では、士郎正宗さん原作で、1995年に押井守さんが監督した映画「攻殻機動隊」が、世界的にヒットし、今まさに公開中の、ジェームス・キャメロンさん製作の「アリータ」は、1990年から連載された、木城ゆきとさんの「銃夢(Gunnm)」が原作。


出典:Fox Movies

コミックや映像作品以外で、ホンダ技研のアシモ、ソニーのアイボが、日本から発信されたのは、偶然ではないでしょう。また、日本のオリエント工業が、恐ろしいほど精巧に女性の身体を再現した「ラブ・ドール」を創出したのも、根っこは同じなんじゃないかと思うぐらい。

そんな、アンドロイド・サイボーグのイメージの中でも、私にとって、一番印象的な造形だったのが石ノ森章太郎さんの「人造人間キカイダー」(初出1972年 / 昭和47年)のジロー。

良心回路が不完全で、未完成のまま誕生した「悩めるヒーロー」という設定が、キカイダーの外観にも表現されているのが凄い。主役が左右非対称で色が違うって、ちょっと考えつかないアイデアですよ。しかも、未完の左半身には、部分的に機械が見えている。

今では、こうした人間+機械のハイブリッドな姿は、映画「ターミネーター」「AI」で見られるように、リアルな映像化が可能ですが、70年代日本の実写版テレビ番組では、ずいぶんと苦労してましたね。やっぱり石ノ森さんの発想は、ちょっと早すぎたのかも知れません。

と、いつもにも増して、長い前振りを延々と書いてしまいました。要するに、キカイダーをリアルに、しかも女性型アンドロイドとして描こうというのが、というのが私の目標。

とは言え「美女図鑑」なので、あまりメカニック的になりすぎないよう、女性的な魅力をできるだけ残したい気持ちもありました。なので、右半分の表情は人間そのままで、長い黒髪も。メカの露出は、ほぼオリジナルのキカイダーに沿って、頭部以外、チラっと見える程度に抑えました。


ただ、ここまで要素を詰め込むと、フィリピン美女かどうか、よく分からなくなっちゃいますね。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年

2019年


2019年3月17日日曜日

渇水フィリピン


マニラ首都圏で、給水を待つ市民の行列

数日前に、旱魃になるかも知れないなんて、呑気な投稿してたら、マニラ首都圏とその周辺では、とっくに深刻な事態になってたんですね。

テレビでは連日「水危機」の文字が躍る、渇水のニュース。畑は干上がりダムは最低水位を記録。この金曜日(3/15)からは計画断水も始まったらしい。勉強も仕事もできないほどらしく、病院では新生児のための産湯すらないとか、制服を洗濯できないので、学校が私服通学を認めたとか。

貯水池のダムからの放水をめぐって、ドゥテルテ大統領の怒りが爆発したとの報道もありました。そのタイミングで、マニラでは俄雨が降ったので、家内は「ドゥテルテが怒ったから、雨が降った」なんてジョークも。

まにら新聞の記事によると、これはマニラ・ウォーター(首都圏を管轄する水道会社)が、水道代の値上げを狙って、意図的に放水をしないからだとの噂も飛び交うほど。

それだけでなく、マニラ在住の日本人の友人・知人の方々が、SNSに「ウチのコンドミニアムでも、○時間の断水があった」との投稿が。不思議なもので、ニュースだけだと、どことなく他人事なのが、生の声に接すると、俄然、差し迫った感じがしてきます。

ここネグロスでも、前回書いた通り、2/14のバレンタイン・デーに降ったきり、ホワイト・デーを過ぎても乾燥した晴天続き。これを書いている日曜日(3/17)の朝は、久しぶりにどんよりと曇ってますが、降りそうで降りません。

私たちの住むシライ市内では、今のところ断水の話はなく、地元生まれの家内の知る限り、今まで水が出なくなったことはないようです。目立った湖もダムもないネグロスなのに。ただ、山間部は今でもジャングルに覆われ、保水力が大きいんでしょうね。

地元で、マウンテン・リゾートとして知られている、ランタワンやパタッグに行くと、谷合をたくさんの川が流れ、私の地元から近い、箕面の滝を彷彿とさせる景観もあちこちで見られます。マンダラガンやカンラオンの山並みに感謝しなければなりません。

とは言え、ここネグロスでも、渇水の影響は出ていて、このところ、野菜や果物の値段がジワジワと上昇。それに加えて、最近やたらと火災が多い。空気が乾燥し切っているのに、相変わらずどこでも焚き火をするもんだから、家屋に延焼したりするんでしょうか。

少し前には、電柱に火が燃え移って断線。そのため我が家を含む周辺の住宅で、数時間に及ぶ停電があったり。

いずれにしても、もうすぐ4月。本来のフィリピンの夏が始まろうという時期。つまり、ここから2ヶ月、6月に入って雨季が来るまでは、例年でも雨が少なく暑い日が続きます。今年はかなり大変な乾季になりそうですね。


2019年3月14日木曜日

何でも禁止で思考停止


本来有償の電子化されたコミックや映画などが、違法にネット上に投稿されることが問題になっています。これは日本に限ったことではなく、世界的な風潮。日本のアニメや韓国のドラマがフィリピンでも大人気なのは、そのお陰と言ってもいいぐらい。

若いフィリピンの人達に、どうやってアニメを見ているかと尋ねたら、まず百発百中で「ユーチューブで」と答えるでしょう。例えば一昨年、こちらでもヒットした「君の名は。」。フィリピンの映画館で公開されるずっと以前に、英語字幕付きがネットで閲覧できてました。

私はやっぱり、パソコンやスマホの画面でチマチマ観るのは嫌なので、真面目にお金払って映画館に足を運びましたけど、今から思えば、あれだけ評判になっていたのに、バコロドのシネコンではガラ空きだったのは、みんなネットで見ちゃってたからなんでしょうね。

最近では、私ですらテレビ向けの日本アニメは、ネットで見るのが癖になりました。新作、旧作を問わず、ほとんど何でも観られるし、スマホの小さな画面ならば、データ量も少なくて済むので、ほぼストレスなく鑑賞可能。ただし、定量制サービスの1日7GBの制限付きなので、一度にまとめて何本も、というわけにはいきませんが。

ちなみに、国別にフィルターがかけられているようで、お膝下の日本では、ほとんどが閲覧不可になっているようです。

それにしても、ここまでの状況になってしまうと、従来の、コミックや映画をパッケージ化して販売するという、ビジネスモデルそのものを見直す時期でしょう。現に日本でも、CD、書籍、新聞などが売れなくなって久しい。

ところがお役所や業界の偉いさんというのは、これを新しいビジネスチャンスだと考える頭はまったくないようです。判で押したように守りの姿勢で、現状を変えるのはすべて禁止。まぁ、この話は明らかに違法なので、取り締まり自体は、間違った対応ではありません。

ところが、何をトチ狂ったか日本の文化庁。アップロードではなくダウンロードを違法にする法律を作ろうと言い出しました。スクリーンショットもダメというから驚きます。これのどこが狂っているのかは、私のようにネットを活用して創作活動をやっている人なら、説明する必要はないでしょう。本気で遵守したら、恐ろしく不便になること間違いなし。

案の定、一番の被害者であるはずの漫画家の方々から、「誰が頼んだよ、こんなの」との声があがり、幸いにも一旦は沙汰止みになったそうですが、この考え方って、今回に始まったことではない気がします。

真っ先に思い出したのは、公園の禁止事項。ちょっと検索してみたら笑うしかないような内容ばかり。禁煙・火気厳禁、ぐらいは分かるにしても、自転車進入、犬の散歩、スポーツに飲食もダメ。果ては、遊戯に写真撮影も許されないって、何のために公園があるんだか。

それだけなく、学校の校則にある服装や髪型に関する決まり事や、エスカレーターの片側開ける件、個人情報の取り扱いなどなど。とにかく、ちょっとでも面倒な話は、根こそぎ禁止する方向に振れている。これって社会全体が思考停止してますね。これでは自分で考えて判断する能力が、どんどん退化してしまう。

その結果なのか、フィリピンに渡航する日本人の中には、短期の旅行者も長期滞在者も含めて、危険に対する感覚が著しく鈍い人を時々見かけます。カバンの持ち方、道の歩き方といった基本的なことだけでなく、土地・家屋の購入や起業で、大損する日本人が後を絶たないのも、自分の身は自分で守るという意識が、低いからとしか思えません。

ただ、視点を変えると、規則でがんじがらめになっていないフィリピン(特に田舎のネグロス島)では、行動がとても自由。結果に対するリスクを負う覚悟は必要ですが、そもそも普通に生きていれば、人生のすべては「自己責任」。改めて言われるまでもありません。

規則で決まっていなくても、やったらアカんことぐらいは、日本でもフィリピンでも、自分の頭で考えれば分かると思うんですけどね。


2019年3月12日火曜日

雨が降らないネグロス島


フィリピンでは例年、乾いた好天が続き、1年で最も気温が高くなるのは4月から5月にかけて。年中夏と思われるフィリピンでも、地元の人がこの時期を敢えて「夏」と呼ぶほど、際立った暑さになります。

ところが今年(2019年)は、丸1ヶ月以上も夏が前倒し。ここネグロス島シライ市で、最後に雨らしい雨が降ったのは、たしかバレンタインデーでした。もう4週間も雨なし。ネグロスだけでなく、フィリピン全土で旱魃の警告が出されるほどの状況。地域によっては、40度超えで、規模の大きな火災も頻発しているとの報道も。

どうやらこれは、最近すっかりお馴染みになってしまったエルニーニュ現象(東太平洋の赤道付近での海水温上昇)の影響らしい。

一般にエルニーニョが起こると、日本では暖冬・冷夏、フィリピンでは旱魃となるとのこと。でも調べてみたら、そんなに単純なパターンでもなく、エルニーニョの年に、日本で猛暑になったりすることも。それと関係なく、最近の日本は、毎年猛暑のような気もします。

そういう地球規模の原因はともかく、シライの自宅でさえ、空気が乾燥しているのが実感されます。もちろん冬場の大阪みたいな、乾燥肌になるほどのレベルではないにしても、洗い物の後の手や、唇の周囲が乾いた感じ。洗濯物が一撃で乾くのは助かりますけどね。気温が30度超えで乾燥するというのは、関西地方にいた頃には、経験したことがない感覚。

湿気がないし、マニラなどの都会に比べると、緑が多く舗装道路は少ないネグロス。暑いと言ってもせいぜい30〜32度ぐらい。湿気が少なく、季節風が吹き抜けて、体感温度も不快指数も高くありません。エアコンなしだと、室内でも命の危険を感じるような日本の真夏に比べると、格段に快適。

前回投稿した、お隣の新築工事など、この天候の恩恵を一番享受しているでしょうね。特に基礎やコンクリート打ちが終わり、屋根ができるまでは、強い雨では仕事になりませんから。日差しがキツくて、作業が厳しいのは痛し痒し。

ただ、こうなると、隣島のセブやパナイでは、そろそろ断水の心配をしなくてはなりません。最近では2016年に深刻な水不足が発生し、セブ州では非常事態宣言が出されたほど。

幸運にもネグロス島では、島の中央にある山岳地帯のお陰か、平地では晴れていても、山頂付近には雨が降っていることが多く、家内に聞いても、シライ市内で断水になったことは、記憶にないそうです。

とは言っても、農業への影響は間違いなくあるでしょうし、咳やくしゃみなど、呼吸器系の不調を訴える人も増える。メイドのライラおばさんは、先週の金曜日に体調を崩して1日お休み。

いずれにせよ、あんまり極端な天候はよくないですね。気分的にも、もうそろそろ、まとまった雨が欲しくなってきました。


2019年3月10日日曜日

一足先に隣が着工


裏庭でのゲストハウス建設計画を横目に、一足先のタイミングでお隣さんが家を建て始めております。この宅地、アメリカ人と結婚したフィリピン女性の名義になっていました。

数年前に、その人が離婚して宅地を売りに出すので、購入しないかという話も。さすがに家を建てたばかりだったし、まだ、もう一軒建てるのに十分な土地も残っていたので、それには乗りませんでしたが。

ところが約1ヶ月ほど前の、今年(2019年)2月初旬。突然、大工さんと思われる数名の人たちが、ボウボウに生えていた草や木を伐採し、仮小屋を作り始めました。メイドのライラ経由で訊いてみると、ついに住宅建設の開始だとか。

宅地オーナーも替わったようで、まだ赤ちゃんの子供さんがいる、若いフィリピン人夫婦。まだ直接会ったことはないものの、2階建てで、総床面積が100平米ちょっとぐらいの建物サイズから考えて、「大金持ち」という感じでもないらしい。

正直に言って、今住んでいるサブディビジョンでの経験からすると、必要以上に金を持っているフィリピンの富裕層って、常識のない人が多い。僅かばかりの共益費を払わなかったり、週末の深夜に、生バンドを呼んで庭でカラオケパーティをやったり。これが上手ならばまだしも、歌が可哀想になるぐらいのレベル。

逆にあまりお金に余裕がないと、借金を頼まれたりするので、それを考えると、ここシライ市内では、中の上ぐらいの人たちが一番付き合いやすいと思われます。

それはともかく、まるでお隣さんの着工に合わせたように、3週間ほど雨らしい雨が降らず、大工さんたちにとっては、仕事がはかどる天候続き。コンクリートミキサーを回すゴロンゴロンという音は、やや鬱陶しいものの、こればかりは仕方がない。


長らく緑一色だった
ベランダからの風景も様変わり

大工さんや、たまにやってくる現場監督らしきオジさんは、フレンドリーで礼儀正しいので、許容範囲ですね。

とまぁ、身近なところで工事が始まってしまうと、まったく無関係ながら、こっちでも新しい家を建てる計画を進めている身としては、何となく早く大工さんの招集をかけないとと思ってしまいます。

いずれにせよ、好天に恵まれた期間を無駄にせず、私たちも早めに着工したいですね。


2019年3月6日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 天使は舞い降りた

このブログ自体、更新頻度がめっきり下がったいるだけでなく、かれこれ4ヶ月以上もご無沙汰だった美女図鑑。たいへんお待たせしてしました。ようやく新作の完成です。

昨年末から、いろいろと頭を悩ませるような出来事が続き、やっと年が明けて、心機一転巻き直しと思ったら、ネグロス在住の友人が急逝したり、運営に関わっていたSNS内のコミュニティから脱退を余儀なくされたり。

もちろん、私の移住生活全体を見渡せば、まぁまぁ順風満帆で、そんなに悲観するようなこともないけれど、何となく嫌ぁな感じが付きまとっております。そこで、ちょっと験直しというわけで、天使のイラストでも描いてみようと思い立ちました。(我ながら安直な発想ですね。)

天使というと一般的には、無垢な子供とか、若い女性、それもあんまり肉感的ではなく、清楚でほっそりした女性となるかも知れません。ところが本来、天使には性別はないものとされ、19世紀頃までの宗教画では、どちらとも取れるような表現が常だったそうです。女性っぽくするにしても、敢えて胸の膨らみは描かないのがルール。

そもそも英語のエンジェル(Angel)の語源は、ギリシャ語の「アンゲロス」(伝令)に由来。日本語訳の「天使」、つまり天からの使者は、忠実な翻訳。聖書にも、しばしば天使は登場し、中でも最も印象的なのは、受胎告知で有名な大天使ガブリエルでしょう。ちなみにカトリックでは、日本を守護しているのは、大天使ミカエルとされています。

とまぁ、例によって御託を並べてしましましたが、私が描くので、近づき難い聖なる天使となるわけはなく、ずっと後になって創作されたイメージの、翼があって美しい女性、となるのは当然のこと。ハリウッド映画で言えば「天使とデート」(原題 : Date with an angel)で、フランス出身の女優エマニュエル・ベアールさんが演じた、セクシーでキュートなエンジェルと言ったところ。

最近では、高級下着メーカーの「ビクトリアズ・シークレット」と専属契約したモデルをエンジェルと呼ぶことから、そっちを連想する人も多いでしょう。


ということで、昨年のハロウィンに描いた、禍々しくも美しい、蝙蝠の翼を持ったヴァンパイアを、ネガポジ反転させたのが今日のイラスト。セクシー路線は相変わらずの、罰当たり野郎ながら、白い翼に天使の輪という「記号」を添えたら、それなりに神々しい雰囲気が醸し出されたように見えるのが不思議。

もちろん金髪・碧眼ではなく、フィリピーナをイメージした長い黒髪に黒い瞳。肌はほんのり褐色。さて、これで、今年の験直しができたでしょうか?


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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