2018年6月23日土曜日

愛国心をプレゼンテーション



出典:MindaNation

愛国心、フィリピノ語でパグカマバヤン(Pagkamabayan)、英語ならばパトリオティズム(Patoriotism)。昔、ハリソン・フォード主演の映画で「パトリオット・ゲーム」というのがありましたね。パトリオットとは愛国者の意味。ミサイルにもパトリオットと名付けるアメリカ人は、すごい感覚の持ち主。

現代日本では何を書いても、左右両方から文句を言われそうな、この可燃性の高い言葉。太平洋戦争中は、愛国心の名の下にたくさんの若者が死地に追いやられ、戦後は、この言葉を使っただけで、前後の文脈と無関係に軍国主義者の烙印を押されかねない。

息子が通う、ネグロス島シライ市内の小学校、聖テレシタ学園で、小学校6年生向けの課題として出されたのが「愛国心についてのプレゼンテーション」。金曜日にお題をもらって、土日の間に準備。週明けの月曜日に、先生やクラスメートの前で発表するそうです。

日本の小学生に同じ内容の課題を出したら、それこそ右からも左からも、総攻撃を受けることでしょう。実際、ここ最近は、愛国心を教育するべきか否かの議論が、あちこちで聞こえてきます。しかし、私が感じる限り、フィリピンで愛国心を語るのは、それほど政治的でもなければ、過激なことでもない。

ご存知の通りフィリピンは、まだ一つの国としてまとまってもいない、16世紀後半からの300年以上に渡ってスペインの植民地となり、19世紀末にやっとフィリピン共和国としての独立を果たしたと思ったら、すぐにアメリカ、日本によって立て続けに占領されました。

つまりフィリピンでの愛国心とは、他国の侵略や、自国民を死に追いやる道具として使われたことはなく、支配者への抵抗と同義の言葉。今でも、対テロリスト戦争の犠牲になった兵士たちを悼むために、愛国心という言葉を使うのは当然で、誰もその言葉尻に引っかかったりはしません。

「お国に命を捧げる」みたいな、極端な状況は別にして、ここで言う愛国心とは、もっと自然な感情に根ざすこと。誰しも自分の生まれた街や地域には、愛着があるもの。日頃はそれほどではなくても、隣街や他の地域の者から、故郷のことを悪し様に言われれば、ムキになって反論するでしょう。少なくとも嬉しいとは思わないはず。

我が街や村、日本ならば生まれ育った都道府県を愛するのは、そんなに不思議なことではありません。私だって、塚口大好きだし、尼っ子(尼崎出身者)と呼ばれて嫌な気はしない。フィリピン移住後でも同じ兵庫県の人と会えば、それだけで意気投合し、関西人としての誇りは人一倍持っている。以前に投稿した、阪急電車の話にしても、やっぱりこれは一種の郷土愛に他なりません。

ただし、私にとっては顔を思い浮かべることのできる人とか、街並みや山河など、具体的な対象抜きで、抽象的な愛国心などは持つことは無理。象徴としての国旗・国歌には敬意を払うし、人間である天皇陛下の人柄に親しみを覚えても、色も形もない「国家」には、忠誠心などカケラも感じない。

この辺りが、一般のフィリピン人の感じる愛国心とは、微妙に色合いの異なる部分。想像するに、シライ市民が自らをシライノン(シライっ子)と自認し、ネグロス島出身者ネグレンセであることに誇りを持つことの延長で、フィリピン共和国と国家そのものに、愛着を感じるのかも知れない。分けて考えることは難しそう。

さて、日本・フィリピンの両方にルーツを持つ息子の場合は、どうなのでしょう。日本で生まれて小学校1年生までは完全に日本。見た目もハーフっぽくないし、言葉が早かったので、移住する頃には中学生ぐらいの漢字の読み書きができてました。今でも、私が読んでいる日本語の小説やノンフィクションはスラスラ読みこなしてます。

つまり、母語としての日本語は、息子の頭の中ではほぼ完成しているし、日本に住んだ記憶もちゃんとある。いじめられたり差別された経験もない。自分は日本人だというアイデンティティが確立しているのは間違いないでしょう。

その一方、今では母の国フィリピンに住み、フィリピノ語はまだ怪しいけれど、英語はネイティブ並み。こちらでも差別はなく、もう人生の半分はネグロス暮らし。もちろんフィリピン国籍も保有してます。

ということで、息子が「愛国心」をテーマに、一体どんな内容のプレゼンするのか、親の身としては大変気になるところ。母親に促されて、英語で原稿を書いているようですが、完成したら発表前に読んでおきたいところです。


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