2016年12月30日金曜日

フィリピン・ペソ紙幣のこと


紙幣切り替えを伝えるポスター

フィリピンでは、今年(2016年)いっぱいで、フィリピン・ペソ紙幣の切り替えが完了する...はずだったのですが、この年末ギリギリのタイミングになって、3か月延期になりました。さすが我らのフィリピン中央銀行、行き当たりばったり加減は、もう神がかりの域に達しています。

1985年から流通が始まった旧ペソ紙幣と、2010年からの新ペソ紙幣が二重に使われているフィリピン。6年がかりの紙幣切り替えの最終年が今年の予定でした。当初の手筈では、明日大晦日で旧紙幣は使用不可。つまりいくら大量に持っていても、全部紙くずになってしまうという恐ろしい事態。かなり以前から注意喚起が。

理由は、偽造の防止。日本でも同じ理由で時々紙幣の切り替えがあるそうですね。しかしフィリピン・ペソ紙幣の場合は、世界でも最高水準の印刷技術を駆使した日本の紙幣に比べて、かなり偽造が容易。以前から問題になっていました。普通に買い物してても、高額紙幣の500ペソとか1000ペソは、レジのおねぇちゃんが透かしを確認するのは当たり前。

そんなドタバタ騒ぎのフィリピン・ペソ紙幣。実生活での使い勝手はどんな感じでしょうか?

まずは、庶民には一番馴染み深い20ペソ札(約47円)。トライシクル(輪タク)に乗ったり、サリサリストア(雑貨屋さん)で、ペットボトル入りの水を買ったりするのに使う紙幣。独立直前の準備政府・初代大統領のマニュエル・ケソン氏の肖像が使われています。日本でいうと、伊藤博文初代総理大臣に相当する人物。私の世代だと、伊藤博文=千円札ですね。


そんな偉い人の顔が印刷されているのに、扱いは随分ぞんざいで、八百屋でお釣りにもらったりすると、黄ばんでしわくちゃ。我が家のメイドさんのネルジーも、丸めてポケットに突っ込んだりしてます。かわいそうなケソンさん。実はもっと少額の5ペソや10ペソ紙幣もまだ使えるらしいのですが、4年前の移住以来、一度も実物を見たことがありません。

手元にあって一番使いやすいのは、100ペソ札(約236円)。お顔は、こちらも元大統領のマニュエル・ロハス氏。現在に直接つながる第三共和政の初代大統領で、第二次大戦直後の1946年就任。日本だと吉田茂さんのような位置づけでしょうか。


食材や日用雑貨の買い物は、この100ペソ札が3〜4枚もお札にあれば、だいたい大丈夫。頼り甲斐は、千円札の感じですね。トライシクルでは無理ですが、乗り合いバスのジプニーだと、なんとかお釣りも出ます。ただしタクシーでは、例えば250ペソの料金で100ペソ3枚渡しても、50ペソはチップと見なされてしまう場合も。大袈裟に言うと、ここでお釣りを要求できるかどうかが、フィリピン在住者と短期滞在の旅行者の分かれ目。私ならば、お釣りの50ペソを受け取ってから、10ペソか20ペソ程度をチップに返すでしょう。

そして500ペソ(約1180円)。表に印刷されているのは、1986年のエドゥサ革命の立役者、元大統領のコラソン・アキノ氏と、その夫で元上院議員のベニグノ・アキノ氏。さすが高額紙幣。ネグロス島で、比較的いい給料を貰っている人の日給が500ペソぐらい。そう考えると、やっぱり五千円札レベルの貫禄ですね。シライ市内ならば、家族3人でちょっと外食しても、500ペソ札1枚あれば十分。


まだこの上に1000ペソ(約2360円)紙幣はありますが、現金としては少々持ち重りする額。高額過ぎて、人前でちらつかせるのは怖い感覚。私は1000ペソ以上の支払いの場合、極力カードで済ませるようにしています。

本来ならば、ここ何年かの好景気を反映して、5000ペソ札(約11,180円)があっても良さそうな気もします。家を建てている時には、建材購入で2〜3万ペソの現金を下ろしたりしましたが、ATMで全部1000ペソ札で出てきても、札入れがパンパン。時々500ペソ札も混ざると札束状態。まるで何十万円も持ち歩いているような感じでした。でも現実的には、高額紙幣を増やすよりも、キャッシュカードを使える店舗を増やした方がいいのかも知れませんね。


2016年12月29日木曜日

2016年 10大ニュース


移住してから4回目の年末で、この10大ニュースは3回目(以前の投稿20142015)になります。最近では、移住前の日本での日常生活を思い出すのが、ちょっと難しくなってきました。寒い平日の朝、通勤前のあのツラい時間が、もう何十年も前のことのようです。

さて、天皇皇后両陛下のフィリピンご訪問で明けた2016年。これは陛下にとっても大きな出来事だったようで、先日の誕生日の記者会見では、真っ先にフィリピンについての言葉を述べられました。フィリピン在留邦人の一人として、胸が熱くなる思いです。

5月には、大統領選がありました。フィリピン史上、1980年代のマルコス失脚とアキノ大統領就任に次ぐ大事件だった、ドゥテルテ大統領の登場。これが何といっても一番の話題。田舎街の我らがシライでも、麻薬関連犯罪者の自首があったり、同じネグロス島内の他市の市長が、麻薬取引を告発されたりして、決して余所事ではありませんでした。フィリピン全体のことなので、10大ニュースには入れませんが、大統領関連の投稿数は、今年1位ですね。


フィリピンの事が日本でこんなに話題になったのは、1986年の、当時三井物産マニラ支店長だった、若王子さんの誘拐事件以来じゃないでしょうか?

シライ市内の出来事だと、たった人口12万人のこの街で、大型ショッピングモールの建設が始まったり、フィリピン国内では有名な、テーマ・パークの誘致が決まったりと、景気のいい話が多かった。ほんの数年前まで、信号すらなかったこのド田舎では、信じられないことです。

それでは、我が家の2016年10大ニュース、行ってみましょう。

第10位 「グーグルビューのネグロス上陸」


ここまで来たかグーグル・ビュー

日本では、市街地はほとんどカバーされているグーグルビュー。ようやくこのシライ市の、しかも我が家の前までやって来てました。ずっと先のことだろうと思っていただけに、とても印象に残った出来事。


第9位 「シライで流行 デング熱」


出典:The NEWS Mimute

西ネグロスでデング熱流行」「姪っ子ジャスミン受難

姪っ子が罹患して驚いたデング熱の流行。身内には感染者が出たと聞いたことがなかったので、油断してました。やっぱり熱帯のフィリピン。感染症を侮ってはいけない。なんとこのネグロスで、しかもシライ市内での感染者数が、国内最多を記録してしまいました。今年の雨季は本当に雨が多く、その影響もあったのかも。


第8位 「隣家の騒音」


深夜の轟音、隣の鶏舎」「平和は戻った...か?
フィリピン式ご近所トラブル解決法

朝の5時からガンガンに音楽を流すお隣さん、闘鶏を飼育する鶏舎とのバトル。なかなか大変でした。結局今では、嘘のように静かで平和な生活環境が戻っています。関係ないけど、問題が片付いたのは、ちょうどドゥテルテ大統領の就任直後でしたね。大統領は騒音をまき散らす夜間屋外ディスコの禁止を、法制化しようとしているそうです。


第7位 「フィリピンも異常気象?」


旱魃と停電」「酷暑と旱魃 2016年フィリピンの夏
突然夏の終わり」「台風が来ない今年のフィリピン
モンスーンの季節 首都圏洪水」「洪水間一髪 州都バコロド
クリスマス台風接近中

2016年は、観測史上最も気温が高い1年だったそうです。日本より一足先に夏が来るフィリピン。今年は本当に雨が少なく暑かった。それでも大阪や東京の酷暑よりはマシでしたが。6月以降は一転台風が連続でやって来て、首都マニラだけでなく、ネグロスでも洪水被害。来年もこんな極端な気候が続くのでしょうか?


第6位 「テニスの相棒」



今年も多かったテニスネタ。3月には初めてのフィリピン人パートナー、ババロと知り合いました。4月、5月の乾季には、ほとんど毎日近所の市営コートに出てましたね。最近は雨が多いのと、プータローだったババロが廃品回収業に就職してしまったので、しばらくご無沙汰。また、テニス仲間の日本人やニュージーランド人の友達が、相次いで帰国してしまったのも、寂しいことです。


第5位 「三年ぶりの一時帰国」



満を持しての一時帰国。本当は、もっと以前に里心がついてしまうかと思ったものの、3年間はあっという間に過ぎました。住環境は日本にいた頃よりも快適なぐらいだし、食べ物にも順応。それでも、嬉しい帰国。やっぱりネグロスでは食べられない、本物のお寿司が良かった。特にこの写真は、寿司職人になった中学時代の友達が握ってくれたお寿司。格別の味でした。また、会いに行くで〜。


第4位 「三代目住み込みメイドのネルジー」


三代目メイドさん着任」「怪力ネルジー
働き者ネルジーの1日」「苦労人ネルジー
ネルジー・スペシャル」「投票里帰り
朗らか乙女 ネルジーの受難」「ネルジーのトラウマ
勤続半年メイドのネルジー」「ラッキー・メイド
ネルジーの洗礼」「正直メイド、嘘つかない

去年の今頃は、二代目メイドのアミーが働き始めて半年目の時期。求人に8ヶ月もかかり、やっとメイドさんが居着いてくれて一安心、なんて書いてました。ところがそのアミーは正月休みで帰省して、それっきり。その1ヶ月後、我が家に来てくれたのがネルジー。

すごい人見知りだったり、極端に食が細かったりと、最初は心配させられました。でも、もうすぐ1年が経ちます。いろんな意味でとても面白い愛すべき女性で、ブログネタをたくさん提供してくれました。 どうか今度こそ逃げないでね。


第3位 「両親の滞在」


親の終活」「大食い八十歳
突然介護」「母とネルジー
納豆長者

投稿回数よりも、インパクトの大きさで3位に入れた、両親の滞在。もう二人とも80歳で、要介護になった時に備えての下調べでした。ところが、母が急に歩けなくなって、本当に介護の訓練みたいなことになってしまった。幸い数日で回復して、予定通りの帰国。短い滞在期間の割には、いろんなことがありましたね。

結局両親も、悪くはない感触だったようで、来年からは具体的な活動が始まりそうです。それにしても早やくしないと、お迎えが来てしまうで〜。


第2位 「家内との馴れ初め回想」


奥さまはフィリピーナ...か?」「教会で会いましょう
お見合い@ネグロス島」「神さまの思し召し
超遠距離恋愛」「ついに結婚
配偶者ビザ取得顛末」「やっぱり冬は苦手
孝行嫁」「クリスマスの奇跡

私を含めて、フィリピン在住日本人男性の場合、フィリピン女性との結婚がきっかけ、というのが多いと思います。そしてブログを書くとなると、そのフィリピン妻のことからとなるんでしょう。このブログの場合は、自宅建設から始めたので、家内のことは時折触れるぐらいした。

ところが、直接知っている日本人の方から、ぜひ馴れ初めを知りたいと言われて、初めてまとまった文章に。こうして書いてみると、忘れかけていたエピソードを思い出して、夜中に一人ニヤけたり憤ってみたり。当時のことを追体験したようでした。


第1位 「家内の就職」


続・フィリピン妻の就職」「ドレスアップ・フィリピン妻

投稿回数たった二回。でも我が家にとっては、ダントツで大きな生活の変化だった、家内の就職。それまでも日本のNGOのセクレタリー役で給料は貰っていたけれど、在宅勤務のパソコン業務がほとんど。フルタイムで平日の朝から夕方までの仕事は、フィリピンに引っ越してから初めてです。

私の毎日の弁当作りが、子供の分を含めて二人分になり、家事の仕事量は増えたものの、生活費をほぼ賄えるだけの安定した現金収入は、家計的には大助かり。今までは、貯金を食いつぶす生活でしたからね。いくら十分な蓄えがあると言っても、精神的には随分と楽になりました。

以上で、10大ニュースは終わりです。
2016年も、残すところあと二日になってしまいました。今年も当ブログを読んでいただき、ありがとうございました。それでは、来年もよろしくお願いします。


2016年12月26日月曜日

静かな大晦日は来るか?

クリスマスにフィリピン・ルソン島を横断した、26号台風ニーナ(フィリピン名)は、南シナ海に抜けました。マニラ首都圏の被害は、それほどでもなかったようですが、ルソン南部のビコール地方では、洪水などによって4名の犠牲者が。また、マニラ発着の航空便にもキャンセルが相次ぎ、足止めを食らってしまった人が多数出ている模様。

ここネグロス島シライ市では、事前の予想よりやや台風がゆっくりだったからでしょうか。クリスマスイブの24日は、昼間にいつもの夕立ちはあったものの、夜のミサの時間帯は晴れて、星がよく見えました。教会の庭にはテントが張られ、チャペルの外でミサに与る人も、雨に濡れないよう配慮。幸いそれも無用のことに。


クリスマスミサのために飾り付けられた
自宅最寄りチャペルの祭壇

それでもさすがに台風の影響のせいか、朝から曇りがちのクリスマス当日。時折パラパラと小雨程度で、本降りにはならず。いよいよ本格的に、町中から花火や爆竹の音が聴こえて来ました。フィリピンのクリスマス・お正月には、爆竹が付き物。相変わらず決まり事のように、テレビからは火事発生のニュースが。

もう半分ぐらいは、フィリピン人化している私の頭の中。いつもはフィリピン人の悪口を聞くとムカっ腹を立てるけれど、爆竹に関してだけは、お世辞にもフィリピンの人達は利口とは言い難いと思ってしまいます。

本当に毎年毎年、この時期には爆竹が原因の火事や事故が多発。ニュース映像は、何年も前から使いまわしているのかと思うほど。必ず焼け出された人、それも決まっておばあさんがインタビューされて、言うことも同じ。「クリスマス(or お正月)なのに、住む家が無くなってしまいました。これから私たちは、どうしたらいいんでしょう。(号泣)」

お気の毒だとは思いますが、いい加減に学習してくれよ、と言いたくなります。こちらの爆竹は、日本で売ってるような可愛らしいものばかりではなく、ちょっとした爆弾並みのものも出回っている。音が大きければ大きいほど、魔除けのご利益があるということらしい。

そんなものを、建て込んだ町中や人通りの多い路地で爆発させれば、子供にだって危ないと分かりそうなものなのに。指や腕を失くしてしまうような事故も多いし、今年(2016年)初めには、マニラで3000もの人が家を失う火事がありました。

そして、花火・爆竹禁止を公約に掲げたドゥテルテ大統領が当選。
マニラ首都圏やその近郊では、例年に比べると静かになったんでしょうか? まぁ台風騒ぎでそれどころではなかったのかも知れません。マニラから遠く離れた、ここネグロス島では、そんなお達しもどこ吹く風。昨夜などは、隣家の庭で花火が打ち上げられるし、まだ散発的とは言え、いつも通りのドンパチ騒ぎ。少なくともこの年末は、変わらぬ轟音で、大晦日を迎えることになりそうなネグロス島です。


2016年12月23日金曜日

普通の国への遠い道


約2か月ぶりに、ドゥテルテ大統領関連の投稿です。私がここで触れなくても、日本語のメディアでの露出がすごいですね。フィリピンのニュースとしては、稀に見る注目度で日本に報道され続けています。

最近は、日本訪問時の持ち上げぶりから比べると、トーンが少々様変わり。超法規的殺人が、すでに自首した人や、麻薬犯罪とは無関係な人にまで及んでいること、穏健派(大統領に比べると)のレニ・ロブレド副大統領との対立など、ネガティブな論調が目立つようになりました。

ここ数日では、ダバオ市長時代の自らの手による「処刑」を告白したり、大統領を殺人容疑で捜査することを求めた国連・人権高等弁務官を口汚く罵ったり。この演説は、昨夜のニュースで見ましたが、伏字の「ピー」ばかりで、よほどひどい言葉を連発してたんでしょうね。

日本にいて日本語の報道だけに接していると、なかなかフィリピン国内の雰囲気は分からない。私もフィリピンに住んでいるとはいえ、マニラ在住ではないので、首都圏の空気は皮膚感覚で理解しているわけではありません。しかし私の家内を始め、周囲のフィリピン人の意見を聞いている限り、相変わらずドゥテルテ大統領の支持率は高い。

そもそも、大統領本人が超法規的殺人に関与しているのは、公然の秘密。少なくともドゥテルテ大統領に投票したフィリピン国民は、今更それを認めたところで、誰も驚かない。冤罪が多いことに眉をひそめつつも「やむをえない」と考える人が多いように思います。対麻薬犯罪の「戦争」なので、誤射・誤爆による犠牲も、ある程度は仕方がないという感覚かも知れません。

それほどまでに、ドゥテルテ就任以前のフィリピンは、異常な状態が続いていました。言ってみれば、今この国は、ようやく「普通の国」になろうとしている。「普通」の定義とは何かと問われると、ちょっと困りますが、公務員や警官が公然と賄賂を求めたり、市長や裁判官が違法薬物ビジネスに手を染めたり、刑務所に拘留されている犯罪者が、外から娼婦を招き入れるのが当たり前の国は、とても普通とは言えないでしょう。ここまで普通でなくなった国を、一挙に普通にしようとすれば、強烈な反作用があるのは当然。

ドゥテルテ大統領の「暴言」も、本人の弁によると、思わず口が滑ったのではなく、意識的な発言とのこと。フィリピンのように、経済的にも軍事的にも弱い立場にある国からすれば、国際社会から注目されるには、これしか手がなかった。大国アメリカや中国と、良くも悪くも互角に渡り合う姿を見て、フィリピン国民ならずとも、溜飲を下げる人は多いようです。実際、ドゥテルテ大統領の派手な振る舞いがなければ、日本でフィリピンの麻薬汚染の惨状を知る人は、未だに少なかったでしょう。

暴言に比べると注目度は低いけれど、ドゥテルテ大統領就任以降、LTO(フィリピンの陸運局)の不手際で、3年間も滞っていた運転免許証発行が正常化したり、外国人へのビザ延長手続きの簡素化などが実現しています。地味な部分でも確実に変化が現れているのは、間違いない。

今年の前半には、まったく想像もできなかったフィリピンの現状。来年もドゥテルテ大統領の言動からは、目が離せません。


2016年12月22日木曜日

クリスマス台風接近中



確か中学生ぐらいの頃、学校の授業で習った熱帯地方の気候のことで、今でもよく覚えている言葉があります。それが「高温多雨」。こーおん・たう。とっても変な響きで、まるで日本語じゃないみたい。それが40年後に、自分がその高温多雨な場所に住むことになるとは。

フィリピン暮らしも、年が明けると4年目に突入しようかというこの年末。高温多雨を日々実感しております。今年は4〜5月の乾季が、例年になく暑くて雨が極端に少なく、隣のセブ島では旱魃で、州知事が非常事態宣言するほど。ところが、6月まで一つも発生しなかった台風が、その後は、いつもより早いピッチで量産。去年は、こんなに雨降ったっけ? というほど、連日の雨。

連日と言っても、日本の梅雨みたいに終日降るのではなく、朝は日差しが眩しいほどの晴天。そして判で押したようように、昼過ぎから雷を伴った土砂降り。だいたい数時間で上がるというパターン。昼間ではなく、宵の口から深夜に豪雨もあります。

おかげで、趣味のテニスが全然できない毎日。近所のシライ市営のコートは、アウトドアで土のサーフェイスしかなく、水はけがあまり良くない。最低でも24時間ぐらいは雨が止んでいないと、乾いてくれません。生乾きでプレーしようとすると、コート管理のオっちゃんが「バサ・バサ」(basa basa 湿ってる)と言って、追い払いにかかる。

そして、なんとこの年末のクリスマスの時期に、台風26号がフィリピンに接近しています。フィリピン名はニーナ(Nina)。可愛らしい名前ですが、まるで狙いすましたように、イブにフィリピン東岸に近づき、クリスマス当日にマニラ首都圏直撃のコース。

ネグロス島は、直接の被害は少なそうとは言え、クリスマスイブに強風と土砂降りなんて、勘弁してほしい。この日ばかりは、日頃あまり真面目ではないカトリック信徒も、夜のミサに家族連れ立って与るのが、フィリピンの習慣。クリスマス前の約1か月の待降節(アドベント)の期間、歌わずに我慢していきたグロリア(栄光の讃歌)を爆唱して、ミサの後は、みんなでご馳走を頂くのが楽しみなのに。

私たち家族がお世話になっている教会は、サブ・ディビジョン(宅地)の中にある神学校付属のチャペル。それほど大きくはないので、クリスマスミサの時にはお御堂だけでは足りず、庭に椅子を出して、いつもの倍以上来る信徒を受け入れます。もし大雨になってしまったら、ミサが中止にはならなくても、参加できる人がは少なくなってしまいます。神さま、どうか、台風が逸れますように...。


2016年12月21日水曜日

季節を感じる朝7時


今日は、冬至。一年で一番昼間の時間が短い日。こればかりは全地球規模で、共通の現象。しかし日本に比べてフィリピンは、約3000キロも赤道に近いので、同じ北半球と言ってもだいぶ雰囲気は異なります。

大阪では夏至の日没が午後7時15分ごろで、冬至は午後4時50分ごろ。その差は約2時間半。それに比べて、ここネグロス島だと、夏至が午後6時30分ごろで、冬至が午後5時30分。たった1時間しか違わない。日本では「秋の日はつるべ落とし」なんて美しい言い回しで、表現されますが、こちらでは誰も、日が短くなったことを意識しないでしょうね。

実際、生活してみても、4〜5月の特に暑い時期を除くと、季節を感じることはほとんどありません。最低気温は平地だと20度以下になることはまずないし、大抵の花はいつも満開。枯葉は散らず、年中新緑。自然よりも、クリスマスやイースターなどの人間が決めた行事で「1年経ったんだなぁ」と思うのが関の山。昔のどの写真を見ても、Tシャツに短パンだと、不思議に時の移ろいが、日本にいた頃より早く感じます。寒かったとか、暑かったとかいうのは、記憶や時間の感じ方にも影響があるものらしい。

そんなフィリピンの四季(というより、せいぜい二季?)も、稀に実感されることも。ちょうど今頃の、冬至を挟んだ前後1か月間ぐらいの毎朝7時ごろ。自家用車で子供を学校に送って行く時間帯に、小学校から自宅に戻るルートが、日の出の方向とぴったり重なり、真正面から朝の直射日光を浴びて運転することになります。

しかも、夜間に激しい雨が降って、早朝には止むパターンが多いので、路面がびしょ濡れで、反射光も眩しく、とても危ない状況。その上、私は極度の近視。メガネ無しでは運転できず、最近は老眼が進んでコンタクトレンズも使いづらい。つまりサングラスがかけられません。今は、クリスマス休暇ですが、年が明けたら、またあのヒヤヒヤ運転再開です。

もうちょっと情緒のあることで、季節を感じたいけれど、これも、寒い冬無しで生活できることの代償というものでしょうか? 考えてみれば、寒くて暗い冬の朝、布団から出るのも一大決心の場所には、戻りたくはないですね。会社勤めの頃は、だいたいそういう朝、特に月曜日に「退職」の文字が頭に浮かんだものでした。


今日、冬至の黄昏時
空がピンク色に染まりました


2016年12月20日火曜日

クリスマス大好き 13か月給与法


フィリピン人は、クリスマスが大好き。
このフレーズ、今までブログで何回書いたことやら。バー・マンス(ber month)と呼んで、語尾が ber で終わる月は、全部クリスマスシーズンなのがフィリピン。9月(September)からお店のショーウインドウはクリスマスデコレーションが始まるし、BGMもFMラジオからもクリスマスソング。

年中夏なので、元からここに住んでいる人にとっては当たり前でも、寒い冬がある、北半球の国から移り住んできた人間にとっては、どうしても慣れない、最高気温30度の12月。師走の雰囲気ゼロだし、サンタクロースの服着たマネキンも、暑苦しいとしか見えません。


クリスマス休み前、最終日の小学校
夏休み前みたい

そんなへそ曲がりの私は、なぜフィリピン人がそこまで騒ぐのか、イマイチ理解できませんでしたが、最近やっと理由が分かった。それがクリスマスのボーナス。ボーナス支給なんて、日本の、それもある程度業績の良い会社にしかないのかと思ってたら、フィリピンでは法律があって、社員にはクリスマス前に、各従業員の1か月分を支払わないといけないそうです。名付けて「13か月支給法」(13th Month Pay Law)。

つまり、雇用主は年間12か月分にプラスして、業績が黒字だろうが赤字だろうが、雇っている人には、1か月分を余計に払わないといけません。労働基準法で決まっているのです。しかも、働き始めて1か月の人も例外ではないし、年内に辞めた人に対しても支払い義務がある。これは、経営者にとっては、相当な負担ですね。

でも、貰う側にいれば、そりゃ嬉しくなるでしょう。道理で早くから、皆さんワクワク・ウキウキになるはずだ。しかも、勤め人だけでなく、個人事業主であるタクシーの運ちゃんも、散髪屋のにいちゃんも、みんなクリスマス料金。

そう言えば、自宅を建ててる時、クリスマスには僅かながらでも、ボーナス支給してたなぁ。私たちが住むサブ・ディビジョン(宅地)は、周囲がフェンスで囲まれ、ショットガン持った警備員が常駐。全部で十人ぐらいいる、その人たちにも「クリスマス・チップ」。ここでは管理事務所の担当者が、家のオーナー宅を一軒づつ回って、お金を集めてます。

チップなので、額は決まってないけれど、リストにサインして金額を書き込むもんだから、みんな見栄を張って、500ペソ(約1200円)ぐらい支払う人も。ネグロス島では、大工さんの日給が、せいぜい300ペソぐらいなので、チップとしては、決して安くない金額です。

さらに週に2〜3回来る、ゴミ回収車のおじさんたちにもチップ。ご丁寧に封筒を用意して、これまた一軒づつ手渡し。相場はだいたい50ペソ(約120円)ぐらい。でも今日は財布に細かい紙幣もコインもなくて、仕方なく100ペソ払っちゃいました。

極め付けは、クリスマス・キャロル。子供も大人も、歌がプロ並みでも、耳を塞ぎたいレベルでも、お金持ってそうな家に目星をつけて、玄関前でいきなりミニ・コンサート。小学生のグループが、かわいい声で歌ってくれたりすると、有料でも嬉しいものです。昨夜のキャロルには、なんと息子のクラスメートの女の子が混じってました。

これは別に物乞いをしている訳ではなく、ごく普通のフィリピンの習慣。言ってみれば、日本のお年玉みたいなもんでしょうか。家内は、息子にも「来年は、キャロルしなさい」と焚きつけてました。

さて、我が家のメイド、ネルジーにもボーナスを上げないといけません。ところが、ネルジーは同じクリスチャンでも、クリスマスを祝わない「イグレシア・ニ・クリスト」の信者。家内は「クリスマス関係ないんなら、ボーナスも要らんやろ」と、ちょっと不機嫌です。そんな意地の悪いことを言ったら可哀想でしょ。