2014年12月31日水曜日

2014年 10大ニュース



12月に入ってから台風が二つも来たりして、ドタバタしている間にあっというまに大晦日になってしまいました。年越しには例の美人三姉妹が、厳父と連れ立って「お泊まり」なので、これを書き終えたらまた料理をしなければなりません。

今年最後の投稿なので、10大ニュースにして2014年の総括などしてみたいと思います。

第10位「突如、料理に目覚める」


自分で作る日本食 餃子の日 ソウルフード お好み焼き
自宅が完成したので暇ができて、以前からたまにやってた料理を本格的に始めました。食材は手に入るけどレストランにはないか、あっても割高なメニューを中心に、主にカレーやお好み焼き、餃子などの日本スタイルの家庭料理。

第9位「千客万来」



初の泊り客 フルパワー・バースディ 女子大生のお客さん 日本にいた時より幸せ
カレー・焼きそば・お好み焼き ホームパーティ同窓会
お客さん関連の投稿、多かったですね。元来ホームパーティ大好きなフィリピン人。家の間取りもそれを想定してデザイン。まさに想定通りで、私の素人料理もたくさんの人に食べてもらえる機会がありました。

第8位「タロとジロ」



引っ越し終わっても工事中 タロ帰天 子犬のいない朝
生まれた初めて飼った犬が二頭。引っ越しの当日やってきた「タロとジロ」。とても可愛いがっていたのに、2ヶ月で二頭とも死んでしまいました。折角広い庭ができたというのに。

第7位「カフェ・フランシス」


破れテントのお値段 お手軽ニッパハウス 
庭でお茶ができる場所を作るのが夢でした。夢がかなってオープン・カフェみたいな空間が出来たものの、最初は買ったテントが破れてしまったり、意外と苦労しました。

第6位「イロンゴ学習」


フィリピン言語事情1 フィリピン言語事情2 フィリピン言語事情3
マルチリンガルへの道 Ang Pagkitaay Namon Liwat sang Akon Subang nga Bata
今住んでいる西ネグロスの方言イロンゴ(別名ヒリガイノン)。何とか喋れるようになりたいと勉強してます。でも今年はほんの挨拶とレストランで注文できるようになったぐらいでしょうか? 買い物でイロンゴを喋ろうと思っても、八百屋のおばちゃんがいきなり「Good morninng」なので、つい英会話になってしまいます。

第5位「台風当たり年」
台風2号は元日に来る 水難の家相 台風通過中のメリークリスマス
台風ヨランダから1年 悪夢ふたたび 最接近24時間前 弱点狙い撃ち
年の瀬台風セニアン



台風が多い国なので仕方ないです。それにしても今年は多かったですね。地元の人に聞くとやっぱり温暖化の影響なのか、近年頻度が高く強力化しているようです。台風ネタに伴って雨漏りネタも増えるのが辛いところ。 

第4位「永住ビザ取得」



試練のビザ更新
投稿は一回だけだったんですね。もっとたくさん書いていたかと思いました。それぐらい大変だったという印象が強い。面倒でも日本だったら自分で何とかできるのですことが、フィリピンでの手続きとなると、家内の全面的な協力がないと何にもできないのを思い知りました。

第3位「メイドのカトリーナ」



メイドがいる生活 メイドがいる生活 その後 鉄砲玉娘カトリーナ カトリーナ解雇
タイトルに「メイド」と入るとアクセスがぐ〜んと増えるのが面白いですね。日々の暮らしでは、メイドを雇うというのが一番日本との違いが大きく、また家族ではない若い女性が住み込みというのもインパクトがあるので、度々取り上げました。残念ながら初代メイドは家内が解雇。来年は家内のお眼鏡に叶う人が見つかるでしょうか? 

第2位「セブ島」



ホームステイ・イン・スラム 流しちゃダメよ 幸せ? 当たり前でしょ
おっぱいカラオケ 麗しのチェスカ セブ、第三の故郷
日本のNGOによる企画、セブ島のスラムでのホームステイに参加しました。フィリピンに住んでいてスラムの住民と友達付き合いもありますが、そこに寝泊まりするのは初めての経験。得難い出会いがいっぱいありました。

第1位「自宅完成」



ついに完成
今年6月末に、着工から8ヶ月かかって自宅の新築工事が完了。2014年だけでなく、私の人生の中でもトップ10には入るビックイベントでした。このブログを書き始めたのも、工事の進捗を記録するためのもの。本当にいろいろありました。

それでは、来年もよろしくお願いします。
どうか、良い新年をお迎えください。


2014年12月30日火曜日

年の瀬台風セニアン

あと数日で新年を迎えようというこの時期、また台風がフィリピンに襲来しました。23号台風セニアン(Seniang フィリピン名)。勢力はそれほどでもなかったのに、速度が15〜11km/hと自転車並みだったため、同じ場所での長時間豪雨で、各地で洪水や地滑りの被害が出てしまいました。

現地の新聞、インクワイアの記事によると、死者2名、行方不明1名、負傷17名、数千世帯が避難中とのこと。300キロに及ぶ広大な雨雲を伴ったセニアンは、フィリピン南部のミンダナオ島の南スリガノ州に上陸した後、私たちの住むネグロス島を含むビサヤ諸島を横断。昨日から激しい雨をもたらしました。
現在(2014年12月30日 午後9時)まだ台風は隣島のパナイの一部に強風圏がかかった状態で、明日31日にかけてまだ警戒が必要。

クリスマス休暇の真っ只中、これからお正月という時に、家が水浸しになったり避難しないといけないとは、察するに余りある気の毒な状況です。度々このブログで書いていますが、あまりに毎回同じことの繰り返し。もう少し何とかできないのでしょうか?

自宅のある西ネグロスのシライ市では、昨夜から今朝早くにかけて叩きつけるような雨と突風。一夜明けるといつものように、裏庭の半分は浸水して池のようになってました。これは新築工事の際に盛り土をケチったのが原因で、通常雨が止んで丸一日も経過すれば水が引くので、分かっていて放置してます。いつもと違うのは、裏庭を囲む竹製のフェンスの一部が倒壊していたこと。あらら。




飼育中の鶏のことが心配でしたが、親鶏もひよこたちも元気でした。我が家の被害は、修理費数千円程度のたかが知れたものですが、同じネグロスでもかなり深刻な被害も出たようです。現地の友人により、近隣のビナルバガン市で撮影された写真では、おそらくサトウキビ畑と思われる場所が、相当な範囲で水没。



身近なところでは、所用でパナイ島からシライ市の実家に里帰りしていた家内の友人家族5名が、フェリーの欠航により足止めを食っています。明日も台風の影響が残っていると予想されるし、それでなくても混雑する大晦日。なんとも大変な...。


2014年12月29日月曜日

ホームパーティ同窓会

フェイスブックが普及したおかげで、日本では中高年の人たちの間でちょっとした同窓会ブームが起きているようです。私自身も日本から離れる直前の2年ほどで高校の同窓生での集まりが4〜5回。50歳前後というと、だいたい子育ても終わりで、子供は大学生とか社会人になりたての年頃。特に女性が外出しやすくなるからでしょうね。私のようにまだ小学生の息子がいるなんていうのは、かなりの少数派。

その点フィリピンでは、フェイスブックどころかインターネットすら普及する遥か以前から、年に一回の同窓会は当たり前の行事。特にネグロス島のように、生まれ故郷から離れる人が多く、海外出稼ぎ組も含めてクリスマスの時期には大挙して里帰りするので、同窓会兼クリスマスパーティがこの時期に行われるのは一般的なんだそうです。

そういうことなので、私が日本で経験した30年ぶりの再会なんてのは少なくて、「お〜、今年も会ったね〜。お母さん、元気にしてる?」みたいなノリで、いきなり盛り上がります。家内が私と日本に住んでいる時も、数年に一度は年末休暇で帰っていたので、私も家内の高校の友達と何人も顔見知り。

さて今年は自宅完成披露も兼ねて、我が家で同窓会することになりました。集まるのは20人ぐらいですが、それでもそんな人数の同窓会を自分の家でできるのは、フィリピンに移住したればこそですね。日本だったら、家の広さの問題もありますが、夜これだけ集まって大声で騒ぐことが絶対に無理。もう騒音だと言われて、速攻で警察に通報されるのがオチでしょう。

今回は持ち寄りとのことで、ホスト役の我が家は場所の準備と食器に椅子・テーブルの準備だけ。子供の誕生日で、すっかりこれも手馴れてきました。パーティグッズの店で椅子とテーブルを借りてきて、当日の昼過ぎぐらいから会場設営開始。BGMもクリスマスソングを揃えて、夕闇がせまる頃には準備完了。

 


パーティの方は予想通りの大盛り上がりで、持ち寄りの割には食事も豪華。1時間もするとゲームやらダンスやらが始まりました。フィリピンのパーティは本当に場持ちがいいですね。もうみんな完全に子供に戻って、遠慮とか恥ずかしがるということが皆無。このメンタリティは羨ましい限りです。



それでも、夜を徹してとはならなくて、さすがに高級住宅地のど真ん中なので、日付が変わる頃にはほぼお開き状態。感心するのはどんなメンバーの時でも、ちゃんと後片付けや洗い物は手伝ってくれます。広い台所を作ってほんとうによかったと、しみじみ感じました。


2014年12月27日土曜日

クリスマスのご祝儀

フィリピンでは、クリスマスと言えばなんでも許されるかのようです。
特に金銭関係。タクシー乗っても散髪しても、とにかく割増チップを要求される。それでサービスや愛想が良ければ仕方ないかなとも思うのですが、たまに「クリスマスだから、余計に払ってトーゼン」的な態度の人がいて、ちょっとムカっとくることもあります。

家を建てて、こっちの労働者の賃金の安さを払う側として実感したので、クリスマスぐらい家族に美味しいものでも食べさせたいと思う気持ちはわかります。しかしなぁ、やっぱり感謝の気持ちは少しは見せてほしい。

こういう時期のフィリピン、クリスマス前なので久しぶりに車の掃除をしていると、屈強な若者が連れ立って家の前に立ち「おはよう〜ございますッ!」とエラい元気良く、礼儀正しく挨拶しました。どっかで見たことある顔だなとよく見たら、全員、私たちが住んでる宅地をいつも警備してくれてるセキュリーガードの面々。

その日は非番の人ばかりだったのか、いつもの制服ではなかったので、一瞬誰だか分かりませんでした。何しにきたのかと思ったら、クリスマスのご祝儀を集めて回ってるそうです。ご丁寧に宅地管理者からのレターと、支払った金額記入用の用紙まで持ってました。

強制ではないので、決まった金額もなく払わなくても罰則はありませんが、ここで手ぶらで追い返したら、もう最悪の評判が立つことでしょうね。こちろんここのガードは、いつも親切でよく頑張っているので、そんな意地悪はしませんでしたが。




ご祝儀は、ガードだけではなく、週二回ゴミを集めにくるゴミ回収のオジさんたちにも払わないといけません。それだけではなく、12月も半ばを過ぎると、夕方にやってくるキャロリングの人たちにも。日本でもイブの夜は見かけることがありますし、私も所属教会の聖歌隊にいたので歌う側の経験もあります。要するにクリスマス・キャロルの屋外出張サービスですね。

しかし、フィリピンでは無償奉仕ではなくて、すべて支払いが必要です。それは何か違うような気もしますが...。今年からは、ゲートのある宅地なので誰でも入れるわけではないので、事前に「12月⚪︎日の⚪︎時に歌いにきます」みたいな連絡がきます。

今回はご近所さんのアメリカ人プロテスタント牧師と、息子の学校の先生(!)。牧師さんはともかく、学校の先生がお金持ちの生徒の家を物色して、小遣い稼ぎしてるそうです。さすがに家内は先生の方は丁重にお断りしたとのこと。

少しのチップを払うだけならまだいいのですが、この時期はほとんどのサービスが問答無用で休みになるので、とても困ることもあります。最悪なのは、先日の落雷のために壊れた給湯器や照明の修理をしてほしいのに、業者にぜんぜん連絡がつかないこと。ご近所さんで、電話とネットが同じく落雷で不通になっている家がありますが、こちらはクリスマス明けまで待たされてます。

日本の至れり尽くせりのサービス精神が懐かしい...。
その分、日本は人件費高いですけどね。


2014年12月26日金曜日

因果は巡る 美人三姉妹



今月(12月)の初め頃の台風騒ぎの時、我が家に避難してきた家内の叔父家族。叔父さんのパパ・ボーイ(とってもフィリピン的なニックネーム!)とその三人の娘はシライ市内の海沿い、バラリン地区に住んでいます。事情があって、叔母さん、つまり三人娘の母親はマニラで別居中。

このパパ・ボーイ、もう70歳近いのですが、末娘が私の息子と同い歳のまだ9歳。さらに驚くのはマニラにいるという奥さんが実は3人目で、前の2人の奥さんとの間にも子供がいます。末娘より年上の孫がいるという、ややこしい家族構成。

今ではあまりそういう面影はないですが、パパ・ボーイは、浮気をしては前妻と別れるというの少なくとも2回繰り返したそうです。実際は他にもっと女性関係があったのでは?と私は睨んでますが、まさか本人に訊くわけにもいきません。

しかも、もう40歳ぐらいになる最初の息子には男の子一人がいるのに、父親の真似をしたのか、他所にもう一つ家族を作ってしまいました。二人目の奥さんにも子供がいる。おかしいな〜、フィリピンでは法律的に離婚はできないはずなのに、なんでこうも簡単に二人目、三人目と配偶者を替えて、しかも子供まで作ってしまうのか?

ただし、日本と違って家族が基本の「戸籍」という考え方はなく、登録は個人単位なので、出生証明には両親の名前が記載されるだけ。両親の婚姻関係はあんまり重視されないようです。とは言っても、誇りにするような事でもないのは、日本と同じ感覚でしょうけど。

こういう家庭でパパ・ボーイが最後に授かったのが、続けて娘三人で、しかもどの子も美人ばかり。末っ子のダリルはまだ美人と呼ぶには早すぎですが、年相応ながら可愛らしくて愛嬌のたっぷりの女の子。

長女のダリアは大学生、次女ミニーは高校生で、特にダリアはビューティー・コンテストの地区代表に選ばれるほどの美貌。パパ・ボーイは愛娘たちに悪い虫がつかないように、むちゃくちゃ心配してます。ちょっとでも帰宅が遅くなると、玄関先で娘を待っているそうで、もうこれは因果応報としか思えませんね。

一昨日のクリススマス・イブには、三人娘が揃って我が家のパーティに来てくれて、一晩泊まっていきました。もう何度も来ているので慣れてきたらしく、シャワーの後バスタオル一枚で、次女のミニーがリビングをうろうろしていて、私は息をするのを忘れそうでした。もうちょっと警戒してくれんと、あかンんがな。ワシがお父ちゃんに殴られるで。



豚の丸焼き レッチョン・バボイ

喧騒のクリスマスも当日は過ぎてしまいましたが、フィリピンではまだまだクリスマスシーズンは続きます。毎年9月から飾り付けが始まり、12月に入ると街中お祭り騒ぎになって、数日前からは爆竹が鳴り始める。

一夜明けた今日(26日)の朝も、あちこちでまるで銃声のような爆竹の音。これから大晦日、お正月に向けて、爆竹というより爆発という感じにエスカレート。爆竹の事故で毎年怪我人とか死者まで出る、少々物騒な時期に突入します。

フィリピンでは海外出稼ぎの人も含めて、家族が集まるのがクリスマス。お正月はそのオマケみたいな感じで、飾り付けもツリーも1月いっぱいは出したままになります。そしてパーティもメンバーを取っ替え引っ換えして、連日続くことに。

我が家ではイブに義弟家族と家内の従妹が来て、一緒にミサに与った後みんなで晩ご飯を食べました。数日前から準備を始めて、当日は朝からずっと厨房に立ちっぱなし。メイドの後釜が見つからないので、家内と二人でかなり大変でした。

クリスマス当日の昨日は、隣町の州都バコロドの叔母の家に、イブのメンバーそのまま引っ越してまたパーティ。人数が多いので、私には久しぶりのレッチョン・バボイ(豚の丸焼き)が振舞われました。

レッチョンが丸焼きで、バボイが豚。鶏の丸焼きだとレッチョン・マノックになります。
この豚の丸焼き、フィリピンではお祝いには定番の料理で、広い庭があって使用人がいるような家だと、自宅で作ることもあるようですが、一般的には専門のお店で買ってきます。

子豚1頭分5000ペソ(1万数千円程度)で、2〜30人分にはなるでしょうか? 体毛を剃って、内臓を抜いた状態で文字通りの丸焼き。頭も足もそのままの姿で運ばれてくるので、初めて見た時はギョっとしたものです。肉は脂身がいっぱいで皮は香ばしく、ものすごく美味しいけれど...カロリー激高ですね。





 

肉だけでも10キロ以上はあろうかという豚でしたが、数時間後には、頭と骨だけを残して、きれいに平らげられました。太った人が多いわけだ。
さぁ、一休みして明後日の28日とお正月には、また自宅でホームパーティです。次は何を作りましょうか?


2014年12月23日火曜日

違法賭博

先週の投稿で、隣家で闘鶏が開催されたことを書きました。フィリピンでは普通の事かと思ってたら、どうやらこれは違法だったらしい。通夜に集まった人たちが夜通し博打を打つお国柄なので、賭博そのものは違法ではないけれど、住宅地で大々的にやるのは禁止。

迷惑だったのは間違いないです。当日だけでなく1ヶ月ぐらい前から養鶏のオジさんが何人も集まって、朝から晩まで闘鶏の準備。鶏の鳴き声は元々養鶏場なので慣れてますが、音量マックスでラジオで音楽流しながらの作業でした。早朝6時からガンガンやられると、ちょっと鬱陶しい。

この隣家というのが、前の市長さん宅。こちらで議員や市長というと「泥棒」呼ばわりされると決まっています。選挙での金のバラマキや汚職が日常的なお国柄なので、そう言われても仕方ないでしょうね。当然、こういう人たちは大金持ちで豪邸住まい。

前市長宅も御多分にもれず、2000平米はあろうかという広大な敷地に、人間より贅沢なスペースで、いかにも高価そうな品種の闘鶏用の鶏を何羽も飼育してます。飼うだけでなく、年に数回程度、闘鶏を開催。家内の友達や親戚の何人かに話したところ「それ、違法やんか!」と言われました。あ〜やっぱりね。

準備だけであの騒音なので、当日は深夜〜早朝2時ぐらいまで集まった賭博客の大声援で、やかましいことこの上なしでした。しかし違法のはずなのに門の扉には、何日も前から派手なポスターが貼られてました。最低掛金が一口3000ペソと料金まで大書してある。
空港に抜ける道に面しているので、秘匿の意思は皆無ですね。10メートルほど離れた交差点では毎日警官が出て交通整理してるので、警察も確実に知っている。





最近、マニラの刑務所で収監されている犯罪者が、王様のような暮らしをしていると記事になってましたが、この手の話はフィリピンでは誰でも知ってます。今更だれも驚かない。金があれば法律さえ見逃す、フィリピンの嫌な一面を見せつけられた気分です。


2014年12月21日日曜日

雷こわい


熱帯の高温多雨な気候の国に住んでると、どうしても避けられないのが頻繁な雷。それほど恐怖は感じない方なのですが、昨夜の落雷は強烈でした。光の音が完全に同時で、部屋の中にいて窓を閉めてたのに、軽い衝撃を覚えるほど。ガス爆発でもあったのか?という感じでした。

どうやら私たちが住む宅地内、至近距離と言っていいほど近くに落ちたらしい。落雷と同時に停電して、非常用照明が点灯しました。フィリピンでは落雷ではなくても停電が多いので、天井や壁に取り付けるタイプの、通電時は常時充電していて送電が止まると自動的に点灯するLED照明が普及してます。

我が家には取り付けタイプが二つと、手持ちタイプが二つあります。どちらもかなり明るくて、本ぐらいは楽に読める照度。夜8時過ぎで、食事は済ませていたものの、WiFiのルーターも落ちたのでネットに接続もできず、ワンセグテレビなどという気の利いたものもないので、読書かヘッドフォンで音楽聞くぐらいしか、することがなくなってしまいました。

窓の外を見ると、変電設備とかがダメージ受けての広域停電ではなく、道を隔てた隣のブロックでは普通に住宅の灯りが見えます。どうやらピンポイントで、私たちの住んでいるエリアだけが狙い撃ち状態。ただし停電エリア内でも、自宅にガソリンで動く発電機を備えている金持ちの家では、クリスマスのライトアップすら煌々と灯っています。

それから約3時間が経過して、これはヤバイかな〜、明日の朝まで電気は戻らないかな〜、とやや諦め気味になった頃、予想よりも早く電気が復旧しました。ところが、これが限定的で、停電しなかったのと反対側のブロックはまだ真っ暗。こういうこともあるんですね。

翌朝、被害は停電だけではないことが判明。瞬間的に負荷がかかっせいか、照明器具が三つと、電話が一台まったく通電しなくなってました。さらに痛いのが電気給湯器が2台とも動作せず。これはちょっと高くつくぞ。

屋根直撃の落雷だったらこの程度は済まなかったので、考えようによっては幸運だったのかも知れないと自分を慰めることにします。しかし一番の被害者は9歳の息子だったかも? もともと雷が怖いのに、あんなに近くで「どっか〜ん」ときたもんだから、可哀想に暗闇の中で顔面蒼白で泣きそうになってました。


2014年12月20日土曜日

クリスマスのために生きてる

9月の初めからショッピングモールや、気の早い人たちの家ではクリスマスの飾り付けが始まり、FMから流れる音楽は、少しづつクリスマスソングの頻度が増えてきます。去年も同じようなこと書きましたが、ほんとにどこまでフィリピン人はクリスマス好きなんだか。

当日が過ぎても翌年の1月いっぱいぐらいは、まだツリー飾ったままなので、5ヶ月間、ほとんど1年の半分はクリスマス気分で過ごしていると言ってもいい。なんと敬虔なクリスチャンと誤解するかも知れませんが、これは断言できます。お祭り騒ぎが好きなだけだと。

いよいよ12月に入ると、ほぼ毎晩どこかで「フィエスタ」と称するどんちゃん騒ぎがあります。野外ディスコだったり、野外カラオケ大会だったり。それも夕方から明け方まで。だいたい「バランガイ」と呼ばれる町内会みたいな行政単位ごとにやってるみたい。馬鹿でかいスピーカーを設置して、周囲半径数キロは重低音が響きわたる。

去年まで住んでいた仮住まいの借家は、どう閉めても隙間が開く窓で、騒音を防ぐ手立てもなく、かなりツラい夜もありましたが、新居は一応日本並みのアルミサッシを入れたので、音源方向の窓さえ締め切れば、ほとんど気にならなくなりました。

しかし、昨夜は隣の養鶏場でコックファイティングと呼ばれる闘鶏が開催。100人ぐらいの観客が集まって、深夜2時ぐらいまで鶏の動きに合わせての歓声が上がってました。もうこうなると、自然災害だとでも思って諦めるしかないですね。

我ながら感心しますが、大抵の環境に人間は慣れるもので、昨夜は少し早めにベッドに入ったら普通に寝入ってしまいました。ところがちょうど騒ぎが収まった頃に目覚めて、朝方まで眠れませんでしたが。

この時期は、教会や市役所、隣接する「プラザ」と呼ばれる大広場で恒例のライトアップ。数日おきぐらいで、ここから花火が上がり、自宅の二階からもよく見えます。すごい気合いの入り方ですね。ここまでクリスマスにかける情熱の半分か1/4でもいいから、仕事とか教育に注げないもんでしょうか。それができたら、貧困など速攻で撲滅できるんじゃないかなぁ。





2014年12月18日木曜日

続・フィリピン言語事情 <イロンゴ講座その3>



4ヶ月ほど前に投稿した「フィリピン言語事情」がなぜかトップのアクセス数を誇っています。数あるフィリピンの方言の一つのイロンゴに、それほど関心がある人が多いとも思えないので、おそらくフィリピンの言葉全般に対しての興味なんでしょうね。

その後も細々とイロンゴの勉強は続けてきましたが、家の中では日本語、外で買い物したり食事の時は英語で事足りてしまうので、イマイチ動機付けが弱くさっぱり上達しません。市場で八百屋のおばちゃんにイロンゴで話しかけたら、最近すっかり顔付きがフィリピン化してるせいか、ナチュラルスピードで返されるので会話が成り立たない、というのもあります。

それでは、と思いついたのがブログをイロンゴで書いてみること。フェイスブック経由で親戚や友達のフィリピン人が読んでくれそうなので、昨日最初の投稿をアップしました。でもやってみるとこれがかなり面倒。

いきなりイロンゴで書けるほどの能力は全然ないので、少し前の投稿を家内に手伝ってもらって翻訳することにしましたが、その日本語の原稿を家内に説明するのがたいへん。仕方がないので、一旦全文英語にしました。

人様に読んでもらうつもりで、まとまった量の英作文するのは久しぶり。アカンなぁ。イロンゴの前に英語のサビを落とさんと...。四苦八苦して書き上げた英文原稿は、家内に思いっきり添削されてしまいました。「これぐらいケン(うちの息子)の方が上手に書くよ」と、グサっとくる一言のオマケ付き。

しばらくしてできたのが、昨日の投稿というわけです。しかし、なんか間延びした文章。家内によると、普通のフィリピン人ならば、こういう文章は英語で書くのが当たり前なんだそうで、イロンゴで書くととてもややこしくなる。全文大阪弁で書くようなことなんでしょうね。確かにそれはちょっと違和感があるかも。

目的がフィリピン人に読んでもらうだけなら英語でいいですが、私の学習のためなので、それをやってしまうと意味がない。しかし英作文を直してもらう方が、将来役に立つような気がしてきた。どうしましょうかね?


2014年12月17日水曜日

Ang Pagkitaay Namon Liwat sang Akon Subang nga Bata

はなはだ唐突ですが、今日は私が住む西ネグロスで使われている、イロンゴ語での投稿です。原文は先週書いた「我が娘 ソフィアとの再会」。一旦英訳して、それを家内の協力でイロンゴに直しました。興味のある方は、読み比べてみてください。

Sophia ang ngalan sang akon subang nga bata sa Pilipinas. Indi siya illegitimate child kag indi sya bata nga babaye. Trade name sang TV ang ngalan nga Sophia, produkto sang isa ka electrical manufacturer kung diin nag obra ako bilang industrial designer para sa mga Southeast Asian countries.

Sang nagligad nga gab-i, na imbitahan kami sa isa ka salu-salo kag pagsulod sa sala sang sadto nga balay, may CRT TV nga Sophia. Ini nga TV gin design ko may sobra na sa 20 ka tuig ang nagligad. Memorable sa akon ini nga TV kay ini ang una ko nga obra para sa overseas market. Daw pareho ini sang isa ka bata nga nagpamana kag nagpuyo sa malayo nga lugar!







Sa akon na-angdan, 10 lang ka tuig magamit ang TV kag sa Japan, halos wala na sang CRT TV nga makita. Apang diri sa Pilipinas, ginahalungan gid ang TV kag bisan maguba, ginapakay o para magamit pa gid.

Madamo nga beses ko pa nakita ang Sophia. Sa isa ka madako nga hotel sa Bacolod, may Sophia sa kada kuarto kag ako bilang isa sa mga nag develop sini, nalipay gid nga ginagamit pa ini asta subong.


Nadumduman ko nga ang Sophia project ang rason sang una ko nga pagkadto diri sa Pilipinas gani masiling ko nga ini ang matchmaker namon sang akon pinalangga nga asawa. Kung ang amon naging bata isa ka babaye, wala na sang madamo nga gamo, SOPHIA gid ang iya ngalan kung tani.


Sa Southeast Asia, labi na gid sa Pilipinas, dapat madako ang speakers sang TV para ini maging mabakal. Apang indi matahum tulukon kung tama kadako ang speaker sang TV, gani nag himo ako sang bag o nga design nga matahum tulukon, maayo ang sound quality kag sophisticated ang porma. Ang Sophia nga ngalan naghalin sa tinaga nga “sophisticated”.


Malaba kag madamo nga istorya antes nahimo ang Sophia. May mga Japanese staff nga wala nakahibalo sang local Philippine market nga nagbatikos sa akon. Pero sang nahuman kag ginbaligya na ang Sophia, ini nangin bestseller. Asta subong, kung mabal an sang mga tawo nga ako ang nag design sang Sophia kag nalipay sila, pamatyag ko daw isa ako ka celebrity!


Pagkatapos sang madugay nga tyempo antes ang amon pagkitaay liwat ni Sophia, tuman gid ang akon kalipay.



2014年12月16日火曜日

ふたご座流星群の夜



このブログで、私の住むフィリピン・シライ市は、枕詞に「田舎街の」が付くほど田舎加減を強調してます。本当に市の中心部、教会や市役所の周囲以外、ほとんどサトウキビ畑ばかりと言ってもいいほど何もありません。なので、夜になると住宅地では灯りが少なくて危なくて出歩けないほど。

こういう場所なので、星空はかなりたくさん見ることができます。降るほどの...とまでは行きませんが、大阪の夜空に比べると段違いの星の多さ。かなり暗い星まで見えて濃淡がはっきりしているので、空全体がとても立体的でまるでSF映画で宇宙船が飛ぶ背景のよう。

こちらに引っ越してから、何度となく流星群が見られるタイミングがありましたが、忘れてたり、覚えていても雨や曇りだったり。この10月には皆既月食のチャンスがあったのですが、運悪く大雨。

日本で見られるということは、同じ北半球で比較的近い国なので、ここでも見られるはず。そしてついに一昨日、念願の流星群を見ることができました。実は今回も当日忘れていて、たまたまフェイスブックの友達が、日本で流星群を見みえたという投稿をしてくれて気づいた次第。

日本時間ではもう11時を回ったぐらいだったので、慌てて2階のベランダに出ると...。
お〜、流れとる。数分にひとつぐらいの感じで、あちらにもこちらにも。早速折りたたみ式の簡易ベッドを持ち出して、ゴロンと寝転んで空を見上げました。

日本ではもうかなり寒い時期なので、防寒をしっかりしないと風邪引きそうだろうと思いますが、涼しい時期とは言え熱帯のフィリピン。深夜でも気温は20度以上あって、Tシャツに短パンで大丈夫。ただし、蚊には気をつけないと。

かれこれ1時間ぐらいは空を見ていたでしょうか。日本にいる時は、こんなに腰を据えて夜空を見たことがなくて、これほどまとまった数の流星をみるのは、生まれて初めて。すっかり堪能させてもらいました。

しかし家内はあんまりこういうのに興味がないらしい。せっかく声をかけたのに、ちょっとベランダに出て「もう三つも見えたから寝る」と言って、すぐ引っ込んでしまいました。ロマンチックじゃないな〜。


2014年12月15日月曜日

これはバブルなのか?

このブログでも度々触れてますが、フィリピンの好景気は留まるところを知らない。家内と出会った18年前、初めてネグロス島に来た頃に比べると、隔世の感があります。フィリピン最大の流通グループ「シューマート(略してSM)」が西ネグロスの州都バコロドに出店したのが7年前。

ごみごみと無秩序に商業ビルが建て込んだ市の中心部から、少し離れた広大な埋立地に忽然と現れた巨大ショッピングモールの白いビルと青いロゴは、現在の好調な経済を象徴するかのようです。



2ヶ月に一度ぐらいは、ここで家族で買い物に来たり食事をしたりしてます。先日、ちょっと間が空いて久しぶりに来てみると、拡張工事が終わって売り場面積が1.5倍ぐらいになって、派手にクリスマスセールをやってました。




いつかどこかで見たことある光景。
これはまさしく30年前、日本の1980年代後半ですね。まぁあれほど急激で極端ではないにしろ、ショッピングモールだけでなく、高級住宅地は次々と造成されるし、走ってるタクシーはちょっと前に比べるとずいぶんきれいになりました。以前はフロントグラスにヒビが入って、それにガムテープ貼ってる車が普通だったのに。

私たちの住むビレッジも、ロットの価格がこの10年でほぼ倍になったそうです。それを見越して10年前に買ったのですが、あまりにも見込み通りすぎて怖いぐらい。もうだいぶ前に全部買い手がついてるはずが、投資目的が多いようで、見た感じまだ8〜9割は更地のまま。それなのに、隣接するサトウキビ畑を潰して、まだまだ造成が進んです。

有史以来、弾けなかったバブルはない。問題はそれがいつか?ということです。日本のバブル崩壊を30代で体験しているだけに、あの惨憺たる状況をもう一度見るのかと思うと、かなり憂鬱。あまりひどいことになると、今でも治安面では日本と比べるとかなりヤバい国なので、対応を誤ると暴動や略奪騒ぎがあるかも知れません。

この国に骨を埋めるつもりなので、どうか軟着陸してほしいと望まずにいられません。



2014年12月13日土曜日

笑顔の記念撮影 〜フィリピンの葬式〜

前回に続いて1週間後の本葬のお話。
今度こそみんな正装をするのかと思ったら、真面目に白シャツに黒いネクタイなどしてたのは私だけ。ちょっとよそ行きの服装してる人もいましたが、ほとんどみんなジーパンにポロシャツ、しかもサンダル履きという普段着。いくらフィリピンでも、これは相当ラフな葬式ですね。義母の時は、ちゃんとみんなバロン・タガログ(フィリピンの礼服)を着てたぞ。

定刻のお昼1時から、当然のように30分ほど遅れて、顔見知りの神父さまがお御堂に来られました。ここからはほぼ毎週の日曜の朝と同じ進行でのミサ。家内が聖書の第二朗読。誰も泣いてないのに、朗読中の家内だけが、ちょっと泣きそうになってました。
これが唯一葬式らしい出来事か?



神父さまの説教も、湿っぽい雰囲気は全然なくて、所々で笑いを取ったりしてまったくいつものミサですね。やっぱりこれはフィリピンだからというより、亡くなったのが98歳の婆さんで、それほど嘆き悲しむ感じでもないから、これほどカジュアルな雰囲気だったようです。

ミサが終わると、これはフィリピンならではの写真撮影。もうどんだけ写真撮んねん?とツッこみたくなるほど、被写体のグループを取っ替えひっ替えして延々と続きます。しかもみんな満面の笑顔。結婚式ちゃうがな。

ようやく撮影会が終わると、棺を霊柩車に乗せて埋葬する墓地まで参列者全員が移動。フィリピンでは霊柩車は白のベンツが多いようですね。これを先頭に、カーオーディアで陽気な音楽をガンガン流しつつ、後続の車はみんなハザード・ランプ付けて徐行運転。今回はたまたま全員車に乗ってましたが、時々見かける葬送は何十人、時には何百人がトボトボと徒歩。これやられると、空港へ向かう一本道に面した墓地周辺が、時ならぬ大渋滞になってしまいます。



30分ほどで到着した公設墓地。義母のお墓は隣の私立墓地にあるので、ここは初めて入りました。それにしても汚いなぁ〜。墓地で飲み食いした飲料やお菓子のパッケージが、あちこちにポイ捨てされまくってます。この感覚はさすがに信じられません。

この時点で、すでに神父さまはいなくて、ただ淡々と埋葬場所に棺が設置されるだけ。土に埋めるのではなく、コンクリート製の棚のような場所に置いて、モルタルで埋める。この作業をする人も、なんだかダラダラとやってるし、集まった人は好き勝手にお喋りしてるし、劇的な要素がまったくありませんでした。



葬儀開始から約2時間、何となく終わって参列者は三々五々解散。ここまで緊張感がない葬式は人生初めて。悲しみに満ちた葬式よりはよっぽどいいですが、もうちょっと何とかならんかな?と思ってしまった。


2014年12月12日金曜日

棺とギャンブル 〜フィリピンの通夜〜

もうすぐクリスマスという時期、家内の大叔母が亡くなりました。享年98歳の大往生。朝起きてこないので、家族が寝室に見に行ったらもう冷たくなっていたそうです。これだけ長生きして、最後まで家族と一緒に過ごして、苦しむことなく自宅で最後を迎える。周囲にもほとんど迷惑をかけずに、ある意味理想的な人生の終わり方かも知れません。

8年前に義母の死を経験しているので、フィリピンでの葬儀は初めてではありません。しかし今回は比較的距離のある親族だったので、不謹慎ながら興味深く観察することができました。

フィリピンでは誰かが亡くなると、ほとんどすぐ遺体に防腐処理が施されます。熱帯の気候で年中暑く遺体の傷みが早いのと、死後約1週間も通夜が営まれるからです。義母の時は、埋葬予定の墓地付属のチャペルの傍にある、葬儀用のホールで通夜と葬儀が行われましたが、今回は葬儀会社で、20畳ほどの広さがあるお御堂が4室と受付がある葬儀会館のような建物。




私たちが最初に弔問した時は、すでに遺体は棺に納められ、親族が交代で付き添っていました。これが日本ならば、喪服に身を包んで集まった人たちは、静かに故人の思い出を語り合い...となるところなんでしょうが、フィリピンでは棺の前でギャンブルをするのが恒例。だいたい誰も喪服らしきものを着てないし。



私たちの少し後からお御堂にやって来た、まったくの普段着のおばちゃんたちが4人。おもむろに真四角のテーブルに陣取ったかと思ったら、麻雀が始まってしまいました。やってる方も、見てる人も「至極当然」という顔。
以前、棺の前で夜明かしした時は、男ばかり数人集まって、酒を飲みながらトランプをやってました。その記憶があるので、通夜で博打打つのは男だと思い込んでましたが、そうでもないんですね。



ちょっと長くなりそうなので、本葬の様子は次回の投稿に続きます。


2014年12月11日木曜日

我が娘 ソフィアとの再会

フィリピンに隠し子がいたわけではありません。
ソフィアというのは女の子の名前ではなく、フィリピンで発売されたテレビの商品名。実は私、某電気メーカーにデザイナーとして勤めていて、東南アジア諸国向けのテレビのデザインをしておりました。

先日、家内の親戚宅で晩ご飯をご馳走になった時、リビングルームに置いてあったのが、なんと20年近くも前に私がデザイン担当したテレビ「ソフィア」でした。これが記念すべき、私の海外向け商品第一号。お嫁に出した愛娘と言ってもいい。




普通、テレビは10年も使ってもらえればいい方で、最近の日本だとブラウン管のテレビ自体が珍しくなってきたと思います。しかしフィリピンではみんな物持ちが良くて、家電製品は修理を重ねて、大切に使うお客さんが多い。

このソフィアも、まだ現役で使われているのを何度か見てます。一番数が多いのは、隣町の州都バコロドでも最大のホテル。各客室に設置されているので、まだ少なくとも何十台という単位で残っているようです。開発に携わったものとしては、嬉しいことですね。

もともと、この仕事で初めてフィリピンに来ました。言わば、家内との縁を結んでくれた存在でもあります。子供が生まれた時は、女の子ならば洗礼名はソフィアにしようと、本気で考えていました。

フィリピンを含む東南アジアでは、テレビでもスピーカーは大きくないと売れなくて、どこのメーカーも不細工なほどでっかいのをつけてました。そこで音は良さそうに見えて、しかも洗練されたフォルムを目指そうということで、こういうデザインにしたわけです。ソフィアは、洗練=ソフィスティケーティッドから名付けられました。

完成まではいろいろあって、現地を知らない日本人スタッフからは、かなり酷評されたりもしましたが、売り出してみると大ヒット。今でもフィリピンでは、ソフィアのデザイナーだと分かると「サインしてください」と言われることもあります。

久しぶりの再会に、しばし昔の思い出に浸ったひと時でした。


2014年12月8日月曜日

弱点狙い撃ち〜22号台風ハグピート〜

まだ台風22号は、この時間(12月8日正午頃)フィリピン・ルソン島の南にあって、首都マニラに接近しているものの、昨年の30号台風ヨランダに比べると小規模な被害で済んだようです。台風自体がそれほど強くなかったというのもありますが、やはり去年、似たようなコースの台風で激甚災害があったので、政府も地方も本気で警戒したからでしょう。

今回は我が家でも、食料・飲料水・トイレに流す水の備蓄・車のガソリン。考えられる用意はすべて済まし、沿岸部に住む親戚にも声をかけて一昨晩は泊まってもらいました。結果的には幸運にもどれも空振りで、停電すらまったくなかった。

言っても詮無いことですが、ヨランダの時にレイテで同じように避難してたら、6000人以上もの人命は失われなかったかも知れません。台風に限らず、またフィリピンに限りませんが、自然災害というのは、油断してる人の弱点を狙い撃ちにしてくるものらしい。

しかしフィリピンの場合、毎年同じように痛い目に遭うのに改善されない、あるいは改善できない所もあるようです。例えばフィリピン中部のビサヤ諸島の東岸。フィリピンに襲来する台風が、最初に上陸する確率がとても高い場所なのに、海岸沿いギリギリまで粗末な住宅が軒を並べています。高潮や津波が来たら、誰が見ても一たまりもないのが分かりきっているのに。

ここシライ市内でも、貧しい人が(不法占拠も含めて)家を建てられるのは、海沿いや川沿いなどの低くて水はけの悪い場所が多い。台風でなくても、一晩激しい雨があると浸水。

フィリピンの南に位置するミンダナオ島で多いのは、土砂災害。こちらは完全に人災で、森林が壊滅的に伐採されてしまったため。一度被害が出ると、犠牲者の数が百人・千人単位になってしまう。

そして、首都マニラ。人口だけで言うと東南アジア最大の都市なのに、下水道が貧弱でほとんど毎年洪水。一説にはポイ捨てされたレジ袋が、排水溝を詰まらせているからだとも言われています。確かに街並みの汚れ具合を見ると、そうかも知れない。

相手が自然なので、完全な防災は不可能にしても、あまりの無防備、あまりの無為無策ぶりに悲しくなってくるほどです。日本も自然災害が多いのは同じで、時には千人・一万人単位の死者が出ることもありますが、毎年とか数年おきに同じことになるというのは、さすがに考えられない。

時々冗談でフィリピン人同士でも、フィリピンは独立などせずアメリカの51番目の州になったら良かった、と言うことがあります。ひどい災害が繰り返されると、ただの外国人の立場である私などは、本気でそうだったほうが、フィリピンの人たちは幸せだったのではないか?とすら思ってしまいます。もちろんこれは暴論ですが...。


台風一過。久しぶりに青空が顔を出したシライ市の朝。