2018年1月19日金曜日

フィリピンに生活保護はないけれど


最近、日本語のネットで頻繁に話題になっている生活保護。たいへん幸運なことに、生まれてから日本を離れるまでの50年間、一度もお世話になったことはありません。私が赤ん坊の頃には、両親は相当生活が苦しくて、母親(私の祖母)にお金を借りに行こうにも、たった数十円の電車賃が手元にない、なんてこともあったそうです。

それでも、高度経済成長真っ只中の時代。真面目に頑張れば、景気も個人所得も右肩上がりの昭和40年代。私が物心付いた時には、贅沢ができるような境遇ではないにしろ、借家ながらも一軒家に住み、ごく普通の中流家庭の体裁になっていました。

しかし今。これから経済が急激に上向くような気配もなく、人口は減り老人は増えていく。結婚しようにも貯金すらままならず、妊婦や幼い子供を連れて歩くお母さんが、嫌がらせを受けるような社会。

最近、日本の生活保護について調べて、気分が落ち込んでしまいました。収入が生活保護レベルになっているのに、実際に保護を受けている人(捕捉率)が20パーセントにも満たないんですね。そして何かと言うと目の敵にされる不正受給は、総額のたった0.38パーセント。受給窓口担当者が度を超えた厳しさで、本来助けられるべき貧困者を追い返しているという話。

曰く、窓口で「体を売れ」と言われたとか、生活保護を打ち切られ、電気も水道も止められて餓死したとか。これが本当にあったことかと、耳を疑いたくなります。

日本の社会は、一体どうなってしまったんでしょう。個人もお役所も、異常なまでに不寛容。他者に厳しすぎる。同様に自分にも厳しく当たるから、心を病む人も多い。ここネグロスのシライで会った、若い日本人が一様に口にするのが、日本の労働現場で感じる「理不尽な厳しさ」。1分遅れただけで車掌が謝り、レストランでは些細な失敗に土下座しろと罵られ、新入社員が責任を押し付けられて自殺する。

フィリピンは日本より貧乏だと言われるし、生活保護なんて気の利いた制度はありません。それでも貧困層に対しての見方は、そこまで冷たくはないですよ。隣近所や親戚で、食べるのにも困っている人がいれば、誰かが救いの手を差し伸べるのが当たり前。

20年近く前、私がフィリピンの旅先でひどい下痢になって、どうにもならなくなった時、家内の友達がどれだけ親身になって看病してくれたことか。夕食時に急な訪問をしても、嫌な顔一つせず食事を分けてくれるし、ホテルが取れずに困っていると、当たり前のように泊めてくれる。すべて私の実体験。

犯罪は多いし、それほど親しい間柄でもないのに借金を頼まれたりといった、あまり気分の良くないこともあります。それでも、日本にいた頃のような、絶えず緊張して、綱渡りをするような精神状態に追い込まれることは皆無。

日本に生まれ育って日本しか知らない、特に若い人。今がとても幸せならば、何も言うことはないけれど、毎日が辛くて、閉塞感に押しつぶされそうならば、早く日本を出て外の世界を見ることをお勧めします。

定時退社や年休完全消化は、別に責められることもないし、時間に少々遅れても大丈夫。近所を散歩すれば、顔見知りの誰もが笑顔で挨拶してくれて、道端には子供が溢れんばかり。文句を言えばいくらでも言えるし、理想郷には程遠くても、そういう国でしばらく暮らせば、ずいぶんと気楽な生き方もできるんだと、気付かされますよ。


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