2018年1月6日土曜日

ジェネレーション・ギャップ


前回も投稿したように、ここ最近、にわかに若い日本人とのお付合いが増えました。ネグロス島シライで、日本のNGO「森は海の恋人」が、日本とフィリピンの大学生の協力を受けて、3年間のプロジェクトを行っていた時には、家内が現地マネージャーとして参加していた関係もあり、日比の学生さんたちが、大勢我が家に来てくれたことも。

しかし一昨年のプロジェクト完了と同時に、日本人の来客もかなり少なったと思っていたら、またもやこの盛況。きっかけは、シライで活動する別の日本のNGOにインターンで滞在していた、大学生の方と友達になったこと。

その学生さんが、隣街バコロドに英語留学で来られていた、何人かを紹介してくれたお陰で、次々と友達の輪が広がっていきました。フィリピンの片田舎に、半ば隠遁生活状態とは言え、元来話好きな私なので、これは望外の喜び。

年末には、忘年会でもしましょうとなって、女性4人と男性2人の若者が我が家へ。中高年のフィリピン在留邦人が、圧倒的に男が多いことを思うと、世代交代が進み、男女比もずいぶん様変わりしているようです。

フィリピン移住後も、家の中では日本語で喋っているけれど、20年も連れ添った妻と、12歳の男の子相手では、そんなに会話量があるわけでもない。家を出たら、片言のイロンゴ語(西ネグロスの方言)か英語だけ。自然と、日本語に飢えてきます。

なので、一度に6人も日本人と会い見えれば、日本にいた時以上のマシンガントーク。やかましい関西弁を捲し立てられて、お客さんたちには迷惑だったかも知れませんね。すみません。

というわけで、いろんなことについて4〜5時間も喋り続け。フィリピンやネグロス島という共通のベースがあるので、話が途切れることはなかったけれど、さすがに30歳も年齢差があると、時々「え?」ということもありました。

みなさん礼儀正しく、敬語や丁寧語はきちんとしてます。ただ気になったのは、食べ物や飲み物を勧めた時の返事に「大丈夫です」と言われたこと。いただきますの意味かと思ったら、これはノーサンキュー。つまり、十分いただいたので、もう大丈夫です、みたいな感じなんですね。へぇ〜、オっちゃんの若い頃は、そういう使い方はしなかった。

そして一番ショックだったのが、音楽の話になった時。なんとYMO、イエローマジックオーケストラを誰も知りませんでした。確かにテクノポリスやライディーンが流行った1980年代の前半には、まだみんな生まれてなかったでしょう。でも日本だけでなく、世界の音楽シーンに大きな影響を与えて、坂本龍一さんという、いまや大作曲家として知られるアーティストを輩出したユニット。


言ってみれば、ビートルズ、とまではいかなくても、ほぼ同時期のクイーンやアバぐらいのインパクトがあって、日本国内に限っても、一種の社会現象レベルにまでなったのに。皆さん、YMOの名前だけでなく、テクノポップという言葉さえ知りませんでした。そういう時代なんですねぇ。オっちゃんは寂しい。

仕方がないので、こっちから歩み寄るように、「いきものがかり」へ話題をシフト。フィリピン移住直前に、ベストアルバムを買っておいてよかった。おかげで大ヒットした「ありがとう」以外にも何曲か知っていたので、浦島太郎状態にはなりませんでした。

さて翌日。なんだか悔しいので、ブログやイラストの作業用BGMは、YMOのオンパレード。自慢やないけど、オっちゃんはデビューからラストまで全部CD持ってるんやで。多分、ネグロス島で「君に胸キュン」を歌ってるのは私だけだったでしょうね...。


こんなすごい動画を発見



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