2018年1月31日水曜日

杉谷善住坊 日本・フィリピン交流史1


今日の投稿は、前回予告した通り、日本・フィリピン交流史というテーマの第1回目です。

杉谷善住坊(すぎたに・ぜんじゅぼう)の名前を知っている人は、そんなに多くないでしょう。もし知っていて、あなたが女性ならば、今流行りの「歴女」と呼ばれるかもしれません。善住坊は、戦国時代のスナイパー(狙撃者)。その来歴は謎に包まれていて、忍者、雑賀衆、伊勢の国・杉谷城の城主など、いろいろな説が。

いずれにしても、火縄銃での織田信長の狙撃・暗殺を試みて失敗し、その科によって、鋸引きで刑殺されたのは確かなようです。でも、なぜその善住坊が「日比交流史」の最初に出てくるのか。

「交流史」と銘打ちながら、いきなりフィクションで申し訳ないのですが、1978年(昭和53年)のNHK大河ドラマ「黄金の日日」に、主人公の助左こと呂宋助左衛門(るそん・すけざえもん)の若き日の相棒という設定で、杉谷善住坊が登場。信長暗殺をしくじって捕まる前に、助左と共にルソン島に潜伏していたというストーリー。

呂宋助左衛門、本名・納屋(なや)助左衛門は、日本史上最初にフィリピンとの大規模な交易を行った人物。現地から持ち帰った数々の珍しい交易品、特に「呂宋壺」が珍重され、豊臣秀吉の保護で豪商としての地位を確立。太閤記にその経緯が記されているそうです。

ところが、呂宋壺は、名器の類でも何でもなく、庶民が便壺として使用していたものだと発覚し、秀吉の怒りを買って日本を追われフィリピンへ。のちにカンボジアで再び富を築きました。

そういった伝承の一部を踏まえたドラマでは、助左は一介の船乗りとして参加した最初の航海で難破。乗り合わせていた善住坊、そしてなぜか石川五右衛門の3人がルソン島東岸にあるアゴー村(Agoo 実在する地名)に漂着。そこから身振り手振りで日比交易が始まります。

善住坊役は、カップ麺「どん兵衛」のCMで少しづつ知名度が上がっていた、川谷拓三さん。凄腕のスナイパーなのに、気が小さくて怖がりで、全然格好よくない、とても人間臭い男を好演。この演技が素晴らしく、テレビ初出演だった、五右衛門役の根津甚八さんと並び、主役の松本幸四郎さん(現・二代目白鷗)や並み居るベテラン大物俳優を食って、ドラマの顔として脚光を浴びました。

劇中の善住坊は、族長の娘マリキッドの侍女、ノーラと恋仲になり、結婚。ところが婚礼の当日に、日本へ向かう交易船がアゴー付近を航行しているのを見つけ、新妻を残して帰国してしまう。結局善住坊は、フィリピン再渡航の夢叶わず、非業の死を遂げます。

放送当時、高校生だった私は、ノーラに思いっきり感情移入してしまい、可哀想で仕方なかった。と言いつつ、その十数年後に、私もフィリピン女性を泣かせるようなことを、やらかしたんですけどね。

ちなみにこの話、ジャパゆきと呼ばれた出稼ぎフィリピン女性が大挙来日して、社会問題になる前のこと。まるでその後の、日本男性とフィリピン女性の、典型的な恋愛パターンを予言しているよう。日本を食い詰めてフィリピンに逃亡。現地妻まで持ったのに、やっぱり日本が恋しくて、妻を残して日本へ。今では善住坊の気持ちが、痛いほど理解できます。

さて現実には、杉谷善住坊がフィリピンに渡った記録はありません。呂宋助左衛門の日比交易も、偶然ではなく、計画的に船を仕立てて、おそらく通訳も用意したんでしょう。それでも「黄金の日日」は、大河ドラマ史上最高傑作と言われ、日比の交易事始めに人々の興味を引きつけたという点でも、高く評価されるべき作品だと思います。

実は日本で購入した「黄金の日日」DVD-BOXを、ネグロスにまで持参しております。そろそろ息子と一緒に鑑賞しようかと思っている、今日この頃なのでした。


それでは、次回の日本・フィリピン交流史では、同じく戦国時代。キリシタン大名の高山右近を取り上げたいと思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿