ここ数日(2018年1月下旬)、日本は大雪や寒さの話題で持ちきりなようです。関東地方は、平野の都心部でも相当な積雪があり、公共交通機関がストップしたり大幅に遅延。比較的雪の少ない、私の生まれ故郷の兵庫県尼崎を含む、近畿の瀬戸内でも薄っすら積もるほど。寿司屋の大将で、中学の同級生だった友人が、尼崎の様子をビデオに撮ってフェイスブックで見せてくれました。本当に寒そう。
東京近辺の大雪は、前日には予想されていて、ネット上でも帰宅困難者が出そうだと警告が発せられてました。それでもジャパニーズ・ビジネスパーソンズは、出勤するんですね。早退指示をしてくれる会社ならまだしも、やっぱり深夜まで居残って、オフィスに泊まりだとか、電車に閉じ込められたとか。もう少しご自分と家族を大事にしてください。
ここでいつものように、フィリピンとの比較を持ち出すわけです。フィリピンは雪はないので、雨を例に取りますと。まず警報が出るようなレベルならば、出勤・通学時は降っていなくても、自動的にすべての職場や学校はお休み。ここシライでも、台風の時に通学しようとして、子供で満員だったジプニーが崖から転落。たくさんの死者を出したという痛ましい経験から、このルールは極めて厳格に守られています。
しかし、たとえ警報が出なくても、ちょっと強い雨だと、トライシクル(オート輪タク)は、てきめんに捕まらなくなるし、道路が冠水して車も動かないなんてことはザラに起こるフィリピンのネグロス島。「雨だから休みます」が当然の欠勤理由になるお国柄。ちょっと自分を大切にしすぎかも。
ちなみに今日(1月27日)の尼崎の最低気温は-2度。ここシライの最高気温が29度。季節が逆転してしまう南半球ならまだしも、同じ北半球で、飛行機で3〜4時間の距離でも、気温差が約30度。こんなに違うんですね。ここまで別世界で暮らしていると、国民性に違いができるのも、実感として理解できます。
アリさんとキリギリスさんのように、寒く食料は不足する冬に備える必要の有無は、やっぱりメンタリティに決定的な影響を及ぼすもの。ただし、アリの生き方が正しくて、キリギリスが間違っているという意味ではありません。人間を含めてすべての生き物は、天から与えられた条件に適応するのが自然の摂理。だいたいイソップの寓話なんて、こじつけもいいところだし、実際はアリもキリギリスも本能に従っているだけ。
寒かろうが辛かろうが、働ける時に働いておかないと、冬場に自分も家族も飢えてしまう。そんな厳しい自然環境で何世代も過ごすうちに、滅私奉公だとか、若い頃の苦労は買ってでもしろだとか、自虐的なまでにストイックな労働観ができてしまったんでしょうね。
それはともかく、雪の話。以前にも少し書きましたが、フィリピン人の家内が私と一緒になり、半年かかってビザ取得して来日した最初の冬。泊りがけでどこかに遊びに行こうとなって、家内からのリクエストが「雪を見たい」。そりゃそうでしょうね。冬がないどころか、年間最低気温が20度を下回ることさえ稀という、ネグロス島の平地で生まれ育ったんだから。
ということで、出かけたのが、兵庫県の日本海側にある城崎(きのさき)温泉。確か2月だったと思います。JRの特急列車に乗っての往路。福知山を過ぎた辺りから、車窓からの景色は一面の銀世界。当時すでに30をいくつか過ぎていた家内は、こっちが恥ずかしくなるほど大はしゃぎ。城崎温泉駅に降り立った頃には、テンションが最高潮。この感覚って、私たちが南国のビーチリゾートに憧れるようなものなんでしょうか。
日本からの雪の便りに、いろんなことを思ったり、思い出したりしてしまいました。
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