2018年1月24日水曜日

被害者を鞭打つ日本の常識


先日このブログで紹介した、日本で働くフィリピンからの技能実習生に関する報道。職場での暴力に耐えかねて労働組合に加入したところ、実習生の受け入れ窓口の監理団体から、組合からの脱退を要求されたというもの。

このニュースは私が調べた限りでは、東京新聞共同通信日刊スポーツの3社が記事として取り上げているところを見ると、群馬県のローカルニュースにとどまらず、社会問題、あるいは外交問題になりかねない気配を感じます。

職場環境や、フィリピン人労働者(名目上は実習生)の勤務の詳細な内容が分からないけれど、暴力を振るったという時点で、少なくとも日本の法律では、刑事事件として警察が捜査に乗り出すべきもの。叱責や指導などの理由も、被害者の国籍も関係ありません。

ところが、フェイスブック内でこのニュースがシェアされた投稿に、被害者を誹謗中傷するような、信じられないコメントがありました。要約すると、フィリピン人は馬鹿だから、勤務態度に問題があったに違いない、殴られるだけの理由があったはず、といったニュアンス。

こんなアホなことを、いい歳した大人の日本人、しかも自称フィリピン在住者が言うとは、怒りを通り越して呆れ返るしかありません。ツッコミどころが多すぎて、どこから指摘しようか迷うほど。ここは感情を抑えて、何が問題なのかを冷静に分析してみましょう。

偏見に無自覚


そもそも、1億人もいるフィリピン人を、一絡げにして決めつけることが、おかしいと思わないのでしょうか。この記事には、フィリピン人労働者の勤務態度に関する記述はまったくないのに、自分がフィリピン人に仕事を頼んだら、ひどい結果だったという経験だけを根拠に、フィリピンの男は、まともな仕事ができる奴はいないと断定。その理屈が通るなら、日本人の男は全員フィリピンに買春目的で来る、と言われても、反論できません。

いじめの論理


フィリピン人=馬鹿と決めつけることで、イジメても、殴ってもかまわない、とする心理がたいへん危険。これは日本の教育現場や日本人同士の職場でも蔓延する、いじめの論理。不倫を暴露された芸能人が、袋叩きにされるのと同じ文脈。大人が平気でイジメに加わるから、子供も当たり前に真似をする。特に中学時代にイジメを受けた体験のある私には、到底他人事とは思えません。

遵法精神なし


最初にも書いたように、どんな理由があっても殴ったら犯罪。しかも、労組加入を阻止するなんて、日本国憲法で定められた労働基本権の重大な侵害。相手がフィリピン人なら、日本の国内であっても、刑法も憲法も無効になると、思っているのでしょうか。フィリピンに住んでいる私が、フィリピン国籍がないことを理由に、暴力を受けても文句も言えない状況を想像すると、恐ろしくなります。

日本の立場が分かっていない


少子化で労働人口が急減している日本。現状の経済や生活レベルを維持するには、海外からの労働者に頼らざるを得ないのは、まともに考えられる頭があれば、理解できること。そして日本の賃金は長いデフレの影響で、諸外国と比べての魅力が薄れている現在、フィリピンからの労働者を虐待することが、どんな結果を招くか想像してみてほしい。

それでなくても、東南アジアの人からすると、難解な日本語や寒い冬というハードルがあるのに、賃金はそれほどでもなく、長時間の重労働。その上虐待のリスクまであるとなったら、誰がそんな国で働きたいと思うでしょう。働かせてやるどころか、こっちからお願いして来てもらうという日本の立場が、全然分かっていない。



ここまで書いて、なんだか悲しくなってきました。今回話題にした記事へのコメントに限らず、ここ数年の日本での出来事は、ネットを通じて見聞きするだけでも、ひどいものが多い。ヘイトスピーチは言うに及ばず、心の病で療養していた皇太子妃が嫌味を言われたり、電車内で出産したお母さんへ誹謗中傷が集まったり。沖縄での学校への米軍機からの落下物や、レイプ被害者を巡るネットでの発言には、しばしば目を覆いたくなります。

一体いつから、被害者を鞭打つのが、日本の常識になってしまったのでしょうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿