キューティーハニーを最後に、かれこれ1ヶ月、投稿が滞っておりますが、やる気が失せたわけでありません。立て続けに泊りがけの旅行に出かけたりして、早期退職のお気楽な暮らしの割には忙しかったんですよ。もうすぐ次のイラストを公開しますので、しばしお待ちを。
その穴埋めというわけでもありませんが、今日は美女図鑑の番外編。みなさんは、生頼範義(おおらい のりよし)さんというイラストレーターをご存知でしょうか。イラストレーターというより、絵描きとか画家というべきか。
私がフィリピンに移住して2年目の2015年、惜しくも生頼さんは、79歳で亡くなりました。その道では超有名で、生頼さんを知らないなんてモグリもいいところ。彼の名前を知らなくても、映画「スターウォーズ 帝国の逆襲」や、1984年以降の一連のゴジラのポスターは、見たことがあると思います。
私が生頼さんの作品に接したのは、高校生の時。当時、貪るようにして読んでいた、小松左京さんの「エスパイ」「復活の日」や平井和正さんの「サイボーグ・ブルース」「死霊狩り」「ウルフガイ」などの日本人作家によるSF小説。その表紙や挿絵を担当していたのが、他ならぬ、生頼さんでした。
隅々まで描いた人の強い意思で支配されたような、独特の重厚で暗い作風に、18歳の私は完全に陶酔状態。画集も買い求め、今も手元に置いて、時々眺めています。絵描きではなくデザイナーの道に進んだので、技術面での直接的な影響はなかったものの、常に、遥か遠くにそびえ立つ山並みを仰ぎ見るような感覚で、そのお仕事ぶりを注目し続けてました。
画集の最後に書かれた、当時まだ40代だった生頼さんの言葉が、今でも胸に沁みます。「生活者としてはイラストレーターなる適切な訳語もない呼ばれて、うしろめたさと恥ずかしさを覚える者」とご自分を規定しつつ、「生活者の五分の魂にかけて、いかなる主題といえども描きあげねばならない」と断じ切っておられます。
「私は肉体労働者であり、作業の全行程を手仕事で進めたい。」「一貫して、眼と手によって画面を支配したい。習練を積むことで手は更にその動きを滑らかにし、女の肌から鋼鉄の輝きに至る無限の階調を描きわけてくれるだろうし、眼はその手の操作を充分に制御してくれる筈だ。」
どうですか、この清々しいほどの明快さ、厳しさ。今読み直しても、しびれるほどです。中途半端に芸術家ぶったりせず、それでいて生み出される作品は、依頼者の要望を完璧なまでに満たしつつ、芸術の域にまで達した完成度がある。まったく凄い人と言う他はありません。
さらにこの画集には、写真とご本人の解説による作品の制作過程が掲載されています。これが実に貴重な資料で、技術的な影響はないと書いた私が、今頃になってイラスト制作の参考にするほど。
ということで、我が魂の師と呼ぶべき生頼さんは、本当にただ仰ぎ見るだけの存在。到底その真似はできないものの、好きで描き始めたイラストレーション。もうしばらくは頑張って、続けていきたいと思います。
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