まずブログは、ネットなしで存在自体があり得ない。投稿するだけでなく、プロのライターでもない私が、不特定多数の方に文章を読んでもらって、時にはコメントまでいただく。夢のようなことです。
しかし、それ以前に「書く」行為自体が、例えば30年ほど前ならば、とてつもなく面倒な作業でした。ワープロ、日本語ワードプロセッサーが、普通の電気屋さんに出回り始めた当初。本業の作家や記者の方々からすると、機械で文章を書くなんて邪道だ、みたいに見られていたでしょう。
家庭で使うと言っても、年賀状書きのような特別な用途が中心。私が本格的にワープロを使い始めたのは、企業内の昇格試験のためのレポート作成のため。最初は誰もがそうだったように、推敲が画期的に楽なことに驚きました。
まずラフでも雑でもいいから、とにかく書き始めてしまう。書き直しや誤字脱字チェック、段落の入れ替えは、コピー・ペーストで、後からいくらでもできる。元の文章を残してたければ、別名で保存。時々、往年の大作家が残した手書き原稿を目にすることあると、その凄まじいまでの書き直し、赤ペンやら色鉛筆での作業跡が、痛ましい感じがするほど。
それを評価する人にしても、文章の上手い下手は別にして、いきなり活字で読めるのだから、手書き原稿に比べると、ずいぶん楽になっただろうと思います。
そしてイラスト。こちらはコンピューター化の恩恵はさらに大きい。手描きのイラストなんて、大なり小なり一発勝負。仕上げの段階で構図を変更するとなったら、一から描き直すしかありません。また下絵や途中のプロセスを残すこともできない。
何より、ペンや絵筆のタッチを微妙に変化させて、頭の中のイメージ通りに描く行為は、肉体的な訓練がなければ絶対不可能。集中力はいるし、手も周囲も汚れる。しかも画材は高い。
さらに、ネット経由で画像資料を手軽に収集できる利点もある。フィリピンの伝統衣装を描きたいと思いたっても、記憶力だけでは、とても詳細までは描き込めません。
今ではアドビー・イラストレーター(AI)やフォトショップ(PS)と言ったパソコンアプリを使えば、素人同然の初心者でもセンスさえあれば、すぐにプロとしてデビューできます。かつてはロットリングで均一な線を描いたり、エアブラシで滑らかなグラデーションを表現するためには、長年の反復練習と、何時間、何十時間もの作業時間が必須でした。それが、ちょっとした要領をつかめば、自由自在に表現可能。何回でも、どの段階からでも、気が済むまで描き直しもできる。
1990年のアドビー・イラストレーター
出典:WinWorld
もちろん美術系の大学を出た私なので、昔は全部手描きでウンウン唸りながら頑張ってました。手描きでしか表現できないことは無限にあるし、なんでもパソコンで描けるとは言わないけれど、少なくとも今の私にとっては、十分過ぎるツール。もう手描きでやれと言われても、できません。
ワープロにしてもパソコン描画にしても、昔は、機械が自動的にやってしまうので、出来上がった文章や作品は無味乾燥で、人間的な味わいがない、と思い込んでいる人がいました。ひょっとすると現在でも、それに近い感覚の人がいるかも。
実際にやってみた人ならば説明するまでもなく、コンピューターもただの道具。使い勝手が悪く、機械として不出来だった時代ならともかく、今では、嫌でも書き手・描き手のセンスの有無がモロに出てしまいます。怖いほど隠しようがない。
これは個人のことだけでなく、国の間でも同じことが起こっているのが現代の状況。分かりやすい例が、家電の分野で、1980〜90年代に圧倒的な強さを誇っていた日系メーカーが、瞬く間に韓国や中国の後塵を排するようになったこと。
設計や生産、品質管理など、かつては経験や勘にたよる部分が大きく、製品そのものも、アナログ的で機構部品の比率が高かった頃には、日本的モノ作りが時代の趨勢。ところが、すべてがデジタル制御となり、極端に言うと、そこそこの部品さえ集めて効率よく組み立ててれば、十分な品質が実現できてしまう。磁気テープに録画するタイプのビデオカメラが、ポケットに入る iPhone の前では、前世紀の遺物となったことを見れば、よく分かります。
こうなれば、過剰品質な厳しい生産管理は、単に高コスト体質を生むだけ。それより外装に知恵と金をかけて、見た目が美しく洗練されて、しかも安く作れる方が勝つに決まっています。さらに致命的だったのは、日本メーカーの決断の遅さ。
これは日本に限らず、一つの分野で成功しすぎると、次の技術革新に乗り遅れるのは、歴史的必然。液晶は画質面で絶対にブラウン管に勝てないとか、タッチパネルよりボタン操作の方が間違いなく優れていると、社内のエラいさんが断言するのを、私は現実に何度も聞きました。
とまぁ、長々と書きましたが、これを本当に読んでもらいたいのは、昔の上司ではなく、今でも、あらゆる分野で日本がフィリピンに勝っていると、何の根拠もなく思っている日本人の方々。
意外に気付かれていませんが、貧困層ですらスマホを持っているフィリピン。しかも英語が第二公用語。スマホ経由で、小学生でも英語の生情報に直接アクセスできる時代。そして、人工知能の実用化が進めば、センスとアイデアさえあれば、住んでいる場所も環境も関係がない。それこそ手描きの経験ゼロの初心者が、プロのイラストレーターに勝てるようなもの。
100年経っても、フィリピンは日本に追いつけないと、本気で信じている人たちに言いたい。100年前の日本人は、肉体労働者や娼婦として、フィリピンに出稼ぎに来てたんですよ。
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