2018年3月7日水曜日
やらない自由
「自由」という言葉、大抵の場合、ポジティブで能動的に使われると思います。職業選択の自由、信仰の自由、自由恋愛...などなど。何をしても自由だと言われたら、何かをするのが大前提と考えるのが普通。
ところが、40歳を過ぎた辺りから、敢えてやらないことも自由だと気づきました。早い話が、私が日本を離れてフィリピンに移住することを決めた、一番の理由がそれ。
日本に住まない自由、ストレスを感じることをやらない自由。
最初にフィリピンに住みたいと強く思ったわけではありません。ぶっちゃけて言うと、日本で会社員として働くことに、ほとほと疲れ果ててしまったから。私の場合、工業デザイナーという専門職だったこともあり、新人の頃から、出世したいとか金持ちになりたいという、自然でナマな野心はほとんどなかった。
ただ、いい仕事をして、自分がデザインを手がけた商品を、できる限り数多く世に出したい、とは思ってました。自分がしたいこと、好きなことで、それなりの給料を貰えれば、それ以上何を望むのかという感じ。
入社後の15年ぐらいは、ほぼ希望通りに事は運び、企画台数が何万台の機種も任されたし、海外担当デザイナーとして、東南アジア・中近東・中国・アメリカ・西ヨーロッパなど、約20カ国を飛び回る日々。体力的にはキツかったけれど、ずいぶん充実してました。
それが、40歳になろうかという頃から、会社全体の業績が落ち込み始め。それと同時に私も、まるでメッキが剥げたかのように、何をしてもうまく行かない。担当商品は度々変わり、異動先では上司や同僚といい関係を築けず。極め付けは、どう考えても無理筋の仕事を、組織の方針だからと推し進めるうちに、とうとう鬱を発症。
先の見えないつらい状況から、逃げ出したい一心で思いついたのが、家内の国フィリピンへの移住でした。
とは言っても、自暴自棄になってすぐに国外逃亡を企てたわけでもありません。海外移住と言うより、早期退職が目的。少なくとも年金受給までは、無理せずに食いつながなければならない。逆算すると、どんなに急いでも50歳までは働かなければ。
苦し紛れでも、具体的にあと何年と、はっきりと目標を数値化できたのは幸いでした。何がつらいと言って、見通しのないのが一番つらい。また家内の実家があるネグロス島シライを予定地としたので、生活費がどれぐらいか、気候や食べ物はどうか、などのイメージが明確。それにもとづいて、貯蓄目標金額も算出。
時期とお金の目処さえつけば、ただの夢ではなく、計画に乗せることができます。ここまで考えたら、ずいぶんと毎日の会社勤めが楽になりました。
そういう経緯で、念願の海外移住(日本脱出)を果たしたのですから、フィリピンでは、今まで以上に「やらない自由」を行使しております。分りやすいのが人間関係。ネグロス在住の日本人や、家内の親戚や友達でも、付き合いたくない人とは、絶対に顔を合わせない。ネット上でも、面倒になればブロックして絶縁。
人生の残り時間は、どれぐらいあるのか見当もつきませんが、もう前途洋々なわけはない。限られた自分の時間を、我慢したりストレスに耐えたりといった、ネガティブな感情に支配されながら過ごすのは、もうこりごりですから。
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