2018年3月13日火曜日
フェイリピンで考える、若者に投票させる方法
このブログで日本の政治について書くのは、趣旨から外れてしまいます。それでも、ここ数日の状況をネット経由で見ていると、何か言わなくてはいけないような、焦燥を感じてしまうのも正直なところ。
昔から、また、日本に限らず、政治家の不正がない国はありません。フィリピンのことを考えたら、それはひどいものです。ドゥテルテさんが大統領になってからは、何十年も無茶苦茶だった状況を一気に正常化しようとして、パニックに近いようなことになってるぐらい。現職の市長が、違法薬物取引の容疑で警察に捕まりそうになって、銃撃戦をおっ始め、挙げ句の果てに射殺される事件まで起こっている。
しかし、今回の日本の騒動は、銃弾は飛んでいないけれど、見方によってはもっとタチが悪いかも知れない。単に政治家が違法行為をしただけでなく、官僚が関与、しかも組織ぐるみで関わっているし、本来それを正すはずの司法もジャーナリズムも機能しなていなかった。これは背筋が凍りつくほど恐ろしいことです。
ここまで悪化した原因は、いろいろあると思いますが、私が思うに、投票率の低さが諸悪の根元。総務省のHPを見ると、ここ最近は衆参両院を見ても、投票率は右肩下がり。直近では全体で50パーセント台。
その内訳が大問題で、60代の投票率70パーセント台なのに対して、20代ではなんと30パーセント台。実際に我が家に来てくれる若い人たちに聞いてみても、選挙に行かないし、関心もない人が結構いますね。
給料は安い、家賃は高い、貯金がないので結婚もできないし、子育ても難しい。今一番苦しい生活を強いられている層が、政治に無関心なのは一体どういうことでしょう。極論すれば、老い先短い人たちからの偏った支持で政権を取った連中が、圧倒的多数派になっているのが、今現在の日本。そんな中での、やりたい放題。
それに比べ、コンスタントに80パーセント台の投票率を誇る、フィリピンの選挙。もちろん日本と違って、3年に1度しか投票機会がないし、下はバランガイ(町内会)や市町村、上は上院・下院、正副の大統領まで、一度に選んでしまう国家行事。これを逃すと政治に関わるチャンスが皆無なお国柄ということはあります。
しかし、それを差っ引いても、日本とフィリピンの、一般庶民の政治関心度の温度差は相当なもの。これは争点や公約が、有権者の関心を引く内容になっているかどうかが大きいと思われます。
特に分かりやすかったのが、ドゥテルテ候補(選挙時)の主張。対麻薬戦争に汚職撲滅、マニラの交通渋滞緩和などなど。誰もが長年不満を抱えていたことに対してノーを掲げ、しかもダバオ市長時代に、最悪だった治安を劇的に改善して、フィリピンで最も安全な都市にしてしまった実績が後ろ盾。そりゃ投票率は上がるだろうし、国民の注目を浴びるのも当然。
翻って日本。ここからはさらに極端な私論です。今、若い層が不満・不安に思っていることは、何と言っても労働人口が減ることと、それに伴う生活水準の低下。
ならば、どしどし移民を受け入れて労働者を増やし、税金もたくさん払ってもらって、何なら帰化手続きも簡略化。不公平感満載の福祉制度は全廃して、ベーシックインカムを全面導入。英語教育は根本見直しで、小学校からネイティブ教師、授業中日本語禁止。限界まできている東京一極集中打開のため、遷都と道州制を本気で考える。ついでに、NHKの強制的課金は止めて、見たい人だけが支払う、現在のWOWOWやCS放送と同じシステムに移行。
いくらなんでもやり過ぎ...と思われるでしょうけど、ドゥテルテさんがフィリピンでやっている改革のインパクトは、これぐらいか、あるいはもっと強烈なレベル。連邦制も推進してますからね。この程度の選挙公約は考えないと、若い有権者は政治に見向きもしなし、そもそも期待を抱かない。
日本経済全体が好調だった、30年、40年前と違って、投票という権利(あるいは義務)を行使して政治を監視しないと、いくらでも暮らしが悪くなるリスクがある時代。フィリピンにできたことを、日本にできなわけはない、と思いますよ。
場所:
フィリピン シライ市
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