2018年5月31日木曜日

今日から雨季で道路冠水

例年の如く、今年も「ブチッ」という感じで、季節が夏から雨季に変わりました。暑い々いと、エアコンを増設するかどうか悩んでいたのが嘘のようです。

毎度のことながら、フィリピンの天候って本当に極端。照るとなったら、旱魃になって州知事が非常事態宣言する(昨年のセブ)ほど照るし、降るとなったら洪水で車が完全に水没する(一昨年のミンダナオ)ほど降る。

季節の変わり目も突然で、ここネグロス島シライでは、月曜日まで朝から終日カンカン照りだったのが、火曜日には午後から雷雨。水曜日は曇りがちで、今日金曜日は、家鳴りがするほどの短時間集中豪雨。週の最初と最後で季節が入れ替わるという、さすがのフィリピン。

ところで、メイドのネルジーがいなくなって、あちこちで紹介を頼んでいるのに、まだ後釜が見つからず。ずいぶん床も汚れてきたし、今日はついに意を決しての大掃除。その作業の真っ最中に、天の水瓶の底が抜けたかという大雨。しかも台風並みの強風で、西側の窓へ横殴りの降り方。

泡を食って大慌てで窓を閉めているうちに、今度は停電。もうまるで、誰かが意地悪して、掃除の邪魔をしているみたい。真昼間なのに薄暗い中をブツブツ言いながら掃除を続けました。

ちなみにフィリピンでの掃除は、箒が基本。日本と違って畳がなく、全室タイル貼りなので、掃除機よりも手で掃く方が早い。埃が一箇所に集まった頃合いに、日本で買ってきた充電式のハンドクリーナーで一挙に吸い取ってしまうのが、私のやり方。その後、メイドさんならばモップ掛けとなるところを、今回は目立つところだけ雑巾で拭き取り。これで十分きれいになります。

床掃除だけで止めときゃいいのに、つい気になってDVDの棚に手を出したが運の尽き。大整理となってしまって、ここだけで1時間以上費やしてしまいました。しばらくはネルジーに任せっきりだったので、仕舞い方がバラバラ。こういう時に癇性病みな性格が出てしまって、ジャンル別やシリーズの順番など、きっちり整頓されていないと気が済まない。

ヘトヘトになって水を一杯とキッチンへ行ったら、一箇所ドアを閉め忘れていて、吹き込んだ雨で床がビチャビチャ。どこまで意地悪なんじゃ!

とまぁ、一人でボケとツッコミを演じながらも、何とかキッチン以外の1階は清掃完了。ようやく停電も復旧したし、雨も上がった。やれやれと思って外を見ると、自宅前の道路が冠水して川になってました。どっひぇ〜。



そして夜9時過ぎ。雨季の到来を告げる蛙の大合唱を聴きながら、このブログを書いております。水は2時間ほどで引いて、家内も無事帰宅。一挙に涼しくなって、今晩はよく眠れそう。明日はキッチンと2階の掃除を済ませてしまいましょう。


2018年5月30日水曜日

爺ちゃんノリノリの誕生日


今日は、親戚の誕生日パーティのお話。フィリピン暮らしを語る上で、どうしても出てくる誕生日。本当にこれほど誕生日パーティが大好きな国民って、世界中探してもちょっといないのでは、と思うほど。

子供の誕生日を盛大に祝う気持ちは、分からないでもありません。ジョリービー(フィリピンで一番人気のファーストフード店)のフロアを借り切ったり、クラウン(ピエロの扮装をしたパーティ司会兼コメディアン)を雇ったり。特に1歳、10歳、18歳は、派手にやりますね。

1歳は、乳児の死亡率が高いフィリピンで、やっと難しい時期を切り抜けたお祝い。10歳は節目。18歳は成人式のデビュー・パーティとなります。最近は家族で祝っている息子の誕生日も、10歳の時だけは、大勢の友達や親戚を呼びました。

フィリピンでは、エエ歳したオっちゃんやオバちゃんも、さらには爺ちゃん婆ちゃんの誕生日も侮れません。還暦(60歳)や喜寿(77歳)・米寿(88歳)とかなら、日本でもお客さんを呼ぶかも知れませんが、今回は別に節目でもない73歳の誕生日。

バーズディ・ボーイは、家内の弟の妻の父上、カルロス・モランテ翁。通称チョ・カロイ(「チョ」は男性老人への敬称で「カロイ」はカルロスの短縮形)。日本だったら遠すぎて、親戚付き合いするかは微妙なところですが、こちらでは血のつながった叔父さん並みの距離感。

平日、月曜日の夜7時。シライで一番大きなレストランの一室を借り切ってのサプライズ・スタイル。パーティルームの照明を落として、5〜60人は集まった親戚や友達が息を殺して待っているのは、何とも奇妙な雰囲気。主賓が入ってきた瞬間に、みんなで「サプラ〜イズ」と声を合わせて叫ぶんですよ。まるで映画みたいに。

73歳のチョ・カロイなので、集まった友達も年齢はかなり高め。それでもパーティの盛り上がり方は、そんなこと全然関係なし。

さすがにクラウンではないけれど、ちゃんとプロの司会者が雇われて、喋ったり歌ったり。日本だったら完全に一人だけ浮きそうなオっちゃんでも、フィリピン人は素人さんのノリが違います。

突然のご指名に、誰もがまったく臆することなく、スピーチや歌を披露。私の義父(家内の父)など、酒も入っていないのに、歌に合わせて踊り出す。すると、頼まれもしないどっかの婆ちゃんが出てきて、パートナー役を務めたり。


これがいつ果てるともなく、延々と続くわけです。日本人の私は、マシンガントークのイロンゴ語(西ネグロスの方言)と、このノリには付いて行けず、ちょっと疲れてしまったものの、終盤には成り行きで、日本語で1曲歌ってしまいました。

それにしても、屈託のない事この上なし。よくラテン系の人々は、人生の楽しみ方を知っているなんて言いますが、フィリピン人もまったくその通り。ここで、これからフィリピンに移住したり、フィリピン人とお近づきになりたいと思っている人へのアドバイス。

歌・踊り・楽器・軽妙なトーク(英語かフィリピンの言葉)のうちの最低でも一つ、いつでも人前で披露できるレパートリーを準備しておいて、損はありません。レベルはそこそこで大丈夫。「遠慮」ほど、フィリピンで意味のない言葉はありませんから。


会場に貼られた特注「アイコラ」ポスター
こういうの大好きなんですよね


2018年5月29日火曜日

フィリピンでもマルチ商法

まさかフィリピンに移住してまで、マルチ商法の話を聞くことになるとは思いませんでした。最近、SNSで親しくさせていただいている友達からの情報によると、フィリピン在住の人から、マルチ商法への勧誘メッセージが来たんだそうです。

マルチ商法(連鎖販売取引)と言えば、私がまず思い出すのがアムウェイ。高校・中学の同級生や、会社の後輩がこれにハマって、一時期、洗剤を買え、セミナーに参加しろと、しつこく勧誘を受けました。違法のねずみ講(無厳連鎖講)と混同する人も多いけれど、マルチ商法は一応合法です。

いろんなバリエーションはあっても、紹介した人が商品を買えば、紹介料や販売マージンなどの名目で報酬を得られるというのが、マルチ商法。ネットワークビジネスとか、MLM(Multi - Level Marketinhg)なんて呼び名を変えていても、法的にはマルチ商法と同じ範疇。

聞くところによると、フィリピン国内でもアムウェイをやってる人がいるらしい。広告を打たないのが特徴なので、最初は友達や親戚を巻き込むケースが多いマルチ商法。それでなくても、金銭感覚のルーズな人が多いフィリピンなので、きっとトラブルは多いでしょうね。

さて、今回私が耳にしたマルチ商法は、商材が物品ではなく旅行。会員になれば、格安で豪華な海外旅行ができます、というのが売り。もちろん誰かを紹介して成約となったら、報酬が貰えるのは、以前のマルチ商法と同じ。

検索で最初にヒットしたワールド・ベンチャーというマルチ商法会社について調べてみると、実は最初に、最低でも12万円の入会金が必要だし、格安と言っても、通常の旅行代理店と比べて極端な安さでもない。結局、年に10回とか15回は旅行しないと、元を取るのは難しいとのこと。

そこで入会金のことは伏せて、いかに充実した海外旅行を安価に満喫できたかという、「リア充」写真をフェイスブックやインスタグラムに投稿して、参加者を募るという手法になるわけです。これがフィリピン関係の日本人の間にも、散見されるようになりました。

合法とは言うものの、価格に対しての価値が不当に低かったり、強引な勧誘手法(別件で呼び出し、当人の意に反して長時間拘束する、脅す等)を使ったり、あるいはクーリング・オフや途中解約に応じなければ、当然ながら違法ビジネスとなります。現に、リゾレットという旅行を扱うマルチ商法会社には、昨年(2017年)1月、東京都から3ヶ月の一部業務停止命令が下されました。

私の(勧誘された側の)経験からすると、商材が旅行であれ洗剤であれ、マルチ商法を勧誘すると、ほぼ確実に友達を無くします。場合によっては、仕事も失います。実際にそういう人を何人も見てきました。

ネットで調べたら、これぐらいの情報はすぐに入手できる現在でも、今更のようにマルチ商法に手を染める人は、後を絶たない。どうやら、昔からの知り合いではなく、フェイスブックで1000人単位でフォロワーがいるような、カリスマ性のある人から持ちかけられるというパターン。

ということで、絶対に儲からないとは限らないし、難しさを分かった上で始める人は、どうぞご自由にと言うしかないけれど、少なくとも私には無理。始終そのことを考えてばかりになりそうだし、数少ない友達も無くしたくはありません。

やっぱり、今すぐまとまった現金が欲しい、なんて状況に置かれると、つい手を出してしまうんでしょうか?


2018年5月28日月曜日

クレープで起業 in ネグロス島

前回の投稿では、日本政治・社会の現状と将来を憂う、みたいな、私の柄でもないことを書いてしまいました。今回は、まだまだ日本の若者も捨てたものではない、というお話。

最近ネット上でよく見かける、クラウド・ファンディング。こんなビジネスを立ち上げますから出資してください、という内容を数十万円レベルの単位からでも募集できるもの。よく知られているのは、アニメ映画「この世界の片隅で」がクラウド・ファンディングで資金を調達したこと。

実はつい最近、私もクラウド・ファンディングで、ある新規ビジネスのパトロンになりました。企業での営業職を経験して、西ネグロスの州都バコロドでの英語留学。その後、その英語学校でマネージャーとして働く傍ら、日本式クレープの店を立ち上げようという、35歳の日本人青年、愛称タカさん。

もちろんネット上だけはなく、実際お会いしたことがありまして、一度、我が家に晩ご飯を食べに来てくれました。初対面なのにいきなり会話が弾んだタカさん。とにかくノリがいい。私が昔所属していた会社の、優秀な海外営業担当者に似たタイプ。彼らと一緒に試作品を持って、東南アジア諸国の販売会社巡りした頃を、思い出してしまいました。

ただノリがいいだけのお調子者ではなく、行動力もなかなかのもの。バコロド市内の大手ショッピングモールの場所を借りて、手作りクレープのテスト販売をしていると思ったら、ほんの数か月後にはクラウド・ファウンディングで資金集めを開始。


クレープってフランスのお菓子を、そのまま持ってきただけなのかと思ったら、日本式にずいぶんアレンジされたんですね。元々はそば粉で作った、甘くない食べ物だったんだとか。1977年に原宿カフェクレープで販売を開始したのが、日本でのクレープ発祥。

言われてみれば、日本のものと同じクレープって、フィリピンで見た記憶がありません。以前はドギツイほどに甘く、毒々しい色が当たり前だったフィリピンのケーキ。ところがここ何年かは、甘さを控えて、見た目も洗練されたものが人気。そのタイミングで日本式クレープに目を付けたというのは、かなりの慧眼と言ってもいいでしょう。

さらには敢えてマニラやセブなど、便利な大都会ではなく、地方都市のバコロドというのも、賢明な選択。場所代は高騰し、競争相手がひしめく血まみれのレッドオーシャンに、あまり深く考えもせずに飛び込む、日本の起業家は多いですからね。

そして、準備が完璧にできるまで動きません、という日本人の類型とは遠く離れた、即断即決で走りながらスタイルを改良していくタカさんの姿にも、感銘を受けました。これは僅かな金額でも支援をしなければと思うのも、同じネグロス在留邦人としては当然の成り行き。

タカさんだけではなく、年頭に紹介した、シライ市内で日本人向け英語学校を開校したユーキくんとサヨさんもいるし、こういう若者の姿を間近に見ると、まだまだ日本の将来にも、大いに希望が持てる。

有名大学を卒業して大企業に(それも国内に)勤めるという、20世紀型というか昭和スタイルは、もう過去の遺物。30年近く会社勤めをしていた私が、痛いほど思う実感そのもの。大きな組織にいると、スピード感が麻痺してしまうし、自分の頭で考えて判断する習慣が失われる。一番ヤバいのは、理不尽な要求に我慢を続けることが、当たり前になってしまうこと。

こんな環境に埋没して、他の選択肢に目を閉ざす人は、まず話していて面白味がなく、生きているのが辛そう。生きること働くことは辛さを我慢することだ、なんて人生哲学をご開陳されたりした日には、もう二度とお付合いは勘弁、と思ってしまいます。

ということで、この文章を書いている時点(2018年5/28)で、クラウド・ファンディングの締め切りまで残り11日。金額は3000円でもOKですので、意気に感じたという方は、どうかこちらからご支援をお願いします。


劣化する国


この頃ネット上の記事で、よく見かける「劣化」という言葉。昔は、レコードからテープに音楽をコピーする際の音質だとか、経年変化する素材に対して使ったもの。ところが最近は、人や組織の形容に濫用されています。

特に女優さんの容姿に「劣化が激しい」とは、ちょっと失礼過ぎる。いくら芸能人が相手とは言え、私に言わせればもう人権蹂躙。身内や親しい友人に、そんな言葉を投げつける奴がいたら、2〜3発ぶん殴ってしまうかも知れません。

それほどまでに使用を躊躇する言葉ながら、昨今の日本の様子をネット経由で見聞きしていると、これは劣化したと思わざるを得ない。

国会でバレバレの嘘を吐きながら、平然と嘘の上塗りする首相。差別意識剥き出し発言を繰り返す閣僚に何のお咎めもなし。司法は政権に忖度してレイプ犯を見逃すし、国民から強制的に視聴料を巻き上げている放送局は、権力者に不都合なスクープをした記者を左遷。

学生に犯罪を教唆(あるいは指示)しても、大学は責任を取らないばかりか、その学生に罪をなすり付け、政府直轄の研究所に所属する研究員はデータを改竄。大手電機メーカーでは、社長みずから組織的に粉飾決算に手を染める。

社会全体を見ても、一時期より減っても年間2万数千人が自殺し、相変わらず学校でのいじめは続き、親は子供を虐待。

気が滅入るので、これぐらいで止めておきますが、これを劣化と言わずして何と言えばいいか。現在、日本とフィリピンの二重国籍保有者の息子が、あと10年経ってどちらかを選ぶとなった時、もしフィリピン人になると言われても、これでは何とも仕方がない。

フィリピンの政治や社会だって酷いものだし、汚職に麻薬犯罪、治安の悪さもある。いじめや虐待だって皆無ではないでしょう。それでも、フィリピンに住んでいる実感としては、一旦地に落ちた状況を、なんとか普通のレベルに戻そうとする、揺り返しのような動きを感じます。

これは、強権で知られたドゥテルテ大統領の、辣腕に依るところが大きいとは言え、2018年の第一四半期の時点で6割以上の国民が、ドゥテルテを支持しているという事実。一方日本では、自分の地位を守るために、公文書の改竄を命じる人物が率いる内閣を、まだ3割の有権者が支持をしている。自殺者まで出ているというのに。

たいへん不吉な話ながら、現状の日本政府と社会の劣化ぶりを見ると、1960〜80年代のマルコス大統領の治世を連想してしまって仕方がありません。どう考えても、今の内閣に憲法をいじらせるのは危険過ぎます。大統領の任期を無制限とし、戒厳令によって事実上の独裁を実現させてしまった、50年前のフィリピンの轍を踏みかねない。

トップが無茶苦茶すれば、当然の如く、その下は真似をするもの。政府と大学責任者の、まるで双子のように酷似した発言内容を聞くと、寒気がしてきます。フィリピンはその伝で、末端のバランガイ(町内会)にまで汚職体質が浸透してしまいました。

その後、フィリピンでは独裁者を追い出すのに20年、本気で汚職や麻薬犯罪を撲滅させようとするリーダーの登場まで、さらに30年を費やすことに。50年ではさすがに私は生きていませんね。

国外に出てしまい、もう税金も払っていない人間に、母国のことに口出しするのは筋違いかも知れません。そんなフィリピン在留邦人の私ですら、本当にいい加減にしろよと、言いたくなってしまいます。


2018年5月27日日曜日

南国映画館「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」

「solo a star wars story」の画像検索結果

約1年半ぶりの「南国映画館」です。実は、そんな投稿をシリーズ立ててやってたんですよ。最後に書いたのが、2016年の12月にフィリピンで公開された日本アニメ「君の名は。」 つまりそれ以来、映画館に行ってなかったということです。

最近、フィリピンでのヒット作と言えば、「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」。私は観てませんが、息子が従兄姉たちと映画館へ。ネグロス島にしては珍しく人がいっぱいで、夕方の回が無理。仕方なく7時過ぎから観始めて、子供にしてはずいぶん遅い時間に帰宅しました。(もちろん子供達だけではなく、義弟が引率役)

そういえば、ネグロス島の映画館について、ちゃんと書いたことがなかったですね。フィリピンの地方でも、日本やアメリカにあるシネマコンプレックスと、何も違いはありません。SMやロビンソンズなど、大型ショッピングモールの最上階にあって、ネットでもチケットが買える。日本語字幕はないことを除いて、中に入ってしまえば、どこの国にいるのか分からないほど。

さて、昨日(5/27)の土曜日、公開早々観に行ったのが「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」。これは、1977年に第1作が全世界で大ヒットして、今では伝説となったスター・ウォーズのスピンオフ作品。若き日のハン・ソロが主人公という映画。と書いてみると、続編の作り方としては、最近使い古された感じ。

このブログを投稿している時点で、まだ日本では公開されてないし、ネタバレをするつもりはないものの、不要な予備知識なしに作品をご覧になりたい方は、ここから先、読まないことをお勧めします。



ちょっと苦言というか、文句になってしまって恐縮ながら、とにかく最初から最後まで画面が暗い。周囲が明るいシーンでも、やたらと逆光を多用するので、正直なところ途中で、どれがどのキャラクターなのか、分からなくなってしまいました。

今アベンジャーズと並んで、最大の稼ぎ頭であるこのシリーズで、技術的なミスでこうなった、なんてことはあり得ないので、意図的な画面作りなんでしょうね。老眼が進んで、日常生活でも、夜間の屋内では光量不足を感じる私なので、そのせいもあるのかと思ってみたり。

そこで思い出したのが、スター・ウォーズの生みの親ジョージ・ルーカスとは盟友の、フランシス・フォード・コッポラが撮った「ゴッドファーザー」。この映画も、ドン・コルレオーネというマフィアのボスを演じる、マーロン・ブランドが登場するシーンでは、敢えて照明を抑えた暗いトーンが用いられ、当初は批評家から「コルレオーネの目が、暗くて見えない」とこき下ろされました。

ただ、ゴッドファーザーの場合は、並行して描かれた結婚式では、眩しいほど自然光が溢れて、そのシーンとのコントラストが強烈で、監督の意図が明確。暗い画面は全然気にはならなかった。

ということで、久しぶりの映画館で、約2時間の上映の間、ず〜っと目を凝らしていることになり、英語の聞き取りと合わせて疲労困憊。若きハン・ソロの話なので、もっと能天気で、明るく屈託のない画面を期待してたんですけどねぇ。

映画から帰って、週一の出張マッサージをしてもらったら、案の定いつもにも増して、眠気がすごい。夕食はざるそばで誤魔化して、午後8時前にはぶっ倒れるように眠ってしまいました。食後のコーヒーもなしで、ペットの餌やりもスルー。朝起きたら、ゴマ(犬)とチャコ美・茶チャ(母娘猫)が「一体、どうなってますんや?」という顔で、私を待ってました。


2018年5月25日金曜日

私的フィリピン美女図鑑 ボンド・ガール

1ヶ月半も間が空いて、やっと一昨日投稿した美女図鑑。今度は立て続けです。今日のお題は、ボンド・ガール。言うまでもなく、ジェームスボンド映画の登場する女性たちの総称。

50年以上も世界中で大人気の、007こと英国秘密情報部MI6のスパイにして、不死身のプレイボーイを主人公にしたこの映画。実は第1作の「ドクター・ノー」が公開されたのが、私の生まれた1962年(昭和37年)。

ボンド役も、初代のショーン・コネリー以来、ダニエル・クレイグで6人目。コネリーの強烈な個性は別格として、私はクレイグの007が一番気に入ってます。彼の出演した「カジノ・ロワイヤル」「慰めの報酬」「スカイフォール」「スペクター」の4作は、DVDを購入したほど。ちなみに、クレイグは私より若い初めてのボンド俳優。もうそんな時代になっちゃったんですね。(しみじみ)

そして、毎回必ず登場するボンドガールたち。ヒマな人もいるもので、その外見や性格、国籍などをこと細かに調べあげた記事が、ウィッキペディアに掲載されています。それによると、白人75%、アジア系8%、黒人7%、その他がアラブ系、ネイティブ・アメリカンなんだそうな。

年齢やヘアスタイル、話す英語のアクセントなども項目もありますが、要するにボンドの好みのタイプ、なんてものはなくて、全方位がストライクゾーン。1967年公開で日本を舞台にした「007は二度死ぬ」では、浜美枝さんと若林映子さんが出演。この頃の浜美枝さんって、本当に可愛くてチャーミング。気になる若い読者諸氏は、こちらから検索してみてください。

それほどバラエティに富んだ、ボンドガールのはずが、なぜかフィリピン女優はリストにありません。他の国の女性に比べて、魅力に関してはまったく遜色はないと思うのに。

ということで、007シリーズにフィリピーナが出演したら、ポスターはこうなる!と、依頼も受けずに描いてみました。問題は、ボンドガールを誰にするか。ずいぶん悩んだ挙句に、女優、モデルにしてダンサーのキム・ドミンゴ(Kim Domingo)を選びました。

プロポーションは完璧で、フィリピンで売れている男性向け週刊誌FHMのカバーガールも務めたキム嬢。今回特筆すべき(?)は、美女図鑑初の後ろ姿。背中とヒップのラインが実にセクシーで、どうしても描いてみたかったんですよ。背中だけでは、何のことやら分からないので、裏表を1枚にまとめてみました。



過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年


エアコン買おうか


とにかく暑いんですよ。
この時期のフィリピンは盛夏とは言え、それも終盤。例年なら5月の末にもなれば、雨季の兆しが見え始めます。数日前から、午後や夜間に夕立が来るようになって、やっと酷暑も終わりかと、ほっとしたのも束の間。寒の戻りならぬ、暑の戻りが。

朝から雲ひとつない青空にギラギラの太陽。大好きな南国らしい天候も、さすがに2ヶ月も続くとうんざりしてきます。

夕食時のテレビニュースによると、マニラ首都圏では連日の気温が45℃近辺で推移。場所によっては体感温度が50℃にまでなったそうです。都会に比べて緑が多く風がよく通る、ここネグロス島シライでも、最高気温が35℃以上なのは間違いなし。州都バコロドでは、40℃という情報も。

いつも以上に暑さが堪えるのは、年初から「毎日」に拘っているブログ投稿と、イラスト描きを自分に課しているから。

日本風に言うと、4LDKの我が家。大きめの窓をたくさん設けたので、一般のフィリピン住宅に比べるとかなり涼しく過ごせます。そしてエアコンを取り付けたのは、夫婦の寝室のみ。ケチったわけではなく、竣工時に電力会社からの正式許可がまだでした。仮設状態だったので、電力を食うエアコンは1台の稼働が限度。慌てて何台も買っても、使えないまま放置になりかねない。

ところが実際は、思ったほどに暑くなかったし、根を詰めての作業をやり始めたのは、ここ半年ほど。読書や昼寝ぐらいなら、特に問題もなくて、何となく先延ばし。気が付いたら、もう4年も経ってしまいました。

この夏は、例年以上の暑さで、それもそろそろ限界に近づいた感じ。私の書斎と子供部屋、ゲストルームには、ちゃんとエアコン用の電源を確保してあります。それでもすぐに設置とならないのは、日本とはだいぶ異なる、エアコン設置事情のせい。

こちらでは、室内機と室外機が別になったタイプが、まだまだ高級品。日本では30年ぐらい前に市場から姿を消した、一体型が主流のフィリピン家電業界。つまり、家内の決済が下りやすい、安価な一体型だと、壁にバカでかい穴が必要。最初から穴だけでも開けておけばよかったのですが、手元にエアコンの現物がないままだと、サイズが合わない可能性が大。

というわけで、なかなか重い腰が上がらず、ぐずぐずしている間に、好景気の影響で、エアコンも人件費もずいぶん高くなってしまった。そんな逡巡をいつまでやってても埒が開かないので、ついに意を決して、この週末にはエアコンを購入することに。

なるべくちっちゃい穴で済むよう、安くて小型の中国メーカー製でいいです。少し前の投稿で、できるだけ日系の製品を買った方がいいなんて、偉そうなことを書くんじゃなかったと、少々後悔しております。

しかも、エアコン買った途端に、本格的な雨季到来となりそうな予感が...。


2018年5月23日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 セーラー服フィリピーナ

約40日ぶりに美女図鑑の更新です。このシリーズが楽しみだと仰る優良読者の方々、たいへんお待たせしました。

4月の最初から子供が夏休みに入った関係で、宿泊旅行が2回。連日の暑さで、昼間は作業効率がベタ下がり。そしてトドメは、前回投稿したメイドのネルジー突然の退職で、雑用に費やす時間が大幅増。私にとってのイラスト作業は、そこそこ、まとまった時間に集中して、勢いで描かないとダメ。あんまり間が空いてしまうと、その素材への意欲が失せてしまうことも。

実は、途中まで全然別のテーマで、半分ぐらいは仕上げていました。それが、暑さが本格化した4月の終わり頃に、どうしても手が進まない。描きかけの女の子には、たいへん気の毒ながら、一旦そちらはペンディングにして、以前から資料は集めていたセーラー服フィリピーナへ、浮気をしてしまったという次第。

「セーラー服」と言うと、憧れであったり、ちょっと危険な香りがしたり。見る人の立場や経験で、これほど印象が変わるモチーフも珍しいかも知れません。調べてみると、元々イギリス水兵の制服だったのが、なぜか日本では女子中高生の制服として定着。それもずいぶん昔のことで、1921年(大正10年)に福岡女学院で採用されたのが最初だそうです。(1920年に京都の平安女学院という説もあり)

水兵服をそのまま持ってきました、という単純な話でなく、福岡女学院の校長から依頼を受けた洋品店の主人、太田豊吉という人物が、上着だけで3年もかけて、現在の女学生用セーラー服の原型を作り上げました。そしてボトムに、プリーツ・スカートを組み合わせるアイデアに、さらに1年。たいへんだったんですね。

このセーラー服、中国、台湾、タイやベトナムなどのアジア諸国でも、女子生徒の制服として採用されている例がある他、サウジアラビアでは日本由来のものが使われていて、名称もそのまま「セーラーフク」。厳格な回教国であるため、学校の外での着用は禁止で、人によっては不道徳だとする人も。

ただフィリピンでは、あまり見た事がないですね。定番なのが白いシャツと胸元のリボンというスタイル。スカートはプリーツながら無地の紺ではなく、チェック柄のをよく見かけます。

ということで、日本式セーラー服を着たフィリピーナを、描いてみようと思い立ったものの、悩んだのがモデルさん。ミスコンに出場するような、スタイル抜群でセクシー過ぎる女性だと、もう完全にコスプレ。コスプレならまだマシで、Hビデオのパッケージ写真みたいになりかねない。

そこで困った時のジュリア頼みとばかりに、美女図鑑では3回目の登場となる、フィリピンの人気女優、ジュリア・バレット嬢(Julia Barretto)。ベビーフェイスだし、実年齢も21歳。もし日本の学校に通う高校生役でセーラー服を着ても、まだまだ無理がない感じ。というか、逆に似合い過ぎて違和感ゼロ。本当にこういう女の子が道を歩いてそう。


日本の風景を合わせると、ただの「可愛い女子高生」。敢えて南国っぽい背景に。と言っても、ビーチやリゾートでは芸がないので、大通りでジプニーかトライシクルを待ってる感じにまとめてみました。セーラー服姿って、意外とヤシの木と青い空にも似合うもんですね。

常夏フィリピンなので、当然夏服。それにしても、制服スカートの丈は、膝下までが当然と思って育った関西出身の私。膝上15センチのミニスカートには、ちょっと興奮してしまいました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年


2018年5月22日火曜日

戻らぬネルジー

このブログでは、定番だった我が家のメイド、ネルジーに関する投稿。有能なる家政婦にして、気は優しくて力持ちの愛すべきキャラクターの彼女は、残念なことに、我が家から立ち去ってしまいました。

それも、辞める意思表示は皆無で、里帰りの1週間の休暇で我が家を離れて、そのまま帰ってこないというパターン。これフィリピンでは、住み込みメイドに本当によくある話で、前任のアミーもそうでした。

ネルジーはもう2年以上も働いてくれて、お金にも時間にもフィリピン人としては上出来なほどの態度だし、家内からの信頼も厚く、鍵を預けて数日留守番を頼んだり。こういう辞め方をするとは、思ってなかったんですけどねぇ。

選挙の投票のために、ここシライからバスで4〜5時間ほどの田舎へ帰ったネルジー。山間部などから出てきて労働者は、日本で言うところの、住民票を移すのが面倒で、そのままになっている人が多い。またそれを口実に、雇い主に帰省を申し出るのが、習慣みたいになっているらしい。それは別に構いません。

ところが戻る予定の数日前に、バイクの事故で腕を骨折したので、もう戻りません。荷物は後で、妹が取りに行きますと、家内の携帯にメッセージが。その後は、電話しても出ないし、メッセージの返事もなし。骨折の治療で戻るのが遅れます、なら分かるんですが、まったく要領を得ない。おそらく、ストレートに「辞めさせてもらいます」とは言いにくいので、怪我をしたと嘘をついてるんでしょうね。

たまには親の顔もみたいだろうし、なるべく早く帰って来てとは頼みましたが、年に何回かの長期休暇を禁じたことはなく、労働環境も、一般のメイドさんに比べれば、かなり広い個室はあるし、昼寝しても咎めない。給料は決して高くはないけれど、ネグロスの相場を考えると平均的な金額。

結局、ホームシックしか辞める理由が思いつきません。どんな理由にせよ、辞めたいならそう言ってくれればいいのに。次の人を探すのには時間がかかるし、特に今回は、ネルジーの帰りを当てにして、隣の東ネグロスの州都ドゥマゲテへの旅行を計画してました。ペットの世話をする人が、そんなに急には見つけられないので、旅行を諦めざるを得ません。

前の2人が半年でいなくなったので、それに比べるとずいぶん長続き。それでも、毎日当たり前に顔を見ていた同居人がいなくなる喪失感は、何度経験しても慣れることがない。

というわけで、移住6年目にして4回目のメイド探しとなってしまった。すでに何人の友達や知り合いに、いい人がいたら紹介してくださいとお願い済み。こうなると、紹介業者がいないのは、本当に不便なものですね。



2018年5月21日月曜日

酒とタバコ

つい先日、ネグロス島に住む在留邦人で、友達付き合いをしていただいている方が、癌治療のために一時帰国されました。フィリピン女性を配偶者に持つ、私と同世代の男性。第2の人生を、ここネグロスでのんびり過ごそうという、私の戦友とも言うべき貴重な存在。それだけにこの話を聞いた時は、相当なショックでした。

中高年になって、住み慣れぬ外国暮らしとなると、誰もが心配になるのが医療と健康の問題。はっきり言って、フィリピンでの医療は、日本のレベルには到底及びません。これは私自身が4年前に、食中毒が原因と思われる激しい下痢と嘔吐、発熱で2泊入院した際の実感。

言葉が通じにくいハンディは別としても、医師や看護師の対応や知識に個人差が大きすぎるし、ネグロスで一番大きな総合病院ですら、設備が旧式。日本で出産経験のある家内が、婦人科で診察を受けた時に、置かれてある機材がまるで骨董品だと驚いたほど。


外観はリニューアルされた
バコロド・リバーサイド病院

それでいて、医療費は日本並みに高額かそれ以上。家内が加入した健康保険(フィルヘルス)でかなりカバーしても、痛い出費でした。目の玉が飛び出るほどの報酬を払って、マニラ辺りの大病院で、名前の知れた医師に診てもらえば、あるいは日本と遜色のないレベルなのかも知れません。それも億万長者でもなければ非現実的。

交通事故、脳内出血や心臓発作など、緊急搬送・即手術を要するような状態ならば、結局地元の医療に身を委ねるしかなく、助かるかどうかは運次第。とは言え、初動対応ですべてが決まってしまう場合は、日本に住んでいても運が悪ければどうしようもないし、あまり頭を悩ませても仕方がない。

ここで考えるべきは、死に至る病の予防でしょう。フィリピンでの疾病による死因ランキングは、1位 心臓疾患、2位 脳卒中、3位 肺炎、4位 糖尿病、5位 結核。肺癌が9位にランクイン。肺炎が上位にあるのは、医療費を払えない貧困層の人たちが、医師に診せず放置した結果、いわゆる「こじらせて」亡くなるケースだと思われます。

また結核は、フィリピンでは無料で治療できる建前が、不治の病との思い込みが広く流布していたり、失職を恐れて周囲に知らせずにいるうちに病状を悪化させ、周囲にも感染を広げる悪循環が原因。

肺炎と結核を除けば、普通の衛生環境で、酒・タバコを控え、バランスの良い食事・適度な運動を心がければ、かなり防げる生活習慣病ばかり。デング熱やアメーバ赤痢などの熱帯特有の感染症が直接原因で亡くなる人は、意外にもそんなに多くないようです。(乳幼児の場合はその限りではありません)

一時帰国した友人は、筋トレや散歩はされていたようで、肥満ではなかったけれど、やっぱり酒とタバコは相当量嗜んでおられました。彼の場合は、偶然別の症状で入院した際に受けた検査で癌が発見され、十分な知識を持ったフィリピン人医師の勧めもあっての一時帰国。かなり辛いとのことですが、見方を変えれば、たいへん幸運だったとも言えます。

フィリピン移住の理由は人それぞれで、中には他に選択の余地ないこともあるでしょう。しかし、自らの意思で敢えてフィリピン暮らしを選んだのなら、何かしら日本に住み続けるよりメリットがあるから。

医療面での不安材料を補って、余りあるものを得られた筈だというのが、私の考え方。そして医療がイマイチ当てにならないなら、病気になったり不慮の怪我をしないよう、日常的に心がけるしか、自分や家族を守る手段はありません。

幸か不幸か、私はもともと酒を飲めない体質で、タバコは30代で縁を切ることができました。(禁煙の話はこちら)何よりもストレスの元になることは、すべて日本に置いてきたし、食事は自炊中心。そこそこ体を動かすことも習慣化。これで早死になら、もう神さまがお決めになった運命。諦めるしかないと思っております。


2018年5月20日日曜日

改行の多いブログ


以前から気になっている、やたら改行が多いブログ。やっぱり私同様に、気になる人もいるようで、「ブログ 改行 多い」で検索したら、たくさんの記事がヒット。どちらかというと、否定的なトーンが多い。

芸能人、特にアイドルという肩書きの人が書くブログに、「多改行」頻度が高いと思うのは、私だけでしょうか? 例えばこんな具合。




こんにちは





私はネグロス島に住んでいま〜す





ネグロス島は





フィリピンの真ん中あたりにあって





とってもいい所ですよ〜





何じゃ、このチャラけた文章は?
1段落の情報量を書くのに、何十行使えっちゅうねん。と、関西弁の地金が丸出しになってしまうほど、私は生理的に「多改行」を受け付けないことが、実験によってはっきりと分かりました。

一説によると、アメブロなどでは、たくさん改行すると自動的にページ数が増えて、1本の投稿でもページ分のアクセス数が稼げるからだとのこと。それにしても、スクロールの手間が半端じゃない。スマホだと指が疲れます。

アイドルや有名人のブログならば、少々面倒でも全部読まれるかも知れませんが、一般人の文章を、そこまでして追いかける人がいるのかなぁ? フィリピン関連のブログでも、多改行は蔓延していて、なぜか女性ブロガーで多く見かけます。

書き手である私にすると、わずかな量の文章で、ページを水増しするのは、楽なことこの上なし。文章量が多ければ良いわけではないし、数行でも心に残る表現もあります。でも、それをしたければ、ブログよりツィッターの方が向いていると思いませんか?

反対に、ちょっとは改行してくれ、と言いたくなるものもある。句読点があるのは、まだしも、10行、20行、延々と一塊の文章は、見た瞬間に読む気が失せてしまいます。これをやるのは、どちらかと言うと男性ですね。

私の作法としては、パソコン画面で見て、3〜5行程度で1行空ける感じ。ただ優先するのは、文章のリズム。一塊で読んだ方が分かりやすくて、意味も伝わると思った時は、5行以上になることもある。

改行よりも気を使うのが文末。最初から最後まで「です・ます」では退屈だし、体言止めをやりすぎると、箇条書きの業務レポートみたいになる。なので、ところどころ口語口調をいれたり。これでもかなり苦労してるんですよ。

とまぁ、多改行のブログが悪いとは言いませんが、何某かの情報をきちんと伝えたいブログには、不向きだというのが私の意見。少なくとも、このブログでは絶対に使わない手法ですね。好き嫌いで言うと、大嫌いです。


2018年5月19日土曜日

美系人材が集うフィリピン


一般社会におきましては、美術系学校の卒業生とかデザイナーなどという人に出会うのは、かなりのレア・ケースと言ってもいいでしょう。2015年度大学卒業者の統計を見てみると、文系47.6%、理系33%。美術系という分類はなくて、芸術系にひとくくりで、わずか2.7%。芸術には、音楽なども含まれるので、美術に絞るともっと少数派。せいぜい100人に1人か2人というところ。

三十数年前、京都市立芸術大学なる学校でプロダクト・デザインという学科を専攻していた私。在学中の4年間、石を投げれば、芸術家やデザイナーの卵に当たるという環境。それが、某電気メーカーに就職した途端、「芸大卒」というだけで超希少種扱い。バブル真っ只中で、新入社員が3000人という、今思えば、神話みたいな時代でも、デザイナーとして採用されたのは、10人に満たない数でした。

とまぁ、昔話がしたかったのではなく、実社会で、いかに私の属性、文系でも理系でもない美系(私の勝手な造語)が、マイナーな存在かを、ご理解いただきたかった。

ところが、フィリピンに移住を果たし、フェイスブックでフィリピン関連のグループに入ってみると、やっぱりいるんですよ、美術系の学校を出たり、デザイナーだったりする人が。私が知り合ったのは、メーカーのインハウス・デザイナーという、私と同じ経歴の方が2人。グラフィック・デザイナーの方が1人。美術系大学卒業生が2人。合計5人。

フィリピン在留邦人がざっと1万7千人だそうで、100人に1人の単純計算では、170人の美系人材がいることになるわけですが、どう考えても、それは多すぎる。だいたい、アーティストやデザイナーが、そう簡単にメシが食える環境ではないし、美術関係者が憧れるような土地柄でもない。上記の5人にしても、フィリピン在住は3人だけで、他の2人は、フィリピンに関わりを持ちながらも、日本国内にお住まい。

もちろん本気で探せば、もう少しはフィリピンの美系人材が、見つかるかも知れませんが、たったの5人でも、巡り合っただけかなりの幸運という気がします。相手のプロフィールを見て、びっくりしてメッセージを送ったというパターンばかりですから。その中のお2人と、妙に意気投合して、FB内にフィリピン関係の新グループを、共同で立ち上げてしまいました。

正確には、同業者ではなく、年齢も私よりかなりお若いお2人ながら、ちょっとした専門用語や略語を、いちいち説明せずに使えるだけで、ずいぶんと気安い感じ。さらに、お1人が関西出身者。私の生まれた尼崎の隣で、かの有名な「聖地」甲子園がある、西宮市のお生まれ。つまりコテコテの関西ネタを振っても、ちゃんとツっこんでもらえるというわけです。

ということで、もしこのブログ読者の中で、我こそは、フィリピン関係者にして美系である、という方がおられましたら、どうか名乗り出ていただきたい。(笑)


2018年5月18日金曜日

子供が減る国、増える国


先日、ヤフーニュースで流れてきた記事を読んで、呆れてしまいました。
東京都足立区立中学校で行われた性教育が都議会で「不適切だ」と指摘されたことをめぐり、性教育の在り方が注目を集めている。学習指導要領を超えて避妊や人工妊娠中絶に言及した内容を問題視し「性交渉を助長する可能性がある」と、”行きすぎた性教育”を懸念する声が出る一方、識者らからは「正確な情報は行動を慎重にする」といった意見も。
一体いつの時代の、どんな遅れた国の議論なんでしょう。多くの女の子が小学校の中〜高学年で初潮を迎え、肉体的には妊娠可能になり、誰でもアクセスできるセックスの情報が、ネット上に溢れかえっている現状で、中学生に避妊を教えることのどこが「不適切」なのか、さっぱり分かりません。

だいたい「性交渉を助長」って、大抵の子供は、放っておいてもセックスに関心を持つのが自然な姿。中学生にもなって、男女を問わず、性にまったく無関心という方が心配しなければいけない話。

こういう時代錯誤な御託を並べる政治家がいる傍ら、2015年の産婦人科医会の調べによると、15歳以下の妊娠・出産数はここ40年で増加傾向で、中絶率は85%以上。

また、高校生で妊娠・出産となったら、公立校では3割が自主退学を余儀なくされ、中には学校側からの勧告で、事実上の放校になってしまうケースもある。(文科省の調査による)望まない妊娠を避けるための、正しい知識を教えることはダメ。でも出産したら学校から追い出しますって、酷すぎると思いませんか?

子供が多すぎて困っているとでも言うならともかく、日本は少子化による労働人口減少が危惧されて久しい状況。しかも学校だけでなく職場でも、妊娠・出産による一時休業を、まるで無計画な身勝手のように扱う風潮が、いまだにあると聞きます。ここまで来ると、もう亡国的行為。

私が暮らすフィリピンでも、中・高校生の妊娠は社会問題。シライ市の教育委員会勤務の家内によると、市内の高校でも何件かあるそうです。(ちゃんと役所で把握してるのがすごい)でも学校や市の対応が、日本とずいぶん違う。

妊娠・出産したからと言って、退学させるルールがないのは日本と同様ながら、自主退学した後も、無料の学外教育システムがあって、本人が望むなら学校に通わなくても、授業を受けられる。これは離島住まいで学校に通うのが難しい子供や、受刑者に対しても適用されます。

そもそも、小学校5年生から、きわめて直截的なテキストや図解・写真による性教育が行われいているのは、以前にも「性教育はサイエンス」というタイトルで投稿した通り。今年小6の息子も、女性の生理について、一通りの知識はありますよ。

また少なくとも、ここネグロス島での身近な人たちを見る限り、未婚での出産やシングルマザーに対しての眼差しが、日本に比べるとはるかに優しい。家族や親戚に子供の面倒を見てもらって、お母さんが働くのは珍しいことではありません。無条件に子供が好きな人も多いからなぁ。

日本で子供が減り、フィリピンでは子供だらけの理由がよく分かります。私たち家族が子連れでフィリピンに移住したのもそれが一因。私学に通わせても、学費が桁違いに安いし、国公立大学は今年(2018年)の11月から無料だし。

フィリピンでは、相変わらず貧困層は多く、急激な経済成長の陰にはずいぶん歪な側面があるのも事実。それでも、子供と母親を大事にする姿勢は、見習うべき。高校生シングルマザーの子供が、将来国を背負って立つ人材になるかも知れないんですよ。


2018年5月17日木曜日

一票600ペソ


今日は、4年ぶりの歯医者さん。
と言っても、歯が痛かったわけではなく、歯石を取ってもらいに。本当は半年か1年置きぐらいに、歯の掃除はしてもらった方がいいんでしょうけど、初めて行った、シライ市内の歯医者さんが暴力的で、軽いトラウマになってしまい、何となく足が遠のいてしまった。

別に、歯医者で殴る蹴るの暴行を受けたわけではありません。歯石取りの手際が何とも乱暴だったのと、その女医さんのルックスが、まるで「天空の城ラピュタ」に登場する、女海賊ドーラみたいだったんですよ。薄笑いを浮かべたドーラおばさんが、チュイーーン...。

今日行ったところは、歯科医が家内の職場の同僚。昼間は市の教育員会で働き、アフターファイブは歯医者さんという、ちょっと風変わりな女性。予約しておいたはずが、なぜか通ってなくて、待つこと1時間半。

しかし歯石取りは、前回の歯医者とはだいぶ違い、丁寧で優しい手付き。歯茎周りが神経過敏になっていたようで、かなり沁みたものの痛みはなく、10分ほどで無事終了。料金は締めて600ペソ(約1270円)でした。

歯医者の後は、空腹で不機嫌になった息子を引き連れて、シライ市内で一番流行っている、地元料理レストランのフードパークへ。平日の夜だというのに、ほぼ満席状態なのは驚きました。あそうか。フィリピンでは給料日が月に2回で、今夜は給料日直後でした。

それだけではなく、家内がコソっと教えてくれたのは、バランガイの選挙が終わったところだから。何の関係があるんだろうと思うでしょうね。実は、投票直前の候補者による現金ばら撒きは、フィリピンの選挙では公然の秘密。シライの相場では、一票が600ペソで売り買いされると言います。歯石取り1回分と同額!

家族に有権者が4人もいれば、2400ペソ(約5000円)。フードパークなら、ビール付きで、かなりのご馳走を頼んでも、お釣りが来るぐらいの金額。だからシライ市民のみなさん、ちょっと気持ちが大きくなって、家族で外食なんですね。

日本だったら、一大スキャンダルになりそうな話でも、フィリピンの田舎だと変に微笑ましく感じてしまうのが不思議。どうせ政治家になろうという連中は、不正蓄財しまくっているんだから、せめて3年に一度ぐらいは有権者に還元するのは、いいことだとすら思ってしまいます。

私もフィリピンの思考形式に、だいぶ毒されてきたようですね。


2018年5月16日水曜日

我慢しない生き方


「若い時の苦労は買ってでもせよ」「石の上にも3年」「辛抱する木に金がなる」「ならぬ堪忍するが堪忍」「臥薪嘗胆」「刻苦勉励」「滅私奉公」「鳴くまで待とうホトトギス」

本当に、いくらでも出てきますね、我慢を奨励することわざや格言。日本人ってどこまでマゾやねん?という気がします。乱暴にまとめてしまえば、嫌なことでも、将来のために我慢して続けよう、ということなんでしょう。

何かをやり遂げるために、苦労を耐え忍ぶのは、悪いことではありません。私だって、目標の実現に向けて、忍耐の日々を送ったこともある。しかし、それは何がしたいのか、どうありたいのか、具体的なビジョンがあってのこと。56年の人生を振り返って、ただ漠然と、いずれ何かがあった時に備えての我慢は、結果としてほとんどしませんでした。

まず、子供の頃から図画工作が大好き。それが高じて、何でもいいから絵を描いたり、物を作ったりするのを仕事にしたくて、美術系大学に進学。絵描きになっても食えないと、親や教師の「我慢して真面目に勉強しろ」攻撃は、なかなかの手強かった。でもね、ファインアートだけが、絵を描く仕事ではないんですよ。メーカーにデザイナーとして就職する、という手口がちゃんとあったんです。

正直に申しまして、美大進学以外の勉強も、全然出来ないわけでもなかった。ただ、数学や物理に打ち込んでも、卒業後に自分が何をしたいのか、まったくイメージできない。つまり漠然と将来に向けての努力が、最初から無理。

デザイナーになってからは、海外の仕事がしたいと思い立ちました。当時は日本向け担当が出世コースで、海外要員は一段下みたいな空気もありました。それでもやりたいとなったら我慢できない。

入社時に受けたTOEICが1000点満点の100点に届かずという、惨憺たる結果を物ともせずに英会話の勉強開始。8年がかりで700点に手が届き、10年目にして東南アジア市場向け商品の担当デザイナーの座をゲット。これがきっかけで、フィリピンに初渡航。

その後、我慢不足で最初の結婚生活が破綻してしまいましたが、これは余計。

それから色んなことがあって、40歳になろうかという時期には、会社生活が段々と苦になり始めました。とても60歳の定年までは我慢できそうにない。そこで次に思い立ったのが、2度目の妻の生まれ故郷、フィリピンへの移住。

フィリピンが大好きだったというより、会社を辞めて暮らしていくための方便として選んだ生き方でした。これも10年間、お金を貯めたりプランを練ったり。今住んでいる家の図面なんて、最初の頃に出来てましたね。

こうして振り返ってみると、私の人生には大きく3回の契機があったようです。その3回とも、夢を我慢して諦めるのではなく、少々リスクがあっても実行する方を選びました。運良くどれも成功した、と言われるかもしれませんが、成功するまで止めなかったのが実感。

そしてどのケースも、苦労の意識は皆無。好きなこと、やりたいことの実現に向けての努力は、まったく苦労とは感じないもの。こういう具合に生きてきたので、若い人が「自分のやりたいことが分からない」とか「やりたいことはあるけど、自分には無理だから諦める」と簡単に言ってしまうのが、どうにも理解できない。

やりたいと思ったら、準備なんて走りながらでいいから、とにかく始めてしまう。何事も、やってみないと分からないことの方が多い。事前に完璧な準備とか言ってたら、永久にスタートできません。

60歳が近づいてきて思うのは、もし美大進学を諦めていたら、あまり好きでもないことを、我慢して続ける人生になっていただろうということ。そんな生き方は、面白くなかったでしょうね。


2018年5月15日火曜日

アジアのハブを目指すマクタン・セブ空港

日本への一時帰国には、問題の多いマニラのニノイ・アキノ国際空港(NAIA)を経由を止めて、セブ空港を使おう、という投稿をしたら、私のブログとしてはトップ5に入るぐらい、たくさんの方がアクセス。やっぱりフィリピン関係者のみなさん、関心が高いんですね。

フェイスブックを通じて、直近のNAIA情報も多数いただきましたので、前回書いた内容を少し更新しておきます。

まず、4つあるターミナル間の移動は、一般車両が入ってこない道路に、無料シャトルが24時間運行を開始。これでようやく、1億以上の人口を擁する国の表玄関としては、当たり前のレベルになったようです。私がフィリピン通いを始めた、20年以上前には出来ててほしかった。

各ターミナル内部は記事にあった通り、すいぶん綺麗になり、スターバックスを始め、レストランもかなり充実したとのこと。10年以上前の、ボロボロだった第1ターミナルしか知らない私にすれば、隔世の感がありますね。まだ使ったことのない第3ターミナルと合わせて、次回マニラへ行く機会(帰国ではなく国内旅行)があれば、ぜひ見てみたい。

ただ、イミグレーションの対応は相変わらずで、タイミングが悪いと1時間以上待たされるのは改善されていないし、接客態度は以前より悪くなったという話もちらほら。いくら器がきれいになっても、肝心要のヒューマンファクターは、まだまだ。

それでも、世界で最も改善された空港の第10位にランクインしたのは、確かなようです。やっぱり以前が酷すぎた。とまぁ、思ったよりはマシなったとは言え、フィリピン国外に出る時には、マニラではなくセブの方がいいという思いは変わりません。

ところで、セブ空港。正式にはマクタン・セブ国際空港という名称で、セブに隣接するマクタン島が所在地。大阪国際空港が、大阪市内ではなく、伊丹・豊中・池田の3市にまたがっていたり、我が家からの最寄りのバコロド空港(正式にはバコロド・シライ国際空港)が、実はシライ市内だったりするのと、同じようなこと。

私は全然知らなかったんですが、来月(2018年6月)に、新しく国際線専用の第2ターミナルがオープンするそうです。あまりにタイミングが良くてびっくり。それも、手狭になったからちょっと増設、みたいな規模ではなく、現在の年間利用者800万人から、1250万人にまで対応するとか、ボーディングブリッジが7箇所から12箇所など、2倍近いスケールアップ。

アジアのハブを目指すとのことで、謳い文句が、世界初のリゾート・エアポート。ずいぶん大きく出ましたね。建設は、フィリピン国内のメガワイド(SMグループ)とインド資本のGMRが共同で担当。総工費が推定で175億ペソ。完成図を見ると、確かに木材を多用して、それっぽい外観になっている。




出典:MEGAWIDE

ただ、批判的な意見もあります。せっかく新ターミナルを作っても、今後の利用者の増え方からして、すぐにオーバー・キャパシティになるのは見えているし、駐車スペースも足りない。そもそも、深夜便によるセブ市街地での、騒音公害がひどい。24時間営業になると言いますから、これは大変。

私にすれば、国際・国内の乗り継ぎ時、つまり新旧ターミナル間のアクセスがどうなっているのかが、よく分かりません。NAIAと違って、空港外に出る必要はないにしても、たいへん気になるところ。

ということで、来月以降、セブの第2ターミナルを使って乗り継ぎをする方がいらっしゃいましたら、ぜひご感想をお聞かせくださいませ。


2018年5月14日月曜日

マニラ飛ばしの帰国ルート

「naia」の画像検索結果

出典:ABS-CBS News

マニラ首都圏にある、ニノイ・アキノ国際空港(Ninoy Aquino International Airport)。略称NAIA(ナイア)。フィリピンに住んでいたり、頻繁に渡航しているほとんどの人が、設備やサービスであまりいい思い出がない空港だと思います。

現在4つあるターミナルビルは、乗り継ぎ乗客の利便性などまったく考慮せずに作られ、かんかん照りであろうが、大雨であろうが、空港外の道路を経由して移動するしか手段がありません。国際・国内線が徒歩で移動可能なのは、フィリピン航空(PAL)が独占的に使用している第2ターミナルと、セブ・パシフィック利用時の第3ターミナル。

これが理由で、ここ10年以上、私たちが家族で移動する時は、必ずPAL。(セブパシフィックの国際便で乗り継ぐと、空港泊になってしまいます。)特別接客がいいとか、安いというわけではありません。しかし、この状況も変わるらしく、国際・国内を完全に別ターミナルにするという、改悪としか思えないプランが進行中とのこと。

2011年から2013年まで、NAIAは、世界の空港ランキングで、不名誉な、3年連続のワースト空港に選出。竣工から30年を経過した第1ターミナルは、老朽化はひどく、空港職員の対応は最低。強請りと集りの集まりのようなもの。さらに市街地からのアクセスは、渋滞の激しい一般道路しかない有様。そりゃ、ワーストに選ばれるのも、当然だったでしょう。

さすがにこれでは情けないと思ったんでしょうね。長く工事が滞っていた新設の第3ターミナルが、2014年にようやく全面使用開始となり、問題の第1ターミナルも大規模な改修工事。そして、市街地と空港の4つのターミナルすべてを結ぶ高速道路、通称スカイウェイが昨年(2017年)に開通しました。

これでやっと「世界ワースト」は返上できたものの、今度はイミグレーションの職員が、ストの挙句に大量に退職。それ以来、国際線で出入国は、2時間ぐらい待たされるのが当たり前。賄賂の要求も後を絶たないし、ぼったくりタクシーも健在。今でもアジアの空港、ワースト5位の地位をキープしています。去年の一時帰国の時も、出国は本当にたいへんでした。

とまぁ、延々とNAIAの悪口を書いてまいりました。そんなに嫌なら使わなければ? と言われそう。そうなんですよ、最近やっとそれに気付きました。私の場合、日本の実家の最寄り空港が関西空港。セブ〜関空の直行便があることを、すっかり失念しておりました。

セブからネグロスのシライ・バコロド空港までは、正味の飛行時間が30分程度の至近距離。同じフィリピン国内の空港なので、サービスが格段に良いわけでもないけれど、ターミナル間移動の無駄な時間はないし、季節を外せば、NAIAほどの混雑もない。(たぶん)

マニラ首都圏在住の人には、この選択肢はあり得ない。そこは地方に住むものの強み。PALで調べたみたら、料金も変わらないし、空港で夜を明かす必要もなさそう。知ってる人にすれば、何を今更と言うことかも知れませんね。

ということで、来年になるか再来年になるか、まだ予定はありませんが、次回フィリピン国外に出る時は、絶対にNAIAを通らないと、固く決心をしてしまいました。


ちなみに、今年(2018年)3月の記事で、世界で最も改善された空港の10位に、NAIAが選ばれたとありますが、それほど良くなったとは思えないんですけど。以前が酷すぎたということでしょうか?

母の日は真夏日


昨日、5/13は母の日。フィリピンで5月の第2日曜と言うと、盛夏のど真ん中。日本で言うなら、旧盆の頃に相当するような暑さです。今年も例年同様、朝から真っ青な空に、ギラギラと太陽が照りつける真夏日。日本では土砂降りだったり、濃霧だったりしたそうですね。毎度のことながら、同じ北半球で、飛行機で3〜4時間ぐらいの距離なのに、これほど季節に隔たりがあるのかと、感心します。

さて、我が家の母とその息子。毎年、あまり特別なことはしてません。私が気を使って、花を用意したりしてましたが、もう小学校の6年生になろうかという歳なので、今年はちょっとプレッシャーを掛けてみました。

今日は何の日か分かってるやろ? (家内を指差して)この人はお前のママやで。ワシのママとちゃうで。

照れたのか困ったのか、要領を得ない、謎の笑みを浮かべる息子。私が2階の書斎に籠っている間に、何やらゴソゴソやってます。しばらくして降りてきたら、冷蔵庫に花一輪にメッセージを添えた絵が貼ってありました。当日に慌てて描いたわりには、そこそこな出来栄え。自発的に用意して、朝一にでも手渡してたら、カッコ良かったのに。


とまぁ、母の日らしいエピソードはそれだけ。
私の方は、午前中に少々重たい内容のブログを一本書き上げたので、昼食を用意する時間がなくなってしまいまいした。仕方がないので、最寄りのトロトロ(安いお惣菜屋さん)に出かけることに。

カンカン照りの暑さの中、炎天下減量散歩と称してのウォーキング。翌日にバランガイ(町内会)選挙の投票を控えて、一切の活動は禁止された日曜日。前日までのカラオケや演説の喧騒は影を潜め、ちょっと薄気味悪いほど静かな町並み。

ふと見ると、向かいから若い女性が歩いてきます。こんな陽気に徒歩で出歩くのは、よほどの貧乏人か日本人。おそらく近所にある日本人向け英語学校、アクティラボに滞在中の生徒さんでしょうね。会釈でもしようかと思いましたが、この状況では、怪しいオっさんと思われそうなので、黙ってすれ違い。

トロトロはいつも通りの賑わいで、メヌード(トマトソースで煮込んだシチュー)や、ゴーヤ・チャンプルーを買い込みました。さて帰りはトライシクル(オート輪タク)に乗ろうかと思ったら、これが捕まらない。暑い中を立ちん坊も嫌になって、帰路も徒歩。家に着いた頃には、汗だくのヘトヘトになってしまった。

そういうわけで、午後からは昼寝タイム。夕方までダラダラして、気がつくと夕飯の支度の時間。ある意味、実に南国フィリピンらしい、毎日が日曜日状態の母の日でした。


暑い1日を締めくくる夕焼け


2018年5月13日日曜日

中国陰謀論


この2年間ほどで、中国資本の流入によりフィリピンの不動産価格が高騰し、それに連動してマニラ金融街に、10万人もの外国人(そのほとんどが中国人)が移住したそうです。(出典:レコード・チャイナ

こういう話を聞くと、すぐに裏で中国政府が糸を引いていて、遠からずフィリピンは中国領になってしまう、現在のドゥテルテ大統領が南沙諸島の領有権問題で、中国に譲歩の姿勢を取っているのは、その前触れだ、なんて訳知り顔に語る日本人が、必ず現れます。

常識的に考えて、この手の移民は、フィリピンのバブル経済で儲けるのが目的で、別に領土的な野心とは関係ないでしょう。そもそも、貧困層は多いし、それほどの資源があるわけでもないフィリピン。20世紀初頭の帝国主義の時代ならいざ知らず、まずアメリカ黙っているはずもない。小さな島の一つや二つではなく、わざわざ戦争のリスクを冒してまで、全土を占領するとは思えない。

記事には、中国系の移民が増えたことで、レストランで中国向けのメニューが増えたとか、商業施設で中国語のアナウンスを始めたとか。それはお金を落としてくれるお客さんに対して、サービスがよくなるのは当たり前。韓国語だって日本語だって、乗客が多ければ空港でのアナウンスに使われますよ。

ドゥテルテ大統領の対中国政策にしても、領土問題は棚上げにする代わりに、民間を含めた経済支援を取り付ける、名を捨てて実を取るもの。小国が大国と付き合う時の常套手段だし、日本のアメリカへの追従姿勢なんて、もっと露骨で骨がらみ。日米安保で揉めてた1960年代には、日本はアメリカの51番目の州になる、なんて散々揶揄されてました。

つい最近も、元自民党衆議院議員が、テレビ局が中国・韓国に乗っ取られている、と発言して記事になってました。ここまで来ると、失言どころか妄言の域。どうやらこれは、今の日本に限ったことではなく、自国の立場が不利になると、陰謀で陥れられたと言い出すのは、万国共通の人間心理なのかも知れません。ユダヤ人陰謀説なんて、ずいぶん昔から流布されてましたからね。

中国・韓国を目の敵にし始めたのも、GDPで中国に追い抜かれたり、お家芸だった家電分野で韓国メーカーの後塵を排するようになってから。余裕があれば、他所さんの悪口なんて、そうそう言わないもの。

私が驚いたのは、ボランティア活動や英語の勉強で、フィリピンの自宅に来てくれる日本の若者の言葉。「日本の家電メーカーが韓国に負けちゃったのは、技術者がたくさん引き抜かれたからでしょう。」

実際にサムスンやLGなどの韓国系メーカーとの競争の渦中にいた私にすれば、それは完全に話が逆。そういう流れが起こったのは、決断が早く、経営戦略が明確な韓国勢が、市場シェアを席巻してからのこと。

移籍の理由も、単に給料がいいと言った単純な話ではなく、愚にもつかない会議の繰り返しで、物事は決まらないし、正当な人事評価もされない、日本の大企業勤めに疲れ果てたから。私だって現役の頃は、本気で転職を考えたことがありますよ。

話をフィリピンに戻しますと、この国に中国系の人々が移り住むのは、もう何百年も前からのこと。一説によると中国系フィリピン人は115万人もいて、フィリピン独立運動で名を馳せたホセ・リサールや、エドゥサ革命のきっかけを作った、アキノ元上院議員も中国系メスティーソの家系。

別に今更大騒ぎしなくても、フィリピンの歴史・政治・経済には、中国系の人材がなくてはならないほどに根を下ろしているのが現実。むしろ、アキノ氏の息子で前大統領だったベニグノ・アキノ3世は、対中国強硬派として知られました。

まぁ、日本に住む日本人が、そうした陰謀論を喚きちらし、自己憐閔に耽るのは勝手だけれど、フィリピン在住の日本人がそれを言い出すのは、かなり危険。以前にも少し書いたように、マイノリティとして他国に住む者は、本当に細心の注意を払い、マジョリティーに対して無用な敵愾心や警戒心を抱かせないことが、どれだけ大事か。

「何を考えているか分からない」と思われるだけでも、大きな災害や経済危機で政情不安になった時に、焼き討ちを食らう恐れがあります。実際、中国系住民は、フィリピン国籍を持つフィリピン人なのに、犯罪の標的なりやすいし、金持ちと思われがちな日本人も同様。

関東大震災直後の流言飛語で、少なくとも千人を超える朝鮮人の虐殺があったし、1965年インドネシアでは、40万もの中国系インドネシア人が殺害(9月30日事件)されています。同じことがフィリピンで、日本人を対象に絶対起こらないと思い込むのは、まったく楽観的に過ぎる。

他国からの移民を快く思わないのは、何も日本人の専売特許ではないし、被害者になるのは、中国系と限ったことではありません。太平洋戦争時に、強制収容所に放り込まれた、日系アメリカ人の悲劇は、フィリピン在留邦人にとっても他人事ではないですよ。


2018年5月12日土曜日

生賴範義さんのこと 美女図鑑・番外編

一部読者の方々から、思いの外好評をいただいている「私的フィリピン美女図鑑」。有名・無名を問わず、私の好みで選んだ、美しいフィリピン女性のイラストを描いてアップするという、自己満足以外の何物でもないシリーズ。

キューティーハニーを最後に、かれこれ1ヶ月、投稿が滞っておりますが、やる気が失せたわけでありません。立て続けに泊りがけの旅行に出かけたりして、早期退職のお気楽な暮らしの割には忙しかったんですよ。もうすぐ次のイラストを公開しますので、しばしお待ちを。

その穴埋めというわけでもありませんが、今日は美女図鑑の番外編。みなさんは、生頼範義(おおらい のりよし)さんというイラストレーターをご存知でしょうか。イラストレーターというより、絵描きとか画家というべきか。

私がフィリピンに移住して2年目の2015年、惜しくも生頼さんは、79歳で亡くなりました。その道では超有名で、生頼さんを知らないなんてモグリもいいところ。彼の名前を知らなくても、映画「スターウォーズ 帝国の逆襲」や、1984年以降の一連のゴジラのポスターは、見たことがあると思います。



私が生頼さんの作品に接したのは、高校生の時。当時、貪るようにして読んでいた、小松左京さんの「エスパイ」「復活の日」や平井和正さんの「サイボーグ・ブルース」「死霊狩り」「ウルフガイ」などの日本人作家によるSF小説。その表紙や挿絵を担当していたのが、他ならぬ、生頼さんでした。



隅々まで描いた人の強い意思で支配されたような、独特の重厚で暗い作風に、18歳の私は完全に陶酔状態。画集も買い求め、今も手元に置いて、時々眺めています。絵描きではなくデザイナーの道に進んだので、技術面での直接的な影響はなかったものの、常に、遥か遠くにそびえ立つ山並みを仰ぎ見るような感覚で、そのお仕事ぶりを注目し続けてました。


画集の最後に書かれた、当時まだ40代だった生頼さんの言葉が、今でも胸に沁みます。「生活者としてはイラストレーターなる適切な訳語もない呼ばれて、うしろめたさと恥ずかしさを覚える者」とご自分を規定しつつ、「生活者の五分の魂にかけて、いかなる主題といえども描きあげねばならない」と断じ切っておられます。

「私は肉体労働者であり、作業の全行程を手仕事で進めたい。」「一貫して、眼と手によって画面を支配したい。習練を積むことで手は更にその動きを滑らかにし、女の肌から鋼鉄の輝きに至る無限の階調を描きわけてくれるだろうし、眼はその手の操作を充分に制御してくれる筈だ。」

どうですか、この清々しいほどの明快さ、厳しさ。今読み直しても、しびれるほどです。中途半端に芸術家ぶったりせず、それでいて生み出される作品は、依頼者の要望を完璧なまでに満たしつつ、芸術の域にまで達した完成度がある。まったく凄い人と言う他はありません。

さらにこの画集には、写真とご本人の解説による作品の制作過程が掲載されています。これが実に貴重な資料で、技術的な影響はないと書いた私が、今頃になってイラスト制作の参考にするほど。

ということで、我が魂の師と呼ぶべき生頼さんは、本当にただ仰ぎ見るだけの存在。到底その真似はできないものの、好きで描き始めたイラストレーション。もうしばらくは頑張って、続けていきたいと思います。


2018年5月11日金曜日

ハイトーンの魅力 フィリピナ・シンガー Beverly

約10年前、フィリピン移住を考え始めた頃。実現したら、日本の新刊本と新譜CDが、諦めざるを得ないものの筆頭だと思ってました。すでに電子書籍はあって、私もリーダー端末の開発に携わったりもしてましたが、日本の大手書店はイマイチ乗り気ではなかったし、音楽配信もまだまだの感。

ところが気がつくと、iPadの登場とアマゾン+キンドルの大攻勢で、乱立していたフォーマットは瞬く間に淘汰され、音楽に至っては、もう何年もCDを買わず、ネット経由の配信サービスばかり。ユーチューブでも、アーティストによっては、高画質・高音質のPOVが合法的に閲覧可能なので、そこからダウンロードする手もあります。

さらには、ネット経由で本も音楽も、日本にいるのとさほど変わらないレベルで情報が流れてくるし、気の利いた記事なら、ダウンロード購入できるサイトにリンクまで張っている。おかげで、移住してからも、ずいぶん衝動買いしてしまった。そんな状況で、つい iTunes でポチってしまい、すっかりハマって毎日のように聴いてるのが、ビバリー(Beverly)の楽曲。

ご存知の方も多いとは思いますが、ビバリーは、日本で活躍するフィリピンの女性シンガー。まだ23歳ながら、一度耳にしたら忘れられない、パンチの効いたハイトーンボイスで、2016年デビュー以来ヒットチャートを賑わしてるそうです。私は全然知らなかったんですが、CMやテレビドラマのテーマソングも歌ってるんですね。(しかも仮面ライダー!)

彼女は、最近日本の芸能界で多く活躍する日比のハーフではなく、生粋のフィリピン人。19歳の頃から、フィリピン国内だけでなく、アメリカやカタールの歌唱コンテストで数々の賞を勝ち取り、日本の音楽プロデューサーの目に止まって、日本デビューとなったそうです。

元々日本の音楽やアニメが好きで、日本に行きたいと、かねがね希望していたというビバリー。購入したアルバムには日本語の曲もあって、聴き流していれば、日本人が歌っていると思うほど。レコーディングに際しては、相当苦労したとのことですが、子供の頃から、日本語の発音に慣れ親しんだ影響も大きかったでしょう。

私は、フィリピン人シンガーだからと言って、無条件に応援したりはしません。やっぱり彼女の歌がツボにハマったんです。すごいパワーですからね。そして元来私は、男女を問わず、ハイトーンボイスに魅力を感じやすいようです。

高校時代からの私の好みを紐解いてみると、アバの二人のボーカル、アグネッタとアンニに始まり、フレディー・マーキュリー、レベッカのノッコ、山下達郎、徳永英明...。極めつけは、3オクターブを誇ったジョー山中。今でも「ララバイ・オブ・ユー」や「青春の終章(あしたのジョー挿入歌)」を聴くと、泣きそうになります。

実は私は、テノールとして、カトリック教会で聖歌隊に所属していたこともありました。一応ボイストレーニングを受けて、2オクターブぐらいは出せます。なので、ハイトーンボイス好きなのは、自分で歌いやすいというのもあるでしょう。とは言っても、素人が2オクターブ出せるというのと、人様からお金を頂いて歌う2オクターブは、比べること自体が失礼ですね。

私のことはどうでもよくて、ビバリー嬢のお話。
まだデビューしてから2年で、これから、もっともっと活躍しそうなシンガーのビバリー。差し当たっては、来る6月14(木)〜17(日)に上野公園で開催される、海洋アジアの絆 /  Philippines EXPO 2018 というイベントに出演するということなので、興味のある方は、ぜひ彼女のハイトーンボイスを、生で聴いてみてください。

というか、私が聴きに行きたいんですよ〜。







2018年5月10日木曜日

楽しい選挙


3年に1度のバランガイ選挙の投票日が、4日後の5/14(月)に迫ってきました。バランガイとは、フィリピンの最小行政区画。無理矢理日本語に訳すと、町内会ということになるんでしょうけど、重みが全然違うようです。

元々「バリオ Barrio」という名称で、村や地区などに相当する存在だったものを、マルコス大統領の時代(任期1965〜1986)に、バランガイという新名称と共に、制度が再構築されました。

私は外国人ということもあって、あまりお世話になったことはありません。会費を払ってる関係で、街灯の修理や、隣家の焚き火が煙いなどの、要望や苦情は、サブデョビジョン(宅地)のクラブハウスに対応を依頼。バランガイは、永住ビザ取得時に必要な、書類を貰いに行ったことがあるぐらい。

また、私たちが属するシライ市の第5バランガイは、富裕層が多く、貧民街のような場所もないので、比較的平穏ですが、一般には住民同士の揉め事などが、バランガイ事務所に持ち込まれることも多いらしい。

家内に言わせると、フィリピンの政治家=泥棒で、これはバランガイ・キャプテン(議長)や議員でも同様。つまり、問題解決のために袖の下を要求することが、日常的に行なわれていると言います。確かに、うちのバランガイ・キャプテンも、いつもいい服着て、高そうな車に乗ってるなぁ。

汚職は別にしても、バランガイは自治体として政府公認の組織で、それなりの予算も権力もある。その責任者を選ぶわけですから、有権者の態度も自ずと真剣になろうというもの。市長ともなると、やや遠い存在でも、バランガイはいつでも気軽に、オフィスへに顔を出し、文句の一つも言えますからね。

というわけで、ここ10日ほどは選挙活動がヒートアップ。昼間っから音楽ガンガンにかけて、夜は花火が打ち上がる、まるでフィエスタ(お祭り)状態。連日、有権者を集めての大騒ぎで、金品の授受もありそうです。幸か不幸か、選挙権のない私は、賄賂の類に縁はありませんが。

傍目に見ていると、これが実に楽しそう。候補者も有権者も、選挙が楽しくて仕方ないと言った風情。これは何も皮肉を言っているのではありません。日本人は、政治や選挙活動について話そうとしても、大抵「面倒くさい奴」と思われて、敬遠されるのがオチ。ましてや楽しむなんて論外。

フィリピンのやり方が、最善だとは思わないけれど、楽しいからこそ関心も高いし、真面目に議論もされる。

国民、特に若年層が政治に無関心になり、ジジ・ババと組織票だけで選出されて、一強多弱で5年も続いた政権が、やりたい放題の無法状態になっている日本に比べると、どっちがまともな民主主義国家かと思ってしまいます。

フィリピンでは関心が高すぎて、対立候補陣営間での暴力に発展することも珍しくない。シライ市内での流血沙汰を、見聞きしたことはないものの、投票前日・当日はアルコール類の販売も飲酒も禁止。ついでに露店やギャンブルなどもダメ。これは投票権の有無とは関係なく取り締まられるそうです。

さらに選挙となると、地方から出稼ぎに来ている人たちが、登録してある地元で投票することを口実に、大挙して里帰りをしたり。我が家のメイド、ネルジーも、明日の早朝バスに乗って帰省すると言って、先ほど嬉しそうに出かけました。これで1週間のメイド不在。

そして、当日の月曜日は、フィリピン全土が大統領令による特別休日。家内は3連休ということになります。それほど選挙に熱くなるタイプではない家内も、これは楽しいでしょう。


2018年5月9日水曜日

3代目のコーヒーメーカー



前回前々回で投稿した、プリンター購入のお話。実は同じ日に、コーヒーメーカーも買いました。プリンターは日本から持ち込んで、一応、10年以上使ったものでしたが、こちらは、移住してからフィリピンで買ったもの。しかも買い換えは2回目。

私は学生時代から、コーヒー大好きなカフェイン中毒。食後は必ず1杯の1日3杯なので、コーヒーメーカーは生活必需品。移住前は、ネグロスの片田舎で、コーヒー豆が手に入るかどうかが分からなかったので、かなり心配していたほど。

ところが、スーパーに行けば、フィリピン国内のバタンガス産コーヒーなんて普通に売ってるし、シライ市内でも創業100年を誇る老舗カフェ、エル・イディアルでは、ネグロスのネイティブ・コーヒーを買うことができます。

そんな事情が分かったので、移住して早速買ったのが、フィリップス製のコーヒーメーカー。日本ではシェーバーや電動歯ブラシ以外、あまり馴染みのない会社ですが、ヨーロッパではアジア勢の攻勢の中で、ほぼ唯一の健闘を続ける総合電機メーカー。発祥の地はオランダながら、今では全世界に製品を供給するグローバルな企業。

ドイツにはフィリップという人名が多いことから、ヨーロッパでもドイツの会社だと思っている人が多いらしい。考えてみたら、フィリピンの国名も、旧宗主国スペインの王、フェリペ二世(フィリップのスペイン読み)に因んでいるので、縁がないこともない。

さて、そのフィリップスを選んだ理由は、前回に書いたように、それなりに信頼できるブランドだったことと、約7000円もする、フィリピンでは割と高価な部類だったこと。他にあったのは、ハナビシとかアカリとか、名前だけ日本風の中国ブランドたったというのもありました。

実際に使ってみて、コーヒーを点てるという基本機能では、まったく問題なし。2年間は機嫌よく使っていたのですが、ある日、洗っている途中に専用のポットを割ってしまった。これって、どこの製品でも、よくある事故。日本でも何回かやらかしてます。そして、どのメーカーでもぴったりサイズのポットでないと、製品が作動しないようになっている。

日本では、近所の電気屋さんに行けば、すぐにメーカーからポットだけ取り寄せてくれるし、今ならアマゾンでポチれば、当日か翌日には配送。ところがフィリピンの場合、困るのがアフターケア。丸ごと修理の方がまだマシで、メーカーに問い合わせようにも、まず電話がつながらないし、つながっても要領を得ない返事だったり、そのまま放置されたり。

インスタントコーヒーで何日も我慢できない私にとって、これは致命的。仕方がないので、その日のうちに同じフィリップスの同じ機種を買って来ました。2年で7000円か...。償却済なんでしょうけど、本体は何ともないので、実にもったいない。それからというもの、ポット洗いには細心の注意を払うようなったのは、言うまでもありません。

それから、さらに2年。別に油断して、ぞんざいに扱った訳でもないのに、いつの間にかポットにヒビが入って、コーヒーが漏れ出してます。2年で不具合が出るように、ポットに自爆装置でも付いているのか?

ということで、偶然プリンターを買うのと同じタイミングで、3代目のコーヒーメーカー購入となりました。2代目購入時と同じ、バコロド・ロビンソンズの調理機器売り場。相変わらずフィリプス以外は、安物の中国ブランドばかり。さすがに同じ機種はもうなくて、やや大きめで、頑丈そうな造りの製品に置き換わってました。価格も少し上がって、約8000円。仕方ないなぁ。ちなみに、これもメイド・イン・チャイナ。


さて、今度という今度は、大事に扱おうとは思うものの、ガラス製品が割れてしまうのは、ある程度仕方がない。割れたり、メンテナンス対象外になる前に、ポットだけ買っておこうかと考えております。


2018年5月8日火曜日

日本製には拘らない



前回、プリンターを買い替えた話を投稿しました。私の筆力不足なのか、読者の中には、フィリピンで購入するべきなのは、できるだけ日本製がいいと受け取った人も。そういうつもりじゃ、なかったんですけどね。

1980年代以来のメイド・イン・ジャパン神話を、今でも頭から信じ込んでいる人は、思いの外多い。機構部品が多い、カセットやビデオなどのテープ類や、ディスクを使った製品ならば、部品や組み立ての精度が、品質や製品寿命に大きく影響したでしょう。

ところが、現代の携帯電話や液晶テレビは、極力可動部分を減らし、ワイヤレス化を推し進めているので、極端に言えば、そこそこの部品を買い集めて組み立ててれば、ある程度の品質は維持できてしまう。これが世界市場で、日本メーカーが韓国や中国に勝てなくなっている理由の一つ。

その上、最近のスマホなどは、次々と新技術が導入されるし、商品単価が下がっていることから、ファションアイテムを買い換えるとに似た感覚が広まっています。我が家の月給8000円程度のメイドさんですら、スマホを2台持っている。

つまり、日本製のアドバンテージは、昔に比べれば大した差ではないし、せいぜい3〜4年しか使わないモノに、10年以上保つような品質を求めるのは、あまり意味のあることではなくなっています。第一、無駄に高くなるし。環境保護の観点からは、あまり良いことではないけれど、一部の家電製品の世界では、それが現実。

また、洗濯機や冷蔵庫のように、相変わらず10年ぐらいは使う製品でも、日系メーカーのブランドを冠しているものは、原産国がどこであっても、かなり厳格な品質管理の元で生産されています。

これは、かつて某家電メーカーにデザイナーとして勤務していた私が、中国での生産現場で見てきたこと。正直に言って、売値が大したこともない商材に、そこまでムキにならんでも、と思うぐらいの厳しさで、品管や購買の日本人担当者の同僚が、鬼に見えたほど。

と、長々書いてしまいましたが、要するに日本製か中国製かより、私が拠り所にするのは、メーカーの名前と価格。今回私が購入したプリンターにしても、ブラザーという日本では知られたメーカーだし、フィリピン市場向けにしては比較的高価なもの。さっき製品の裏側を確認したらフィリピン製でした。

へぇ〜、ブラザーって、フィリピン国内に工場を持ってたのか。調べてみたら、5年前(2013年)からバタンガスでプリンターの生産をしているそうです。生産拠点を、中国からシフトしたんですね。

ということで、前回予告した、コーヒーメーカー購入の話が、そっちのけになってしまいました。


2018年5月7日月曜日

プリンター買い換えました


フィリピンに移住してから、「安物買いの銭失い」という、日本ではほぼ死語と化した格言を、身に沁みて実感するようになりました。特に家電製品は、かなり良いものを買わないと、すぐにダメになる。典型的だったのは、夜間の停電で使う充電式ライト。購入後1年もしないのに、いざという時に点灯しない。無理してコンセントにつなぐと、焦げた臭いが。

メイド・イン・チャイナが諸悪の根源、と言いたがる日本人は多いけれど、実際に中国製のものを一切使わずに、フィリピンで生活するのはほぼ不可能。そして中国製でもピンキリで、名の通ったメーカーならば、ある程度の安心感はあります。

そんなわけで、冷蔵庫・洗濯機・電子レンジ、などなど、中国製であっても、できる限り日系メーカーで揃えた我が家。DVDプレーヤーと書斎で使っている液晶テレビは、わざわざ日本から持ち込んで、変圧器経由で使ってます。

パソコン本体は日本で買ったマックブックで、周辺機器も最初は全部日本仕様。その中で最大にして一番高価だったのが、キャノンのプリンター。ピクサス・プロ9000なる、いかにも高そうな名前で、5万円ぐらいの代物。購入当時はプロのデザイナーだったので、多少の見栄もありました。


A3まで印刷できて、インクカートリッジを8本(レッド・グリーン・ブラック・マゼンダ・シアン・イエロー・フォトマゼンダ・フォトシアン)も使う本格的なもの。個人で使う人は多くなくて、デザイン事務所の経営者がオーナーだったりするような機種。10年以上前のことで、そこそこの値段のプリンターでは、画質に満足できなかったんですよ。

でもこれが、タチの悪い商売女に引っかかった感じ。とにかくインクカートリッジが高い! 1色1000円ぐらいするし、ちょっとまとめて印刷すると、どんどん無くなっていく。キャノンに限らず、プリンターメーカーは、インクで儲けていると言われています。本当にその通りで、最初から分かっていたんですが「搾取されてる感」は否めません。

今思えば、移住する時に、誰かに売るか、上げればよかったのに、フィリピンにまで持って来てしまった。カートリッジは、日本からのお客さんに頼んだり、一時帰国の際に自分で買い溜めたり。ところが先日、まだ10本ぐらいインクのストックが残っている状態で、ピクサス嬢が昇天されてしまった。

不具合のある部品は特定できていても、製品自体が既にメンテナンス対象外。日本の中古品で、1万円もする部品を買っても動作は保証されないし、ドライバソフトがもう更新されないので、パソコンのOSをバージョンアップしたら、ハードの故障は治っても動かなくなるリスクもある。

万事休すとはこのことで、2ヶ月ぐらい考えた末に、とうとう新品に買い換える決断をしました。調べてみると、ピクサスのような化け物じみた機種は、フィリピンでは売ってなくて、高くてもせいぜい1万ペソ(約2万1千円)ぐらいが主流。インクは赤・青・黄・黒の4色のみ。でも、プリントサンプルを見ると、10年前のピクサスとあんまり違いが分からないほど、技術は進んでました。

やって来たのは、パソコン専門店のオクタゴン。現在フィリピンでのプリンター市場は、ブラザーとHP(ヒューレット・パッカード)の2強に、キャノンが続くという様相。そして選んだのは、ブラザーのDCP-T310という機種。店頭価格が8,000ペソ(約1万8千円)だったので、こちらの庶民感覚では、かなりの高級品。詰め替えインクが1色390ペソ(820円)で、相変わらず高いけれど、4色しか使わないので、ピクサスに比べるとはるかにマシ。


帰宅して、早速セットアップ。ネットがダウンしていて、ドライバソフトがダウンロードできないというトラブルに見舞われつつも、その日の夜にはテストプリント。自宅の裏庭で撮影したハイビスカスの写真を印刷してみました。


う〜ん、十分きれい。最大A4までながら、スキャナーも付いているので、コピー機としても使えるし、変圧器も不要。ぐっと小さくなって、デスクも広々。これなら、もっと前に買い替えておけば良かったと思うほど。モニターやスピーカーなどの周辺機器も、フィリピン仕様に置き換わっていたので、変圧器経由は外付けHDDのみ。スパゲティ状態の配線も、だいぶスッキリしました。

ということで、最後にこれからフィリピン暮らしを始めようという人たちに教訓。電気製品は、日本から持ち込むより、こっちで買った方がいいですよ。安物ではなく、日本並みの価格の製品を。

そして、今回買い替えたのは、プリンターだけではありませんでした。実はコーヒーメーカーも。そちらの話は次回に書きますね。


2018年5月6日日曜日

続・ボラカイからの帰還


今日は、しばらく前に投稿した件の続報です。

とうとう閉鎖されてしまいましたね、ボラカイ島。ドゥテルテ大統領以前のフィリピンでは、政治家が言い出すことは「やるやる詐欺」が目立ち、また出来もせん事をほざいとる、てな感じでしたが、さすがドゥテルテさん。時期も内容も、言った通りにやっちゃいました。

閉鎖の数日前頃から、テレビでは連日ニュースで報道されたボラカイ島。ホテルもフライトもキャンセルだし、島の住民と関係者以外は、機動隊によって完全シャットアウト。職を失った労働者は3万6千人に登り、経済損失は200億ペソ(約422億円)という試算も。

フィリピン国内報道各社の、ネット上の記事を拾い読みしてみると、ボラカイ同様に環境汚染が懸念されている観光地では、次は我が身では?という不安が広がっていたり、ポスト・ボラカイ、とばかりに、まだあまり知られていない、美しいビーチが紹介されていたり。

さて先日、その失業者3万6千人のうちの一人、セラピスト(マッサージャー)のシェリル嬢が、久しぶりに我が家にやってきました。一昨年まで、週一回で私が出張マッサージを頼んでいた、隣町タリサイ出身のシェリル。彼女のボラカイへの出稼ぎが決まってからは、同じくセラピストの姉シャロンにバトンタッチ。

二人とも私のフェイスブック友達で、5月になったらシェリルがネグロスに戻るとは聞いてましたが、いきなりシャロンの代わりにシェリルが来宅。交代の連絡なしだったので、玄関先にシェリルの顔を見たときは、ちょっとびっくり。

いろいろ大変だったろうとの心配をよそに、相変わらず笑顔を絶やさないシェリル。悲壮感はまったくなし。我が家のメイド、ネルジーとは仲良しで、早速世間話に花が咲きました。

ドゥテルテ大統領が嫌いになったんとちゃうか?と、半分冗談で訊いてみても、仕方がないという表情。本当にボラカイは汚かったんだそうです。記事であった、ろくに浄水設備もなしに、汚水を海に垂れ流していたというのは、間違いではなかった模様。

表情が明るいのは、一応、半年後には再開の目処があって、この半年さえなんとか乗り切ればとの思いもあるんでしょう。どうやら同業の姉シャロンとは話がついているようで、しばらくの間、私の週一マッサージはシェリルが担当することになりました。

ということで、ボラカイ島の閉鎖が解除されるまで、またよろしくお願いしますよ、シェリルくん。


2018年5月5日土曜日

東屋が買える S&R

4回続けて投稿した、ミアガオ旅行。今回はオマケのイロイロ。ミアガオで二泊して、そのまま真っ直ぐネグロス島に帰っても良かったんですが、家内がどうしても、途中にあるS&Rで買い物をしたいと、わざわざイロイロ市内で一泊することになりました。

S&Rについては、昨年末にも少し書いたように、日本のコストコによく似た、倉庫状の大きな店舗の、会員制ディスカウント・ショップ。私はこれが2回目ながら、家内はずいぶんと気に入ったようで、友達と連れ立って何度も来店。

アメリカ発祥のスタイルらしく、車で乗りつけて、数週間分の食料品をどっさり買うのにちょうどいい感じ。フィリピンでも同様で、店舗よりも広いぐらいの駐車スペースを確保。



すでにフィリピンでは10店舗以上も展開しているそうで、結構な人気。ただ、やっぱりフィリピンの場合、こういう買い物ができる層は、まだまだ中流の上の方に限られるでしょうね。実際に来客を眺めてみても、あまり濃い肌の色は少なくて、日焼けしなくても生活できる人ばかりの印象。

品揃えはというと、日本のコストコより、さらにアメリカナイズされているかも知れません。相当大きな冷凍肉の塊とか、内臓と皮を取り除いただけの子豚1頭分なんてのも。値段を見ると約1万ペソ(2万円)。下町に行けば、豚の丸焼きレッチョンが、せいぜい5千ペソ。一体誰が買うんでしょうか?


一際目を引くのが、庭に置く大型商品。ベンチとかバーベキューセットなんて可愛い方で、日除け付きで昼寝に最適なベッドや、3〜4畳ぐらいはありそうな倉庫に、東屋まで。日本ならば、これを置く場所がある人は、よほど田舎住まいか大金持ち。



本格的なバーべキューセット



どうやって持って帰れと?



2階のベランダに置きたい



10万円の東屋
中に置いてあるソファは別売り

でも考えてみると、この東屋、我が家の裏庭ならば十分なスペースがあるんですよ。お値段は約10万円で、決して安い買い物ではありませんが、場所が隣の島でなかったら、真剣に購入を考えたかもしれません。

その他に気になったのが、折り畳みができる、マッサージ用寝台。週一で自宅にセラピストを呼んでいるので、本気で欲しい。いくら折り畳んでも、さすがにフェリーに持ち込むのは難しそうなので、結局は諦めましたが。もしS&Rが自宅のあるシライの隣街、州都のバコロドにでも出来たら、豪快に散財してしまいそうで怖い。



本気で欲しかったマッサージ用寝台



自転車やタイヤまで

お買い物の後は、S&Rのすぐ近くにある、SM(スーパーモール)内の、「大阪たこ焼き」というド直球な名前のレストラン。同じフロアにラーメンの一康流と、とんかつのキムカツがあって、両方とも体験済み。最後に残ったたこ焼きにトライ、というわけです。



どの日本食レストランもウェイトレスが
「イラッサイマセ〜」とお出迎え

私はねぎ焼きと焼きおにぎりのセット。すっごい炭水化物攻め。家内はたこ焼き。そしてなぜか息子はラーメンを注文。どうやらオーナーは他の2店と同様に日本人らしく、関西人の私が見ても、マトモなたこ焼きとお好み焼きが出てきました。でも残念ながらラーメンはハズレ。麺が焼きそばみたいで、ちょっとこれは違うやろ、という不思議な代物。それでも息子は完食です。



というわけで、充実の3泊4日ミヤガオ〜イロイロ旅行。お土産も思い出もいっぱい、持って帰ることができました。