2021年2月28日日曜日

可愛い花でも名前はクサい

先週末(2021年2月21日)には、 台風1号、フィリピン名アウリンがネグロス島直撃コースで、南東海上から接近していましたが、どういう風の吹き回しか、上陸寸前に勢力が弱まって熱低に格下げ。レーダーや衛星からの写真を見ても、雲がほとんど無くなって消滅しちゃったようです。

私を含めて、被害が出るかもしれなかった、ミンダナオ島やビサヤ諸島の住民にとっては、喜ばしいながら、少々呆気に取られたというのが正直ところ。こんなこともあるんですね。

でもやっぱり、ここネグロス島のシライ市では、前夜から相当量の降雨で、水捌けの悪い自宅前の道は午前中いっぱい冠水。我が家のメイド、ライラおばさんの住むバランガイ(最小行政区画)も床上浸水で、掃除のために月曜日は欠勤。

ただ、これがしつこい長雨の断末魔だったようで、午後からは、まるで日本の秋口のような雲の隙間から、台風一過の真っ青な空と、熱帯の強い日差しが戻って来ました。

2月の前半は、これに騙されて、翌日にはまた鬱陶しい梅雨空だったけど、一週間経った今日まで、夏日で30度越えが続いております。どうやら、今度という今度こそ、本格的な夏、乾季が到来した模様。やれやれ。

こうなると、少々の暑さの中でも、出歩きたくなるのが日本人のサガ。わざわざ「日本人」なんて大きな主語で書いたのは、フィリピンの人たちは、まず、炎天下では歩かないから。外に出るのも嫌がるし、仕方がない時は、トライシクル(オート輪タク)が必須。自前の両足で歩くのは、貧乏人しかいない。

ということで、久しぶりの散歩を兼ねて、徒歩15分ほどのシライ中心部まで行ったのが、前回投稿した、ブログ広告費の受け取り。もう移住して8年なのに、途中で熱帯の花が満開になっているのを見ると、つい手持ちのスマホで写真をパチパチ。

ハイビスカスやブーゲンビリアは、熱帯の花として日本でも知られているし、もうしばらくしたら、遠目には大樹が燃えているように見える火炎樹も見頃。そんな大ぶりで派手なイメージの強いフィリピンの花ですが、地元で人気なのは、もう少し控えめなバホバホ。



例えてみるなら、ミス・ユニバース級の、彫りの深いメスティーソ系ナイスボディのお姉さんたちの中にひっそり佇む、CMデビュー当時の宮沢りえちゃんか、写真集を出したころのビビアン・スーちゃんのよう。(例えが古過ぎて恐縮です。ちなみにビビアン・スーは、「台湾の宮沢りえ」と呼ばれていた時期があったそうです。)

花のサイズは、日本の紫陽花よりやや小さいぐらい。美しいというより、愛らしいとか可愛いという形容詞が似合う。それでもさすが熱帯植物で、花びらの色は鮮やか。一つの株で何種類もの色が楽しめる。

そんな可憐な花なのに、なぜか名前がバホバホ(Bahu Baho)。バホ「Baho」って、イロンゴ語(西ネグロスの方言)で「臭い」という意味なんですよ。以前、息子の小学校の庭に咲いていたのを、写真に撮ってフェイスブックにシェアしたら、家内が笑いながら教えてくれました。実際、花らしからぬ悪臭がするらしい。言われて、鼻を近づけて嗅いでみたけど、全然分からないけどなぁ。

まぁ多少、香りに難があっても、クサいなんて名前を付けなくてもいいのに。これって、シクラメンが和名「豚の饅頭」なのと似てるかも。こちらは花ではなく、球根を豚の餌にしてたからだとか。「ブタノマンジュウ」では、あの名曲「シクラメンのかほり」も、ぶち壊しになってしまいます。


2021年2月25日木曜日

シンガポールから広告収入


広告収入とは、ブログを書いて、読者の皆さまにアクセスしていただき、その結果としてブログを運営している会社から頂く報酬を指しております。いわゆるアフィリエイトというやつですね。当ブログは、グーグルを利用しておりますので、グーグルから送金があったという話。

アフィリエイトで収入があった、なんて言うと、大儲けしているように思われそうですが、数あるフィリピン関連ブログの中でも、かなりマイナーなテーマのネグロス島。たまたま恋人や配偶者になったフィリピン人がネグロス出身だったとか、英語留学やボランティアなどでネグロス島に行こうという、超ピンポイントなターゲット層。

だいたい二日に一回更新して年間150本ぐらいの投稿で、多くても一つの投稿に100PV(ページビュー)程度。これで、最低支払い金額の100米ドル(約1万円強)に達するのに、軽く1年半はかかります。労力の割には、本当に微々たるもの。

3年ほど前、フェイスブック内のフィリピン好きが集まる、メンバーが1,000人を超えるグループで、ブログをシェアしていた頃。投稿毎に500〜600PV(ページビュー)もあって、1,000PV以上の時もありました。ただ、多くの人目にさらすと、変な読者も増えるのがネットというもの。ろくに読みもせずタイトルだけで噛み付いて来たり、しつこく絡まれることもあり、結局1年も経たずに退会。

正直なところ、本気でお金を稼ぐつもりなら、こんな地味な内容ではなく、フィリピンの夜遊びや、風俗嬢の話でも書いた方がいいんでしょう。実際、書いて書けないこともないんですけど、すぐにネタに行き詰まりそうだし、第一、心が荒みそう。

現実的に考えて、いくら物価の安いネグロスでも、ブログの収入だけで暮らそうと思うと、どう少なく見積もっても、コンスタントに今の100倍以上、一投稿で1万PVは必要。有名人でもない私がこれを目指すのなら、文章力か、素材の力か、よほど非凡なものがないと無理。日本のテレビ局が取材に来れば、瞬間的に、それぐらい行くかも知れません。長続きはしないでしょうけど。

ただ、かれこれ足掛け8年も続いたのは、お金ではない価値があったから。本当にネグロスの事を知りたい人にすれば、このブログは、数少ない日本語の情報ソース。しかも、暇に飽かせて、実にいろんなトピックについて書いているので、それなりに役には立っているらしい。

何よりも嬉しいのは、投稿を通じて、ネグロスに関わる人たちとリアルに知り合えること。一回会っただけで、縁が切れることもありますが、わざわざ日本から我が家を訪ねてくれたり、何年も友達付き合いをいただいたり。このブログがなければ、まず絶対に知り合えなかった人の数は、もう何十人のオーダーです。

ということで昨日、シンガポールのグーグルオフィスからの100米ドル、約4,800ペソを、近所にあるウエスタン・ユニオンに受け取りに行きました。お昼過ぎに行ったら、ランチ真っ最中だった窓口のお姉さんが、口の周りにご飯粒をつけて出てきたのには、大笑い。

好きでやってるブログで、新しい出会いがあって、しかも、たまにお小遣いまで貰えるなんて、結構な事です。でも、やっぱり収入は多い方がいいし、PVが増えれば励みになるので、これからもご愛読を、よろしくお願いします。


2021年2月23日火曜日

フィリピンで聴く梅田のFMラジオ

 甚だ唐突ながら、このところ毎日、日本のFMラジオを聴いております。きっかけは、フェイスブックのタイムラインでフィリピン人の義妹から教えたもらった、スマホのアプリ。

このアプリは、ラジオ・ガーデンRadio Garden)という名称で、オランダの研究所によって開発された非営利のサービス。全世界8,000ものローカル・ラジオ局を、とても分かりやすいインターフェイスで聴取できる。

日本国内を調べてみたら関西地方だけでも、京都、大阪、神戸、奈良、宝塚、箕面、岸和田、八尾、宇治...。FM大阪やNHKなどの大手放送局はカバーされてないものの、これだけあれば、選択肢の数は十分過ぎるほど。早速、まず目に留まった「ウメダFM Be Happy!」という局を選んで聴いてみました。


出典:ウメダFM Be Happy!78.9

当たり前のことながら、流れてくる楽曲の半分は日本の流行歌。DJは日本語で喋り、話題は大阪や関西近辺のローカルなトピック。ジャティックの交通情報なんて聞くのは、10年ぶりぐらいかなぁ。

別に都島付近の渋滞や、四條畷で通行止めしてても、フィリピンに住んでる私には、まったく関係ないのに、そんな事さえ懐かしい。英語の曲名をカタカナ発音で紹介するのも、妙に新鮮に聞こえます。

そして、金曜日の午後。スマホをつないだブルートゥースのスピーカーから、いかにも「キャピキャピ」な声が。どんな人が喋ってるのかと、ラジオ局のホームページをチェックすると、芥田愛菜美(あくた まなみ)さんという、なかなか可愛らしい女性。

1995年10月生まれというから、ちょうど私がフィリピンに初渡航した頃。イロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師、アン嬢と一つしか違わない。若いのぉ〜。

関西学院大学の出身で、ミスキャンパスに参加するなど、学生時代からタレント活動をされてたとのこと。なるほど、これだけの美貌だったら、そんなキャリアパスもOKなわけだ。ちなみに、後でアンに写真を見せたら「グァパ〜(美人)!」と驚いてました。ぱっちり二重の瞳に丸顔は、フィリピンでもモテるでしょうね。


出典:ウメダFM Be Happy!78.9

私が一番熱心にラジオを聴いていた中学〜高校生当時。AMだと「MBSヤングタウン」や、「オールナイトニッポン」といった深夜放送、FMならば「音楽の森」に、今は亡き城達也さん「ジェットストリーム」がお気に入り。

当時は、インターネットもスマホもなかったし、テレビで名の売れた有名人でもない限り、どんな人が喋ってるかなんて、調べようとしたら相当な手間。中には、声と顔写真のイメージ落差が大き過ぎて、ちょっとガッカリなんてことも。

それが、日本から3,000キロも離れたネグロス島で、大阪のFMラジオがリアルタイムで聴けるだけでなく、DJのプロフィールも一瞬でサーチできる。何とも便利な時代になったものです。その上、局のホームページには、曲のリクエストとメッセージが送付できる、専用フォーマットまで用意されている。

よ〜し、こんな別嬪さんがDJなんだったらと、「フィリピンで聴いてます」から始まるメッセージを添えて、昔フィリピンでも Bawa't Bata のタイトルで、タガログ語バージョンがヒットした、ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」をリクエスト。

実は、学生時代も含めて、ラジオ局にリクエストを送るなんて初めて。ヤングタウンにネタハガキを送って、景品の「ヤンタンバッグ」を貰ったことはありますけど。

海外から、という珍しさのせいか、あるいは、たまたま他にリクエストが無かったからか、「送信」をクリックしてから、ものの数分で私のメッセージが読まれたのには、軽く感動を覚えました。ネット経由で雑音が皆無というのもすごい。ちょっと大袈裟に言うと、私の知っている昭和時代のラジオとは、まったくの別次元の体験。

ところで、このFM局って、ラジオ・ガーデンを経由しなくても、ホームページから直接聴取できたんですね。これはJCBA(日本コミュニティ放送協会)という団体が運営する、ネットでの再送信サービスによるもの。すでに2012年に始まっていて、本来は、送信出力の弱いコミュニティFMが、災害時などにローカル情報を、地域に届けることができない問題を解消するのが主目的。海外で聴けるのは、オマケなのかも。



2021年2月20日土曜日

台風が来るので帰ります


出典:気象庁ホームページ

昨年末から今年の初めにかけて、水難の相が出ているとしか思えない、ここフィリピン・ネグロス島。季節風が弱まって、やっと乾季だと思ったら、数日でまたもや元の木阿弥。北からのモンスーンが吹きまくり、毎日一度は土砂降りの日々。まぁ、だいたい半日は晴れてるので、1月頃よりはマシなんですが。

そして今度は早々と台風のお出まし。去年は7月ぐらいまで来なかったのに、今年はエラく気が早い。日本では台風1号で、フィリピンでも最初なので、Aから始まるアウリン(Auring)という名前が付きました。

2月20日の土曜日夕刻現在、中心気圧は998ヘクトパスカルで、最大風速が秒速20メートル。油断は禁物ながら、それほどの勢力ではなさそう。

それでも、以前から床上浸水高リスクの場所が多いシライ市内。お馴染み、我が家のメイドのライラおばさんが住むバランガイ(最小行政区画)ギンハラランも、台風接近の報を受けて、隣近所の人たちは浮き足立っているらしい。

そりゃぁそうでしょうねぇ。ちょっとした浸水でも、片付けやら掃除で、翌日ライラが仕事を休むぐらいなのに、この2ヶ月足らずで、避難が必要なほどの大洪水が、2回もあったんですから。

ライラのお隣さんなどは、いつでも持ち出せるように、貴重品や衣服の荷造りに余念がないそうだし、当のライラも、いつもは夕方6時過ぎまでの業務時間を切り上げて、5時前には早々の帰宅。たいへんだ。

さて、今日はフィリピンでの台風の進路について、少々蘊蓄を傾けてみます。

ご存知の通り日本では、ほとんどの台風が南西、つまり日本から見て、台湾の方向からなのに対して、発生場所がはるか東の太平洋上であることから、フィリピンでは通常、台風や熱低は、東か南東から襲来。

フィリピンは、マニラのある北のルソン島、ドゥテルテ大統領のホームタウン、ダバオのある南のミンダナオ島、そして私が住むネグロスを含む、中央部のビサヤ諸島に分けられます。例年、上陸する台風が頻繁に通るのは、ビサヤの東岸に当たる、レイテやサマールから、マニラ首都圏が位置するルソン南部を経て、南シナ海に抜けるというルート。

2013年、歴史的な被害をもたらした台風ヨランダは、レイテのタクロバン付近から上陸して、あまり北上せず、ビサヤ諸島を東西に横断するという経路でした。このように、年間に何度も大きな被害が出るルソンやビサヤに比べ、南のミンダナオは、フィリピンにしては台風が少ないことで知られています。

それを思うと今回は珍しいことに、アウリンはミンダナオに上陸するかも知れず、東西と言うより、南北を縦断すような感じ。現時点で、台風への警戒を呼びかけるシグナル1(最大が5)が、その経路に沿って発令中。


出典:PAGASA ホームページ

明日、2月21日の日曜日から22日の月曜日には、ネグロスに最接近(下手すると直撃)の模様ですが、時折小雨が降っているぐらいで、まだ風も大したことはなく、ここシライ市内は静かなもの。できたらこのまま、静かに行き過ぎてほしいものです。


2021年2月18日木曜日

台湾は理想の国か?

 私が子供の頃、つまり半世紀ほども昔から、日本の近隣諸国の中では、対日感情が最も良い国として、台湾の名前が挙がることが多かったと思います。1970年の大阪万博では、中華民国としてパビリオンも出していた台湾。

ところが1971年の国連決議で、国連代表の席は大陸中国のものとなり、以降は、オリンピックなどの国際競技などでは「Chinese Taipei (中華台北)」の名称を使用。実質的には堂々たる独立国なのに、建前上は曖昧な位置付けのまま。

私は、観光で何度も台湾に行ったことがあるし、台湾出身の人と仕事をしたこともあります。偶然にもテニス仲間の奥さんが台湾人だったりもして、私にとっての台湾は、フィリピンに次いで身近な国。

そんな経験からしても、日本が嫌いという台湾人には会ったことがない。逆に台湾や台湾の人を悪く言う日本人も知りません。こうした日本〜台湾の国民同士の関係の良さを思うと、ちょっと信じられないながら、二国間は表向き、国交のない状態が続いています。まぁ、ビジネスでもプライベートでも、往き来することに障壁は感じないので、私はあまり意識しませんが。

さて、日本からフィリピンに移住して、もうすぐ丸8年になろうかという私。何かにつけて感じるのが、良しにつけ悪しきにつけ、両極端な日本とフィリピン。

機械のように何でもスケジュール通りに進み、神経質なまでに清潔好きな日本。それが高じて、少なからぬ労働者が精神的な問題を抱え、いまだに家庭生活が破綻するほどの長時間労働は無くならない。社会での男女の平等さでは、世界ランキングで下から数えた方が早い。

一方のフィリピンは、時間に対する感覚がダラダラのユルユル。仕事でも遊びでも、オンタイムで約束を守る人が少数派。だいたい、新しいショッピングモールが開店するにしても、一体いつ建物ができるのか「神のみぞ知る」なので、本当の直前になるまで、オープン予定日の告知が行えない。また周囲の人も、それが当たり前と思っている。

その代わり、自殺は滅多にないし、たまにあっても大抵は恋愛の悩みが原因。男性の生活力はダメでも、女性の社会進出はすごい。一緒に仕事するなら、相手は女性かゲイの方が、ずっと頼りになるお国柄。

日本とフィリピンの中間ぐらいの国があったら、住むには理想的だなぁと、溜息混じりに思うことが多い。でも、よ〜く考えてみたら、ひょっとして台湾って、その理想の国なんじゃないか? 地理的に、日本とフィリピンの中間に位置するだけではなく、いろんな意味で。

私の知識は、ほぼ台北市内とその周辺の一部に限定されるものの、まず街並みは普通にきれい。道路も鉄道も、日本と遜色がないぐらい整備されてるし、治安も悪くない。よく働くし、時間も金銭の感覚も日本と変わらないけど、意味のない長時間労働は聞いたことがない。家族と過ごす時間を大切にする人も多い。

さらに、世界一のホスピタリティを誇るフィリピンに比べても、台湾人のおもてなしの心は、まったく引けを取らない。私の感覚では、むしろ台湾の人の義理堅さは、フィリピンよりすごいかも。受けた恩は絶対に忘れない上に、倍返し三倍返しにしてくれます。

なんて書くと、台湾に住む私の友達は、実際に台湾に生まれ育ったら、苦労もあるし嫌な部分もいっぱいだと言うかも知れません。これは飽くまで日本人である私の、外国人としての感覚。そりゃどんな国にだって、良い人もいれば、嫌な人だっている。

それでも、「理想の国」は、少々持ち上げ過ぎにしても、住みやすい国だと思いますよ。

今私がフィリピンのネグロス島にいるのは、フィリピン女性と結婚して家庭を持ったから。さらに言うと、妻になった女性が、信頼に足る存在だったからに他なりません。結果的に、やや早すぎる老後の人生を送るには、日本よりフィリピンの方が、私には向いていたと言う話。

ただ、もし家内が台湾人で、同じように台湾に移住していたとしても、良かったんじゃないかと思います。単に住み心地だけを比較するなら、ネグロスより台湾の地方都市の方が、適応しやすかったかも。

ということで、今から再度の移住までは無理でも、コロナ禍が終息したら、1ヶ月ぐらいゆっくりと、台湾で過ごしてみたいなぁと思っている次第です。



2021年2月16日火曜日

コロナ禍一年で牧師錯乱

2021年が明けてもう1ヶ月半。ここフィリピン・ネグロス島のシライ市では、ようやく新型コロナの陽性患者の数が、10名前後で安定してきました。人口12万人の地方都市で、一時は何百人というオーダーだったことを思うと、かなり良化したと言えるでしょう。

2月10日時点では、累計の患者671名で、現在陽性が9名。回復が629名で死者33名となっています。患者の属性は、男性44%、女性56%で、やや女性が多く、世代別だと69%の19〜59歳の就労者層に対して、19歳未満の子供が11%、60歳以上が20%。

フィリピン的な区分としては、海外出稼ぎ労働者が2%。市外から来て、そのまま動きが取れなくなった、ローカル・ストランディッド・インディビジュアル(略称がLSIってすごい)が6%。医療従事者が9%。それ以外のシライ市民が83%という内訳だそうです。

もし私が陽性となったら、やっぱり外国人なのでLSIになるんでしょうか? それとも永住ビザがあるから、シライノン(シライ市民)と見なされるのか。

さて、もうここまで来たら、すぐにでも陽性ゼロになりそうなものなんですが、ここからが減らない。かれこれ何ヶ月も、10名前後が続いている状況です。

陽性患者が出ている場所は、ほぼ固定されていて、半年ほど前は、市内の二大クラスター発生地域だった、貧困層が多いバランガイ(最小行政区画)ギンハラランとマンブラックが1〜2名と、抑え込みに成功したのに対し、富裕層が多いバランガイ・シンコ(第五バランガイ)が、ずっと3〜4名程度の患者数。

私たち家族の住むセント・フランシス・サブディビジョン(宅地)も、ここに属していて、現在の3名の一部、あるいは全員が、どうやらセント・フランシスの住人らしい。

というのは、つい一週間前、同じ宅地に住む家内の友人から「お向かいさんが、家一軒ロックダウンになっちゃった」との知らせ。それを聞いて翌朝に行ってみると、フェンスにイロンゴ語で、「Gina-bawal ang maski sino man nga mag-palapit diri.(ここに誰も近づいてはいけない)」、つまり、立入禁止の張り紙が。

ロックダウンって、もっと物々しく、映画やドラマで見るような、事件現場を黄色いテープで封印するようなイメージだったのですが、実際はあっさりしたもの。とは言え、家に住んでる人や、そのご近所さんにしてみれば、これだけでも十分重苦しいでしょうね。

比較的大きくて周囲から独立した家なら、この程度で済みますが、我が家のメイド、ライラの住むギンハラランでは、狭い場所に密集した住宅地であることが災いして、左右と裏の隣家が全部隔離。ライラも巻き添えで、しばらく欠勤したこともあります。

ちなみに、日本の一部で伝え聞くような、陽性患者本人やその家族に嫌がらせをしたり、差別するなんて話は、少なくとも、ここシライでは聞いたことがありません。貼り紙の写真を撮った私が、後で家内に怒られたぐらいで、同情こそすれ、感染した奴が自己責任で悪いという思考にはならない。

とまぁ、今のところ陽性の数も少なくなり、フィリピンへのワクチン第一陣到着のニュースもあって、息苦しさは相変わらずながら、暗闇の向こうに光明が見えた感じ。ただ、一年もこんな閉塞状況に置かれれば、精神的に追い詰められる人も出てきます。

その一人が、これまた同じ宅地に住む、アメリカ人牧師。年齢は40代ぐらいで、奥さん(カトリック神父ではなく、プロテスタントなので妻帯可能)や子供たちを含めて全員白人。アメリカ人らしく、誰にでもフレンドリーで、私も道で会えば、挨拶と短い会話をするぐらい。

ところが、昨年の10月ぐらいから、一人で聖書を読みたいからと、自家用車を路上に駐車して何時間も過ごしていたり。夕方には子連れで散歩してたのも、最近は見なくなったなぁと思ってたら、深夜に突然の錯乱。

牧師とは思えない言葉(おそらく被害妄想)を叫びながら、車のフロントグラスを壊していたそうです。宅地のガードマンが急行するだけでなく、警官もやって来て、牧師は拘束の上、病院送り。シライ市内には精神科のある病院はなかったと思うので、州都バコロドでしょう。

どうやら、アメリカに残してきた親御さんが、健康面に問題を抱えているのに、コロナ禍のせいで帰国もできず、いろいろ悩んでいたらしい。日本に住む私の母も、似たような状況なので、彼の気持ちは痛いほど分かる。聖職者だって人間ですからね。


2021年2月14日日曜日

私的フィリピン美女図鑑 聖バレンタインデーの贈り物

今回のフィリピン美女図鑑は、以前に描いたモデルを、同じポーズ、同じ衣装で再描画。かれこれ3年半以上、60点も描いてると多少なりとも手慣れてきて、過去のイラストがいろいろと気になってくるもの。

これが手描きの水彩画とかだったら、一から全部描き直しするしかないので、モデルもポーズも何もかも同じで...とは、まずならないけれど、そこはデジタルの便利なところ。例えば衣装にしても、生地と模様、陰影は別個のレイヤーにしているので、上手くやれば、相当な作業量軽減。

それだけでなく、前作の浴衣美女は、家内の友達の娘さんシーラ嬢。昔からよく知ってる妹分みたいな子で、イラストの要望も家内経由で私へ。ただ、家内が思ったよりも上出来だったのに加え、シーラも大喜びで自分のフェイスブックの背景に使うほど。「じゃあ、次は私の番でしょ」みたいな、プレッシャーを感じてしまった。

何も、家内をモデルにしたことが、ないわけじゃないんですよ。フィリピン移住直後に二枚描いたし、この美女図鑑でも最初の頃に一枚。まぁ、美女図鑑の方は、家内に黙って描いて、恥ずかしがりそうだったので、ブログに載せたことも知らせてませんけど。

そんな経緯があって、ブログ掲載分をプリントアウトでもしてお茶を濁そうかとも思いましたが、今となっては、あんまり満足できる仕上がりに見えない。描画当時は、ずいぶん手間を掛けて丁寧に描いたつもりでも、やっぱり3年半の「修行」は、それなりの意味があったらしい。ディテールを端折り過ぎで、荒削りな習作にしか見えないから困ったもの。

さすがにこれを、最新作のシーラの浴衣姿と並べたら、手抜きと思われかねない。

ということで、オリジナルを家内が見ていないこともあって、同じイラストを、現在の技術で再構成することにしたわけです。締め切りがないと、ズルズル行きそうだったので、3週間後のバレンタインデーを目標に設定。

その結果がこのイラスト。

シーラの浴衣とは差を付けて、いかにも高かそうな着物。そう見せるためには、絹の質感もそこそこは表現しないと。意外に難しかったのは帯。凹凸を描くのは、実にたいへん。

そして、バレンタインデー前日の深夜。完成直後にフェイスブックにアップしたところ、家内のウケもよく、友達からもお褒めをいただきました。早速、プロフィール写真に使ってます。良かった良かった。ちなみにピンクが好きな家内なのでした。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年

2018年

2019年

2020年

2021年


2021年2月12日金曜日

夏は来たけどメイドは来ない

 雨、雨、雨で2021年の1月が終わり、2月になってもまだ降り止まず。1日晴れたかなと見せかけて、翌朝にはまたも土砂降りで、道路がくるぶしぐらいまで冠水するフェイントまでカマされてしまったし。

フィリピンでは、そういう報道はお目にかからないけれど、たぶん、西ネグロス州では観測史上初とか、何十年に一度レベルの雨の多い1月だったんじゃないでしょうか。ここネグロス島シライ生まれの家内が、驚くぐらいですから。

永遠に続くのかというような長雨に、終止符が打たれたのは、ようやく2月3日の水曜日。まだ曇ってはいたものの、日課にしている30分ほどのサイクリングに出かけた瞬間に「これは雨季が終わった」と実感。

その理由は、数ヶ月も吹き続けていた季節風が、ピタっとやんでいたから。徒歩だったら、気持ちのいい風だ〜ってなものですが、逆風で自転車を漕いでいるとかなりの風圧。風向きも頑固なまでに一定で、いつも往路は、直線でスピードが出過ぎるくらいなのが、帰路がキツい事この上なし。

そんな「風を感じる毎日」だったので、嘘のように無風に近い状況は、ペダルに体重をかけた瞬間に分かります。

結局その日は、終日曇りがちだったものの、何日かぶりに雨は降らず、翌日の木曜日は朝から真っ青な空。午後からは、これまた久しぶりにムクムクの入道雲も姿を見せるほどの真夏っぷり。


こうなると気温は一気に上昇し、前日はでは扇風機すら不要だったのが、就寝時にはエアコンをオフタイマーで使ってしまうほど。日本だったら歌の歌詞に出てくるような、季節の変わり目の情緒なんてカケラもありません。「はい、昨日で雨季はお終〜い。今日から真夏ですよ〜。」と、アッケラカンなフィリピーナの声が聴こえてきそう。


地球の風サイトで見ても
フィリピンの周囲に強風は無し

とまぁ、いきなり真夏は来たけど、実は我が家のメイドのライラおばさんが、またもや長期欠勤のまま。年初のダブル水害で2週間休み。その後1週間働いて、今度は足を怪我してまた1週間来ない。それからやっと本調子に戻ったかと油断してたら、次は目の病気で1週間。2月の第一週には「出勤しますよ」と連絡があったのに、前述の冠水。

ライラじゃなかったら、ズル休みを疑うところですが、もう2年以上の付き合いで、ライラの真面目さはよく分かっています。仕事ぶりを見てても、手抜きはしないし、何より、中学生の子供を女手一つで育てているので、日当がないと明日のお米を買うお金にも困る生活。年初の水害では、家内が、お米や古着、僅かながら臨時の「洪水手当」も出したぐらい。

さて、メイドが不在だから、というわけでもないけれど、こんなに極端に天候が変わると、さすがに体調も芳しくない。冒頭のサイクリング同様、この1年ぐらい、しつこく続けているボイストレーニング。調子が良くないとてきめんに喉に来ます。

特に、今年に入ってから歌い始めたイタリア語のカンツォーネ。曲の終わりが、声帯の限界に挑戦するような高音を引っ張るスタイル。調子が良い時でもたいへんなのに、ちょっと寝不足だったりすると、あと少しのところで声がひっくり返ってしまう。

ということで、たまたま春節と同時に夏が来たネグロス。この週末は、ライラはよく休養を取って、私は気候に体の順応させて、機嫌良く2月後半を迎えたいものです。あ、その前に、バレンタインデーがあるな。


2021年2月9日火曜日

陸の孤島 / 植民地時代の負の遺産

 フィリピンと聞くと、多くの日本人が思い浮かべるのが「貧富の差が激しい国」というフレーズ。実際に住んでみても、確かにその通り。しかしながら、ほんの一握りの大金持ちがいて、その他大勢は全部貧困層...でもないのが、私の実感。

おそらくスペイン統治時代には十把一絡げだったのが、第二次大戦後ぐらいから、本当の極貧層と中間層に分かれ始め、特にここ最近の好景気を反映して、かなりたくさんの人たちが、中流と呼べる生活レベルを実現したんじゃないでしょうか。

こう書くと私と同世代の人は、昭和日本の所得倍増とか一億総中流なんて言葉を思い浮かべるかも知れません。もちろん、そこまで急激な変化ではないし、日本の中流に比べれば、まだまだ質素なもの。それでも、5人が住んでいる家内の実家を見ていると、私たちが結婚した1990年代に比べれば、家財道具がずいぶんと充実。

家電製品では、冷凍冷蔵庫に電子レンジ、エアコン、大画面液晶テレビ。家族全員がスマホを持ち、パソコンは2台。かなり遅いとは言え、ちゃんとインターネットも使える。

家族構成は、年金を貰ってる家内の父と、市役所の部長クラスの義弟。公立小学校の教師をしている義妹に、高校生の子供が二人。ネグロスにすれば、かなり稼ぎはいい方でも、お金持ちというほどでもなく、中の上ぐらい。ちなみにコンパクトカーながら、新車で買ったヒュンダイも所有。

こうした、豊かさを手にした人々がいる反面、何世代にも渡って、社会の底辺に止まったまま多数の貧困層がいるのが、フィリピンの悲しい現実。

例えば、このブログで何度か貧しい人が暮らす代表のように紹介した、シライ市内のバランガイ(最小行政区分)、イーロペス(E. Lopez)。グーグルマップでイーロペスを見ると、シライの北の外れに位置し、広大なサトウキビ畑の中に、島のようにポツポツと数十世帯の集落が、何箇所かに散らばっています。

その集落の名前が、アシエンダ・ギンサアンとか、アシエンダ・ダニエル、アシエンダ・クラハオなど。頭に付いている「アシエンダ(Haciennda)」とは、大農園を意味するスペイン語。つまり、シライ市内に残るこの地名は、スペイン統治時代の名残りで、大地主が所有するサトウキビ畑で労働に従事した、小作人たちが住んでいた場所。

スペインから独立した後も、大地主・小作人の関係はそのままで、100年以上経った今でも、地図で見た通り、周囲から取り残されたように、相変わらず貧困までが保存されているわけす。

さらに、このイーロペスは、シライ市内を二筋に分かれて流れる、マリスボッグ川によって、中洲のようになっている。このため海岸に近い下流では、筏の橋渡しが現役で活躍。砂糖の精製工場や空港近くには、ちゃんとコンクリート製の橋があっても、そこまでは何キロも迂回しないと、市場や病院、学校などに行けないという不便さ。もう陸の孤島状態。

なぜ橋を作らないのか、シライ生まれの家内に聞くと、本当に不便なのはイーロペスの一部で、子供を含めても100人もいない。それを公約にしても選挙で有利にならないから、歴代市長も放置してるとのこと。

追い討ちをかけるように、先月(2021年1月)の2回の鉄砲水では、相当な被害が出て、頼みの筏まで流されてしまいました。つい先日、やっと市会議員の一人が、新しい筏を寄贈したそうですが、それを聞いた私は「ケチらんと、橋作ったれや」とツッコんでしまった。




そんなに広い川じゃないんですよ。人件費の安いネグロスだし、最近山間部のパタッグに新しい市庁舎別館を建てたぐらいだから、無理な話じゃないと思うんですけどね。

ということで、今回の水害で改めて気付かされた、植民地時代の負の遺産について、少々義憤にかられながら書きました。


2021年2月7日日曜日

隣人たちの懐具合

 ずいぶんと下世話なことですが、噂話のネタとしては、色恋沙汰に次いで定番と言える、他人さまの懐具合。ここフィリピンでも、いや、フィリピンでこそ、隣近所のお金にまつわる話は、格好のターゲット。

最近でこそ「忙しい」「寝てない」を自慢する人は、減少傾向なれど、やっぱり朝から晩まで忙しい日本人とは違い、基本的にヒマ人が多いフィリピン・ネグロス島。

平日の昼間っから、サリサリ・ストア(昔の駄菓子屋と煙草屋を足して割ったようなお店)の前にタムロして、話し込んでいるオッちゃんたち。所用で出かけてる途中で見かけて、半日ぐらいして戻っても、同じメンバーが同じポーズで、話し続けてるなんてのもザラ。

気が合う相手だったら、シラフでも(というか酒が飲めない)延々喋ってしまう私が、とやかく言う資格はないけれど、本当によく話題が尽きないものだと感心します。家内に訊いてみたら、だいたいは誰かの悪口か噂話。

◯◯に住んでる金持ちは、シャブの売人だ。隣の奥さんが若い男と浮気して、旦那がナイフ持ち出して大騒ぎ。などなど、すごくヤバイ話に比べると、やや穏当なのが、借金関係。特に、比較的大きな家が多い、私の住むビレッジ(宅地)で、有閑マダムの口の端に登るのは、住宅ローンが払えなくなって、銀行に家を差し押さえられるケース。

地主階級の本物の大金持ちなら、代々の土地家屋があるし、相続税がバカ高くもないフィリピン。金持ちはいつまでも金持ちで、貧乏人は代々ず〜っと貧乏。差し押さえを食らいやすいのは、中途半端にお金がある、海外での出稼ぎでお金を貯めて、ようやく「ドリーム・ハウス」を手に入れた人たち。

家族や親戚の誰かが、出稼ぎ先の国で家庭を持って、継続的に送金があるならまだしも、数年ぐらいの稼ぎで、持ち慣れない金額を持ったばかりに、分不相応な家を建てたりする人が多いらしい。

こういうオーナーが建てる家の典型的な特徴は、家本体がやたらデコレーションがいっぱいで派手なのに、それを囲むフェンスが無かったり、作ってあっても、ブロック剥き出しで仕上げがなかったり。ロクに作庭もせず、雑草生え放題なんてもの危ないサイン。

実はこの特徴を全部兼ね備えているのが、以前、深夜に酔っ払いが騒いで、関係が険悪になった我が家のお向かいさん。


オーナーのおばちゃんは、かつて日本で働いて、日本人と結婚。どうやら、その日本人夫のお金で土地を購入したらしい。家が出来た頃には、もう夫は亡くなっていて、今では、フィリピン人男性との間にできた三人の息子と、母親と同居している。

ここからが、家内がビレッジ内のおばちゃんコミュニティで仕入れてきた噂話。それによると、土地はキャッシュで買ったけど、家の建築費用は、その土地を担保に、住宅ローンを組んだんだそうです。ところが、今回のコロナ禍。あまり賢そうには見えない息子たちは失業し、おばちゃんが営んでいた、空港に弁当を納入する仕事もダメになった。

なるほど。家がずいぶんと立派なのに、傷んだ箇所は修理もしない。暇を持て余した息子たちは、庭先の掘立小屋で日がな一日、スマホと睨めっこ。フェンスがないので、その様子が、外から丸見え。さらに、最近の洪水では、その庭が何度も冠水。本来なら、嵩上げ工事でもしそうなところが、泥田のような状況でも、そのまま放置。

家内とその噂話仲間では、いつ家を差し押さえられるかが話題になっている。他人の不幸は蜜の味と言いますが、さすがの私も、そこまで追い詰められていると知ったら、ちょっと気の毒になってきました。

相変わらず、週末の夜は、馬鹿息子供が飲んだくれてうるさいけど、他に不安やストレスの吐口がないのかと考えたら、同情の余地がなくはない。(ただの能天気なのかも知れませんが)

ちなみに、お向かいとは別のお隣さん。一昨年の、我が家のゲストハウスと同じ時期に着工して、一年以上前に住める状態になっているのに、今だに引っ越してこない。案の定、旦那さんが海外出稼ぎ労働者で、その収入が頼りなはずが、コロナでずっと国内にいる様子。

時々、パーティなどで人が集まっても、夜には誰もいなくなる状態が続いて、やっぱり庭は仕上げをせずに、未完成っぽい外観のまま。中金持ちの家づくりあるあるで、土地の嵩上げをケチったもんだから、お向かいさん同様、大雨の度に床上まで浸水してるし。

まぁ、お向かいさんもお隣さんも、噂話に尾鰭が付いてるだろうし、本当にお金に困っているかどうかは分かりませんが、どうも、将来設計とか、先のことを逆算して貯蓄するのが不得意な人が多いフィリピン。

まだしばらくは、コロナ禍による不況が終わりそうにないので、せっかく買ったり建てたりしたマイホームを追い出される悲劇が、今後は増えていきそうな予感がします。


2021年2月4日木曜日

発電機の下取り

 今年になって、3回目の発電機ネタです。今日は、新しいガソリン式発電機を購入して、不要になった古いディーゼル発電機を下取ってもったお話し。

最近は、フェイスブック内に「売ります・買います」みたいなグループがたくさん。ここネグロス島のシライ市内限定バーター(物々交換)グループもあります。なので、そこを使っても良かったのですが、今回は顔見知りのご近所さんに依頼。

そのご近所さんというのが、ちょうど一年ぐらい前に知り合った、同じビレッジ(宅地)に住む女性、クリス。旦那さんが日本人で、私の家内同様、かなり長く日本に在住。最近、ハーフのお子さん二人を伴って、生まれ故郷であるシライに戻ってきました。(ご近所の日比ハーフ姉弟

そのお子さんはもちろん、クリスも日本語はまったく問題なく喋れます。しかも、独立心旺盛で、なかなか商売上手な人。今回のコロナ禍で、想定外の旦那さんとの別居生活にもめげず、自宅の庭でカフェを経営したり、食材やら生活雑貨の宅配サービスをしたり。

お正月の水害では、自家用車に被災者に古着や食料を積んで、ボランティアの救援活動。行動力がある上に、困っている人は放って置けない義侠心の持ち主。私よりずっと若いクリスですが、いざという時に頼りになる姐さんという感じ。(二週間ぶりのメイドさん

こういうタイプの女性って、フィリピンには多い気がします。私が知っている中では、州都バコロド出身で、今は日本の東北地方に住む、四人姉妹の母ダイアナ。彼女は、震災で窮地に陥った同胞を助けるために、わざわざ秋田から福島に引っ越すような人。ちなみに、ダイアナとその娘さんたちは、以前、イラストのモデルになってもらいました。(日比ハーフの四姉妹

もう一人は、身内のことで恐縮ながら、家内の叔母ナンシー。今はフィリピンに戻っていますが、若い頃は日本暮らし。自分の生活も決して楽ではないのに、日本で困っているフィリピン人の支援活動に奔走。ついにはナンシー本人が経済的に行き詰まって、私がサポートしたこともあります。それも、その後ちゃんと返済してくれました。(キャッシュ・バック30万ペソ

とまぁ、ダイアナやナンシー同様に、信頼できるクリス姐さんなので、今回の中古発電機の下取りもお任せしたという次第。

考えたのは、下取り価格の設定。新品時の価格は40,000ペソ。10万円近い金額ながら、6年も使ったし、若干のエンジンオイル漏れもある。6.5キロワットで、冷蔵庫・電子レンジ・エアコンなど、ほとんどの家電製品が使えるパワーと引き換えに、騒音はすごい。

また、バッテリーやらフィルター交換などなど、意外とメンテナンスに手間がかかることなどを勘案して、破格とも言える売値5,000ペソを提示しました。そうしたらクリス曰く「もう少し早く言ってくれたら、私が買ったのにぃ〜。」つい最近、自宅用の発電機を買っちゃったんだそうです。ごめんね。

それでも、さすが顔の広いクリス。あっという間に買い手を見つけてきて、二日後には、弟さんがトライシクルで、でっかい発電機を引き取りに来ました。ご苦労さま〜。

ということで、次のオーナーへ運ばれていく古びた発電機に、若干の哀愁を感じつつ、思いの外、手際よく中古発電機を処分できて、ほっとしております。クリス姐さん、ありがとうございました。



2021年2月2日火曜日

ウルトラマン vs. ボルテスV(ファイブ)

 いやぁ〜、遂に予告編が公開されましたね、シン・ウルトラマン。最初のウルトラマンをリアルタイム(1966〜67年、昭和41〜42年)で視聴していた私たちの世代には、劇場に足を運ぶつもりはなくても、無関心ではいられないでしょう。



制作総指揮と脚本を担当する庵野秀明さんは、私より二つ歳上の同世代。シン・ゴジラで、その「特撮愛」を見せつけられた私としては、いやが上にも期待が膨らみます。

ちなみに今回の短い予告編。昔のウルトラマンに胸をときめかせた怪獣少年にすれば、ネロンガとガボラ(敵役の怪獣)の選択は「お見事」としか言えません。多分、その後大量に作られた、歴代のウルトラマン・シリーズで育った若い世代にも、十分アピールできるインパクト。

そして、ほぼ時を同じくして、これまた懐かしい日本のアニメ「超電磁マシーン・ボルテスV(ファイブ)」の実写リメイク版が発表されました。何とこちらは、1978年に英語吹き替え版で大ヒットとなった、フィリピンでの製作。

オリジナルのボルテスVは、ウルトラマンから約10年後の、1977〜78年(昭和52〜53年)に放送されました。1972~74年(昭和47〜49年)の「マジンガーZ」の大成功から現在まで脈々と続く、巨大ロボットアニメの流れを汲む作品。

実は私、放送当時はもう高校生。「宇宙戦艦ヤマト」や最初の「機動戦士ガンダム」までは一生懸命見ていたものの、後追いの巨大ロボットや合体メカのアニメが多過ぎて、食傷気味。タイトルを知るのみで、本編はほとんど見た記憶がありません。

なので、フィリピンでも大人気だったと知ったのは、家内と結婚してから。家内がボルテスVの主題歌を歌ってるのを聴いて、びっくりしました。

調べてみたら、フィリピンでの最高視聴率は、58%を記録したんだとか。あまりの過熱ぶりに、時の大統領マルコスが「暴力的すぎる」「日本の軍国主義を思い出させる」と難癖をつけて、放送を打ち切らせたそうです。

マルコス政権崩壊後の1999年に、再放送でリバイバル・ブームになり、主題歌を歌った堀江美都子さんのフィリピン訪問時には、国賓待遇でした。私はこれも、つい最近まで知らなかった。

そして、先日公開されたフィリピン版ボルテスV「Voltes V Legacy」の予告編。東映からライセンスを取得し、CGによって作られた画像は圧巻の出来栄え。シン・ウルトラマンの庵野さん同様、原作への愛に満ち溢れています。


監督は、フィリピン人のマーク・レイズ(Mark Reyes)という人。1969年生まれの51歳なので、小学生の時にボルテスVを見てたんでしょうね。もうそれだけで、共感の嵐。

ということで、シン・ウルトラマンの方は、フィリピンの映画館で見られるかどうかは微妙ですが、ボルテスVは、フィリピンのテレビ局GMAで放送されます。近々、自宅のテレビで見ることができそうです。