2021年3月31日水曜日

シロアリはパスポートが好き

 年中暑くて湿気は多い。樹木もいっぱいのフィリピンなので、自然の状態でもシロアリが多いのは、移住前から分かってたんですが、いざ自宅にシロアリが出たら、やっぱり驚きますね。

実は、新築工事の前、敷地の端っこに子供の背丈ぐらいある、蟻塚があったんですよ。蟻塚と言っても黒いやつじゃなくて、シロアリの。大工さんたちは慣れたもので、一斗缶に入った殺虫剤を買ってきて、シャベルで塚を壊しながら散布。あっという間に更地にしてしまいました。

それから工事が竣工して、新しい家に住み始めてからもう7年以上。シロアリの姿を見ることなく過ごしてきたのに、母屋ではなく、一昨年裏庭に建てた、離れのゲストハウスにシロアリ被害が出てしまった次第。同じ敷地に、同じ素材、同じ工法で建てた家で、方や7年なんともなく、ゲストハウスだけ1年そこそこでシロアリが巣を作ったのは、おそらく、しばらく人が住んでいなかったからでしょう。

ちょうど1年前に、コロナ禍が原因で、宿泊中だった日本人ゲストが全員退去となり、ただ一人残っていた、地元在住日本人の方も、ゴールデンウィーク頃には帰国。それから私が、隣家の騒音でゲストハウスに居室を移すまでが、約5ヶ月間。

もちろん、ずっと閉め切っていたわけではなく、毎朝窓を開け放ち、空気の入れ替えはしてました。ただ、死角だったのが押し入れ。一般的なフィリピンの住宅では、あまり日本的な押し入れってないんですが、私が自分で設計した、昔の実家を再現した間取り。襖の代わりにアコディオンカーテンをつけた押し入れが、三箇所あります。

最初にシロアリを見つけたのが、そのうちの一つ、リビングの押し入れ。ここには使っていないベッドのマットレスを仕舞っていて、ちょっと陰干しでもしようと、アコディオンカーテンを開けた時でした。

鉄筋コンクリートのラーメン工法なので、木材を使っているのは、ごく一部。シロアリは、その限られた木材である、押し入れの間仕切りに巣食っていました。とは言え、見た目には、それほどひどいわけでもなく、間仕切りとタイルの床に隅っこに、長さ数十センチの通り道ができている程度。

早速、シロアリごと巣を掃除機で吸い取って、近所の建材店で購入した、ノズルのついた噴霧式の殺虫剤を散布。数日は押し入れの中身を全部出したまま、カーテンを開けっ放しにしてました。


おそらく一回で終わらないだろうとの予測通り、3回ぐらい、少しづつ場所を移動しながら、巣作り〜駆除を繰り返し、1ヶ月ほど経過して、もう大丈夫かなと安心し始めた昨日。今度はリビングの裏側にある、私が寝起きしているベッドルームの押し入れがやられました。

それも床だけではなく、押し入れの中に置いていた、木製の引き出しに侵入。あろうことか、私のパスポートがシロアリの巣に。どっひぇ〜〜。

さすがに軽くパニックになって、掃除機を振り回して大騒ぎ。シロアリって木だけじゃなく、畳やコンクリートさえ食料にすると聞いたことはあるけれど、紙も食べちゃうんですね。まぁ紙の原料は、木材のチップなので当たり前か。可哀想なパスポートくんは、満身創痍のボロボロ状態。

この引き出しは、結構頻繁に開け閉めしているので、せいぜい一週間以内でこうなったようです。今までの感じからすると、数日ぐらい間だったのかも知れません。いずれにせよ、シロアリを吸い取った後は、例によって殺虫剤散布で押し入れは満開でしばらく放置に。

本来は、パスポートはここではなく、母屋の2階が保管場所。たまたま2月にアニュアル・レポート(フィリピンでの永住ビザの年間手数料支払い)で使って、こっちに置いたままにしてたのを、狙い撃ちされた格好になりました。

このままでも、セロテープで修理したら、使えなくはないけど、コロナ禍が終息後に、セブの日本領事館で再発行してもらった方がいいでしょうね。

というわけで、フィリピンに住むと、虫がらみのネタには事欠きません。自宅建設中に住んでた借家では、棚にあった映画「インディー・ジョーンズ」のDVDボックスのケースに、黒い方のアリが住みついてたこともありました。移住してまだ数ヶ月の初心者だったので、肝を潰したものです。



2021年3月28日日曜日

ワクチンは、中国製よりロシア製?


出典:Philstar.com

フィリピン人とフィリピン在留邦人には朗報...かどうかは微妙なところですが、十日ほど前にCNNフィリピンは、ロシア製のワクチン「スプートニクV」の使用がフィリピンで認可され、それだけでなく、スプートニクVをフィリピンで生産でするための交渉が、最終段階に入ったと報じました。

このワクチン、米ソの冷戦時代を知る人なら、すごい名前を付けたもんだと思うでしょう。言わずもがなの解説をしますと、スプートニクとは、1957年(昭和32年)にソビエト連邦が打ち上げた、世界初の人工衛星。ロシア語で「人工衛星」を意味するそうです。そのまんまやな。

当時のソ連とアメリカは、熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていて、スプートニクの成功にはアメリカの一般市民に至るまで、強烈な敗北感を味わったらしい。「スプートニク・ショック」なんて言葉が流行ったほど。

1961年(昭和36年)には、「地球は青かった」の言葉を残した、ユーリイ・ガガーリン中尉(後に大佐)がボストーク1号に搭乗して、世界初の有人宇宙飛行の栄誉をソ連にもたらしました。この失地を回復するため、直後にアメリカのケネディ大統領が「10年以内に人間を月に送り、無事生還させる」と、アポロ計画をぶち上げたのは、もう歴史の教科書に載るほど有名な話。

つまり、今のロシア人にすれば、スプートニクの名は、かつて世界一の技術大国だった、母国の栄光を象徴するもの。それを敢えてワクチンに使ったのは、現在、ウクライナ紛争などでアメリカや西ヨーロッパの国々から経済制裁を受けている状況に対する、少々子供っぽい感情表現なんでしょうね。

そんな政治的背景もあり、アメリカのファイザー、イギリスのアストラゼネカなどのワクチンに比べると、(EMA)世界的認知度は今一つ。3月9日付のAPFによると、欧州医薬品庁(EMA)の幹部が、「スプートニクVの使用はロシアン・ルーレットみたいなもの」と、安全性に懸念を表明したり。

とは言え、実際には、ワクチン自体は悪くないようで、スプートニクVの治験の結果が、イギリスの医学雑誌ランセットに掲載され、91.6%の予防効果があったそうです。日本の専門家の方に問い合わせてみたら、肯定的な回答をいただきました。(新型コロナウイルス ワクチン情報

こうなるとフィリピン在住の身としては、どうしても中国シノバック製ワクチンと比べてしまいます。ロシアがフィリピンを、アジアでのワクチン製造の拠点としたい思惑と同様に、発展途上国を中心にワクチンの政治利用に熱心な中国。

最近は、中国製ワクチン接種を条件にした入国規制の緩和を発表するなど、ずいぶん露骨なワクチン外交を展開。

ただし、このブログで何度も書いたように、どれぐらい効果があるのか、治験の結果はどうだったかの情報が公表されていないので、たとえフィリピンでの使用が認可されていても、怖くて接種には応じられないが正直なところ。

いずれにしても、フィリピンでワクチンが潤沢に供給されて、外国人の私が接種できるのは、どんなに早くても今年(2021年)の後半以降でしょう。その頃には、選択肢も増えそうなので、報道される内容に一喜一憂せず、気長に待ちたいと思います。


2021年3月27日土曜日

私的フィリピン美女図鑑 カトリオーナ・グレイ

 3月に入ってから、なぜか絶好調の美女図鑑。前回更新から2週間も経たずに新作です。

今回のモデルは、2018年のミス・ユニバース世界大会で見事に優勝を果たした、元フィリピン代表のカトリオーナ・グレイ嬢です。1994年生まれの27歳。(2020年3月現在)スコットランド系オーストラリア人の父と、フィリピン人の母の間に生まれました。

前回のライザ・ソベラノ同様メスティーソ(混血)で絶世の美女なんですが、やっぱり国際的なミスコンの頂点を極める人って、ただ顔形が整っているだけじゃないんですよね。説明するのは難しいけれど、一度見たら忘れられないような個性と言うか、独特の雰囲気があります。

これは、俳優や歌手として大成功する人にも共通していて、「オーラに包まれている」とか「華がある」などと形容される類い。持って生まれた神さまからの贈り物かも知れないし、それまでの人生で会得した何か、なのかも知れない。

それはともかく、毎年、テレビで生放送されるミス・ユニバース世界大会のファイナル。この時は、もうメイドのライラが我が家で働いていました。ライラに限らず、全フィリピン女性が注目するこの番組。ライラはちゃんと私に断りを入れて、最終発表の瞬間はだけは、家事の手を止めてテレビの前に釘付け。カトリオーナ優勝!と同時に、子供のように歓声を上げてました。

それから3年経って、フィリピンでのカトリオーナの人気は、まだまだ衰えていません。学生時代には音楽を学び、ミュージカルにも出演した彼女ですが、注目されているのは主に社会活動。文化の振興や女性の地位向上に向けて、精力的に飛び回っているらしい。

ちなみに、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)家庭教師のアンも、カトリオーナの大ファン。ミスコンの優勝者が国民的なヒロインになって、同性からも広く支持を集めるケースって、フィリピンでは一般的な現象ですね。マニー・パッキャオのような、フィリピン出身のボクシング世界チャンピオンが英雄視されるのに似ています。

とまぁ、前置きはこれぐらいにして、今日のイラストです。


手抜きせず、できる限り詳細に描き込むことにトライしてのシリーズ第3作。テーマカラーは、ジュリア・バレットの赤、ライザ・ソベラノの青に続いて、大人っぽくパープルにしてみました。はい、これは5作続けるパターンですね。5人揃ってゴレンジャー。

ということで、あと二人、同じフレームで描くつもりです。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2021年3月24日水曜日

偉いさんが来ると、仕事が止まる


 ここ一週間ほど、フィリピン人の家内は大忙し。

と言うのは、家内が勤務するフィリピン教育省のネグロス島シライ市分室。西ビサヤのリージョナル・ディレクター(西ビサヤ地方統括本部長、みたいな感じになるんでしょうか。)が視察に来るので、その準備に忙殺されています。

これって、日本の会社でも似たようなもので、本社の偉いさんが地方の小さな支店に来るなんてなったら、ここぞとばかりに支店長が点数稼ぎに血眼になる。実務には何の役にも立たない、エエ格好するためだけの資料作りで、担当者は大騒ぎになるわけです。

最重要ポイントが「責任者が恥をかかない」だから、もしあれを訊かれたら、このグラフが必要で...と、芋づる式に用意するものが増える。その上、メール添付の事前送付では済まなくて「念のため」全部印刷することになりがち。もう、思い出しただけで、胃が痛くなってきた。

当然ながら家内の機嫌が良いはずがなく、毎日帰宅したら、シライ分室の責任者を「アホ」呼ばわりで愚痴ばかり。

それに輪をかけて、フィリピンのオフィスって、この手のセレモニーっぽい会議が大好きなんですよね。エントランスに「歓迎、〇〇本部長」の横断幕を飾ったり、たった一回だけのために、会議室の机に、参加者全員のネームプレートを用意したり。

そして視察に付き物なのが接待。私がフィリピン出張していた二十数年前なら、日本食レストランに連れて行かれて、その後は、お姉ちゃんが横に座るタイプのバーに。なぜ日本から来た社員にを日本食?と思いますが、要するに接待する側が、食べたいからなんですよ。

ちなみにこれは、バブルの余光が残っていた時代のお話。見る影もなくなった現在の日系企業では、まずありえないでしょうねぇ。

さすがにフィリピン教育省だし、八割ぐらいが女性職員なので、ホステスのいる店で接待はないけれど、市内唯一のアミューズメントパーク「マジック・ランド」に行くらしい。まるっきりお遊びですな。

さて、ドゥテルテさんが大統領に就任してからというもの、警察を含めて、政府内の各省庁の腐敗一掃の、暴力的なまでの改革が実行中のフィリピン。悪名高い陸運局などに比べると、教育省は、かなりマシなようですが、それでもこの程度の無駄遣いは、問題にすらならない。

まぁ、年度内に予算を使い切りたいという事情も分かるし、コロナ禍で飲食店も遊園地も経営が苦しい最中なので、これぐらいは仕方ないかもしれません。ただ、学年が切り替わる繁忙期に、一週間以上も職員の手を止めさせるのは、いかがなものかと思いますね。



2021年3月22日月曜日

フィリピンで自殺が増加

昨年(2020年)フィリピンで自殺した人の数が、前年比で26%も増えたそうです。総数が3,529人なので、人口がほとんど同じの日本で、約2万人が亡くなっていることを思うと、少ないとも言えます。

しかし、身近なフィリピンの人々を思い浮かべてみると、みんな楽天的で、とても自殺しそうには見えない顔ばかり。特に経済的に余裕がなく、日本人だったら鬱病になりそうな環境でも、いつも笑顔で楽しそうです。たとえ機嫌が悪くなるようなことがあっても、大人が大喧嘩したり大泣き。これならストレスが溜まりにくいんじゃないかなぁ?

数年前、私の顔見知りで、家内の高校からの友人が自殺しましたが、他の多くの場合と同じく、原因は恋愛にまつわる悩み。お金や健康の問題より、失恋や嫉妬が自殺の引き金になるケースは、おそらく日本に比べると際立って多いと思います。

ちなみにこのニュース・ソースは、日刊まにら新聞。有料記事で、見出ししか読んでないので、本文に書かれているであろう、自死に至った原因や背景は分かりません。それでもコロナ禍での自殺者増なので、失業による生活苦があったことは、容易に想像できます。

加えて、子供や老人が外出できないことも大きかったかも。少し前には、先生に直接会っての授業ができないことから、勉強についていけずに子供が自殺という、痛ましい話も。

そんな、フィリピンを覆う閉塞感を象徴するような出来事が、昨日の日曜日にありました。つい先日、合同の誕生日パーティを開いたばかりの、私の義父と義妹のジーナが、なんと喧嘩になったらしい。

ジーナ夫婦は、2LDKの家に中高生の子供が二人、そして義父の5人暮らし。ジーナにとっては、舅さんと同居していることになります。とは言え、もう結婚して20年以上。今まで、家族仲が険悪になったなんて、聞いたことがない。

一体何があったのかと、家内は朝から実家に急行。同じシライ市内で、トライシクル(オート輪タク)に乗れば、ものの10分もかからない距離。本来ならば、ジーナの夫である、義弟のロイが、間に入れば良いんですが、気の弱いロイは、こういう問題がからっきし苦手。

しばらくして帰宅した家内によると、どうやら根本的な原因は、家の狭さ。というよりも物が増え過ぎたと言うべきか。フィリピン庶民の感覚からすると、決して狭い家ではないはずが、ここ最近の好景気で、大画面テレビはあるし、洗濯機に冷蔵庫、電子レンジと、日本並に家財道具が充実で、ガレージにまで物が溢れている。その上リモート授業で、居間に子供たち専用のパソコンが陣取っている。

正直に言って、たまに遊びに行っても、居場所がないぐらいに人と物でぎゅうぎゅう詰めの感じ。これでは、いくら仲の良い家族でも、イライラもするでしょう。そしてダメ押しが、コロナによる外出制限。友達とのお喋り大好きな、80代の義父にすれば、監獄に入ってるみたいなもの。

実は、家内が仲裁に行く前に、ひょっとすると、我が家で義父を引き取ることになるかも、という話はしました。元々、家内の両親と同居するつもりで設計した家なので、空き部屋が二つもあります。

結果的に、何とか義父とジーナの仲を取り繕うことができたようで、大事にはならなかったものの、まだまだコロナは、終息の兆しも見えない。せめて土日だけでも、義父を我が家で面倒を見て、ジーナが息抜きできるようにしてあげたらと、思うんですけどね。

ということで、コロナ禍の影響による、表向きの景気や治安の悪化だけではなく、各家庭やご近所さん同士の悪感情が、水面下で膨れ上がっている気がする、ここネグロス島です。


2021年3月19日金曜日

義父と義妹の誕生日

 昨日3月18日は、家内の父と義妹の誕生日。つまり、偶然にも3月18日生まれの女性が、結婚した相手の父親と、同じ誕生日だったというわけです。しかも、家内の従弟の奥さんが、その前日の3月17日生まれ。この時期、この3人の「おまとめ」誕生日パーティが開催されるのが、恒例イベントになってました。

ところが昨年(2020年)は、ちょうど新型コロナの爆発的感染が始まった頃。残念ながらパーティはキャンセル。今年はどうするかなぁと思ってましたが、フィリピンにしてはコンパクトに、20人程度の親戚が集まって、近所のレストランで開催することになりました。

82歳になる義父と、49歳になる義妹のジーナは出席で、従弟の連れ合いエリアンは、仕事の都合で不参加。予約していたレストランも、時節柄もあるし、週の真ん中の平日なので、ディナータイムのお客さんは少なめでした。

さて、このレストラン。私の住むネグロス島シライ市の中心部から、車で15分ほどの海辺、バラリン地区にある「フローティング・レストラン」。ざっと10軒ぐらいの、海上に竹で作られた飲食店が並ぶ、シライの観光スポット。数年前にも、このブログで紹介しました。(シライ名物 海上レストラン



この場所は、西に向かって海が広がっていて、パーティを始める時間帯がちょうど日没タイム。連日の真夏日で、適度に雲があり、久しぶりに美しい夕焼けを満喫しました。牡蠣も美味しかったし、やっぱり外食はいいものです。



バースデー・ガールのジーナ

地元の親戚が集まると、会話から取り残されるのが常だった私ですが、今年はちょっと違って、家庭教師のアン嬢のお陰で、何とか、方言のイロンゴ語で文章が綴れるレベルになってます。こういう機会は積極的に活用しようとばかりに、家内とジーナ、そしてジーナの義妹キャッシーの会話に参加してみました。

さすがに、情け容赦なしのオバちゃん喋くり相手では、細かい部分は全然ですが、それでも、10語に1語ぐらいは、知ってる単語や表現が出てくるので、話題が何なのかぐらいは、大雑把に掴めます。

それによると、40〜50代の女性あるあるの、体調に関するお話。高血圧だとか、ダイエットだとか。コレステロールに脂肪、糖分、炭水化物などの言葉は英語なので、だいたいの流れは理解可能。時々、家内に助けてもらいましたけど。

そんな感じで3時間余り。子供が何人かいて、ノン・アルコールのパーティだったので、まだ宵の口にお開き。来た時と同様、従弟の車に乗せてもらっての帰宅となりました。

このバラリン地区は、レストラン街を除くと、貧困層がかたまって暮らす場所。極貧のスクワッター(不法占拠)とまでは行きませんが、ほとんどの家にエアコンはなく、夜間でも窓は開けっ放し。

同行した息子が、乗り物酔いをしやすいこともあって、車窓を半分ぐらい開けていると、平日の夜9時過ぎでも、かなりの喧騒。どの家も、開け放した窓から、ラジオやテレビの音がガンガンと響いてきます。

なるほどなぁ。ここ最近、私が騒音でモメた隣人たちって、もともとこういう場所の住人だったんですね。外国人と結婚したり、家族の誰かが海外出稼ぎ者だったりで、高級住宅地に家を建てたけれど、習慣や感覚まで変わるわけもなく、そのまんま暮らしているだけ。

もちろん、フィリピンという国と付き合って四半世紀なので、初めて気付いた事ではありませんが、フィリピン離れした宅地に住んで丸8年。そういう感覚を少し忘れてた。

ということで、我ながら単純なことに、今朝起きた時から、周囲の雑音があまり気にならなくなりました。だって、バラリンのあの喧しさに比べたら、全然大したことないし。やっぱり、1年以上もほとんど出歩かなかったことも、私の気分に影響していたのかも知れませんね。


2021年3月16日火曜日

私的フィリピン美女図鑑 ライザ・ソベラノ

ここ最近、フィリピン美女図鑑のイラスト描きがノっております。なんと前回更新のジュリア・バレット嬢から、たった2週間しか経たないのに、もう次が完成。今日のモデルは、これまた、フィリピンでは誰知らぬ人のいないであろう、モデルにして女優のライザ・ソベラノ嬢です。

実は、私がライザを描くのは、これが5回目。それぐらいの美女なんですよね。試しに、「フィリピーナ」「美人」(Filipina beauty)で画像検索かけたら、まず間違いなく彼女の写真が、かなり上位に何枚もヒットします。

フィリピンの女優さんや、ミスコン入賞者って、欧米系のメスティーソ(混血)の方が多いんですが、彼女は典型的にそのパターン。お父さんがフィリピン人でお母さんがアメリカ人。12歳までアメリカ在住で、マニラに引っ越してきた時は、タガログ語が喋れなかったんだそうです。

それでも、これほどの美貌をフィリピン芸能界が放って置くはずもなく、わずか13歳でスカウトされ、ドラマ・デビュー。2021年現在でまだ弱冠23歳なのに、すでに女優歴が10年というベテラン。堂に入った美女ぶりです。なので、「写実絵画」路線で、ライザを描かないわけがありません。

さて今回、いつになく微に入り細に穿って、彼女の顔を2週間に渡って見つめ続けたわけですが、やっぱりその整い方は只事ではありません。マレーや中国、インドなどのアジア系統と、スペインの血が混ざったフィリピン人に美女が多いのは、歴代の国際ミス・コンテストの優勝者を見れば一目瞭然ながら、ここまで絶妙なハイブリッド美女は、ちょっと他にいないんじゃないかと思うぐらい。

ちなみにライザは、2017年の「世界で一番美しい顔100人」のナンバー・ワンに選ばれたりもしてます。

ということで、前置きはこれぐらいにして、イラストの完成品です。


ところで、こんなに有名なライザですが、私はずっと「リサ」だと勘違いしておりました。ごめんなさい、ライザさん。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2021年3月13日土曜日

やっと終わった屋根修理

去年(2020年)の10月ぐらいから、ず〜っと修理する大工さんを探していた、我が家の雨漏り。雨漏りと言っても、屋根そのものの不具合ではなく、スチール製の雨樋が腐食して、穴が開いている状態。


見事に大穴が開いた古い雨樋

屋内に漏るわけではないので、生活に支障が出るわけではないけれど、何しろ、降るとなったら連日のゲリラ豪雨。砂利を敷いた庭に、びちゃびちゃ、どしゃどしゃ、すごい音の滝みたいになります。

年末には、シャワールーム床タイルの張り替えや、建て付けの悪くなった扉など、気になっていた箇所の手直しはだいたい終わって、最後に残ったのが雨樋。

以前にも投稿したように、コロナ禍真っ只中のフィリピン・ネグロス島でも、なぜか建築業界だけは不況知らず。大きな商業施設や高層マンションから、個人住宅に至るまでの新築ラッシュの勢いは、止まる気配も見えない。当然、大工さんはみんな大忙しで、ちょっとした修理ぐらいでは、なかなか見に来てもくれません。(フィリピンで建てた家のメンテナンス

家を建てた時のスチール瓦業者に、頼めばいいとは言え、これが高いんですよ。日本でも同じで、正規の業者は、ある程度信頼できる代わりに、値引きが効かない。結局、年明けにフィリピンでも大手のカラー・スティール(Color Steel)に連絡をした次第。

ところが、顔見知りの営業社員のフィリップ君が来たのは大雨の日。屋根に上がって見ることもできない。出直します、と帰ったのはいいけれど、そこから待たされること数週間。工事担当の大工さんが交換する雨樋を数えて、やっと見積もりが出たのが、もう2月の半ば。前払いの材料費を払うのにも、また時間がかかり、発注・納品まで、また待たされる。

ようやく工事の日取りが決まり、足場用の竹を自分で買い揃えたのが、3月の第一週で、かれこれ半年です。


すべての建材を施主自ら買うのが
フィリピンの常識

そして着工が、先週の金曜日、3月5日。三日かかると言っていた取り替え工事は、途中、またもや雨で1日延びて、足場の撤去にもう1日の合計5日。費用は、雨樋に8,000ペソ、竹に2,000ペソ、工賃が5,000ペソの閉めて15,000ペソの約3万4千円。同じ工事を日本でやったら、ウン十万円はいくでしょうから、比べればずいぶん安いですけどね。

とまぁ、紆余曲折でいろいろありましたが、さすがに雨漏りはピタっと止まり、夕立ちの土砂降りでも、普通の雨音(だけでも、そうとうやかましい)しか聴こえなくなりました。

実はこの雨漏り、意外なところで役に立っていて、それを大きなバケツで受けて、植木の水やりに使ってました。重宝していた水瓶がなくなったものだから、それからしばらくは、家内がブツブツ。知らんがな。

ということで、去年から引きずっていた懸案事項が、やっと一つ片付いてやれやれです。気が付いたら、もう3月も半ば。フィリピンで引退生活を送っているのに、やっぱり「三月は去る」なのでした。



2021年3月11日木曜日

地震多発国フィリピン


2012年に東ネグロスを襲った
マグニチュード6.9の地震
出典:GMA NEWS ONLINE

今日は 3月11日なので、やはり地震関連のことを書こうと思います。

10年前の2011年のこの日、まだ日本に住んでいた私。実は、抑鬱状態との診断でドクターストップがかかり、勤めていた会社を休職中。地震発生の時刻には、自宅の書斎でパソコンに向かっていたように記憶しております。

当時は、震源から遠く離れた大阪府下のマンション暮らしだったので、揺れはまったく感じることはなく、第一報はヤフー・ジャパンに表示される速報でした。それから数日は、ほぼ終日NHKを付けっぱなしで、テレビの前に釘付け。おそらく直接影響のない地域でも、日本中がそんな感じだったんでしょうね。

確か、その直後だったか、子供のパスポートが期限まで1年を切ったので、大阪市内のパスポートセンターに行った時のこと。普段はそれほどでもないのに、この日はどういうわけか、大勢の人でごった返していました。聴こえてくる話し声は、中国語や韓国語などの外国語ばかり。

どうやら、日本国籍を有する子供を連れて、母国へ避難しようという在日外国人の親たちのようです。折しも、福島の原発事故が連日報道されている真っ最中。事態がどのように収束するか、先行きが見通せないタイミングだったので、放射能への恐怖から、そんな行動に走る人も多かったんでしょうね。

これって、今でこそ過剰反応だと思いますが、震災直後は私も不安だったし、実際に放射能汚染のリスクを理由に、ネグロス島に移住した日本人夫妻もいたそうです。もちろん仕事の伝手があってのことで、実際にはそれだけでもなかったにせよ、ネット経由の玉石混交の情報を、真剣に受け止めてしまったらしい。

さて、それから2年後の2013年4月に、私たち家族は、家内の実家があるフィリピン・ネグロス島へお引っ越し。偶然ながら、日本から逃げ出すような格好になりました。ただ、フィリピンで稼働している原発は一基もないけれど、地震は意外と多いんですよ。

もちろん世界一の地震多発国の日本に比べたら、大したことはないと言われそうですが、数年に一度ぐらいの頻度で、大きな地震があります。現に、移住した年の10月、ネグロスの東隣、ボホール島を震源とする、マグニチュード7.1の地震が発生。セブ島を含む広い範囲で、死者100名を超える大きな被害が出ました。(フィリピンの地震

また、2017年には、ミンダナオやレイテでも死者を出す地震が相次いでいます。(レイテ地震

日本と違って、規模の小さな地震では、ネットやテレビで速報が出るシステムのないフィリピン。それでも、地震や火山噴火の情報は、公的機関のフィリピン火山地震研究所(PHIVLCS)からの情報がツィッターで確認できます。(PHIVICS-DOST

しばらくフォローしてみたら、マグニチュード2〜3程度の地震なら、ほとんど毎日、数回ぐらいは起こってるんですよ。それもフィリピン全土で。




考えてみると、有感地震が多くて建築物の耐震設計も進んでいる日本と比べると、感覚的には地震が滅多にないフィリピンの方が、場合によっては、危険と言えるかも知れません。地震被害の報道写真などを見ると、せいぜい震度5ぐらいの揺れでも、ビルが倒壊したり傾いたりしてる。

何より怖いのは、地震慣れしてない人が多いこと。ショッピングモールなどで、地震と同時に停電したら、震度3ぐらいでも、すごいパニックになりそう。2012年、私たちが移住する直前の東ネグロスで起こった地震の際には、日本の津波の映像の影響からか、津波を恐れてパニックになった住民が、大挙して高台に逃げ出したそうです。

ということで、3.11にちなんで、ここ最近のフィリピンでの地震についての投稿でした。


2021年3月9日火曜日

バランガイ・キャプテンの調停

 前回に引き続いて、ご近所さんから苦情申立てをされた件です。

金曜日に召喚状が届いて、何とも気分の悪い土日を過ごし、迎えた月曜日の朝。8時半の出頭に向けて、6時にセットしたアラームよりも早く目覚めました。天気は生憎の雨模様。週明けの「どよよ〜ん」な感じは、日本でのサラリーマン時代を思い出させます。

家内と一緒に、いつもより早めの朝食を済ませて、自宅からトライシクル(オート輪タク)で、ものの5分のバランガイ・シンコ(第五バランガイ)の事務所。

人口12万のシライ市内には、全部で16のバランガイがあるので、単純に平均しても、住民数は1万人近く。最小行政区画とは言え、日本のちょっとした自治会レベルより、はるかに大きい。特にバランガイ・シンコは、市内最大の高級住宅地を抱えているので、事務所はずいぶんと立派。隣接するバスケットボールのコートもきれいに整備されています。



さて、私たちより少し遅れてやって来た、苦情を申し立てたオっちゃん。短パンにサンダル履きなのはともかく、もう見るからに「私、怒ってます」という態度を全身に漂わせてます。実に子供っぽくて、私は、その様子を見た瞬間、これは大したことではないなと、不謹慎ながら、つい苦笑してしまいました。

というのは、召喚状はバランガイ発行の公文書なので、いかつい文面ですが、要は、住民同士の喧嘩を仲裁するのが主目的。喧嘩をふっかけて来た相手が、ずる賢く陰謀を企むようなタイプではなく「腹立ったから先生に言いつけた小学生」みたいだったので、これは適当にガス抜きしてあげれば収まるだろうと、計算できたからです。

招き入れられた部屋は、バランガイ・キャプテンの公務室。フィリピン式に、彼のデスクの前に向かい合わせに置かれた椅子に、私とオっちゃんが座り、まずは苦情の申立て。

思った通り、私に「静かにしろ」と言われたのが気に食わなかったようで、それについて「ここは日本じゃないんだから、お前はフィリピンをもっと尊重しろ」とたどたどしい英語でわめき出しました。

さすがにこれにはキャプテンも閉口して「何があったのかだけを、私に向かって話しなさい」とたしなめました。おそらくキャプテンは、こういう調停の経験が豊富なんでしょうね。笑顔を浮かべて、落ち着いた対応。

その後は、方言のイロンゴ語になったので、家内に時折通訳してもらいながら、聞いたところでは、私に言われただけでなく、宅地の警備員から再三に渡って注意されたのが、いたく彼のプライドを傷つけたらしい。だからと言って、金品や謝罪を求めるわけでもなく、ただストレス発散の場を求めていた感じ。

それよりも大事だったのは、オっちゃんに付き添って来た奥さんの発言。学校の先生をしているそうで、旦那さんが怒っていることより、いずれ家を建てて引越してからの近所付き合いを心配したそうです。

本当はバランガイ経由ではなく、直接話し合いをしたかったけれど、相手が見知らぬ外国人(私のこと)で、怖かったとのこと。

そういうことならばとばかりに、私は英語で、いきなり「静かにしろ」と言ったのは失礼でしたとあっさり謝って、警備員に頼んで、路上で大音量の音楽を注意したのは、宅地のルールだからであって、私がフィリピンの習慣を蔑ろにしたからではない。今は、音量も下げてくれたから、現状に不満はないと説明。お隣さん同士なんだから、仲良くしましょうと閉めました。

案の定それを聞いて、オっちゃんの態度はすっかり軟化し、最後は笑って握手で終わることができました。

ここまでで約30分。土日イヤ〜な気分だったのがすっかり晴れて、オっちゃん夫妻退出後に、キャプテンと少し話ました。私と同世代の60歳前かと思いきや、実はもう68歳。一昨年、家族連れで日本旅行した時のことを、嬉しそうに話してくれました。子供がタコ焼を気に入ったとか、桜が美しかったとか。

さらに、雨がひどくなって来たので、キャプテン自らの運転で、私と家内を送ってくれる VIP対応。バランガイ・キャプテンというと、ちょっと偉そうな印象ですが、気さくで親切な好人物。


さて、驚いたのは、その後。

なんと、苦情を申立てたオっちゃんの奥さんが、家内のバッチ・メイト(高校の同級生)でした。その関係で、早速家内が他の友達に聞いてみたところ、最近その旦那さんは、イギリスで看護師として働く息子からの仕送りで、にわか金持ちになり、すっかり傲慢になったとか、娘がシングルマザーになって、イライラしてるとか。

うわっ、シライはなんて狭いんだ。

なるほどなぁ。この宅地を購入したのはオっちゃんではなく、その息子だったのか。私の一言に逆ギレしたのは、金持ちの外国人(に見えるのが痛し痒し)へのコンプレックスもあったんでしょうね。なので「フィリピンを尊重しろ」なんてセリフになったわけだ。

しかし、これだけ噂話の拡散が早いフィリピン。それでなくても目立つ外国人の私など、陰で何を言われてるかと思うと、空恐ろしくなってきました。

ということで、バランガイ・キャプテンによる調停は、これにて一件落着。



2021年3月5日金曜日

バランガイからの召喚状


 いや〜、驚きました。なんと、フィリピンのバランガイ(最小行政区画)から私個人宛てに、召喚状(Summons)が来てしまいました。出来合いのフォーマットに、虫食い式で日付けと氏名を書き込むタイプの簡易版ながら、堂々たる英文で、バランガイ・キャプテンの署名まである公文書。

You are hereby summoned to appear before me in person, together with your witness, then and there to answer to a complain made before the for mediation conciliation of your disputes with complaint.

Your are hereby warned if you refuse or fail to appear in obedience to this summons, will entitle the complainant to proceed directly against you in court, where you may be barred from filing any counterclaim arising from said complaint.

Fail not els face punishment as for contempt of court.

なんちゃって英会話しかできない私には、辞書なしでは到底詳細を理解できない、難しい単語がずらり並んでいます。グーグル翻訳の力を借りると、こんな意味合い。

これにより、あなたは証人を伴い、苦情との紛争の調停への回答をするため、召喚されます。  故意か否かにかかわらず、あなたがこの召喚状に応じなかった場合、申立人は法廷であなたに対して、直接訴訟を起こす権利があることを警告します。そこであなたは、苦情への反訴を禁じられる可能性があります。  法廷侮辱罪に問われぬよう注意してください。

思い当たる節は大ありで、苦情を申し立てたのは、我が家から見えるぐらいの場所で、毎日農作業をしているオっちゃん。もう60歳ぐらいの、私とだいたい同世代。聞くところによると、息子のために宅地を買ったけど、まだ家を建てる予定はない。土地を遊ばせておくのももったいないので、自分で野菜を育てているとのこと。

こういうのは珍しくないフィリピン・ネグロス島。まだ半分以上も空き地の、私が住む分譲地のあちこちで、カラバウ(水牛)を使って、本格的な畑を作ってます。ただしこれは、本業の農民に土地を貸しているらしい。地主本人が耕しているのを見たのは初めて。

とまぁ、これだけなら別にどうってことはないけれど、ここ1ヶ月ぐらい、オっちゃんは何をトチ狂ったか、サイドカーみたいな自転車の荷台に取り付けた、相当大きなスピーカーを二つ、音量最大でラジオを鳴らし始めました。

我が家の前を通る時は「チンドン屋でも来たんか?」という騒ぎ。しかも遮蔽物がなく、100メートルほども離れている、私の部屋まで聴こえてくるんですよ。これを朝から暗くなるまで、土日なしに連日やられるものだから、ストレスが溜まることこの上なし。

それでも、ここはフィリピンだと、3週間ぐらい我慢してました。でも、さすがに音を上げて、オっちゃんが帰宅する時に「静かにしてくれ。(Be quiet.)」と英語で苦情。ところがオっちゃん、気がついているのに完全黙殺。

騒音があるので、声は大きめだったものの、怒鳴ったり、威嚇したりということは全然ありません。言った言葉も、ビー・クワイエット、だけ。

迷惑だと分かってもらえないので、仕方なしにメイドのライラに、犬の散歩がてらに文句を言ってもらったり、家内経由で宅地の警備員に注意してもらったり。その効果があってか、数日前からぐっと音量が下がって、私の部屋には音が届かなくなりました。

やれやれ、と思った矢先の召喚状という次第。

これって話が逆やんか。というか一体私に、何の苦情があるというんでしょう。音量最大でラジオを聴かせろ、とでも言いたいのか、それとも、私が日本のヤクザか何かと勘違いして怖がっているのか。

家内やメイドのライラなど、面白がって大笑い。今までの経緯を、半ば当事者の立場で知っている、地元出身の二人が笑い飛ばしているので、おそらく大ごとではないと思います。それでも苦情申立てされた私にすれば、気分が悪い。

移住以来、誰かが私のブログ・ネタを提供するために、わざとやっているのかと言うぐらい、騒音にまつわる話は、途切れることがありません。よ〜し、そっちがそう出るなら、事をの顛末をとことん楽しんで、ブログに書き倒してやりましょう。

ということで、バランガイ・オフィスでの話し合いは、週明け月曜日の朝です。乞うご期待。


2021年3月4日木曜日

フィリピンでワクチン接種開始


出典:ABS-CBN

 ようやくと言うか、意外にも早くと言うか、3月1日(2021年)ここフィリピンでも、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まりました。ただ両手を上げて喜べないのは、第一陣ワクチンの製造元が、中国シノバックであること。

何度か、このブログでも書いたように、中国製だから信用できないのではなく、成分や治験のデータが公表されていないのが問題。

ここ最近、多くの専門家や医師の方々が、ワクチンの安全性に関してのデマや、無責任なマスメディアの報道が拡散することを懸念して、自らデータと証拠に基づいた発信をされてます。

そうした、信頼に足る情報に当たっても、シノバック製ワクチンに関しては論文が皆無。有効率が50%だとか70%との報道は、裏付けの取りようがないので、現時点では、何とも意見の言いようがないとのこと。

こんな不透明な状況で、フィリピン以外にもインドネシア、マレーシア、アラブ首長国連邦(UAE)、トルコ、ブラジルなどの国々は、シノバックからの供給契約を締結。特にインドネシアでは、すでに1月中旬から国民への接種が始まっています。

今のところ、重篤な副作用が多発したとは聞かないし、インフルエンザなどの既知ウイルス向けと同じ、死んだウイルスの一部を使って、体の免疫系を刺激するタイプ。有効性は低くても、接種後に深刻な症状が出る事は、考えにくいらしい。

ぶっちゃけた話、ファイザーやバイオンテックなど、きちんとデータを公表し、接種の進んだイスラエルで、ほぼデータ通りの有効性が確認されたワクチンが良いに決まってます。でも、ヨーロッパ諸国間ですら、ワクチンの争奪戦が始まっている現状。

WHO(世界保健機構)が立ち上げた、コバックス・ファシリティ(COVAX Facility)という仕組みで、公平にワクチンが分配されるよう取り組んでいるものの、やっぱり、中国が政治利用の意思を露わに、発展途上国にワクチンを売り込むとなると、フィリピンのような立場の国が、そっちになびくのも仕方がない。

ただ、そうした背景とは関係なく、フィリピン国民からすれば、安心して接種を受けろというのが無理な話。まずは、医療や政府関係者からなので、大規模な拒否は起こらないでしょうけど、5月以降とされる、一般国民への接種開始時には、かなりの混乱があるかも知れません。

そして、今後シノバックだけでなく、アストラゼネカなどのワクチンも入って来るので、もし選べるのならそちらを取る、という人の方が多いでしょうね。

ただでさえ、この手の、大人数を時間通りに一定の場所に集める催事運営が、からっきし苦手なフィリピンの国民性。なんだか想像するのも恐ろしくなってきました。

ということで、いずれにせよ、地方在住でシニアでもない外国人の私が、ワクチン接種できるのはまだまだ先。ここは、慎重に状況を見守るしかありませんね。



2021年3月2日火曜日

私的フィリピン美女図鑑 湯上がりのジュリア・バレット

 珍しく、たった2週間ちょっとで更新の美女図鑑。熱帯らしい青空が広がる天気が続いて、私の体調が良いからでしょうか。

少し前、糸井重里さんがネット上で主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(ほぼ日)で、読み始めた「ある画家の記録。」という記事。これは、永瀬武志さんという油彩画家の、作品製作過程を週間の連載で綴ろうというもので、まだ第二回が終わったところ。

私は永瀬さんのことは、作品も含めてまったく知らなかったけれど、その超写実的な画風に、一発でファンになってしまいました。私も写真を参考にして、細く描き込んで写実的な描き方をしますが、永瀬さんの表現力は、ちょっとすご過ぎて、「同じタイプ」などと軽々しく言えないレベル。

以下、永瀬さんの言葉を引用します。

人が「写実絵画を観る」というのは、モチーフがリアルに描かれていることをたのしむと同時に、画家がモチーフと画面の間で、長い時間、思考しつづけた痕跡としての絵具の積み重なりを目の当たりにすることなんだと思います。

なるほどなぁ。

趣味の範囲とはいえ、何十枚も人物画を描いた身としては、実感として分かる気がします。やっぱり、考えながら、何度も失敗して描き直した部分は、自分で後から見返しても説得力があるもの。

すっかり影響を受けてしまって、次回作は「写実絵画」路線で行こうと、モデルさんに選んだのが、フィリピンでは誰知らぬこともない有名女優、ジュリア・パレット嬢。既に2回も描いております。(ジュリア・バレット / セーラー服フィリピーナ

実は、昨年末ぐらいから、「フィリピン美女図鑑」本来のコンセプト(フィリピンのモデルや女優、有名女性の似顔絵イラストを描く)に戻そうかと考えていた矢先。今回のジュリアを筆頭に、フィリピン出身のインスタグラマーを、その写真目当てに、フォローしまくっていたのでした。

ということで、永瀬画伯の超絶的技法には遠く及ばないものの、いつもなら面倒になって省略してしまうディテールを、根気の続く限り、きちんと描き込んでみました。特に、睫毛、眉、頭髪、唇など、去年までの私なら、まずやらないやり方で、しつこく追求。おかげでイラストのデータがとんでもなく重たくなりました。

そして今回のポイントは、湯上がり女性のような、ほぼノーメイクに近いナチュラルさの表現。まだ乾き切っていない髪だとか、リップを塗ってないすっぴんの唇。きっちりメークの方が、ごまかしが効くので、自然な仕上がりを目指すと、ぐっと難易度があがります。

少々自虐的なほど、初めての事にトライした割には、最初から最後まで楽しく描けたので、意外なほどの短時間で完成しました。さて、出来栄えはいかがでしょう?


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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