2020年6月30日火曜日

大進化グーグル翻訳


コロナ騒ぎが始まる前のことが、昔のモノクロ写真のような印象しか残っていないのに、時間が過ぎるスピードだけが、恐ろしく早かったこの半年。もう2020年は、半分終わっちゃったんですよ。

日本はオリンピックイヤーだったし、我が家の裏庭に建てたゲストハウスでは、そろそろ夏休みのお客さんが、宿泊している頃...のはずだったんですけど。

ネットの情報によると、成田〜マニラ間のANAの定期便が復旧して、週3往復飛ぶそうなんですが、一体どんなお客さんが利用するんでしょう。少なくとも、観光や英語留学が目的の人はいないから、業務上の差し迫った用件がある人や、国際結婚や恋愛中のカップル、及びその家族、という感じでしょうか。

実は、私の83歳の母が、ここ最近、体調を崩してます。今すぐ生きるの死ぬのではないけれど、本来なら、一週間か十日ぐらいは一時帰国したいところ。とは言え、国際便には乗れても、着いてから二週間の検疫期間はあるし、第一、ネグロスからマニラまでの国内線の確保が至難。まだしばらくは無理ですね。

コロナ関係の話は、そのぐらいにして、今日の本題はグーグル翻訳
お気付きの方も多いと思われる、最近のグーグル。日本語〜英語の翻訳精度が、少し前に比べると格段に進化してます。ここ数ヶ月、このブログで英語版の投稿が多いのはそのお陰。

全部丸投げして、ノーチェックで完了とは行きませんが、あまりにも珍訳すぎて、ネット上の晒しものになっていた頃が、信じられないぐらい。ちょっとしたコツさえ掴めば、ブログの記事ぐらいならば十分実用のレベル。

私が多用する日本語の英訳の場合、そこそこ自然な英語にするには、入力する日本語の文章を英訳しやすいスタイルに改めます。省略している主語をちゃんと付け加えたり、接続詞でつないだ二文を分けて書いたり。

こういう作業をすると、日本語と英語の構造の違いを、嫌でも意識させられます。特に主語。英語式にいちいち書いたら、とてもクドくて不自然で仕方がない反面、主語を明確にすることで、誤解の余地がなくなるほど、スッキリ分かりやすく。

よくある書き方で、「...と言われています」。言っているのが私なのか誰なのか、敢えて曖昧なままにしておくこともあるでしょう。それが英語になった途端、収まりの悪い、意味不明な文章になる。

シンガーソングライターの中島みゆきさんは、ご自身のCDの歌詞カードに、日本語でしか歌ってないのに、英訳を添えておられるそうです。「あの歌は、誰に対して歌ってるんですか」みたいな質問に答えるため。(ほぼ日刊イトイ新聞「中島みゆきのつくり方」

なるほど。確かに日本語の歌詞って、普通の会話以上に省略が多い。受け取り方によっては、恋の歌にもなれば、家族の誰か、あるいは友達への思いにもなってしまうかも知れない。

考えてみれば、私の拙いブログも、中島みゆきさんの名曲も、それを書いた本人だから、正しい英訳ができる。推測による意訳じゃなくて「私がそう思って書いた」と言えますから。

とまぁ、本来は機械任せで楽をするための自動翻訳のはずが、結構な知識と時間を要することになります。それでも、一から自分でやることに比べたら、出来上がりは段違い。まずスペル確認しなくて済むのが、どんだけ助かるか。

いささか手前味噌になりますが、私の英語版ブログを読んでくれたフィリピン人の友達は、内容の面白さと英語の巧さを褒めてくれます。特に評判が良かったのは、フィリピンの求愛儀式の「ハラナ」について書いた記事。

これって、日本の読者の方からも、面白いと言ってくれる人が多かったので、オリジナルの良さは、ちゃんと伝わったということなんでしょう。英語力については八割方はグーグルさんの功績。

ということで、自動翻訳がかなり使い物になってくる時代。結局、求められるのは、何語にせよ、中身を考え出す能力なんですね。逆に言えば、それさえあれば、英訳して、日本語だけの場合の、何倍、何十倍もの数の人に、自分の考えを伝えられる可能性がある時代なわけです。やっぱりグーグルってすごいですね。


Mga abyan ko nga Ilonggo

Mga abyan ko nga Ilonggo,

Pito ka tuig na ang nakalipas sugod sang magsaylo kami diri sa Silay, isla sang Negros kaupod ang akon asawa nga si Joy kag sang amon bata nga si Alexander nga grade eight na sini nga tuig. 

Nagkita-ay kami sang akon asawa nga si Joy sa Bacolod tuig 1997,  23 ka tuig na ang nakaligad sa diin 31 anyos siya kag 34 anyos naman ako sang ina nga ti-on (amo ini ang una namon nga pagkita-ay sa Bacolod).  Matapos ang long distance love affair humalin sa Japan pakdto sa Negros, nagpakasal kami sa simbahan sang Bacolod, Abril 1998. 

Sang ini  nga ti-on, indi pa masyado kilala ang gina tawag nga internet pero amon ginpadayon ang paghiguma-anay paagi sa sulat ukon “love letters” sa diin nagagamit kami sang Ingles nga lengwahe para mag intsindihanay. Nagtapos sa University of the Philippines si Joy kag makit-an gid ang iya ka sagad sa pag gamit sang Ingles. 

Ako naman naga disenyo sang mga TV sa kompanya sang  Panasonic nga ibaligya  sa mga merkado sang Southeast Asian countries kalakip na ang Pilipinas, rason nga nakatuon ako maghambal sang Ingles apang indi pa amo sina ka sagad tungod may edad na ako sg nagsugod tuon  sini. Kag dako nga bulig ang pagbalusay namon sg love letter ni joy para mag nami ang akon pag  Ingles. 

Paagi sa Katoliko nga simbahan, mas nagkilalahay pa gid kami. Antis ko pa man sya makilala, naga attend ako sa Katoliko nga misa sa simbahan malapit sa amon balay sa Japan pero wala pa ako ma bunyagan sadto nga ti-on bilang katoliko. Sa pareho nga simbahan nakipag abyan ako sa tiya ni Joy kag sa iya Japanese man  nga bana. 

Sila may ara pa gid sg balay sa Bacolod sa  diin  gin imbitahan nila ako magbakasyon nagligad nga summer, tuig 1997. Amo ini ang una ko nga bisita sa Isla sang Negros. Kag una ko nga nakita si Joy sa daan nga airport sa Bacolod. Asta subong madumduman ko sa gihapon si Joy nga nagasuksok sg matahom kag bulaklakon nga bestida sang sadto nga ti-on.

Kag sa una ko nga bisita sa Negros, gin bunyagan ako bilang Katoliko. Ini ang gin rekomendar sang tiya ni Joy. Gin hatagan ako sang pari sg pangalan nga “Francisco Xavier”,  halin sa pangalan sang santo nga nagpakilala sang Katolisismo sa Japan 400 ka tuig ang nakalipas tungod ang pari gin bun-ag man sa Basque pareho sa santo. 

Nag tinir kami sa Japan sa sulod sang 15 ka tuig. Sa una, medyo mabudlay para kay Joy ang mag adjust/maanad sa Japanese nga kabuhi. Sang nakita ni Joy ang mga puno sa dalan nga nagakahulog ang dahon sa una nga adlaw sang autumn sugod sang magkadto sya sa Japan, Nagsinggit sya “ Hala nagaka patay ang puno!”. Ini ang talan awon nga wala gakatabo sa pilipinas amo nga natural lg nga makibot sya. 

Sang tuig 2005, nakaangkon kami sang isa ka bata nga lalaki kag amon sya gin pangalanan nga “Ken”  common man sa Japan kag Pilipinas. Abril 2013, sang nagtungtong na si Ken sa elementarya, nagsaylo kami sa Silay kun sa diin nagdako si Joy. Singkwenta anyos ako  sang ini nga ti-on kag may ara na lang lima ka tuig antis sg retirement.  

Sang nabal-an sang akon mga abyan kg pamilya nga ma retire na ko timprano,hambal nila kanugon sang kwarta tungod dako ang sweldo sa kompanya sang Panasonic kag ag ila man napinsaran nga mabudlayan na ko mangita sang bag-o nga ubra sa Pilipinas.  

Pero nag-ubra na ko sa Japan sa sulod sang 28 ka tuig. Kun nabati-an nyo ang tinaga nga “Karou-shi” buot silingon, patay na sg tam-an ka ubra. Stressful ang ubra sa Japan. Pagkatapos sang 28 ka tuig nga  panrabaho, nagdesisyon ko nga I enjoy ang akon nabilin nga kabuhi sa Pilipinas. 


2020年6月28日日曜日

こんな時にネグロスで噴火?

1週間前の6月21日(2020年)、日本と同様、ここフィリピンのネグロス島でも、部分日食を観ることができました。半年前の12月にもあった部分食。同じ場所で、こんなに短い間隔で起こるものなんですね。

日曜日だったこともあり、例によって、以前に日本で購入した太陽を見るためのオペラグラスを使って、家内と中学生の息子の3人で、ちょっとした午後のエンターテイメント。雨季真っ只中のネグロス島でしたが、時折うっすら雲がかかって、一度ザっと降ったものの、欠け始めから元に戻るまで、だいたい日が差していました。

ところがしばらくして、まにら新聞や地元の報道で知ったのが、ネグロス島の主峰カンラオン火山の活動の活発化。四国よりやや小さいネグロス島には、私たちが住むシライ市の近くにあるマンダラガン山と、やや南の、州都バコロドに隣接するカンラオン山があります。この二つの山塊がネグロス島の背骨を形成。

不気味なことに、今回の日食のピーク時、午後4時半頃から、火山性と思われる地震が、カンラオン山頂周辺で頻発し始めたとのこと。それに続いて、火口から300メートルもの高さに水蒸気の噴煙が立ち昇ったそうです。


出典:AFP
水蒸気を吹き上げるカンラオン山
写真は2016年に撮影されたもの

このブログでも何度か書いたように、カンラオンは、つい最近マニラ空港発着の航空便に多大な影響を及ぼしたタール火山や、1991年に突然の大噴火で、クラーク米軍基地返還の一因ともなったピナツボ火山ほど有名ではないけれど、今もPHIVOLCS(フィリピン火山地震研究所)が常時観測を続けている、フィリピン国内有数の活火山。

私が移住してからも、度々煙を上げているカンラオン。今回、PHIVOLCSは、噴火の可能性があるとして、半径4キロ圏内を立ち入りを制限する措置を取っています。

カンラオンとは関係ありませんが、実は前回の日食の時に、隣島のパナイで地震がありました。日本のように、全国どこでも有感地震が多い場所ならば、ただの偶然と思うでしょうけど、それほどでもないフィリピン。やっぱり少し気になるところ。

素人考えながら、日食の時には、太陽・月・地球が一直線に並びます。つまり日食が見られる地点では、重力が周囲より強く作用している。ひょっとすると地震や火山の活動に、何らかの関係があるのかも知れません。

すべて日食が原因、とまでは思いませんけど、たまたま条件が揃っていたところへ、最後の引き金ぐらいにはなったんでしょうか。

それはともかく、ただでさえコロナ騒ぎで何かと不便を来している最近。台風は今年も遠慮なくフィリピンに近づいてくるし、その上、すぐ近くで火山の噴火なんて、本当に勘弁してほしいものです。


2020年6月25日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 女神キャシャーン

もう1ヶ月半ぐらい間隔が空いてしまった美女図鑑、久々の新作です。

今日のお題は「新造人間キャシャーン」。今50代ぐらいの世代にとっては、説明不要のタツノコプロの名作アニメ。比較的最近、実写映画やアニメのリメイクが制作されたので、若年層の方にも知名度はそこそこ高いかも知れません。

最初のキャシャーンが世に出たのは、ちょうどオイルショックで世界中が不景気だった頃。今とよく似た状況とも言えます。その世相を反映したのか、物語はとても暗い。

落雷のために突然暴走したアンドロイド「ブライキング・ボス」が、世界征服を企み、人間との間に戦争が始まるという、有りがちなパターンながら、まるで第二次大戦中に、ナチス・ドイツがヨーロッパ諸都市を占領していくような描写。

また、主人公のキャシャーンの境遇が、1970年代の子供向けアニメとは思えないほど、悲劇的。人間には戻れないのを覚悟の上で、父である科学者の手により、不死身の新造人間、つまりサイボーグに生まれ変わる。その後、両親はアンドロイドの捕虜になって、孤独な戦いを強いられます。

外見は、身体にピッタリの薄いボディスーツをまとった、筋骨隆々の人間の姿ながら、ゴッツいアンドロ軍団のロボットたちを、光線銃とかミサイルではなく、素手で一台づつ破壊してく異様な迫力。

しかも、近代的な軍隊相手に、孤軍奮闘する様子までがリアルで、局地戦では勝利しても、終盤では、世界の1/3がアンドロ軍団の支配下に入ってしまうし、人間ではなくサイボーグであることが露見して、味方である筈の人間からも敵視される、実に救いのない展開。

なぜ今、そんな根暗なヒーロー、キャシャーン描こうと思ったのか?
理由はシンプルで、戦闘モードになると、ヘルメットに装備されたすごく格好のいいマスクで顔の下半分を隠すんですよ。要するに、コロナ対策のマスクを連想させるから。

同じ事を思いつく人は多いみたいで、ネットで検索すると、キャシャーンのマスク姿とコロナを結びつけた書き込みが、たくさん見つかります。

もちろんオリジナルのキャシャーンは男性。ロボット犬のフレンダーを除けば、唯一キャシャーンと共に戦う、恋人役のルナという女性キャラはいますが、やっぱりイラストにするならキャシャーンですよね。


ということで今回は「女神キャシャーン 」と銘打って、その世界では超有名な、ベネズエラ出身のボディビルダー、ミッチェル・ルーウィン嬢をモデルに、ギリシャ彫刻のイメージで描いてみました。

ディテールはかなり省略して、肉体美、筋肉美を強調。描いている間ずっと脳内再生されていたのは、キャシャーンのオープニングで流れたナレーション。「たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の身体。鉄の悪魔を叩いて砕く。キャシャーンがやらねば誰がやる。」

「鉄の悪魔」を「コロナの悪魔」に置き換えて、アマビエならぬ女神キャシャーンに、世界中のコロナ・ウイルスを叩き潰してもらいたいものです。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2020年


西ネグロスのコロナ禍近況

私の住むネグロス島の西半分。シライ市や、州都バコロド周辺だけに限って言えば、収束に向かっているように見えるコロナ禍。子供と老人の外出禁止や、公共の場でのマスク着用、ソーシャルディスタンス順守など、いろいろ規制はあっても、経済活動は6割ぐらい戻った印象。

昨日(6月24日)の火曜日は、本当に久しぶりに、バコロド最大のショッピングモールに出かけました。パソコン用の外付けのハードディスク、日本からの輸入食材を扱っているスーパーで、キューピーのマヨネーズ、ユニクロでは下着、などなど。


人影がまばらな、バコロドのSMシティ


今の日本ならば「不要不急」と言われそうな品物を、やっと購入できました。ついでに座れる席は半部ながら、営業を再開した行きつけの日本食レストラン、ラーメンの一康流で、約3ヶ月ぶりの豚骨ラーメン。少しづつ、普通の日常が戻っているようで、幸せな気分。



ところが、マニラやセブなどの人口が集中している大都会を中心に、新規コロナ患者数が、連日500人以上。時には1000人にも達するそうで、フィリピン全体で見れば、パンデミックの勢いは、まだまだ衰える気配もない。

ネグロス島の空港には、マニラやセブを経由するしないと、海外からの直通便がないこともあって、バコロドでは感染が下火になっても、外国人相手のビジネスは完全に休止状態。とうとう我が家の近所にある、英語学校の若き日本人経営者のお二人は、最後まで残っていた生徒さんの帰国を期に、シライからの一時撤退となってしまいました。

オンライン英会話は続けられるとしても、多くの英語教師や賄いのおばさんは失職の憂き目に。よく知っている人も結構いるので、何ともやりきれない気持ちです。聞くところによると、マニラからも帰国する在留邦人が相次いているとか。残っているのは、私のような退職者か、地元に完全に根を張ってしまい、日本にはもう居場所がない人ばかり。

そして、下火になったとは言え、ネグロスでも油断はできません。つい先日、セブから国内航空便でシライに戻った人が、コロナ陽性と診断され、その患者がいた、我が家から輪タクで10分ほどの、海岸線に沿ったバラリン地区が、閉鎖となってしまいました。

この頃は、週二回来てもらっている、マッサージセラピストのおばさんが、このバラリンの隣、ランタッド地区在住。心配してたら、私から聞くまで、閉鎖のことを知りませんでした。ただし隣と言っても、市街地から離れた集落のこと。サトウキビ畑や魚の養殖池の中に、ぽつんぽつんと点在する感じなので、まぁ仕方ないか。

ちなみに、今回のセブ〜バコロド便のように、検疫の影響で取り残された人を運ぶ臨時便のことを「スィーパー・フライト(Sweeper Flight)」と呼ぶんですね。スィープとは散らかったゴミを掃除するという意味で、サッカーでは自陣ゴール前のボールを一掃する、防御のポジションの名称がスィーパー。なるほど。

ということで、第二波の可能性も考えれば、2020年内どころか、この先数年ぐらいはコロナの影響が続くんじゃないかと、憂鬱になっております。


2020年6月21日日曜日

強盗殺人事件 in ネグロス島

つい先週の6月17日水曜日こと、私が住むネグロス島・シライ市から、車で30分ほどの距離にある州都バコロドで、拳銃を所持した4人組による強盗殺人事件が発生。

被害に遭ったのは、フィリピン人の妻と暮らす76歳のベルギー国籍の男性、カール・ノレンスさん。午前2時、バコロド市内の自宅に押し入った強盗に腹部を打たれて死亡しました。

こういう話になると、やっぱりフィリピンは治安が悪いし、そんな国にわざわざ移住する外国人が悪い、自業自得だ...なんて思う日本人が大勢いるでしょう。でも、マニラ首都圏やセブなど、人口も外国人移住者の数も桁違いに多い都会ならばともかく、私の知る限り、ここネグロスでは、民間人を狙った計画的な犯罪はやっぱり大事件。

地元の新聞やテレビ、ネットのニュースは一面トップ扱いだし、家内の親戚や友達、我が家のメイドに、最近雇った私の家庭教師のアン嬢まで、話題にするほど。そうやたらと起こるような事ではありません。

被害者ノレンスさん宅は、写真で見る限り、いかにも「金持ちの外国人オーナーが住んでます」っぽい、2階建の大きな家。ビレッジと呼ばれる高級住宅街内ですが、周囲を壁で囲んで、ガードマンが24時間体制で警備して、というタイプではなかったらしい。



午前2時頃に、2階の窓の外側に取り付けられた、金属製のグリルを破って室内に侵入した賊は、現金2万ペソ(約4万数千円)と宝石類を奪いました。妻は逃げようとして、2階から飛び降りて重傷。一緒に住んでいたと思われる妻の弟は、賊に縄で縛られていたとのこと。結局、抵抗しようとしたノレンスさんだけが殺害される結果に。

最初にフィリピン人の妻は無事だったと聞いた時、ひょっとしてこの妻と賊がグルで、夫を殺害するための狂言では?という疑いが、一瞬私の脳裏をかすめました。だた、妻も入院するほどの大怪我だと言うし、当初の狙いはノレンスさん宅ではなく、隣家だったという情報も。

フェイスブックでシェアされた、この事件の記事へ、隣家の住人が書き込んだコメントによると、同夜、飼い犬が毒殺されてたんだそうです。その住人曰く、元々、自分の家に押し入るつもりで、うるさく吠える犬を、毒入り餌で殺そうとしたが、思ったより静かになるまで時間がかかったので、急遽ターゲットを隣の家に変えた。

どこまで信用していいのかよく分からないし、もしその推測が当たってたとしても、誰でも読めるSNSのコメントに、そんなこと投稿するなんて、どんな神経してるんだか。

ただ、ロクに下調べもせず、土壇場で押し入る家を変更するって、いかにもフィリピンの犯罪者がやりそうな事。凶悪犯のくせに、変にドジで人間臭かったりするんですよ。

いずれにせよ、ここ何年間かの評判では、東ネグロスのドゥマゲテ市や、隣島パナイのイロイロ市と並んで、フィリピン一住みやすい都市と言われてきたバコロド市。バコロド市警では、タスクフォースが立ち上がったそうで、日本で言うなら事件個別の特別捜査本部みたいなものか。警察のメンツに賭けてでも、犯人グループの逮捕しようという意気込みが感じられます。

それでなくても今回のコロナ禍で、景気が一挙に後退して、治安が悪化すると言われているフィリピン。ここに住まわせてもらっている、在フィリピン邦人としては、一刻も早い事件の解決を祈るばかりです。


2020年6月19日金曜日

停電多発のネグロス中央電力


相いも変わらず、停電が日常茶飯事のフィリピン・ネグロス島。聞くところによると、マニラ首都圏やセブ周辺では、昔に比べると電力の供給はずいぶん安定してきたとのこと。ここ何年かは景気も良くなったし、シライ市内の電力会社の事務所を改装したり。そんなに余裕があるのなら、せめてマニラ並みにならないものか。

私が住む付近を管轄しているのは、ネグロス中央電力(通称CENECO / セネコ)。この投稿をするに当たって調べてみたら、その地域は意外と狭いらしく、ここシライと、州都バコロド市、シライとバコロドの間にあるタリサイ市、そしてバコロドの南に位置するバゴ市。

いわゆる「メトロ・バコロド」と呼ばれる、西ネグロス州の中心地とその周辺のみで、人口はせいぜい100万人というところでしょうか。移住当初は、関西電力が関西地方全体にサービスを提供しているように、ネグロス全島をカバーしてるのかと思ってました。

停電は日常茶飯事と書きましたが、それでも調子のいい時は、1ヶ月以上、無停電の時もある。まぁ、たまに週末の朝から夕方まで、メンテナンスのためのエリア毎の計画停電はあるものの、事前に通告があるので、バコロドのショッピングモールへ行ったりして、それなりの対応はできます。

ところが、ここ何週間か、計画外の、それも3時間〜4時間に及ぶような長時間停電が急増。数日おきとか二日続けてのこともあるし、一昨日など、同じ日に3回も電気が止まった。おかしいなぁ。例年ならば、暑さの厳しい4〜5月に停電が多く、雨季の始まる6月以降は、落ち着くはずなんですけど。

今年の場合、ひょっとしてコロナ騒ぎが何らかの影響を与えているのかも知れません。とは言え、停電が増えたのは、検疫による規制が、かなり緩和されてからのこと。

実は、この文章を書いている金曜日の午前中、朝食と出勤時間帯を狙いすましたように、朝から計画外停電が、かれこれ2時間以上続いています。最近、出番の多い我が家のディーゼル発電機が、今日も稼働中。

購入してちょうど5年の発電機。バッテリーの交換やエンジンオイルの補充など、定期的に手入れはしているものの、この頃は、4時間ぐらい連続運転するとオーバーヒート。30分程度の休憩をさせないと、動いてくれない。そろそろ本格的なオーバーホールが必要かも。

それにしても、このコロナ禍。せっかく好調だったフィリピン経済に急ブレーキがかかった状況。SNSでシェアされてた「まにら新聞」の記事によると、頼みの綱のOFW(海外フィリピン労働者)が、50万人も失職したらしい。

またアジア開発銀行が、フィリピン経済成長の見通しを、当初の2.2%から0.1%に下方修正。つまりほぼ成長が止まったんですね。つまり、税収も、まともに電気代を払う人の数も減ってしまうということ。ちなみにフィリピンの電気代が、物価の割りに、異様に高額なのは、盗電(勝手に電気を引き込んで、お金を払わない)の多さが原因とも言われています。

ということで、当分の間は、発電機の活躍が続くことになりそうですね。


2020年6月17日水曜日

Kaz's surgery and recovery fund


This is an urgent post.

On June 10th, A Japanese person named Kazuya Sasaki (commonly known as Kaz), who is doing business in Bacolod, which is next to Silay, Negros Island where I live, and Pampanga, where there used to be Clark US military base, was seriously injured because of a traffic accident in the Philippines.

He was hit by an ambulance. As a result, he suffered an open fracture in three places on his left foot and a ligament tear on his right foot. What's more, he banged his head and was temporarily unconscious.

Fortunately, he regained consciousness and the emergency surgery on his left leg was completed. However, the symptoms of concussion still remain and require follow-up for CT scan. On June 23rd, he will have to re-operate his legs.

If you live in the Philippines, as you know well, such a serious injury will cost you a lot of money in this country. The amount required to treat Kaz is estimated at US$15,000 ~ 18,000. The insurance limit he holds is US$2,000, which is simply not enough.

The clinic run by Kaz has been closed for a long time due to Corona's damage in recent months. He faced this accident while he was in financial trouble. So now he has no choice but to use crowdfunding to raise money.

To tell the truth, I have no acquaintance with Kaz, and I do not know his age or the family living with him. By chance, my friend in Cebu shared a group post on Facebook on her timeline, so I knew Kaz's plight.

However, as a same Japanese living in thePhilippines, I cannot ignore his tragedy. So I shared information on this blog as if it could be useful for him.

If you agree with the purpose of this funding, please give Kaz a helping hand even if a small amount.

Kaz's surgery and recovery fund



在比邦人の方が、助けを求めています


今日は、緊急の投稿です。

私の住むネグロス島シライの隣街のバコロドと、かつてクラーク米軍基地があったパンパンガにてビジネスをされている、ササキ・カズヤさん(通称カズさん)という日本人の方が、先日の6月10日、フィリピン国内での交通事故のため、大怪我をしてしまいました。

何と救急車にはねられたそうで、左足の三箇所に開放骨折(旧名称 / 複雑骨折、折れた骨が体外に飛び出している状況)、右足の靭帯断裂、さらに頭を強打したらしく、一時は意識不明の重体に。

幸い、一命は取り止め、現在は意識も回復し、左足の緊急手術も終えたとのことですが、まだ脳震盪の症状が残り、CTスキャン検査を継続し、6月23日には、足の再手術が必要なんだそうです。

フィリピン在住の人ならよくご存知の通り、このような大きな怪我では、日本では考えられない高額な治療費がかかります。カズさんの場合、15,000〜18,000米ドル(約160万〜190万円)と見積もられていて、加入している保険の上限、2,000米ドルでは、まったく足りません。

ここ数ヶ月のコロナ禍の影響で、経営していたクリニックは長期休業中。経済的に苦境に陥っていた中での災難ということで、治療費を工面するため、現在カズさんは、クラウド・ファンディングを通じて、助けを求めておられます。

実は私は、カズさんとは面識はなく、年齢や同居するご家族の有無などは分かりません。たまたまセブ在住の友人が、フェイスブック内のグループの投稿を、自身のタイムラインでシェアしたことから、カズさんの苦境を知りました。

ただ、同じフィリピンに住む日本人としては、見て見ぬ振りをするには忍びなく、せめて何かの役に立てないかと、このブログで情報を共有した次第。

もし、このファンディングの趣旨にご賛同いただけるようでしたら、少額でも構いませんので、是非カズさんに救いの手を差し伸べてください。

リンクはこちら ---> Kaz's surgery and recovery fund


2020年6月16日火曜日

在外邦人10万円支給の舞台裏


少し前に、在外邦人にも10万円のを支給するという、私のような、フィリピンに住む日本人には喜ぶべきニュースがありました。ところが、その続報として入ってきたのが、全員支給なら作業が膨大な量になるので、支給完了まで数年かかるとの記事

呆れ返ってしまう反面、実施にはかなりの時間がかかるだろうとの予測通り。いかにも、日本のお役所ならではの言い草だと、変に納得してしまいました。ところが、ブログに書こうと調べてみたら、そんな単純な経緯ではないらしい。

条件付き30万円支給から一転、一律10万円になった当初、政府の方針として、在外邦人は対象外となっていました。それを与党自民党内から、たった一人の議員さんが「どこに住んでいようとも、日本の同胞。それを見捨てるようなことをするべきではない」と声を上げ、紆余曲折を経て、在外邦人への10万円支給が動きだしたとのこと。

その議員さんとは、青山繁晴さん。1952年(昭和27年)のお生まれなので、私のちょうど10年先輩。同世代とは言いえないまでも、ほぼ同時代を生きてきた方。しかも神戸市出身の私と同じ元兵庫県民。大学卒業後は、記者として共同通信で働き、昭和天皇崩御や、ペルーの日本大使館人質事件の取材をされたそうです。

その後、三菱総研の研究員を経て、作家、報道番組のコメンテーターとしても活躍しつつ、2016年の参議院議員選挙に出馬して当選。ちょうどテレビ出演され始めた時期が、私のフィリピン移住と重なっていたため、恥ずかしながら、青山さんのお名前や議員活動を知ったのが、今日になったというわけです。

青山さんのブログや、インタビュー記事を読んでみると、どうやら、10万円支給に数年かかるというのは、正確な在外邦人数を把握できていない外務省が、できない理由として言い立てている事。今回の給付金の性格として、完璧を求めるよりスピードが重要なことは、お役人にも分かっているはず。要するにメンツを潰されるのが嫌で、ゴネてるんですね。

それにしても、この青山議員の発言には、共感できる点が多い。おそらく記者時代に、在外邦人の実態をつぶさに見た経験に裏打ちされているんでしょう。前回の投稿で私が憤慨した、「在外邦人=日本を捨てた連中」という、まったく想像力のカケラもないネット上の書き込みに、まるで在外邦人の気持ちを代弁するような反論。(さすがにこれは信じがたいです

正直に言って、青山議員の皇室や改憲に対する考え方には、必ずしも賛同できるわけではありませんが、なぜそういう考えに至ったのを、合理的に説明されている。少なくとも、こういう人なら、国の舵取りを任せても、そう間違ったことにはならないと思えます。

日本の政治家(特に与党)の言動には、失望することの方が圧倒的に多かった、ここ最近。そんな中で、今日は、久しぶりに一条の光を見た気がしました。


2020年6月15日月曜日

Professional Teacher Ann


A week ago, I was introduced to a new Ilonggo (Western Negros dialect) tutor by TinTin, my friend since I moved to Negros seven years ago. The tutor's name is Ann. She is 24 years old, English teacher for a colleague at a high school in Silay city, where TinTin works.

I had the first lesson on last Saturday with Ann. Actually, she is my third Ilonggo tutor, and I have been taught by other two tutors for about a year and a half. Even though the lesson time, from 9am to 2 hours once a week is the same as before, I was surprised that the tutor could change the lesson so much.

All three of my tutors, including Ann, were in their mid-20s and of the same generation. They graduated from colleges in Negros, have teacher licenses as well. To my surprise, the teaching style by Ann and the other two are completely different. It's like being a professional teacher and a college students during training.

When I knew only the first two, I was satisfied and I thought their teaching skills were the average in the Philippines. They always came to my house on time and prepared what I asked for. Their attitude in every lesson were good. No problem at all.

Looking back now, both of them did the only things I asked for. Strictly speaking, they had no experience teaching at Philippine schools. Originally they are teachers in a small English school for Japanese students. Therefore, they were not in the position to devise the curriculum by themselves, and their abilities as teachers are limited.

Such two of them tried to teach me Ilonggo without any textbook nor dictionary. Moreover, their only student was a Japanese who cannot speak English well. It's not their responsibility that the lesson turned into just a two hours chatting.

To be honest, I have prioritized enjoying conversations with young women over improving my Ilonggo proficiency. I rarely review what I was taught. That's natural that my Filipina wife rated the lessons as just play.

However, Ann prepared "assignment" before the first class began. I sent Ann some English sentences and asked her to translate them into Ilonggo. She arranged my reply in the form of a proper homework. I never expected her to do that.



I knew Ann was serious, so I prepared for the first lesson as much as I could. I wrote and read the 26 Ilonggo sentences over and over. The lesson was substantial because we had enough preparations. Next time she will prepare a simple test. It feels like I'm back to high school.

By the way, the sentences were very practical, to ask our house maid Lyra for daily houseworks. "Cut this vegetable," "Boil the eggs and peel the shells," "Clean the toilet," "Remove the weeds in the garden," and so on. All I've learned before. But since I didn't review, the memories were instantly evaporated from my brain.

With repeated practice, even my old and stiff head could remember this much. In this situation, I could not help my wife and Lyra not know the results of my studies. Because I was born to be a  talkative man. In just one week, the flow of learning, memory, practice and retention of memory was completed.

Ann is not only an active high school teacher, but also a "Bread Winner", who is financially supporting her family. On the other hand, the two former tutors did not have to worry about their daily living expenses. The difference may have arisen from their differing circumstances.

I don't think it's good for one's life to have a hard time in their youth. Japanese sayings include the following. "You should be willing to go through struggles when you are young." I believe it is nonsense. However, depending on the person, the hungry spirit seems to change the attitude toward work.


I think Ann had a great talent to turn difficult situations into vitality for tomorrow. So, I set the tuition for Ann a little higher than the previous two. My wife also feels very positive about her.

In the first half of 2020 it was all really bad. I hope I will be able to study Ilonggo with my new tutor and make it nice 6 months remaining.


2020年6月14日日曜日

本気でプロの家庭教師


先週、新しいイロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師、24歳のアン嬢を紹介してもらい、昨日の土曜日が、初めての授業となりました。週一回、朝9時から2時間は、約1年半前からのスタイルと同様ながら、先生が変わると、これほど内容も変わるものかと、驚いた次第。

先代の家庭教師二人、そして今回のアンは、全員20代の半ばで同世代。ネグロスで大学を出て、教員資格があるところまで同じなのに、教職に向かう姿勢が、教育実習中の大学生とプロの教師ほど違う。

最初の二人しか知らない時は、別段不満はなく、まぁこんなもんだろうと思ってました。時間はちゃんと守るし、お願いしたことは準備してくる。授業中の態度も、明るく真面目。

今にして振り返ってみると、二人とも、お願いしたことしかしなかったのは事実。まぁ、先代の二人にしてみれば、元々、日本人向けの英語学校で、1〜2年程度の経験があっただけで、自分でカリキュラムを考案する立場でもなかった。

そんな二人が、教科書どころか辞書も満足にないイロンゴ語を、英語すら少々怪しい、還暦間近のオっさんに教えようと言うのだから、ただの「茶飲み話」になったのも仕方がない。

それに輪をかけて、週一回若い女性と話をするだけで、変な充実感があった私でしたからね。正直なところ、語学力がそれほど伸びなくても、楽しければいいかと思っていました。教えてもらった事の復習も、ほとんどしなかった。これでは家内が「ただの遊び」と評したのも、もっともです。

ところがアンは、最初の授業の前から「宿題」を送ってきました。これは私が過去の反省に立って、事前にフェイスブックのメッセンジャーで「この文章は、イロンゴ語で何て言うの?」との事前質問に答えたものながら、感心なことに、きちんとワードで文書化して、宿題と呼べる内容に仕立ててくれました。




ここまで本気の姿勢を見せられたら、いい加減な態度で授業に臨むわけにはいきません。送られてきた20ほどのセンテンスを、何度も書いたり声に出して読んだり。それ相応の準備をすれば、授業内容が引き締まるのも道理。次回は簡単なテストを用意してくるそうです。

ちなみに、そのセンテンスは、まさに実践的で、メイドのライラに日々の家事をお願いするもの。「この野菜を切って」「卵を茹でて殻を剥いて」「トイレの掃除をして」「庭の雑草を抜いて」等々。以前に習ったことでも、復習をしなかったから、一瞬で頭から蒸発していました。

さすがに、真面目に反復練習すると、固くなったオっさんの頭でも、ある程度は覚えられるもの。こうなったらライラや家内に喋ってみたくなるのは、嬉しがりの関西人としては当然です。図らずも、たった1週間ですが、学習〜記憶〜実践〜定着の流れが完成。

考えてみれば、先代の二人とアンの差は、現役の高校教師であるだけでなく、一人暮らしで親兄弟に仕送りするブレッド・ウィナー(一家の大黒柱)と、生活費の心配なしに実家から通うお嬢さんの違いなのかも知れません。

私は、無闇に苦労する方がいいとは、全然思わない。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」なんてナンセンスだと考えています。ただ、ハングリー精神の有無は、人によっては、仕事に対する姿勢を変えるらしい。

フィリピン人でも日本人でも、貧しいから真面目に頑張るとは限らないし、苦労し過ぎて性格が歪んだような人も見てきました。アンの場合、決して楽ではない状況を、ポジティブな力にうまく昇華させたケースなんでしょう。

ということで、授業料は少し高めに設定して、家内がアンを見る目も、ずいぶんと好意的。さて、すっかりケチがついてしまった2020年を、後半で一気に立て直す勢いで、新しい先生と一緒に、イロンゴ語学習に励みたいと思います。


2020年6月12日金曜日

感染症の季節


数日前から、本格的な雨季に入ったと思われる、ここネグロス島。

相変わらず季節間のグラデーションなんか、微塵も感じさせない、猛暑から少し肌寒いほどの雨空への極端な変わり方です。エアコンなしでは寝付けなかった日の翌晩に、扇風機どころか、窓を閉めていても風邪を引いてしまいそうな気温。

案の定、家内は体調を崩しで熱っぽいし、私はちょっと喉がイガイガ。

この時期は、日本の梅雨入りとシンクロしているので、雨季の話だけすると、フィリピンも日本と同じだと思われそうですが、実はフィリピンの雨季は、真夏が終わってから到来。日本と真逆なんですよね。

さらに不思議なのは、真夏にはあんまり鳴かないネグロスのセミは、雨季が近づいて日差しが和らいでくると、じわわ〜〜〜んと、どこからともなく鳴き始める。日本のクマゼミなど比べると、サイズが小振りで、ちょうどヒグラシとかニイニイゼミぐらい。

こちらに住んで7年目の私。か細いセミの声を聴いて、ああ夏も終わってしまったと実感している次第。特に今年の夏は、コロナ禍のせいで、バカンスらしいことは何にもできなくて、いつになく感傷的になっております。

さて、雨季になるとヤバいのがデング熱。蚊が媒介するこの感染症は、雨が多く、蚊が大発生するのに比例して患者数も増えます。致死率がずっと高いマラリアに比べるとまだマシとは言え、罹患すると入院は避けられない重篤な症状。

実際、私の身近でも、姪っ子や義妹の家族など、過去何人もの人がデングに苦しめられました。致死率が低いといっても、幼児や高齢者には恐ろしい病気。

現在は、コロナ・ウイルス対策で大騒ぎになっているけれど、デング熱や、相変わらずフィリピン人の死亡原因の上位を占める結核など、フィリピンには、もっと恐るべき感染症はたくさんあります。

さらにヤバいのは、医療機関や関係者がコロナに集中しているので、同じように命の危険がある、他の感染症の治療が覚束ないこと。ほんとに、今、デングに感染したら、昨年までなら助かっていた人が、助からないかも知れない。まったく他人事ではありません。

そんな危ない病気じゃなくても、くしゃみや咳をしてたら、間違いなく市場やスーパーには、入れてもらえないでしょうね。

まぁ雨が降るべき季節に、ちゃんと雨が降ってくれるのは有り難いことながら、ようやく涼しくなったらなったで、今度は別の心配事を背負い込む羽目に陥っております。


2020年6月10日水曜日

在外邦人への10万円支給


昨日(2020年6月9日)、日本の報道機関が一斉に報じた、在外邦人への特別定額給付金の支給の検討が開始された件。遅まきながら、私は今日、まにら新聞の記事で知りました。

今回のコロナ禍は、ほぼ全世界で甚大な影響が出ているし、全日本国民を対象とした救済措置であることを考えれば、当然でしょう。しかしながら、当事者の在外邦人である私がこれを言うと、間違いなく大声の反論が聞こえてきそうです。

ただの意見ならまだしも、いきなり暴言を吐く人が一定数いるのは間違いない。まず容易に想像できるのは、お得意の「自己責任」。特に私のように、日本での住民票を抜いて、現在は税金も年金も払っていない場合、自分の意思で勝手に国を捨てたくせに、困った時だけ、俺たちの血税を当てにするなんてけしからん、という理屈。

この考え方って、在フィリピンの日本大使館や領事館でもまかり通っていて、フィリピン女性とのトラブルの末、全財産を失って路上生活者となり、せめて帰国のためのお金を貸してくださいと、大使館を頼った人を追い返したりしているらしい。

憲法で謳われた国民の権利って、お金払ってない人には適用されないと、本気で思ってるんですね。しかも、困窮に至った理由が、女に騙された人と災害や事故に遭った人で、恣意的に対応を変えるって、一体どんな基準なんだろう。

少し前に、在外邦人が給付金支給の対象外という政府の方針に対して、フィリピン在住の日本人からの不満について取り上げた、まにら新聞の記事に「この乞食が」というコメントが。あまりの酷さに言葉を失いました。

ここまで感情剥き出しではなくても、次に出てくるのが、受けたダメージやその人の状況で、条件を付ける案。収入はいくらで、減収がその何割で、借金はあるのか、配偶者は?扶養家族は? 日本国内でも、物議を醸しましたね。

基本的に「助けない」がデフォルトの姿勢だから、こんな話になってしまう。本当は助けたくないんだけど、放っておいて自殺でもされたら面倒なので、どうしようもない人だけは助けてやろう、という態度。

一見、筋が通っているようですが、条件付けを複雑にすればするほど、緊急事態には間に合わないし、対応する役所の担当者の作業量を徒らに増やすだけ。さすがに、当初の「特定の世帯に30万円」は、実施に伴う問題が多過ぎて、一律10万円になったのは、記憶に新しいところ。

日本の生活保護の捕捉率が、2割以下に止まっている原因も、おそらく根っこは同じなんだろうと思います。

それはともかく、実際にフィリピン在留邦人に給付金が支給されるとなったら、どういう方法になるのか、気になるところ。国内と同じく、申請はネット経由になると思いますが、その先はどうする?

普通に考えたら、地元の銀行へのペソで振り込みが妥当な線。まさかセブの領事館まで、キャッシュを取りに来いとはならないでしょうね。(ネグロス島は、セブ領事館の管轄)

まぁ、いずれにしても、お膝元の日本でも、発表してから実際に給付されるまでは何週間もかかっているので、海外の、それもフィリピンとなったら、数ヶ月程度のタイムラグがあるのは、仕方ないかも知れません。

ということで、あまり期待し過ぎず、淡々と待ちたいと思います。


2020年6月9日火曜日

フィリピンで Netflix にハマる


今更説明の必要もないネットフリックスに、今更ながらフィリピンでハマっております。

きっかけは、6年ほど前に購入し、リビングで使ってた東芝製の50インチのテレビが、昨年お亡くなりになったこと。ある日突然プツっと何も映らなくなって、何をどうしても画面は真っ黒なまま。

フィリピンの場合、家電製品がこうなってしまうと、修理の依頼が絶望的に面倒臭い。まず東芝は家電部門を中国企業に売却しちゃったし、他の日系企業でも、ネグロス島で、まともなメンテナンスができる場所はないんじゃないか? 

購入した量販店に聞いても、メーカーのサポートセンターに電話してくれと言うだけだし、そっちに電話してもまず繋がらない。頑張って探せば、何らかの方法はあるんでしょうけど、すごい忍耐力と時間が必要なことは、間違いなし。

以前、買って1年ちょっとのiPhoneが壊れた時には、持ち込んだバコロド市内のメンテナンス部門では何もできず、シンガポールの修理工場に送るから3ヶ月待ってくれと言われ、諦めたことがあります。

まぁ6年も使えたし、半額処分セールみたいな価格だったので、ここで変にストレスを溜め込むより、さっさと新品を購入することにしました。

そんな経緯で買ってきた、ちょっと小さめ32インチのソニー、ブラビア。かつてブラウン管テレビの開発に従事してた者としては、32インチが小さいなんて...と思ってしまいますねぇ。それはさて置き、リモコンの一番目立つ場所には、Youtube と Netflixボタン。

もちろんネットフリックスが何なのかは知ってましたが、リモコンに独立ボタンができるなんて、これはよっぽどの普及度。テレビが家に配達されたその日から、これが気になって仕方がない。フィリピン在住のフェイスブックの友達にも、ネットフリックスで日本のドラマ観てますという人がチラホラ。

クリスマスに、我が家から車で30分ほどの、バコロドに住む叔母の家に行った時には、たまたま契約していたネットフリックスで、お気に入りのテレビシリーズ「スタートレック」の最新シーズンを観せてもらいました。シカゴに住む子供のアカウントで視聴してるそうです。

そして、とうとうこのコロナ禍の検疫直前ぐらいのタイミングで、家内のクレジットカードで加入したネットフリックス。月額549ペソ(約1,200円)。聞きしに勝るとは、まさにこの事。

まず、テレビ、パソコン、スマホにパッド。ネットに繋がるディバイスなら何でも観られるし、家族で使っていても、4人までなら同時に別番組が視聴可能で、自分の視聴履歴やお気に入りの登録が個別にできる。

そんな使い勝手の良さだけでなく、何よりもすごいのは、面白いコンテンツが揃っていること。日本で観られる作品よりはかなり少ないようですが、鉄板コンテンツの映画やアニメ、ドラマは、だいたい揃っている感じ。しかも日本では視聴不可のスタジオジブリ作品がほぼ全部OK。

昨年話題になった「全裸監督」や、「ナルト」「ワンピース」「キングダム」...。特に私がハマったのが、これまた今更ながらの「鬼滅の刃」と「進撃の巨人」。全エピソードの一気見というの、やってしまった。

設定を日本語にすれば、番組説明やタイトルの検索も日本語でできるし、オリジナルが英語でもスペイン語でも、日本語字幕が付いている作品もそこそこある。海外のドラマでは、前述の「スタートレック・ディスカバリー」に加えて、イギリスBBC制作の「シャーロック」も日本語字幕で楽しめました。

実はフィリピンに移住する直前、日本語字幕のついた外国映画や、日本のドラマなんてもう観られないだろうと、WOWOW経由で何百本もブルーレイに録画してきたんですよ。ところが、世界中の新作でも昔の作品でもOKのネットフリックス。ずいぶん手間ヒマかけて用意したコレクションが、ほとんど無用の長物。

ということで、私が密かに考えていた、日本人にとってのフィリピン移住のネック、洗浄便座と日本語映像コンテンツの2つが、いつの間にやら、海を越えてしまいました。


2020年6月5日金曜日

フィリピンの新学期は始まらず


日本では緊急事態が解除となり、子供たちは2ヶ月遅れの新学年での登校が始まったそうですね。生徒や学生のみならず、親御さんにとっても、本当にやれやれという感じだと思います。

今月(2010年6月)から、全土の検疫が緩和されたフィリピン。交通機関や商業施設は、まだ規制はあるものの、何とか再開にこぎつけて、ここ西ネグロスでは、かなり検疫前の状態に近づきました。我が家でも、メイドさんは普通に働いているし、週一回の出張マッサージも来てくれてます。

家内はすでに職場が再開。前回投稿したように、シライ市外での買い物もできるようになって、私と家内の生活は、ほぼ以前と同様となりました。そう簡単に事が運ばないのは、今年8年生(日本の中2)になる息子。

息子が通うのは、シライ市内にあって、自宅から徒歩でも15分程度の距離にある、私立の小中高一貫のミッションスクール、聖テレシタ学院。フィリピンでは一番暑い4〜5月が夏休みで、本来ならば6月の第一週である今頃には、新学期が始まります。

ところが各種の活動規制の中でも、教育機関の再開は最も慎重を期しているようで、今年の新学期は8月24日からとの、政府からのお達し。つまり、ほぼ3ヶ月も休みが延長されることに。

通常の丸2ヶ月でも、日本人の感覚ではちょっと長すぎるぐらいなのに、5ヶ月も子供がずっと家にいるって、これこそ緊急事態。しかも、21歳未満は依然として外出禁止が続く、ここ西ネグロス州。ただ、息子の場合、この環境にすっかり順応しているように見えます。

もともと私に似てインドア派の息子。パソコン三昧に、テレビで映画。日本語でも英語でも読書は大好きだし、時々皿洗いなどの手伝いも。この頃は、Netflixに加入したので、夕食後に私と一緒に「スタートレック」を観たり。

パソコンで何をしているかと言うと、ユーチューブとゲーム。マインクラフトが大好きだけど、今はバージョンアップを持っているそうです。簡単なコードだったら自分で入力したりもするし、絵に描いたようなデジタル・ネイティブ。

これを読んだ、息子と同年代の子供がいる人は、眉をしかめるかも知れませんが、私は全然問題視してません。息子はこういうのが大好きで、毎日楽しそうだし、パソコン・映画・読書ならば、まるで今現在の私のやってることのコピペです。

考えてみると、私が中学生だった頃も、暇さえあれば絵を描いたり、好きなSF小説を読んだり。学校の勉強が無駄だとは言いませんが、その後の人生の基礎になったのは、好きなことに没頭した時間でした。

ということで、まだ残り3ヶ月近くもある「コロナ休暇」。本人が退屈したり、生活のリズムが乱れない限り、特に「これをやれ」「あれはするな」という指図はしないつもりです。


2020年6月3日水曜日

爆買い日本食材

6月1日より、ようやく西ネグロス州の州都、バコロド市の検疫による各種の規制が緩和されました。緩和当日が月曜日なので、おそらくその日は大混雑になるだろうと、その翌日、6月2日の火曜日に、待ちに待った日本食材の買い出しに出掛けることに。

と思ったのですが、よく考えたらバコロドまで行かなくても、私たちの住むシライとバコロドの間にあるタリサイにも、規模は小さいながらアヤラモールがあります。そこのスーパーマーケットの日本食材の品揃えは、バコロドのロビンソンズやSMシティと比べて、ほとんど遜色がない。

グラブ(Grab / スマホのアプリで配車ができる、カーシェアリング)が通常運行されていれば、迷わずそれを利用してバコロドに直行したのですが、まだシライからは呼べない状況。帰路は大荷物になるだろうし、路線バスやジプニー(乗り合いバス)は、混んで時間がかかるのは見えている。

しかもネグロスでは、そろそろ雨季が始まろうという季節。午後から土砂降りになるパターン。こうなると、自家用車を自分で運転するしかないので、目的が食品だけなら、タリサイまでで十分。ということで当初の予定よりはずっと近距離になったとは言え、約2ヶ月以上ぶりに、シライ市外に出ることができました。

家内は仕事で、21歳未満はまだ外出禁止。なので14歳の息子は、メイドのライラと一緒にお留守番。私一人のドライブです。

途中、特に渋滞もなく、交通量は以前のウィークディと何も変わりません。ほんの15分ほどで見慣れたアヤラモールに到着。心配していた空模様も、やや曇りがちながら、しばらくは大丈夫な感じ。

シライ市内のスーパーでは、乳製品やチョコレート、コーヒー豆など一部の商品で長期欠品や品不足が見られましたが、タリサイでは、パっと見たところ検疫前と何も変わらない。お客さんの数も、多くもなく少なくもなく。変化点は、入り口が1箇所のみで、他は閉鎖か出口専用。人々がマスクをしていることぐらい。

問題の日本食材はというと、嬉しいことに陳列棚がきれいに埋まってました。懐かしい日本語のパッケージが眩しい。早速、数週間前に使い切っていたカレーのルーを、どっさりカートへ。インスタントラーメンに、とんかつソース、素麺・うどん・蕎麦の麺類各種。長らくお待たせだった、ふりかけも。


残念ながら、紙パック入りの豆腐とキューピーマヨネーズは入荷してませんでしたが、このアイテムは通常でも、必ずあるわけでありません。まだ手持ちストックは残ってるし。50個入りの麦茶が置いてあったのは、超ラッキー。

日本食材以外には、シライで入手困難になっている、スライスチーズとトマトジュースをまとめ買い。

コロナ以前には、2〜3週間に一度程度の買い出しが、その4倍の期間我慢したので、ついつい「爆買い」になってしまい、支払いは8,000ペソ(約20,000円弱)近くになりました。お役所勤務の家内の月給が25,000ペソなので、この日の消費は、ネグロス暮らしではずいぶんな贅沢。


スーパーを出る頃には、少々雲行きが怪しくなって来たので、トットと「戦果」を車に積んで、タリサイを後にしました。帰宅して車をガレージに入れるのとほぼ同時に大粒の雨。なんというタイミングの良さ。結局、外出していたのは、ほんの1時間ぐらい。

それでも、大いに気分転換できたし、料理担当主夫としては、食材の残りを気にしながら献立を考える窮屈さから解放されて、至って上機嫌。夕食は当然のようにカレーを作りました。



2020年6月2日火曜日

飼い犬同士の大喧嘩

フィリピン人は、犬が大好き。

それほどのお金持ちではなくても、と言うより、貧乏と言ってもいいぐらいの家でも、まるで自分の子供と一緒に育てるような感覚で多頭飼い。不妊手術なんてする余裕があるはずがないから、どんどん繁殖していきます。

新築や引越しのお祝いで、仔犬をプレゼントしたり、たくさん生まれたから貰ってくださいと頼まれたり。雌犬なんて、ちょっと目を離したらすぐに妊娠しちゃうので、家内など、絶対に雄しか飼わないと宣言してました。

日本ではペットの人気は、猫の方がちょっと上のように感じます。猫なら、無理なく室内で飼えるし、近所迷惑な吠え方もしない。こちらでも飼い猫はいますが、ぱっと見た印象としては、圧倒的に犬好きが多数派。その理由はどうやら好き嫌いからではなく、番犬としての用途。

番犬と言っても、でっかいジャーマンシェパードのような犬種ばかりではありません。もちろん、本格的な豪邸には、見るからにおっかない奴が2〜3頭もいたりしますが、ほとんどは、中型の雑種。侵入者を阻止することはできないけれど、知らない人が近づいたら、吠えまくって警告を発するわけです。

とにかく、空き巣の類いが多いフィリピン。最近では安い監視カメラが出回っているので、中の下ぐらいの家庭でも、こちらではCCTVと呼ばれる小さなカメラが、門扉の上に取り付けられているのを、よく見かけます。

何しろ、玄関先に干してある、かなりボロボロのTシャツでも、盗難のターゲットになってしまうお国柄。洗濯物泥棒というと、女性の下着ぐらいしか考えられない日本と比べると、盗みの目的が切実。私も履き古しのスニーカー、それも中敷を外した状態で盗まれたことがあります。

それを考えると、監視カメラを買えないような家ほど、番犬が必要になるんでしょうね。

前置きが長くなってしまいましたが、こちらの感覚では、完全に「大金持ちの家」と見做されるサイズの我が家。ゴマと名付けた雑種の雄を一頭、飼育しております。目的通り、家の近くものは、未知の人間だけでなく、野良犬であろうが車であろうが、昼夜の関係なく吠える、あまり賢いとは思えないワンさん。隣の空き地で放牧される水牛にまで、挑戦しようとする向こう見ず。


我が家の飼い犬、ゴマ

このゴマが、先週の散歩中、古くなっていた布製の首輪がブっちぎれて、家内の友人宅の飼い犬と大喧嘩になるという事件が起こりました。散歩させていたのは私ではなく、メイドのライラおばさん。ライラが、いつになく激しい口調で、ゴマを叱りつけていると思って外へ出てみたら、ゴマの左前足の付け根辺りから、相当な量の出血が。玄関の周囲には、点々と血の足跡。



相手の犬とは相性が最悪。私が密かに「宿命のライバル」と呼んでいる小型犬。ちっちゃいくせに、すごい闘争心で、いつもゴマが近くと殺気を帯びた鳴き声を上げます。

この日は、たまたま、ライバル君は家の外に繋がれていて、首輪の外れたゴマの方から飛び掛かったらしい。ライバルも少し怪我を負ったけれど、負傷の程度からすると、ゴマのボロ負け。

幸い、見た目ほどの重傷ではなかったみたいで、しばらくは足を引き摺ってましたが、餌は完食。翌日にはすっかり元気になってました。

でも考えてみたら、我が家のある宅地では、ノーリードで散歩させたり、昼間は門の外に放飼いにされている犬が多い。同じ路上で、小学生にもならない子供も遊んでいることを考えると、これはとても危ない話。野犬も多いし。

私が直接見聞きしたことはないけれど、子供が咬まれる事故って多いと思います。しかも狂犬病のリスクもまだまだ減らないフィリピン。そう言えば、以前にゴマが脱走した時、家内が真顔で心配してました。「どこかの子供に怪我をさせたりしたら、どうしよう。」