2024年10月21日月曜日

私的フィリピン美女図鑑 お誕生日の家庭教師

 このブログ自体がずいぶん間が空いてしまいましたので、そのオマケみたいな「フィリピン美女図鑑」も、当たり前のようにお久しぶりです。

今日のモデルさんは、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師バンビ。(バンビはギターの先生)過去の投稿を見返してみたら、初めて我が家に来てくれたのが2021年の12月初旬なので、もうすぐ3年が経過。私にとっては5人目の家庭教師で、先代のアンを抜いて、在任最長記録(というほど大層なものでもないですが)を更新中です。

教え方に関しては、なかなかおだてるのが上手く、親子ほど歳の離れた私でも、まるで初めて自転車に乗れた子供に対する親のような褒め方。これはALS(Alternative Learning System / 代替学習システム)の高校教師として鍛えた、バンビの専門能力なんでしょう。なにしろ成人男性の受刑者や、貧困のために教育機会を逸した老人が生徒。最高齢の卒業生が80歳の老婆なので、62歳の私などまったく苦にならないと思います。

しかし、そのバンビ先生。女性特有の体調の不安定さがあって朝が苦手。授業時間の遅れや翌日順延があるのが玉に瑕ですが、それも笑って許せる愛嬌があります。一応は事前に連絡はありますし。

ただ人が良すぎて損している感じがするのは、なかなか難しいところ。6人兄弟姉妹の末っ子なのに、ずいぶん前に亡くなったお父さんの借金を未だに返済していたり、以前のパートナーのバイクのローンが、なぜかバンビ名義だったり。

そして可哀想なことに、長く同棲していたボーイフレンドとの仲がつい最近破局。職場の同僚である家内によると、事実婚ながら、ずっとプロポーズを待っていたんだとか。私の家にも何度か一緒に来て、食事をご馳走したこともあるので、てっきり安定した関係だと思ってたんですが、バンビはもう待ちくたびれて、とうとうお別れになったそうです。日本のアニメ大好きな、気の良い兄ちゃんだったんですけどね。

ということで、先生には何とか元気なってほしいという願いを込めて、たまたま近づいていたバンビの誕生日向けに、例によって似顔絵イラストを描いた次第。今回の衣装は着物ではなく、浴衣にしてみました。

すごい美人...というわけではないバンビなんですが、フェイスブックに上がっているどの写真も、穏やかな笑顔ばかり。こういう表情を見ていると、やっぱり教師が天職なんだろうなぁって気がします。実際よく笑うし「神さまに感謝」が口癖のようなバンビ。

さて、誕生日当日にタグつけしてフェイスブックにイラストをアップしたところ、間髪置かずに嬉しさ大爆発のリアクション。さっそくケータイの待受に使ってます。こういう超素直な喜び方をしてくれるので、つい何かしてあげようと思ってしまうんですよね。

我が家庭教師に幸多からんことを。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2024年10月17日木曜日

フィリピンでもネットでテレビ

 ここ何年かで、インターネットで配信される映画やドラマをテレビで観るのは、フィリピンでも当たり前になりました。そして我が家でも、とうとうケーブルTVの契約を打ち切って、テレビはネットだけに。もともとケーブルTVの画質はイマイチだし、NHKの日本語放送もない。かろうじてあった存在理由の、家内がGMA(フィリピンの放送局)で観るニュース番組でさえ、YouTubeでサイマル配信されていることが発覚。

これでテレビは、電源以外はワイヤレスでコンテンツ視聴ができます。NetflixとAmazonプライムで、映画とドラマは日本を含めて世界中の番組が観られるし、アンプとスピーカーを繋げば、スマホからの音楽も楽々高音質。何よりもテレビの置き場所がケーブルTVとの接続から解放されて、自由に模様替えができるのが大きい。

実はリビングのメインテレビであるの42インチ。うっかり西向きに設置するような配線にしてしまい、夕方になると、吹き抜けを通じて2階のステンドグラス状の窓から直射日光が画面に入ってしまう。まぁ午後4時から6時前にテレビを観ることは稀。それほど困ったわけでもないんですが、やっぱり竣工以来ずっと気になっていたので、晴れて模様替えができてホっとした気分。

なんて書くと、まるでフィリピンの家庭ではテレビのネット視聴が全面的に普及しているみたいですが、実際には、まだまだ地上アナログの低品質の画面を小さなブラウン管テレビで観るしかない人もいっぱい。貧乏で大画面のスマートテレビを買ったり、自宅にインターネット回線を敷設できない家庭も多い。ついこの間も、近所の散髪屋さんに行ったら、愚にもつかない(失礼!)タガログ語の地上波バラエティ番組を大音量で垂れ流してました。

ただ、この辺りのテレビ事情は、日本も似たようなものなのかも知れません。さすがにアナログではなくデジタルになったとは言え、相変わらず放送時間に縛られたニュースや低予算のバラエティが主流なんだとか。ヘソ曲がりな私は、10年以上前日本にいた頃からWOWOWとNHKスペシャルしか観なかったので、正直「まだそんなの観てるの?」と思ってしまいます。

すでにドラマでは、最近、世界的にヒットしている「地面師たち」や、エミー賞の主要部門を総なめにした「将軍」のように、スタッフも俳優も日本人で、資本はアメリカというスタイルが幅を利かせている時代。アニメに至っては、日本と同時かジブリのように日本未配信でもフィリピンで観られる人気コンテンツもあるぐらい。一昨日「君たちはどう生きるか」を観ましたよ。

こうなってくると、ジリ貧の日本の放送局からは、俳優を含む優秀な映像クリエータの方々がどんどん海外に流出してしまいます。最近、日本のお笑い芸人が「アメリカズ・ゴット・タレント」で爆笑を取っている姿や、Spotifyでサブスク解禁された、竹内まりやさん等の80年代ポップスに人気だとか言う話を見聞きすると、本来グローバルに活躍できる潜在能力がある日本人が、日本国内の様々な規制のために、どれだけブレークの機会を逃してきたのか?とちょっと考えこんでしまう。

ということで、テレビが完全にネット化すると、今まで見えなかったことが、フィリピンの片田舎に住んでいても、いろいろ見えてきたというお話でした。



2024年10月16日水曜日

再開、ネグロス島永住日記

 約3ヶ月のご無沙汰で、「ネグロス島永住日記」を再開させていただきます。

再開と言いましても、何かしらの理由があって投稿しなかったわけでもなく、ただ何となく書かずにいるうちに気がついたら3ヶ月経っていたというだけ。気分が落ち込んだりとか、健康を害していたわけではありません。

最後の投稿が7月末で、こちらでは雨季の真っ只中。今はフィリピンに大量の雨をもたらす季節風の時期「ハバガット Habagat」も終わり、暑過ぎず、もちろん寒くもならず、台風さえ来なければ、1年で一番過ごしやすくて穏やかな日々。そしてここ西ネグロスの州都バコロドでは、10月の中旬から11月まで、恒例のマスカラ祭が開催されています。

まぁ私は大の人混み嫌いだし、特に祭事が好きなわけでもないので、この時期は、できるだけバコロドには近づかないようにするのが常。何しろ、やらたパレードをするもんだから、あちこちで通行止めやら一方通行。週末に車で突っ込んだりしたら、とんでもない渋滞に巻き込まれてしまいます。

本来なら「ネグロス島永住日記」なんてブログを書くぐらいですから、期間中にバコロド市内に宿泊でもして、読者のみなさんにレポートをお届けするべきなんでしょうけど、そっちの方向には全然好奇心が湧かないもので...。

そんな感じなので、私の住んでいるシライ市内の、ごく狭い範囲の話題で恐縮なんですが、今回はまたもやご近所さんとの騒音トラブル。ただガチで喧嘩になったわけではなく、突然お向かいさんが飼い始めた雄鶏の鳴き声に、こちらが一方的にストレスを溜めていたというお話。

数年前にもお向かいさんは闘鶏用の雄鶏を飼って、あまりの煩さに苦情を言って止めさせた経緯があります。今回は普通のネイティブ・チキン。しかも雄鶏は一羽だけのようなので、騒音レベルはずいぶんマシですが、それでも明け方の暗いうちから、10メートルも離れていないところで「コケコッコー」はツラい。それでなくても還暦過ぎの私。朝方に起こされてしまうともう二度寝ができず、一日中眠気がつきまとう羽目に。

一応は高級住宅地である、私たちの住むセント・フランシス・サブディビジョン。養鶏は禁止なんですよね。完全に無視して大量に飼っている人もいますけど。それに、カラオケと並んで、この手の騒音に対する寛容度が高いお国柄。何週間かは我慢したものの、遂に忍耐の限度を超えて、家内に頼んで苦情を入れてもらいました。

実は前回の時、相手の対応に家内も不愉快だったようで、それ以来完全に没交渉。先方の家庭の事情は全然知らなかったんですが、実は今回の雄鶏、オーナーのオバちゃんの再婚相手が持ち込んだものだったそうです。

どうやら手広く養鶏業を営んでいるらしく、たまたま余った(?)雄鶏を自宅で飼っていたとのことで、こちらからの苦情に別段腹を立てるでもなく「あっそうですか?」とばかりに、即日で鶏肉にされて、夕食のおかずに食べられちゃいました。私は、バランガイ訴訟も覚悟していただけに、肩透かしを食らった格好ですが、まぁ事が荒立たず良かった。

ちなみに向かいのオバさん。前の旦那さんが「サトウ」という名の日本人で、そのお金でセント・フランシスに土地を購入して家を建てました。その旦那さんはとうの昔に亡くなって、日比ハーフの娘さんも高校を卒業。いかにも「田舎の婆ちゃん」風の母親も同居。

おそらく決して裕福ではない山間部の生まれで、日本に働きに行って日本人と結婚したという、フィリピンあるあるの一種のサクセスストーリーが背景。立派な家に住んでも、生まれた場所ライフスタイルを、そのまま高級住宅地に持ち込んだということなんでしょうね。

ということで、相変わらず半径数十メートルか、せいぜい数キロの範囲でのネタで、申し訳ありません。