つい先日、日本の衆院選とアメリカ大統領選、それらと比較して2年前のフィリピン大統領選の話を書いたところですが、性懲りもなくまた選挙のお話。
フィリピン大統領選でBBM(ボンボン・マルコス)が当選した背景には、親の代に酷い目に遭ったばかりの歴史に学ぶ事なく、マルコス陣営が用意したネット上のデマ「父マルコスの時代は、フィリピンの黄金時代だった」に、国民の多数がまんまと騙されました。外国人の私からすれば(あるいは、それなりに高等教育を受けたフィリピン国民も含めて)、なぜこの人物を選ぶ?という結果になったわけです。
ところが、まさか日本ではありえないと思っていたことが、私が生まれ育った兵庫県の県知事選で起こってしまいました。フィリピンの場合は、近代の歴史教育を怠ったことによる、フィリピン教育の敗北だったのに対し、今回の兵庫県では、テレビ・新聞などの大手マスメディアの敗北。
原因は明らかに、約10年前の第二次安倍政権の頃から顕著になった、マスコミの政治や選挙への腰抜けぶり。肝心の選挙運動中に、中立を保つという口実のもと、候補者(特に与党の)のメガティブな側面やスキャンダルなどを報じない姿勢を続けて、投票日にだけ大金をかけて速報、特番の嵐。当落が判明してから、今頃それを言うか?みたいな報道ばかりでした。
立法・行政・司法の三権分立に並び立ち、報道が四つ目の独立権力で、健全な民主主義運営のために必要不可欠なのが先進国では当たり前のはずが、日本では大手新聞社やテレビ局が、完全に与党の番犬状態。少なくとも報道の自由に関しては、後進国とされるフィリピンの方がよっぽど先進的。前ドゥテルテ政権の行き過ぎた対麻薬政策に対して、敢然と反旗を翻しノーベル平和賞を受賞したニュース・サイト、ラップラーの編集長ラッサ氏が、その代表格。(フィリピン国内では、ラッサ氏への批判も多いですが)
もちろん日本にも、比較的経営規模の小さな地方紙では、気骨のある記者もいるようですが、全体的には、大局に何の影響もない政治家や芸能人のスキャンダルの、面白おかしく報道する番組や記事ばかりが目立ちます。これはフィリピンにいてもネット経由でだいたい分かる。これでは普通の人たちが、マスコミ不信に陥るのも無理はありません。私など、朝日や読売などのネット記事は、見出しだけ見て、詳しく知りたい時は、ツイッターなどで日頃から信用してフォローしている人の意見を参照しています。
そこにつけ込んだのが、「NHKから国民を守る党」で、政治を引っ掻き回している立花孝志氏。前知事を擁護するためだけに立候補し、お得意のユーチューブを駆使して、一大キャンペーンを展開。そこへ大手メディアにそっぽを向いた人たちが流れ込んでらしい。
私が危機感を持つのは「ユーチューブで真実を知った」と思い込む人が増えること。これでは陰謀論を撒き散らす悪質ユーチューバーが、一国の世論を乗っ取ることだってできる。今回争点になった、前知事の行動にしても、自殺者まで出ているぐらいなので、問題があるのは間違いないのに、大手メディアからは、「パワハラ」「おねだり」など茶化した見出しのコタツ記事が量産されるのみ。本来なら、係者全員に詳細な聞き取り取材を行い、事実関係を詳らかにしたドキュメンタリーをが作られても不思議ではない事件。例えば、かつての首相を退陣に追い込んだ、立花隆さんの「田中角栄研究」。(おなじタチバナ・タカシなのは、何とも皮肉な)
実は、アメリカ大統領選でも、まったく同じ現象が起こったそうで、こちらの場合に影響力を行使したのが、同じくネット経由のポッドキャスト。選挙運動中トランプ氏は、登録者数1,450万人を誇る、人気コメディアンのジョー・ローガンのポッドキャスト番組で政策を語り、若年男性層に大きくアピールしたと言われています。
さすがに今回の選挙結果を受けて、日本の一部ワイドショーのメイン・パーソナリティの中には、反省の弁を口にする人もいるようです。それでなくても全国紙は発行部数を激減させ、テレビ離れも進む中、「若者の〜離れ」なんて言い訳をしている場合ではありません。こうなったのは単純に、信頼できない・面白くないだけ。ただ各紙・各放送局がそれを真摯に受け止めるとは思えませんが。
おそらくこうしたネット上での政治・選挙活動は、今後ますます過熱し、来年の参議院選では、ネット活用に長けた陣営ほど票を伸ばすのは間違いないでしょう。心配なのは、法整備も有権者のネットリテラシーも、まったく未熟なこと。これでは玉石混交も甚だしく、ネットでの情報収集に不慣れな人ほど、不確かな、あるいは明らかに作為的な虚偽に、流されるリスクが高い。
ここで提案したいのは、かつてのアメリカCNNが彗星の如く報道の世界に現れたように、全国紙の販売網や、地上波チャンネルの既得権に関係ない、ネットに特化した、本当の意味での中立を保ったジャーナリズムの登場です。要するに日本版のラップラー。フィリピンの片田舎で私が思いつくぐらいですから、心血注いだ取材結果を上層部に握りつぶされて臍(ほぞ)を噛んでいる、心あるライターや記者の方々は、当然考えておられると思うんですけどねぇ。