2024年11月19日火曜日

ネット化?愚民化?兵庫県知事選

 つい先日、日本の衆院選とアメリカ大統領選、それらと比較して2年前のフィリピン大統領選の話を書いたところですが、性懲りもなくまた選挙のお話。

フィリピン大統領選でBBM(ボンボン・マルコス)が当選した背景には、親の代に酷い目に遭ったばかりの歴史に学ぶ事なく、マルコス陣営が用意したネット上のデマ「父マルコスの時代は、フィリピンの黄金時代だった」に、国民の多数がまんまと騙されました。外国人の私からすれば(あるいは、それなりに高等教育を受けたフィリピン国民も含めて)、なぜこの人物を選ぶ?という結果になったわけです。

ところが、まさか日本ではありえないと思っていたことが、私が生まれ育った兵庫県の県知事選で起こってしまいました。フィリピンの場合は、近代の歴史教育を怠ったことによる、フィリピン教育の敗北だったのに対し、今回の兵庫県では、テレビ・新聞などの大手マスメディアの敗北。

原因は明らかに、約10年前の第二次安倍政権の頃から顕著になった、マスコミの政治や選挙への腰抜けぶり。肝心の選挙運動中に、中立を保つという口実のもと、候補者(特に与党の)のメガティブな側面やスキャンダルなどを報じない姿勢を続けて、投票日にだけ大金をかけて速報、特番の嵐。当落が判明してから、今頃それを言うか?みたいな報道ばかりでした。

立法・行政・司法の三権分立に並び立ち、報道が四つ目の独立権力で、健全な民主主義運営のために必要不可欠なのが先進国では当たり前のはずが、日本では大手新聞社やテレビ局が、完全に与党の番犬状態。少なくとも報道の自由に関しては、後進国とされるフィリピンの方がよっぽど先進的。前ドゥテルテ政権の行き過ぎた対麻薬政策に対して、敢然と反旗を翻しノーベル平和賞を受賞したニュース・サイト、ラップラーの編集長ラッサ氏が、その代表格。(フィリピン国内では、ラッサ氏への批判も多いですが)

もちろん日本にも、比較的経営規模の小さな地方紙では、気骨のある記者もいるようですが、全体的には、大局に何の影響もない政治家や芸能人のスキャンダルの、面白おかしく報道する番組や記事ばかりが目立ちます。これはフィリピンにいてもネット経由でだいたい分かる。これでは普通の人たちが、マスコミ不信に陥るのも無理はありません。私など、朝日や読売などのネット記事は、見出しだけ見て、詳しく知りたい時は、ツイッターなどで日頃から信用してフォローしている人の意見を参照しています。

そこにつけ込んだのが、「NHKから国民を守る党」で、政治を引っ掻き回している立花孝志氏。前知事を擁護するためだけに立候補し、お得意のユーチューブを駆使して、一大キャンペーンを展開。そこへ大手メディアにそっぽを向いた人たちが流れ込んでらしい。

私が危機感を持つのは「ユーチューブで真実を知った」と思い込む人が増えること。これでは陰謀論を撒き散らす悪質ユーチューバーが、一国の世論を乗っ取ることだってできる。今回争点になった、前知事の行動にしても、自殺者まで出ているぐらいなので、問題があるのは間違いないのに、大手メディアからは、「パワハラ」「おねだり」など茶化した見出しのコタツ記事が量産されるのみ。本来なら、係者全員に詳細な聞き取り取材を行い、事実関係を詳らかにしたドキュメンタリーをが作られても不思議ではない事件。例えば、かつての首相を退陣に追い込んだ、立花隆さんの「田中角栄研究」。(おなじタチバナ・タカシなのは、何とも皮肉な)

実は、アメリカ大統領選でも、まったく同じ現象が起こったそうで、こちらの場合に影響力を行使したのが、同じくネット経由のポッドキャスト。選挙運動中トランプ氏は、登録者数1,450万人を誇る、人気コメディアンのジョー・ローガンのポッドキャスト番組で政策を語り、若年男性層に大きくアピールしたと言われています。

さすがに今回の選挙結果を受けて、日本の一部ワイドショーのメイン・パーソナリティの中には、反省の弁を口にする人もいるようです。それでなくても全国紙は発行部数を激減させ、テレビ離れも進む中、「若者の〜離れ」なんて言い訳をしている場合ではありません。こうなったのは単純に、信頼できない・面白くないだけ。ただ各紙・各放送局がそれを真摯に受け止めるとは思えませんが。

おそらくこうしたネット上での政治・選挙活動は、今後ますます過熱し、来年の参議院選では、ネット活用に長けた陣営ほど票を伸ばすのは間違いないでしょう。心配なのは、法整備も有権者のネットリテラシーも、まったく未熟なこと。これでは玉石混交も甚だしく、ネットでの情報収集に不慣れな人ほど、不確かな、あるいは明らかに作為的な虚偽に、流されるリスクが高い。

ここで提案したいのは、かつてのアメリカCNNが彗星の如く報道の世界に現れたように、全国紙の販売網や、地上波チャンネルの既得権に関係ない、ネットに特化した、本当の意味での中立を保ったジャーナリズムの登場です。要するに日本版のラップラー。フィリピンの片田舎で私が思いつくぐらいですから、心血注いだ取材結果を上層部に握りつぶされて臍(ほぞ)を噛んでいる、心あるライターや記者の方々は、当然考えておられると思うんですけどねぇ。



2024年11月14日木曜日

62歳の再就職


 甚だ唐突ながら、来年、再就職することになりそうです。

半年ほど前に、バコロド出身で日本とフィリピンを行き来しながら仕事をしている、フィリピン人の知り合いから連絡があって、日本語の教師をしてくれませんか?とのオファー。こちらは、12年も前に早期退職して隠居生活。まぁ週に1〜2回程度、数人の生徒さんに教えるぐらいかと思って軽く引き受けました。一応私のフィリピンでの永住ビザは、就労しても大丈夫なタイプ。

その後しばらく音沙汰無く、これは立ち消えかと、ほとんど忘れかけた頃にまた連絡。何と、バコロド市内にパートナーを見つけて、本格的に、学校と付随する宿泊施設を建設中。しかも正式に職業訓練学校としての認可を申請中なんだとか。フィリピンのお役所仕事あるあるで、この手続きが実に煩瑣でやり直しが多く、予定より開校が3ヶ月遅れますとのこと。

そこから急に話が具体的になって来て、つい先日は建設中の学校の隣で、第一回目のミーティング。これが、想像よりはるかに規模が大きく、生徒数も何十人規模。しかもかなり短期間でN3(日常的な場面で使われる日本語をある程度理解することができる)まで育成すると言います。そのために土日以外は学校内の宿舎に寝泊まりして、日本語漬けに。それだけでなく、日本の文化も教えるので、畳を敷いた部屋も用意。

一番驚いたのは、報酬の金額。日本円にしたら、せいぜいアルバイトで頑張った、ぐらいなんですが、ネグロス島基準で考えたら、ベテランの管理職でやっと手が届くかどうかのレベル。教師は私だけでなく、他に数名のフィリピン人もいて、そのアシスタント的な位置付けながら、ネイティブは私だけ。なので、とても片手間では済まない業務量。そのために十分な金銭的な動機付けが必要、ということなんでしょうね。

アメリカやシンガポールなどに比べると給料が安く、最近の円安も相まって、OFW(海外フィリピン労働者)には、あまり人気のない日本市場ながら、今回の条件は、オフィス勤務で日本人社員と同じ待遇。30歳以下の4年制大卒にリクルートをかけるそうです。そうなると、欧米に比べれば近いし、中近東で建設労働やメイド業に就くよりはるかに安全。加えて若い世代には、アニメや日本食ブームで、日本への憧れもあります。

冗談じゃなく、今高校生の息子が大学を卒業したら、就職させてもらいたいような好条件。

これだと、オンライン授業ベースで、週一回か二回なんて悠長なことは言ってられません。少なくとも最初の1ヶ月ぐらいは対面授業でみっちりやらないと、とても無理。ということで、来年からは、朝6時起きで家族の弁当作って、毎日車でバコロドへ出勤という、12年ぶりに、かつてのサラリーマン時代の再来となりそうです。そろそろリハビリ始めなくちゃ。



2024年11月13日水曜日

高齢両親の一時帰国

 今年(2024年)の6月から、フィリピン・ネグロス島の我が家に滞在していた88歳と87歳の両親が12月初旬に一時帰国します。父は、耳が遠いものの、日常再活はほぼ問題なくできるのに対して、足腰が弱り認知症の症状が出始めた母は、コロナ禍の時期に日本の介護施設に入っていました。ところがその後、ケアマネージャーさんもびっくりの、要介護3からの奇跡的な回復を経て、フィリピン渡航となった次第。その経緯は昨年の投稿をご覧ください。(お試し介護移住

ただ回復したと言っても、かろうじて自分で歩ける程度。ほぼ終日、テレビを付けっぱなしでベッドでうつらうつらで、会話もなかなか成り立ちません。ところが食事だけは、以前の半分程度ながらしっかり食べる。私が毎日作る料理、炒め物でも揚げ物でも、ラーメン・焼きそば・炒飯などなど、自分の皿に盛った分は、毎回完食。食事時は、表情もそこそこあって、会話は続くかないものの、分かりやすい冗談などには反応して笑顔を見せます。

父に言わせると、日本の実家にいた頃よりは顔色がずいぶん良くなったし、そもそもまったくの無表情だったらしい。手前味噌ながら私の作る料理は、かつての母譲りの味付けなので、食事のおかげで多少なりとも状態が改善しているんしょう。シャワー時など、家内が献身的に介助してくれているのもあるし、平日の昼間はメイドさんもいる。

ちなみに両親が寝起きしているのは、私たちのいる母屋とは完全に独立した、2LDKの一軒家の離れ。つまり、600平米の土地に、丸々2軒の家を建てたわけです。こんな贅沢なことができるのも、フィリピンの、しかも田舎のネグロス島なればこそ。

ところで認知症の件。実際に両親の介護をする前の私の知識といえば、かなり極端な例ばかり。暴力的・攻撃的になったり、出歩けばそのまま徘徊。実際、父の兄(つまり伯父)は、行方不明になったきり。果ては排泄物を全身に塗りたくるなんてことにも。

実際には、いきなりそんな悪夢のようなことになるわけではなく、悪化するにしても段階を踏むもののようです。母の場合、まだ自分でトイレには行けるし歯も自分で磨いている。そして私や家内、孫である私の息子に対しても敬語を使うようになりました。攻撃的なところはカケラもなく、大人しくて扱いは実に楽。

むしろ、まだ頭も身体もしっかりしてる父の方が面倒で、難聴者専用のスピーカーまで買ったのに、それを使わず近所中に響き渡る大音量でテレビ見たり、窓全開でエアコンかけたり。さすがに最近は注意しても逆ギレはしなくなったのは良いけれど、数日もしたらネジが巻き戻るように同じ事の繰り返し。これが老人を相手にするってことなのか。(と書いてる私も、もう62歳なんですけどね)

ということで12月の一時帰国。日本からフィリピンへは、1ヶ月間はビザなし入国可能。さらに1ヶ月、3ヶ月後に、最寄りの入国管理局に行って手数料を払って更新すれば、最大半年までは滞在できます。その決まりに従って、最初から半年で一旦帰国の予定でした。本当はギリギリまで引っ張れば年末までOKなのですが、クリスマスや正月前後にマニラの空港で飛行機乗り換えるのは、どう考えてもたいへん過ぎます。

...と、用意周到に準備したつもりが、つい最近になって滞在可能期間が半年から3年に大幅延長。3ヶ月の更新時に作ったI Card(アイカード)で、そのまま3年間大丈夫になっちゃいました。何じゃそりゃ。

とは言え、本格移住に向けて、父の仕事の整理(まだ仕事やってたんですよ)やら、各種の手続き、実家の整理などもあるので、いずれは帰国しなければいけなかったんですけどね。


2024年11月10日日曜日

日・比・米の選挙


出典:Inquirer.net

 ぼやぼやしてる間にフィリピンでは万聖節・万霊節のお墓参りシーズンが終わり、スーパーやショッピングモールの店員さんが、サンタキャップをかぶり、我が家ではツリーを引っ張り出す季節(と言っても相変わらずの常夏)となりました。普通の日本人なら11月初旬に?と訝しむところですが、9月からクリスマスシーズンだと言い張るフィリピンの人々。どちらかと言うと順当、あるいは、やっと出したか、ぐらいの感覚です。

季節の挨拶はさておき、アメリカではトランプのオッさんがまた大統領に決まっちゃいましたねぇ。前評判では大接戦だ、ハリスが若干有利だなどと、日本のマスコミも煽り大会に加担してましたが、蓋を開ければトランプ圧勝。公然と不倫はするは、あちこちで裁判を起こされるは、移民に対しては事実無根のデッチ上げ発言するは、大統領候補どころか、人間として共感もできなければ、尊敬するべき点が全然ないトンデモない人物だと思うんですが、実際にアメリカに住んでいる人たち、特にお金に余裕のない人たちには、そんなことはどうでも良かったらしい。

実際バイデン氏の民主党政権下の4年間で起こったのが、エゲつないインフレ。円安も相まって、日本からの旅行者がファーストフード食べるだけで、何千円かかったとか、ホテルが高すぎて無理とかの悲鳴。まぁ観光客向けには何でも割高になるのは仕方ないにしても、日本に比べると経済的なセーフティネットが貧弱な、自己責任大国アメリカなので、中間層以下の生活の厳しさは容易に想像できます。

もちろんバイデンさんも指をくわえて傍観していたわけではなく、インフレ削減法を施行するなどして、ある程度の効果はあったようなんですが、食品やガソリンの価格が高止まったまま。平均以下の所得層にすれば「これではトランプ政権の方が、はるかにマシだった」と思うのも仕方ないでしょう。

要するに民衆が最重要視したのが「経済」。平たく言うと「ワシらの生活を楽にしてくれるのはどっちだ?」なわけです。この点、高学歴で弁護士のハリスさんは、イメージでかなり損をしたでしょう。「あんたのような金持ちに、ワシらの苦しさが分かるか?お高くとまりやがって」と反発して層も多かったんでしょうね。女性だから、あるいはインド系だからというのは、大きな問題ではなかったと思います。

と、ここまで書いて、ハタと思い当たったのが、つい先日の日本の衆議院選。マスコミは「裏金議員」をお題目のように唱えてましたが、有権者の心の琴線により強く触れたのが「103万円の壁打破」つまり経済政策を一番に掲げた国民民主党。代表の玉木氏や幹事長の榛葉氏の分かりやすい口調と際立ったキャラクターもあって、まだまだマイナー政党ながら議席は3倍増。与党過半数割れで、おそらく狙い通りの絶妙のポジションと、当初からブレない政策実現一本の姿勢に、私はとても期待しております。

かたや本来なら、もっと脚光を浴びてもよさそうな野党第一党の立憲民主。こちらはイマイチ人気のない野田代表。しかも与党の失点による消極的な選択の側面が大なので、ネットニュースでの注目度は低い。政策もはっきりしないし過去に政権取って大失敗してるし。

つまり、日本でもアメリカでも「国民の暮らし向を良くします」という政策を、分かりやすく伝えた方が、結局は強いということなんでしょう。日本の場合は、この10年以上、与党がやりたい放題だったけど、他に頼れる野党が見当たらなかった。ここへ来てやっと少しはマトモなこと言う人が出て来たという感じ。

そして最後に我がフィリピンではどうかと言うと、やっぱり引き合いに出したいのは2022年の大統領選。なんとなく今回のアメリカと構図が似ていて、かつて20年に及ぶ独裁政治でフィリピンの経済も国家倫理もぶち壊したマルコスの息子のBBM(ボンボン・マルコス)と、才色兼備の女性弁護士レニ・ロブレドの、事実上の一騎打ち。トランプほどのダーティさはないにしても、巨額の脱税疑惑もあって、そもそも大統領候補になること自体が常識外れと思いきや、副大統領候補に据えたサラ・ドゥテルテ女史の圧倒的な人気も相まってか、こちらも圧勝。

アメリカや日本の場合のポイントが「経済」だったのに対して、フィリピンの場合は切り口が全く異なるけれど、やっぱり「フェイスブック」がキーワードだったように思います。これは以前にも書きましたが、ちょっと信じられないことに、父マルコスの治世はフィリピンの黄金時代だったという、フェイスブックに連日投稿された、誰が考えてもバレバレの嘘に、当時を知らない若い世代がコロっと騙されて、雪崩を打ってBBMに投票。もちろんソーシャル・メディアを使うこと自体は違法ではなく、日本の国民民主党など、実に巧みに活用して、玉木氏や榛葉氏の知名度を上げました。

ところがBBMの場合は、明らかに「悪用」。さらにそれを信じてしまう国民にも失望しました。これは対立候補のロブレドの敗北に留まらず、エドサ革命後40年近い、フィリピン教育の敗北じゃないでしょうか。まぁ日本も歴史教育に関しては、お世辞にも成功しているとは言えませんが、例えば戦前〜戦中の軍国主義の時代が素晴らしかったと本気で信じている人は、かなりの少数派でしょう。

ということで、政治向きの話を延々と書いてしまったので「もう二度とこんなブログ読むか!」とブチ切れた方もおられるかも知れませんが、フィリピンにとって、日本とアメリカの政治が大きく変わると、結構大きな影響が出るもの。今後も引き続き、この3国の政局と政策は、注視していこうと思います。



2024年10月21日月曜日

私的フィリピン美女図鑑 お誕生日の家庭教師

 このブログ自体がずいぶん間が空いてしまいましたので、そのオマケみたいな「フィリピン美女図鑑」も、当たり前のようにお久しぶりです。

今日のモデルさんは、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師バンビ。(バンビはギターの先生)過去の投稿を見返してみたら、初めて我が家に来てくれたのが2021年の12月初旬なので、もうすぐ3年が経過。私にとっては5人目の家庭教師で、先代のアンを抜いて、在任最長記録(というほど大層なものでもないですが)を更新中です。

教え方に関しては、なかなかおだてるのが上手く、親子ほど歳の離れた私でも、まるで初めて自転車に乗れた子供に対する親のような褒め方。これはALS(Alternative Learning System / 代替学習システム)の高校教師として鍛えた、バンビの専門能力なんでしょう。なにしろ成人男性の受刑者や、貧困のために教育機会を逸した老人が生徒。最高齢の卒業生が80歳の老婆なので、62歳の私などまったく苦にならないと思います。

しかし、そのバンビ先生。女性特有の体調の不安定さがあって朝が苦手。授業時間の遅れや翌日順延があるのが玉に瑕ですが、それも笑って許せる愛嬌があります。一応は事前に連絡はありますし。

ただ人が良すぎて損している感じがするのは、なかなか難しいところ。6人兄弟姉妹の末っ子なのに、ずいぶん前に亡くなったお父さんの借金を未だに返済していたり、以前のパートナーのバイクのローンが、なぜかバンビ名義だったり。

そして可哀想なことに、長く同棲していたボーイフレンドとの仲がつい最近破局。職場の同僚である家内によると、事実婚ながら、ずっとプロポーズを待っていたんだとか。私の家にも何度か一緒に来て、食事をご馳走したこともあるので、てっきり安定した関係だと思ってたんですが、バンビはもう待ちくたびれて、とうとうお別れになったそうです。日本のアニメ大好きな、気の良い兄ちゃんだったんですけどね。

ということで、先生には何とか元気なってほしいという願いを込めて、たまたま近づいていたバンビの誕生日向けに、例によって似顔絵イラストを描いた次第。今回の衣装は着物ではなく、浴衣にしてみました。

すごい美人...というわけではないバンビなんですが、フェイスブックに上がっているどの写真も、穏やかな笑顔ばかり。こういう表情を見ていると、やっぱり教師が天職なんだろうなぁって気がします。実際よく笑うし「神さまに感謝」が口癖のようなバンビ。

さて、誕生日当日にタグつけしてフェイスブックにイラストをアップしたところ、間髪置かずに嬉しさ大爆発のリアクション。さっそくケータイの待受に使ってます。こういう超素直な喜び方をしてくれるので、つい何かしてあげようと思ってしまうんですよね。

我が家庭教師に幸多からんことを。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2024年10月17日木曜日

フィリピンでもネットでテレビ

 ここ何年かで、インターネットで配信される映画やドラマをテレビで観るのは、フィリピンでも当たり前になりました。そして我が家でも、とうとうケーブルTVの契約を打ち切って、テレビはネットだけに。もともとケーブルTVの画質はイマイチだし、NHKの日本語放送もない。かろうじてあった存在理由の、家内がGMA(フィリピンの放送局)で観るニュース番組でさえ、YouTubeでサイマル配信されていることが発覚。

これでテレビは、電源以外はワイヤレスでコンテンツ視聴ができます。NetflixとAmazonプライムで、映画とドラマは日本を含めて世界中の番組が観られるし、アンプとスピーカーを繋げば、スマホからの音楽も楽々高音質。何よりもテレビの置き場所がケーブルTVとの接続から解放されて、自由に模様替えができるのが大きい。

実はリビングのメインテレビであるの42インチ。うっかり西向きに設置するような配線にしてしまい、夕方になると、吹き抜けを通じて2階のステンドグラス状の窓から直射日光が画面に入ってしまう。まぁ午後4時から6時前にテレビを観ることは稀。それほど困ったわけでもないんですが、やっぱり竣工以来ずっと気になっていたので、晴れて模様替えができてホっとした気分。

なんて書くと、まるでフィリピンの家庭ではテレビのネット視聴が全面的に普及しているみたいですが、実際には、まだまだ地上アナログの低品質の画面を小さなブラウン管テレビで観るしかない人もいっぱい。貧乏で大画面のスマートテレビを買ったり、自宅にインターネット回線を敷設できない家庭も多い。ついこの間も、近所の散髪屋さんに行ったら、愚にもつかない(失礼!)タガログ語の地上波バラエティ番組を大音量で垂れ流してました。

ただ、この辺りのテレビ事情は、日本も似たようなものなのかも知れません。さすがにアナログではなくデジタルになったとは言え、相変わらず放送時間に縛られたニュースや低予算のバラエティが主流なんだとか。ヘソ曲がりな私は、10年以上前日本にいた頃からWOWOWとNHKスペシャルしか観なかったので、正直「まだそんなの観てるの?」と思ってしまいます。

すでにドラマでは、最近、世界的にヒットしている「地面師たち」や、エミー賞の主要部門を総なめにした「将軍」のように、スタッフも俳優も日本人で、資本はアメリカというスタイルが幅を利かせている時代。アニメに至っては、日本と同時かジブリのように日本未配信でもフィリピンで観られる人気コンテンツもあるぐらい。一昨日「君たちはどう生きるか」を観ましたよ。

こうなってくると、ジリ貧の日本の放送局からは、俳優を含む優秀な映像クリエータの方々がどんどん海外に流出してしまいます。最近、日本のお笑い芸人が「アメリカズ・ゴット・タレント」で爆笑を取っている姿や、Spotifyでサブスク解禁された、竹内まりやさん等の80年代ポップスに人気だとか言う話を見聞きすると、本来グローバルに活躍できる潜在能力がある日本人が、日本国内の様々な規制のために、どれだけブレークの機会を逃してきたのか?とちょっと考えこんでしまう。

ということで、テレビが完全にネット化すると、今まで見えなかったことが、フィリピンの片田舎に住んでいても、いろいろ見えてきたというお話でした。



2024年10月16日水曜日

再開、ネグロス島永住日記

 約3ヶ月のご無沙汰で、「ネグロス島永住日記」を再開させていただきます。

再開と言いましても、何かしらの理由があって投稿しなかったわけでもなく、ただ何となく書かずにいるうちに気がついたら3ヶ月経っていたというだけ。気分が落ち込んだりとか、健康を害していたわけではありません。

最後の投稿が7月末で、こちらでは雨季の真っ只中。今はフィリピンに大量の雨をもたらす季節風の時期「ハバガット Habagat」も終わり、暑過ぎず、もちろん寒くもならず、台風さえ来なければ、1年で一番過ごしやすくて穏やかな日々。そしてここ西ネグロスの州都バコロドでは、10月の中旬から11月まで、恒例のマスカラ祭が開催されています。

まぁ私は大の人混み嫌いだし、特に祭事が好きなわけでもないので、この時期は、できるだけバコロドには近づかないようにするのが常。何しろ、やらたパレードをするもんだから、あちこちで通行止めやら一方通行。週末に車で突っ込んだりしたら、とんでもない渋滞に巻き込まれてしまいます。

本来なら「ネグロス島永住日記」なんてブログを書くぐらいですから、期間中にバコロド市内に宿泊でもして、読者のみなさんにレポートをお届けするべきなんでしょうけど、そっちの方向には全然好奇心が湧かないもので...。

そんな感じなので、私の住んでいるシライ市内の、ごく狭い範囲の話題で恐縮なんですが、今回はまたもやご近所さんとの騒音トラブル。ただガチで喧嘩になったわけではなく、突然お向かいさんが飼い始めた雄鶏の鳴き声に、こちらが一方的にストレスを溜めていたというお話。

数年前にもお向かいさんは闘鶏用の雄鶏を飼って、あまりの煩さに苦情を言って止めさせた経緯があります。今回は普通のネイティブ・チキン。しかも雄鶏は一羽だけのようなので、騒音レベルはずいぶんマシですが、それでも明け方の暗いうちから、10メートルも離れていないところで「コケコッコー」はツラい。それでなくても還暦過ぎの私。朝方に起こされてしまうともう二度寝ができず、一日中眠気がつきまとう羽目に。

一応は高級住宅地である、私たちの住むセント・フランシス・サブディビジョン。養鶏は禁止なんですよね。完全に無視して大量に飼っている人もいますけど。それに、カラオケと並んで、この手の騒音に対する寛容度が高いお国柄。何週間かは我慢したものの、遂に忍耐の限度を超えて、家内に頼んで苦情を入れてもらいました。

実は前回の時、相手の対応に家内も不愉快だったようで、それ以来完全に没交渉。先方の家庭の事情は全然知らなかったんですが、実は今回の雄鶏、オーナーのオバちゃんの再婚相手が持ち込んだものだったそうです。

どうやら手広く養鶏業を営んでいるらしく、たまたま余った(?)雄鶏を自宅で飼っていたとのことで、こちらからの苦情に別段腹を立てるでもなく「あっそうですか?」とばかりに、即日で鶏肉にされて、夕食のおかずに食べられちゃいました。私は、バランガイ訴訟も覚悟していただけに、肩透かしを食らった格好ですが、まぁ事が荒立たず良かった。

ちなみに向かいのオバさん。前の旦那さんが「サトウ」という名の日本人で、そのお金でセント・フランシスに土地を購入して家を建てました。その旦那さんはとうの昔に亡くなって、日比ハーフの娘さんも高校を卒業。いかにも「田舎の婆ちゃん」風の母親も同居。

おそらく決して裕福ではない山間部の生まれで、日本に働きに行って日本人と結婚したという、フィリピンあるあるの一種のサクセスストーリーが背景。立派な家に住んでも、生まれた場所ライフスタイルを、そのまま高級住宅地に持ち込んだということなんでしょうね。

ということで、相変わらず半径数十メートルか、せいぜい数キロの範囲でのネタで、申し訳ありません。