2023年7月31日月曜日

誰一人見放さない高校教師

 先週投稿した明石市の前市長、泉房穂さんに傾倒するあまり、子供の支援施策や学校教育について考えることが多くなった最近の私。日本だけでなくここフィリピンでも、就学時期の子供たちをめぐる環境には、問題が山積しています。

これは、外国人としての私が感じる諸問題ながら、一つには英語とフィリピノ語という必須言語が二重になっていること。ルソン島や首都圏周辺のフィリピノ語、つまりタガログを母語にしている人でも大変なのに、私たち家族の住むビサヤ諸島のように、母語がそれらとは別のヒリガイノン(イロンゴ)語やビサヤ(セブアノ)語だったりすると、外国語をもう二つ勉強するような状況。

さらには、もっとマイナーな母語を持つ山間部や離島出身者は、地方自治体からの情報を得るために、上記の方言すら追加学習となってしまいます。これでは意図的に落ちこぼれる生徒を増やしているようなもの。実際に英語でつまずいて、学校そのものを諦める生徒もとても多い。2015年 フィリピン統計局の調査によると、小学生の12.5%、高校生の18.4%が卒業できずに辞めてしまうんだとか。

さらに深刻なのは、貧困と早すぎる妊娠・出産。以前は、ちょっとドライブしたら信号待ちで子供の物乞いが集まってきたものです。ここ10年ほどは景気が良くなって、中流層のボリュームがぐっと増え、少なくともここネグロス島の州都バコロドや私の住むシライでは、そういう光景は見なくなりました。とは言え、好景気にも乗れない、底辺の貧困層はまったく放置状態で、相変わらずの世代をまたがる貧困の連鎖は断ち切れていないのが、フィリピンの現実。

国公立のすべての学校で授業料が不要になった今でも、中古ですら制服や教科書が買えなかったり、学校へ行くための往復100円にも満たないトライシクル(輪タク)代が払えない家庭もある。それでも頑張って通学しても、中学生ぐらいで子供ができてしまい、やむ無く退学、あるいは、犯罪に手を染めて逮捕・収監というのも、決して珍しくはありません。

そんな児童・学生を救済するセーフティ・ネットとして機能しているのが、ALS(Alternative Learning System / 代替学習システム)。何を隠そう、私のイロンゴ語の家庭教師のバンビが、このALSに従事する現役の高校教師。

彼女は、生徒の自宅や病院、バランガイ・ホール(公民館に相当する施設)、果ては刑務所まで、求められればどこにでも赴いて授業をやります。生徒の年齢も様々で、もうとっくに成人して働いているオっちゃんや、赤ちゃんを抱いたお母さんまで。

当然のように、頭脳明晰・成績優秀な生徒は少なくて、教科書の内容を理解する以前に、そもそも読み書きができない子もいるそうです。そして、ここからがバンビの偉いところ。そんな他の教師が見放した落ちこぼれや問題児であっても、辛抱強く指導。本人がドロップアウトしない限り、時間外であっても補習を延長。

学年が終わって夏休みのこの時期は、卒業する生徒たちが、バンビの自宅にまで押しかけて、ポートフォリオ(就職などに向けての履歴書)作成の助けを求めている。

元来、本当に「敬虔なクリスチャン」であるバンビ。平日は教義に反する事ばかりやって、日曜日だけ教会に懺悔しに来る、多くのフィリピン人不良信徒(私も同類)からは、最も遠いところにいる存在。

なので、加減ということができず、過労と睡眠不足でフラフラになるまで頑張ってしまう。この私が「あなたが体を壊してしまったら、あなたの生徒も家族も、神さまだって悲しむから、自分の健康のことを第一に考えなさい」なんて、柄にもないアドバイスをしてしまったぐらい。ここ1ヶ月ほどは、土日もかかりっきりなので、私のイロンゴ語レッスンは、姪っ子エイプリル嬢に来てもらっています。

ということで、フィリピンというと、子供好き、子供を大切にする、というイメージを持つ方も多いでしょうけど、社会全体として、とても子供に優しいとは言えないフィリピン。そんな歪みを少しでも正そうと、献身的に子供たちを支えているのが、バンビを代表とするような、ALSの先生たちなのかも知れません。



2023年7月28日金曜日

台風三連発


出典:Philstar

 5号台風フィリピン名エガイ(Egay)が、ようやくフィリピンから去った本日7月28日。今回のエガイを含めて、その前のドドン(Dodong)、フィリピンでは真夏の5月に接近したベティ(Betty)と、この数ヶ月で、私たちの住むネグロス島におおきな影響があった台風が三つも。

この台風三連発、どれも比較的似たようなコースで、ネグロスを含むビサヤ諸島に直撃はせず、ルソン島の北部を掠めたり、上陸するというパターン。台風が最も近づいたルソン島では相当な被害が出たのはもちろん、ネグロスでも激しい豪雨と強風。しかもそれが1週間前後も継続。

今回もその例に漏れず、まだフィリピンの東はるか遠方の海上にある時期から、台風がインド洋からの湿った空気を吸い込むような形で、次々と雨雲がネグロス上空を通過。台風が遠ざかるタイミングで、今度は雨に加えて強烈な西寄りの風が吹き荒れました。

もうこのブログで、何回書いたか覚えてないほどなんですが、強い台風が近づく度に、ここネグロス島のシライ市内では、同じような場所での洪水被害が繰り返されます。以前のメイドさんが住んでいたギンハララン、これまた以前の家庭教師の自宅があるイーロペス、そして今回は、週一で出張マッサージをお願いしているセラピスト、ラケルおばさんの地元のランタッド。

可哀想にラケルは、家が水浸しになっただけでなく、ランタッド地区からの唯一の公共交通手段であるトライシクル(輪タク)が、道路の冠水で運行できず、一週間近くも仕事にも行けない状況に。数千円程度の日銭稼ぎで家族を養っているので、さぞや大変だったろうと思います。ようやく今日、マッサージに来てくれたので、350ペソの料金のところをチップ込みで500ペソ払いました。

さて、これらの洪水が頻発する地区。どこも川沿いで、潮位が高い時にゲリラ豪雨が来たら、あっという間に床上浸水。最寄りのバランガイ・ホール(公民館みたいな建物)や学校に、避難した住民が溢れ、市が備蓄する支援物資を、市長が得意げに配給するのがまるでルーティーンワーク。その様子を撮影した写真が、大量にフェイスブックに投稿されるのも、お決まりのパターン。

もう恒例行事みたいになってるんだから、とっとと、排水溝なり堤防なりを作ればいいのに、と私が何度も投稿したのが聞こえたのか、ようやく最近になって、ギンハラランでは堤防工事が始まったらしい。ただ例によって、迅速な作業は望むべくもない。やっぱりギンハラランでも各所で冠水したようです。

繰り返されるのはそれだけではなく、相変わらずの停電もその一つ。特に強風時の停電は、理由がはっきりしていて、周囲の樹木の枝が電線にかかってショートしたり、木製の電柱が風で倒れちゃうから。これまた最近になって、木製からコンクリート製に電柱の入れ替えが進められてるようなんですが、いつになったら終わるのやら。

ただ、私がフィリピンという国と関わり始めた1990年代に比べれば、ここ10年ほどは、少しづつとは言え、いろんなことが改善されてはいます。例えばインターネット。まだ不安定さは残りつつも、ネグロスの田舎ですら光ケーブルが敷設。山間部への道路もずいぶんと整備されました。少し前に投稿したように、日本からの輸入食材が宅配便で届いたりもします。

1960年代生まれの私は、高度経済成長期に、周囲のインフラが次々と整備されたのを子供の頃に目撃した世代。私が小学生の頃ってテレビは白黒だし、家に電話もなかったんですからね。それを思えばフィリピンは、当時の日本ほどスピーディに、というのは無理にしても、これからどんどん良くなっていく可能性は大きい。

ということで、ようやく風雨がおさまったネグロスで、取り止めもなく考えた事を書いてみました。ちなみに次の台風ファルコン(Falcon)が、太平洋を北上中とのことです...。



2023年7月27日木曜日

泉さんは日本のドゥテルテ

今年(2023年)4月に3期12年に及ぶ明石市長の職を退いた泉房穂さん。遠く日本を離れた、ここネグロス島からも、その動向を注目しておりました。先日はアマゾン・ジャパンで購入した彼の書籍「社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ」と「政治はケンカだ! 明石市長の12年」の二冊を読了したばかり。

市長を辞めてからは、満を持したようにインタビューやテレビへの出演、執筆活動にツイッターと、インターネットで見ている限り、ちょっとした「泉フィーバー」が起こっている感じです。現職時代には、どんなに明石市政での実績が上がっても、ほとんど無視かネガティブ報道しかしなかった大手の新聞や放送局さえ、まるで手のひらを返したような持ち上げぶり。

この騒ぎ方って、何となく既視感があると思ったら、1972年(昭和47年)に田中角栄さんが総理大臣になった時に似てるんですよ。当時私は小学校4年生だったので、それほど詳しく覚えているわけではないものの、連日テレビや週刊誌で、あの特徴的な風貌を頻繁に目にしたものです。極め付けは、日頃政治など興味を示さなかった私の父までが「人間・田中角栄」なる書籍を買い込んで読んでいたこと。半世紀の時間差で、親子で同じようなことしてますね。

角栄さんの首相就任時と泉さんが大きく異なるのが、すでにリーダーとしての確固たる実績。何と言っても、全国的に少子化と経済的な閉塞感の横溢の真っ只中にあって、各種の無料化などに代表される改革で、10年連続の人口増を成し遂げました。本人さん曰く、人口増は結果であって、ポイントは「誰一人取り残さない政策」が功を奏したから。

そんな姿を、フィリピンの片田舎から眺めていてフと思ったのが、フィリピン前大統領のドゥテルテさんとの類似。こう書くとすぐに「暴言」と思われるでしょうけど、そういう表層的なことではありません。まぁ、確かに両者とも暴言や舌禍の類は多いですが。

まず、二人とも社会の暗部を実体験として知っている点。泉さんは貧しい漁師の家庭に生まれ、弟さんが障害者。子供の頃に散々差別と偏見にさらされ、それを見返してやろうと、何と10歳で市長を目指したと言います。そして柔道3段で、学生時代には喧嘩に明け暮れていたんだとか。

方やドゥテルテさん。父親は市長や知事を歴任し裕福な生まれでしたが、幼少時に神父からの性的虐待を受けたり、どうやら若い頃には殺人にも手を染めたらしい。もちろん後者については、逮捕も訴訟もされてませんし、本人はジョークとして語ってますが、本当にやったようです。

その後二人とも弁護士になります。つまり両者とも、虐げられた人や犯罪に走ってしまった者からの視点を、共有できる立場にあったこと。その上、フィジカルな喧嘩も強い。加えて法律にも詳しいとなったら、これは鬼に金棒ですね。生半可な脅しぐらいには動じないメンタリティは、こうして培われたものと推測されます。

そして圧巻の市長時代。明石市長の泉さんは、子育て支援の財源を捻出するために、不必要かつ数百億もかかる下水工事を中止したり、完全に年功序列で決まっていた部長職人事を適材適所に改めたり。当然のように、市議会、市役所職員、そして長年、市からの発注を受けていた建設業者から猛烈な反発。殺害予告までされたのは、よく知られた話。

さらに激しいのがドゥテルテさんのダバオ市長時代。こちらは22年以上も市長を務め、喧嘩相手は犯罪者。今ではほとんど伝説と化してますが、禁煙に従わない観光客がいると飲食店からの通報を受けて、警官ならぬ市長自らが現場に赴き、銃を突きつけて喫煙を止めさせた、なんてこともあったらしい。容疑者の射殺黙認の対ドラッグ戦争は、改めて書くまでもありません。

やり方はあきらかに違法で、人権侵害も甚だしいとの批判は今も根強いものの、とにかく最悪の治安だったダバオに平和をもたらしたのは、紛れも無い事実。大統領になってからも、同じ手法を貫いた彼は、常に暗殺のリスクを意識していたと言います。

何よりも強調したいのは、二人とも市民・国民の方を向いた政治家だったこと。どれほど市役所内で四面楚歌の状況になっても、子育て中のお母さんたちを始めとして、二期目以降の市長選では圧倒的な市民の支持で再選された泉さん。マニラのタクシー運転手や、娼婦たちにまで親しまれたドゥテルテさん。任期切れ直前まで高い支持率を保った大統領は、フィリピン史上初めてなんだそうです。

そんな泉さんの話を、先週のイロンゴ語レッスンで、家庭教師のバンビにしたところ、もう身を乗り出さんばかりの共感。貧困から身を起こして、利権政治のジャングルを超人的に切り拓くのは、ひょっとすると日本人よりもフィリピン人に響くストーリーなのかも知れません。特に子沢山のフィリピンで高校の先生をしているバンビには、子供の給食や医療費、おむつの無償化が、激しく心の琴線に触れたようです。



2023年7月24日月曜日

選ばれない国 日本


出典:Asia Media International

 昨日(2023年7月23日)付のNHKの記事によると、マニラで開催された、日本で看護師として働きたい人への説明会に、応募者が17人だけだったとのこと。わざわざ記事にするってことは、NHKの記者は、驚くべきことだ思ってるんでしょう。しかし私を含めてフィリピン在住の日本人にすれば、当たり前やないかというのが正直なところ。

ブログを書くに当たってちょっと調べてみたのが、看護師の給料。厚生労働省の発表によると、2022年の看護師の平均年収は約508万円。話に聞く重労働かつ長時間労働の報酬としては、決して高いとは言えません。10年前、ヒラのサラリーマンだった私ですら、もう少したくさん頂いておりました。

それに対して2021年のアメリカ。全米の平均で正看護師の平均給与が82,750ドルと言いますから、余裕で1,000万円超え。もちろん日米とも地域や病院、役職などで金額には幅があるし、日本の看護師でも高額報酬を受け取ってる人もいる。さらに円安の影響を勘案したとしても、平均で倍の差というのは、ちょっと大き過ぎます。フィリピンで医師として働いている人が、敢えて看護師として渡米するぐらいですからねぇ。

加えて決定的なのが言語の壁。フィリピンで医学を学ぶようなレベルの人なら、普通にネイティブ並みの英語力があるので、アメリカで本職の知識・経験以外に求められるものは、基本的にありません。ところが日本は、医学用語のほとんどが日本語で、それを解さないと看護師として認められないというスタンス。ひょっとすると日本人が日本で看護師資格を取得するより、難しいんじゃないか?

身も蓋も無い言い方をすれば、医療技術があって高度な日本語を理解するような頭脳の人材なら、たかだか年収500万円ではまったく割に合わない日本での看護師職。

という程度のことは、フィリピンに何年も暮らさなくても、ちょっとググれば分かる話。NHKの記事では「人材の獲得競争が激化してる」とか「フィリピン当局の協力が必要」なんて、的外れな結びになってますが、単に労働の場としての日本が、給料が安過ぎて魅力がないってだけ。この説明会を企画立案した人の頭は、1980年代の、ジャパゆきさんが日本に押し寄せた頃から、まったくアップデートされていないらしい。

日本を訪れるフィリピンからの観光客は、今や毎月5万人。韓国人の50万人余りに比べると1/10ながら、労働力を売りに来るより、お土産を買いに来る人の方が多いぐらい。いい加減に、日本が安い国になったことを、骨身に染みて理解するべき時。

当たり前に考えて、人手不足をなんとかしたいなら、給与を上げて、労働環境を改善するのが先決。フィリピン人だって「Karo-shi」という言葉を知ってますから。成り手が少ないと売り手市場になり、給料上げないと人が集まらないなんて、別に経済の専門家じゃなくても分かります。

これは看護師だけでなく、教師やタクシー運転手もまったく同じ構図。結局のところ政治家が、医療・教育・タクシー業界を牛耳っている圧力団体の方しか見てないから。これはもう9割9分政策の失敗だと思います。好き放題やっても与党が選挙で圧勝するんだから、そうなりますわなぁ。



2023年7月23日日曜日

ラザダで購入 味噌と麦茶

 ここ数年ほどで、フィリピンですっかり一般的になったオンライン通販のラザダ(Lazada)とショッピー(Shopee)。両方ともシンガポールを起点とした企業で、アマゾンのビジネス・スタイルを真似たもの。

ラザダは2012年、ショッピーは2015年に創業されましたが、ここネグロスで目立って利用者が増えた(というか、家内が頻繁に使い始めた)のは、やっぱりコロナ禍の頃。通販だけじゃなく食事の宅配もずいぶんと普及しました。コロナがほぼ収束した今も、一度覚えた便利さはそのままなので、おそらくフィリピンだけでなく、同社がサービスを展開するマレーシアやインドネシアでも成長し続けているんでしょうね。

さて私はというと、昨年までは、あんまり利用価値を認めてませんでした。移住後の私の主な物欲の対象と言えば、今のこのブログを書くのに使っている、アップルのコンピューターやiPhone、およびその周辺機器。テレビ・オーディオ機器などのAV関連。書籍に音楽、日本の食材などなど。どれも隣街の州都バコロドに行けば売ってるか、ネット経由で直接入手できるものがほとんど。

最近では、遅まきながら日本のアマゾンがフィリピンからも利用できることに気付き、ネット通販はそちらがメイン。以前にもこのブログに投稿しましたね。(日本のアマゾンでお買い物)何を買ってるかと言うと、フィリピンで売ってそうで売ってない台所用品、例えばポテトマッシャーや、テフロン加工がしっかりしたフライパン。紙の本に自転車パーツ、テレビでNetflixやアマゾンプライムを見るためのクローム・キャストなどなど。

さすがに運送費が高いので、そう頻繁には利用できず、ある程度数がまとまってからの購入とは言うものの、日本からフェデックスやDHL使うほど高くありません。EMSは比較的安いんだけど、フィリピン国内の配送が全然信用できず、追跡したセブまでは数日で届いているのに、そこからが2週間も3週間もかかるダメさ加減。その上宅配ではなく、最寄りの郵便局まで自分で取りに行かなくてはなりません。さらに受け取り時に手数料を取られるし。

なので私にとっては、オンライン宅配はアマゾン一択だったのですが、唯一の弱点が、食料品と医薬品がフィリピンへのお届け対象外。ちょっと困ったのが、バコロドの大手ショッピングモールの輸入食材コーナーで、いつも買っていた日本の味噌や麦茶の欠品が続いていること。まぁ日本の食材に限らず、パスタ用のホワイトソースとか、トマトジュースと言った、やや需要の少ない商品が、長期欠品になるのは珍しくないんですが。

正直なところ、味噌と麦茶がないと絶対困るってわけでもないんですが、やっぱり日本人としては、ないよりあった方が良いアイテム。そこで考えたのがラザダとショッピー。家内に確認してもらったら、嬉しいことにちゃんとラインナップにありました。価格もロビンソン図やSMと同じレベル。早速注文して先日到着。

ただ、アマゾンなら1週間かせいぜい10日なのに、かれこれ3週間もかかりました。しかもついでに買った電動コーヒーミルの一部が破損しているオマケ付き。やっぱりフィリピン・ローカルの配送業者は、イマイチ信頼できません。惜しいなぁ。


手放しでは喜べない結果だったものの、コーヒーミルは機能には影響ない範囲だったし、何より時間はかかったとは言え、正真正銘の日本食材が、ネグロスの片田舎まで宅配されたのは素晴らしい。この国と関わり出してから30年近く経って、ようやくサービスがここまで来たかと軽い感動を味わっております。



2023年7月19日水曜日

気温が逆転 フィリピンと日本

 今年(2023年)はエルニーニョが発生したそうで、日本ではまだ梅雨が明けてないのに、連日の猛暑日。ヤフーJapanやSNSの日本からの投稿では「暑い暑い暑い」の大合唱。フィリピンでも、雨季なのにルソン島を中心に雨不足で、一時はマニラで給水制限もあったとか。先週の台風ドドンのお陰で、一応は収束したようですが。

それにしても、いくら南北に長くて気候に差があるとは言え、秋田では豪雨で土砂崩れで死者が出て、停電・断水で大変なことになっている同じ日に、関東以西では40度に迫る猛暑で、これまた熱中症による犠牲者が出ている日本。まるで天罰でも下っているのかと思うぐらい。

そして日本だけではなく、ヨーロッパやアメリカ、インドなどでも熱波が襲来。最高気温が40度どころか50度に達する地域も。

ところがここフィリピン・ネグロス島では、たまに土砂降りが数日続いたりするものの、全体的には例年通りの雨季。昼間でも風が抜けてエアコン不要の涼しさで、夜には扇風機つけっぱなしにしたら風邪を引きそうなぐらい。一昨夜も、長袖・長裾のジャージで就寝しました。

盛夏が4〜5月のフィリピンなので、例年7〜8月には、温帯の日本が暑く熱帯のフィリピンは涼しい。この時期は、イメージに反して暑・涼が逆転するのが常なんですが、今年はちょっと極端過ぎますね。この調子では、かつて冬の寒さや春の花粉症から逃れることが、フィリピン移住の一つの動機だったのが、さらに夏の暑さから逃れるのも加わりそう。というか「美しい四季の移り変わり」が売りだった日本が、いつの間にエゲつなく過酷な自然になってしまった。

実際のところ、気温の高低差が良いのではなく、桜などの季節の花や紅葉だったり、旬の食材が美味しい時に四季を感じるんであって、へそ曲がりな私など、真冬も真夏も嫌いでした。特に何が耐え難いかって、陽が落ちても30度を下回らない酷暑。正真正銘の「熱帯夜」であるネグロスの夜の方が、ちゃんと気温が下がるからよっぽど凌ぎやすい。

この温暖化が、排ガスや工場排煙による空気中の二酸化炭素増大に起因するのかどうかは、実は専門家の間でも断定はできてないらしい。それでも1990年代ごろから、世界的に平均気温が上昇しているのは間違ありません。

ところが何事も変化に対応できない、今の日本の政治や社会。気象庁が「災害級の暑さ」と、「外、出歩いたら死んでも知らんで」と同義の表現で警告しているにもかかわらず、高校野球の予選は中止にはならないし、学校では校庭で子供に人文字描かせて救急車が来る。いまだに責任者は「ワシらが子供の頃は、暑かっても我慢するのが当たり前やったんじゃ」とか思ってるんでしょうかね?


2023年7月14日金曜日

もう安くないフィリピン


出典:Lakad Pilipinas

 私がフィリピンに移住した10年前に比べると、ずいぶんフィリピンに住む日本人の数が増えた印象です。これは主に在留邦人によるツイッターでの発信が増えたから。ところがJETRO(日本貿易貿易振興機構)のホームページによると、2013年の約1万8千人から、2018年では1万7千人とマイナス千人。さらにこれはコロナ禍以前の数字なので、2023年現在では、さらに減っている可能性もありそう。

とは言え、マニラやセブの大都会からの日本人によるSNS投稿は、以前より活発になっているのは間違いない。その中には、移住を検討中だとか、最近マニラに引っ越しましたなんてコメントもちらほら。今年(2023年)夏季休暇の英語学校への予約は、相当な盛況になっているとも聞きます。

全体は減ったにしても、私からすると特筆すべきは、若年層の増加。かつてはフィリピン移住=若いフィリピーナを追いかけて来た、日本を食い潰した中高年男性みたいなイメージだったのが、最近では、英語留学を経てフィリピンで就職や起業する若者だったり、親子留学で長期滞在する母子だったり。

そうなると、ネグロスのような地方よりも、仕事を探しやすく便利で日本食も豊富な、大都会に集中するのも分かります。そして気になるのが、生活に要するお金の問題。

活発にやり取りされる情報交換を傍目で見てると、フィリピンの物価が安いということは、もう移住の理由になりにくくなっている。そりゃそうでしょうね。マニラに比べれば遥かに生活費の安い、ネグロス島シライに居てさえ、実感できるレベルのインフレ。メイドさんや家庭教師、出張マッサージのセラピストへの報酬は、すべて値上げしました。トライシクル(オート三輪)の料金が、10年前の倍になりましたから。

さらに追い討ちをかけるのが、昨年あたりからの円安。給料が円ベースだったり、日本の貯金、年金に頼っている人には大打撃でしょう。私はマニラに住んでいないので、イマイチ実感はできませんが、1ヶ月の生活費が20万円は必要という声も。シライでも家族3人で10万円はかかりますから、恐らくそれが現実なんでしょうね。

ただ、一口にマニラと言っても、マカティやBGC(ボニファシオ・グローバルシティ)なんてフィリピンで一番地価の高い場所のコンドミニアムに住んで、日本食レストランでしょっちゅう食事をすれば、高くもつくでしょう。住む人は選びますが、もっと安いアパートで暮らし、ローカルの食事を厭わなければ、5〜10万円は安く上がるかも知れません。

まぁ、フィリピン人目線で考えてみれば、マルコスの汚職と圧政が原因の「アジアの病人」状態から、やっと半世紀前の日本の経済成長レベルに到達したわけですから、そろそろ豊かになってもいいだろうという感じ。

これはフィリピンが高くなったと言うより、日本が何かにつけ安いままだったんだと思います。失われた20年30年の果てに、鳴物入りで始まったアベノミクスも、結局は大企業を優遇するだけで終わり、そもそもの目標だったはずの、一般国民が恩恵を受ける景気回復や賃金アップには効果なし。税収は上がり、一部企業の内部保留が増えただけ。フィリピンだったら暴動か革命が起きてもおかしくないですよ。

ということで、1980年代の夢が醒めない、フィリピンかぶれの爺さんが説く「月3万円で暮らせる」は、いまや夢のまた夢。「フィリピンが安いから移住」が通用するのは、ネグロスのような地方で、さらに住み方に工夫しないとダメな時代になってしまったようです。



ネグロスで実践する健康法

 フィリピン・ネグロス島に移住して早10年余り。お陰さまで、日本でのサラリーマン生活でぶっこわれたメンタルも完全に回復し、50代は大病もなくかなり健康に過ごせました。還暦を迎えてからも、ほぼ問題無い感じ。今日は、そんな私なりの健康法についての投稿です。

わざわざ「ネグロスで」って付けちゃいましたけど、やる気さえあればどこででもできる話。また「秘訣」みたいなものでもなく、当たり前のことを当たり前にやるだけ。怪しげなサプリメントを売りつける気もありませんので、ご心配なく。

大雑把に結論から言いますと、規則正しい生活が基本。睡眠時間は6〜7時間程度で、バランスの良い食事を摂り、毎日適度の運動を心がける。酒は飲まずタバコも吸わない。何より重要なのは、ストレスを溜めないこと。

ここまで読んだ方には「それができれば苦労はない!」と怒られそう。恐らく日本在住で会社勤めをしている人には、なかなか難しいでしょう。毎日定時で帰宅できて人間関係も良好なホワイト職場って、そうそうあるとは思えませんから。残業があって、就寝は深夜。睡眠時間は削られるし、夕食の時間はどうしても遅くなる。

逆に言うと私は、健康な生活を送るために辺鄙なネグロスに移住しました。地方都市で稼げる仕事は少ないので、早期退職が大前提。つまり、最大のストレスの元を断ち切ることから始めたわけです。仮にこっちで就職したとしても、残業が当たり前の職場なんて、あんまりないでしょうけどね。

その次に難しいと思われるのが、飲酒・喫煙の習慣がある人がそれを止めること。たまたま私は、生まれつきアルコールがダメな体質。これは親に感謝しなくちゃいけません。そしてタバコは30代前半のある日「今日から吸わない」と決めて以来、一本も口にしてません。こっちは、禁煙のきっかけをくれた家内に感謝です。

そして食事。ネグロスでの引退生活は基本が暇だし、まともな日本食レストランなんて、州都バコロドにもない。なので日本的な味付けが欲しければ、自分で作るしかない環境が結果的には良かった。積極的に自炊をするので、バランスは自分でコントロールできます。もし外食を主体にしてたら、脂っこくて濃い味付けが多いフィリピン料理。不味いわけではないけれど、毎日これだとちょっとキツい。お金もかかりますし。

最後が運動。移住後2年ほどは、近所の市営コートでテニスをしてたんですよ。これは日本でもやってた運動習慣。ところが、パートナーの地元の友人が大酒飲みで、二日酔いでキャンセルの嵐。連絡もくれないから、朝コートまで行って無駄に待つことも多い。これが度重なって、テニスそのものから縁遠くなってしまいました。ちなみにその友人、私より若かったのに、深酒が祟って数年前にお亡くなりに。

テニスの代わり、というわけでもないんですが、今も続いているのが筋トレとサイクリング。筋トレはしばらくジムに通っていたものの、雨季になると出かけるのが面倒になる。そこでダンベルを買い込んで自宅で簡易ジムを作って、毎日15分程度の軽い筋トレ。

この「軽い」というのが、秘訣と言えば秘訣。いくら暇でも、毎日自分を追い込んで筋肉増量!みたいなことやると、私の性格としては絶対に続かない。そもそも今さら筋肉ムキムキになるつもりもなく、骨が脆くなったり、筋肉の減少で転倒しないため。なので、できるだけ毎日は心がけるものの、2〜3日サボってしまっても気に病まない。最低でも1週間に1回できたらいいやってぐらい、軽く取り組んでます。

このユルユル方式が功を奏して、かれこれ8年ほど曲がりなりにも継続中。サイクリングも同じ。毎日15〜20分程度、近所を流すだけ。間違えても炎天下に何十キロ!みたいな無謀な真似はしません。

おまけは毎日1時間弱のカラオケ。一応ボイストレーニングと称してますが、好きな曲をYouTubeで見つけたカラオケ動画に合わせて歌っているだけ。とにかく気持ちよく歌えることが主眼。

ということで、これだけやれば、夜は日付が変わるころには普通に入眠できます。まぁ、夜遊びとお酒が大好きな人や、仕事が趣味って方には、そんな人生、何が面白いんや?と一笑に付されるかも知れませんね。我ながら「酒もタバコも女もやらず、百まで生きた馬鹿がいる」という都々逸を地で行ってるような気もします。太く短い人生も否定はしませんけど、私には向いてませんね。



2023年7月10日月曜日

私的フィリピン美女図鑑 姪っ子の成人式

 前回は、長いこと放置して久しぶりに投稿した美女イラスト。描き方を変えたので急にピッチが上がって、十日開けただけで次の作品をアップします。

すっかりシリーズ化した友人や親戚の着物姿で、今回は姪っ子ジャスミンがモデルです。2005年生まれで息子と同い年のジャスミンは、今年(2023年)で18歳。つまり今年の誕生日が日本で言うところの成人式になります。

フィリピンでは新成人を一同に集める習慣はなく、各自の18歳の誕生日を「デビュー / Debut」(こちらでは「デブ」と発音)として盛大に祝うのが一般的。それもなぜか、ほとんど女の子だけ。男の子は21歳でデビューのはずが、あんまり派手なパーティはしないようです。

実はジャスミンのデビューは4月。当然私も出席の予定が、数日前に風邪を引いて咳が止まらず、やむ無く欠席となったのは、このブログでも書きました。(行けなかった姪っ子のデビュー・パーティ)

狭いシライ市のことなので、親戚や知人から「どうして欠席したの?」とやたら尋ねられる。フィリピンでは結婚式の次ぐらいに重要な催事らしく、叔父のような近しい人物が欠席すると、とても目立つ。さすがに人が集まるところで、ずっと咳き込んでたら確実に結核かコロナを疑われるし、欠席は仕方ないだろうとは思うものの、その後もずっと気にはなってました。

そこで、思い立ったのが着物姿の似顔絵での成人式祝い。日本では成人式に着物というのは定番で、当日は着付けやヘアセット、メイクなどなどで美容院が大忙し。フィリピンの場合は成人式がない代わりに、卒業式シーズンで同様のことが起こります。着付けはないけど、卒業生本人だけでなく、母親たちが衣装レンタルやヘアセットに殺到。私も息子の中学校の卒業式前に、行きつけの美容院で散髪したら、予約入れてたのに待たされました。

それはさておき、成人式の着物と言えば袴。調べてみたら、明治時代には女学生の制服だったからなんだそうです。さらにその源流は、平安時代の女官。そう言えば雛人形の三人官女って、赤い袴を履いてましたね。

ということで、パーティ当日から2ヶ月遅れで仕上げたのが、振袖と袴のジャスミン。こっちでは袴の有無の意味なんて誰も分からないし、何なら浴衣でも良かったんですが、やっぱり贈り物だし日本人の友達が見るSNSにも投稿します。たとえ自己満足であっても、納得して描きたかったんですよ。


それなりに気合いを入れた甲斐があって、速攻でジャスミンの母、義妹のジーナから大喜びのコメント。大きく印刷して額装すると大はしゃぎ。ちょっと遅れてジャスミン本人からも感謝コメント。その後は例によって親戚や友人から「いいね」の嵐。ほんと、フィリピンの人たちって、こういうのが大好きですね。コスプレが大人気を博すのも分かります。

そして、家内の幼馴染の友人マジョリーから「次は私のイラストも!」とのリクエストが入りました。こちらは成人式ならぬもうすぐ還暦の大御所ですが、謹んで承りました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2023年7月6日木曜日

モダン・ジプニーの乗り心地

 遅ればせながら、しばらく前にようやく乗ったモダン・ジプニー。ジプニーとは、定員20名程度の乗り合いバス。その他の東南アジア諸国にもある、タイの「ソンテウ」やインドネシアの「アンコット」と同じような公共交通機関。路線バスほど遠くまでは行かないけど、タクシーに比べるとずっと安い点も共通しているようです。

フィリピンに住んでたり、何度も訪問した方には耳タコの説明ですが、第二次対戦後に米軍が残していった軍用ジープを改造したのが、そもそもの始まり。だからジプニー。人によってはそのまま「ジープ」と呼んだりもりする。

そして外観は、いかにもフィリピン好みらしく、ゴタゴタとデコレーションやイラスト満載のボディ。カトリック国なので、イエス・キリストを賛美する言葉を誇らしげに描いたりもします。この辺りが観光客に異国情緒を感じさせるので、ジプニーのミニカーは、空港でのお土産の定番。

ただ日常的に使ってみると、そんなことはどうでもよくて、騒音、排気ガス、乱暴な運転、エアコン無しの蒸し暑さは、何とかしてほしいもの。何しろ何十年も騙し騙し使ってきたであろう車両ばかり。排ガス規制も何もあったものではありません。本当に安いだけが取り柄としか言えないぐらい。

そしてようやく21世紀も20年以上経過してから、やっと旧態依然たるジプニーにも近代化の波が押し寄せました。ここまでの話は、3月(2023年)にも投稿済みで、ここからが今回のメインである、実際に乗車してみての感想。

実は4月にセブに行った時が、モダン・ジプニーの初体験。ぱっと見には既に西ネグロスの州都バコロドでも走っている電動車両と似た外観の日野製。でもエンジンはディーゼル。つまり車種が変わったってだけなんですが、乗ってみると、もはやジプニーと呼ぶのも憚られるほどの変わりよう。

まず座席だけでなく、普通に立って乗れる。もちろん吊り革もついている。ドアも窓も閉められてエアコン完備(これ最重要)。驚いたのは車掌さんが若い女性で、発券用の小型端末を持っていること。しかも私服ながら服装もきちんとしていて、軽くメークにピアスまでしてるお洒落さん。旧来のジプニーにも、車掌らしいオっちゃんや兄ちゃんは同乗してましたが、みんなヨレヨレシャツのサンダル履きなのに比べると、隔世の感。

とまぁ、我ながら大事件のように書いてしまいましたが、要するに日本の路線バスをちょっと小ぶりにしたようなもの。みんなスマホ見てるし、中には居眠りしているオバちゃんまでいる。唯一、騒がしい音楽を車内に流しているところだけは、フィリピン・スタイル。

その翌週、たまたまバコロドでも乗る機会を得たモダン・ジプニー。こちらは正真正銘の電動自動車。でも乗り心地はセブのディーゼル・ジプニーと何も変わらない。車掌さんが女性だというのも同じ。雨だったので、エアコンの効力がより際立ってました。

ほんと、雨中のジプニーって最悪なんですよ。窓ガラスがないので雨避けは透明ビニールしかなく、これ閉めちゃうと蒸し風呂状態。その上、腰をかがめないと乗り降りできないから、足元が危なくて仕方がない。

もちろん、料金は旧来型に比べると増額にはなりますが、せいぜい50円が100円になった程度。昨今のインフレを考えれば、むしろ当然なくらい。収入が増えればドライバーや車掌の質も改善されて、乱暴な運転もマシになるでしょう。

ということで、近々、おらが街シライにも、バコロド行きのモダン・ジプニーが乗り入れるそうなので、私がバコロドに出かける頻度も上がるかも知れません。


バコロド〜シライ乗り入れ予定の
モダン・ジプニー(出典:Silay City



2023年7月3日月曜日

犬との距離感

 私の住むネグロス島では、どこでもやたらと犬がいます。各家庭で飼われている犬はもちろん、道端で繁殖している野良・半野良。おそらくこれは、ネグロスだけのことではなく、フィリピン全土で似たような状況なんでしょう。ちなみに我が家でも「ゴマ」と名付けた雑種のオス犬を一頭飼育中。

名前の由来は、胡麻塩のような模様があるから。こっちの言葉で「Goma」がゴムを意味するとは知らなかった、最初の日本人飼い主による命名です。まぁ、あまり細かいことをツっこまないフィリピンなので、地元の人から指摘されたこともないですけど。

フィリピンで犬を飼うのは、愛玩動物と言うより、番犬の意味合いが強い感じ。普通に空き巣とか強盗が多いですからねぇ。特に比較的広い家に住む場合、どうしても全体に目が行き届かず、別に泥棒じゃなくても、門の前で「タグ・バライ(ごめんください)」と言ってる人に気付かなかったりしがち。昼間ならメイドさんもいるでしょうけど、深夜になったら怖いですし。

なので、未知の訪問者には誰にでもけたたましく吠える、フレンドリーではない犬が幅を効かせることになります。その点ウチのゴマは、人間だけでなくバイクや車、果ては水牛にまで喧嘩を売る身の程知らず。ちょっと無駄吠えが多過ぎて、早朝などは嫌になったりするぐらい。

多少うるさくても、ちゃんと敷地内にいるならいいんですが、厄介なのが半野良。飼い主はいるんだけど、餌だけは与えて、家の周囲で放し飼いにするパターン。犬好きが多いフィリピンなので、何となく容認されているようですが、やっぱり他家の子供に噛みついたり、バイクが避けようとして事故ったりのトラブルが発生。実際に放し飼いが原因の死亡事故も報道されます。

さすがに、大金持ちが純粋に番犬として購入するような、ジャーマン・シェパードとかドーベルマンの類に放し飼いは見たことないものの、逆に檻に閉じ込められる虐待同然の飼育も目につきます。そんな家の前を、ゴマの散歩で通ったりしたら、欲求不満の大型犬にめちゃくちゃ吠えられる。難儀やなぁ。

その反面、まるで自分の子供のように屋内で一緒に暮らし、ハグ&キスが当たり前という人もいる。これは日本でもよくありますね。ただ私も家内も、犬は犬、人は人、という感覚なので、ちょっと真似はできません。ゴマをいじめたりはしませんが、たまに頭を撫でるぐらい。人それぞれですからね。

そして犬を語る上で、冗談で済まされないのが狂犬病。世界的に見ると、狂犬病の清浄国は、日本を含めてむしろ少数派。フィリピンでは、年間で300〜600名もの死者を出す、恐ろしい感染症。旅行者にも、安易に犬や猫を触ろうとしないよう、注意喚起がされてますよね。発症したらほぼ100パーセント死に至りますから、これは決してオーバーな呼びかけではありません。

もちろんフィリピンでも、狂犬病に対して無為無策ではなく、飼い犬に関する限り、毎年地方自治体から委託されたと思しきスタッフが各戸を回って、狂犬病の予防接種。我が家にも来てもらってます。その活動があっても、全体の一割ぐらいしかカバーできてないのが現実。野犬狩りもやってるらしいんですが、焼石に水状態。

ということで、ぱっと見では、犬も犬好きの人間も多いフィリピンは、犬にとってのパラダイスのように思われるかも知れません。しかしながら、狂犬病じゃなくても、全身がただれたような皮膚病の犬や、車に轢かれて路上でペチャンコになった犬をよく見かけます。数が多いから、必ずしも幸せとは限らない。犬になったことはないので、実際に彼らがどう思ってるのかは、分かりませんが。